【作品#0653】怪物(2023) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

怪物

【Podcast】

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。 

 

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【概要】

2023年の日本映画
上映時間は126分

【あらすじ】

麦野湊という小学生の息子を持つシングルマザーの麦野早織は、息子の靴が片方なくなっていることや水筒に泥が入っていることから、学校でいじめられているのではないかと疑い始める。

【スタッフ】

監督は是枝裕和
脚本は坂本裕二
音楽は坂本龍一
撮影は近藤龍人

【キャスト】

安藤サクラ(麦野早織)
永山瑛太(保利道敏)
黒川想矢(麦野湊)
柊木陽太(星川依里)
高畑充希(鈴村広菜)
中村獅童(星川清高)
田中裕子(伏見真木子)

【感想】

是枝裕和監督にとっては「万引き家族(2018)」以来となる邦画作品。カンヌ国際映画祭では脚本賞、クィア・パルム賞の2部門を受賞した。また、2023年3月に死去した坂本龍一にとって本作が遺作となった。

いわゆる「羅生門(1950)」形式の映画である。過去には「戦火の勇気(1996)」「閉ざされた森(2003)」「別離(2011)」「最後の決闘裁判(2021)」などでその形式が用いられている。麦野湊の母親早織視点、麦野湊の担任の保利先生視点、最後は麦野湊視点で映画が繰り返されていく。

社会の大きなピラミッドの最底辺、あるいは力という意味での最底辺にいる人たちの様子を描く点では「誰も知らない(2004)」や「万引き家族(2018)」、それから前作「ベイビー・ブローカー(2022)」と通づるものがある。クリーニング店が出てくるのも前作「ベイビー・ブローカー(2022)」と同様である。

麦野湊も保利先生も女性キャラクターから「可哀そう」と言われる場面がある。麦野湊は母親から自分が至らないから「可哀そう」だと言われ、「可哀そうじゃないよ」と答えている。保利先生も高畑充希演じる彼女から「可哀そう」と言われ、「可哀そうじゃない」と答えている。共に「可哀そう」だと言われたからといって、そうだと認めて甘えている訳ではない。また、プライドの生きものとも言われる男故に「可哀そう」だと思われたくないという思いもあったことだろう。

この世界には「男」であることや「普通」であることがプレッシャーである。例えば、保利先生は麦野湊が体育の時間に組体操でピラミッドを作る際に倒れてるのを見て「それでも男かよ」と言っている。また、いじめられている星川依里と仲良くしていると自分もいじめられるから星川依里と仕方なく喧嘩することになる。その後、保健室で手当てをした二人に対して保利先生は「男らしく仲直りしよう」と言っている。組体操でピラミッドを作る際に倒れることが「男らしくないこと」なのか。殴り合いの喧嘩をした二人が仲直りをすることが「男らしい」ことなのか。おそらく保利先生にはそれを論理的に説明できるものは持ち合わせていないだろう。

また、保利先生は雑誌などの誤植を見つけるのが趣味である。間違ったことを正そうとするところに彼の性格が表れている。ただ、そんな彼も自分の間違いに気付いて行動を起こし始める。本作で唯一間違いに気付いて行動を起こすキャラクターである。ただそんな彼もおそらく彼女には去られ、学校を退職したという立場である。

また、麦野湊の母である早織は、なかなか帰宅しない麦野湊をトンネルまで迎えに行き、車で帰る途中に息子の湊に対して「普通に結婚して子供を持つまで頑張る」と言っている。「大金持ちにならなくてもいいよ」とか「偉くならなくてもいいよ」という意味合いで言っているのは理解できるものの、彼女にも(おそらく)女性と結婚することが「普通」であると思っており、それを息子に言うことがプレッシャーになるなんて1ミリも考えていない。車とすれ違う音で麦野湊のセリフが聞き取れない箇所があるものの、後の麦野湊視点のパートで彼は「お父さんみたいにはなれない」と言っている。

麦野湊の父親は生前ラガーマンだったらしく、どうやら不倫中の事故で死んだらしい。息子の麦野湊も妻の麦野早織も、父親であり夫だった男が不倫していたことを責める場面はない。父親を責める対象にして「普通の家族」に偏見を持ってほしくないと思っていたんじゃないだろうか。そんな過去を持つからこそ、早織は息子の湊に対して「普通に結婚して子供を持つ」と言ってしまったのではないだろうか。ラガーマンというのも「男らしさ」の象徴として選ばれたスポーツだろう。そんな「男らしい」人間になれないという意味合いと、奥さんがいながら他の女性と関係を持つような人間になれないという意味合いなのだろう。

また、お父さんが何に生まれ変わっているかという話で湊は「キリン」という動物を口にする。するとお母さんは「見上げなきゃいけない」と言っている。すると湊は「二階に上がれば良い」という趣旨の返答をしている。ここも湊の考えの方が柔軟である。お母さんは今いる場所から動こうとしていないが、湊の考えだと自分が動けば良いというスタンスである。

また、星川依里は学校の中でも男の子よりも女の子と過ごす時間が多く、男の子の友達は基本的にはいない。徐々にわかってくるが、星川依里は同性愛者(もしくは両性愛者)なのだろう。その事実に気付いている星川依里の父親は息子に対して「病気だから治してやる」と言っているようだ。おそらく同性の友人ができる度に転校させられていたんじゃないか。台風の日に麦野湊が星川依里の家に行くと、星川依里は服を着たまま浴槽でぐったりしていた。これも父親から課された治療なのだろうか。しかもシャツがめくれて背中が見えるとそこには多くのあざがある。これも父親から治療と称して虐待を受けていたのだろう。

そして、当初は「悪」として描かれていた校長先生も最後のパートになっていくにつれて決して「悪」ではないと分かってくる。麦野湊が「嘘をついた」とぼやくと、校長も「一緒だ」と言っている。おそらく孫を車で轢いてしまったのは校長なのだろう。また、麦野湊と星川依里が想いを寄せ合っていながらそれを公にできないことも何となく知っていたことだろう。だからこそ、事件を表沙汰にせずに丸く収めようとしたのではないかと分かる。星川依里がチャッカマンを落とした現場に居合わせたのはやや都合の良い話に見えるが、そういった事情を慮った校長の行動と言える。

もしすべてを表沙汰にすると、麦野湊と星川依里はお互いを想っていることが周囲に知られ、新たないじめの火種になるかもしれない。また、星川依里が父親のいるガールズバーに火をつけたのならそのことで星川依里はどうなってしまうか分からない。そして、麦野湊が嘘をついたことで保利先生は退職に追い込まれた。さらに、保利先生の言い分を学校側は聞かなかったことになるので学校側も信頼を失い、何かしらの処分が下される可能性が高い。

鉄道跡地に麦野湊を連れてきたのは星川依里であり、台風が来た時に鉄道跡地に星川依里を連れてくるのが麦野湊になっている。トンネルを抜けた先の梯子を登る順番が最初と2回目で逆転している。

台風が通り過ぎるのを鉄道跡地で過ごした麦野湊と星川依里は、台風が通り過ぎて晴れた翌日に外へ出る。眩しい日差しが降り注ぐ中、彼らは山の奥へと走っていく。最初にこの鉄道跡地に忍び込んだ日に行き止まりになっていた、おそらく過去に使われていた線路への道が通れるようになっている。もし、台風の影響でその柵が壊れたのならどこにいってしまったのか。おそらく彼らが見た夢や幻想、もしくは彼らが死んでしまったかのどちらかであろう。

また、同時に本作では「生まれ変わる」という話が何度も出てくる。安易に死んだというよりも生まれ変わったという風に捉える方が自然かな。誰の邪魔も受けない、光り輝く理想の世界。彼らの先を阻む柵もなくなっている。もうどこへだって行ける。

作品の大まかなテーマは「多様性」ということになるだろう。お互いのことが好きだと気付いた麦野湊と星川依里の2人。麦野湊は星川依里と仲良くすれば同級生からいじめられ、母親からは結婚して子供を持つという普通を押し付けられている。一方、星川依里は同性愛に目覚めたことを父親から病気扱いされ、同性の男の子と仲良くなる度に転校することになっていた。そんな二人がトンネルをくぐった鉄道跡地に居場所を見つけ、「愛」を育んでいた。

ビルが燃えるオープニングに始まり、終盤は台風による大雨が降り注いでいる。誰かのつけた火が消防隊員によって鎮火されたのだが、映画的には自然(台風による大雨)によって鎮火したように見える。

人の持つ当たり前は生まれ育った環境や教育によって時間をかけて醸成されていくものだろう。湊の母早織の言う「普通」も保利先生の言う「男らしさ」もその例外ではないだろう。その「普通」や「男らしさ」という考え方は人それぞれなので相手に押し付けなければ問題ないと思う。ただ、それを口にしたことで相手にプレッシャーを与えるのはダメというスタンスなのだろう。

では、この結末は「正しい」のか。性的マイノリティの彼らにとってこの世は居場所のない世界なのか。いわゆる「悪」の側が態度を改めて主人公側に立つなんていう甘い世界を是枝監督は描いてこなかった。彼らの関係が同性愛の関係ではなく友人関係だったら。星川依里は同性愛者で、麦野湊が同性愛者ではなかったら。本作ではクラス内にドッキリと称していじめをする男の子と彼の取り巻きのような男の子が星川依里を明らかにいじめていた。星川依里が同性愛者でなかったとしても彼はいじめの対象になっていたかもしれない。本作が性的マイノリティを描いている作品であることは間違いないのだが、このプロットだとそれに関連する展開にやや必然性を感じないところはある。

また、彼らが受け入れられる世界が「普通」になればそれで良いのか。結婚していなければ「変わり者」だと言われた時代はすっかり終わり、生涯独身であっても「普通」な時代になった。かつての全体主義的な時代から個人主義の時代になってきた。その個人が何を感じ何を思うかはもちろん自由である。その個人の考えがマイノリティであれば「多様性」の実現を目指す社会はどこまで受け入れるのか。また一方で、個人主義を許さない層は一定数おり、集団から少しでも外れた行動をすれば徹底的に攻撃してくる。そういった人たちとの折り合いをどうつけるのか。そういったことを観客同士で話し合いたい。

 

 

 

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