【作品#0638】長屋紳士録(1947) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

長屋紳士録

【Podcast】

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【概要】

1947年の日本映画
上映時間は72分

【あらすじ】

田代は親とはぐれた少年の幸平を連れて帰ってくるが、長屋の連中は皆が世話を嫌がる。仕方なくおたねが引き取ることになるが…。

【スタッフ】

監督/脚本は小津安二郎
音楽は斎藤一郎
撮影は熱田雄春

【キャスト】

飯田蝶子(おたね)
青木放屁(幸平)
河村黎吉(為吉)
吉川満子(きく女)
笠智衆(田代)
小沢栄太郎(幸平の父)
殿山泰司(写真師)

【感想】

派遣先のシンガポールで終戦を迎えた小津安二郎にとって「父ありき(1942)」以来の監督作となった戦後第一弾。名作の多い小津安二郎監督作品の中でも人気を誇る本作は、長い時を経た2023年5月に開催のカンヌ国際映画祭にて4Kデジタル修復版のワールドプレミア上映が行われた。

1946年2月に帰国した小津安二郎は、映画会社から早速映画を作るように言われて急ピッチで脚本を書き上げたのが本作である。ちなみに日本での公開は1947年5月20日である。

笠智衆演じる田代がまだ7歳くらいの少年・幸平を連れて帰って来るところから映画は始まる。親とはぐれた子供がいたなら真っ先に交番へ預けることが思い浮かぶのだが、本作はまだ終戦から2年も経過していない頃である。まだ戦後まもなくであり、日本国内の警察組織も「ちゃんと」していなかったのであろう。それに、本作のラストにも上野公園内に多くの戦争孤児が登場することからも分かるように、子供が一人で歩いていようが「戦災孤児なのかな」と思われるような時代だったのだろう。ちなみに、1948年当時の厚生省による「全国孤児一斉調査結果」によると、孤児の総数は約12万人だったらしい。

本作の舞台となるのはタイトルにも含まれている「長屋」である。「長屋」とは横長の1つの建物内に複数の住戸が作られているもので、住戸同士は壁で隔てているだけである。なので、現代とは違い、住人同士の距離感も必然的に近いものがある。

この長屋に暮らしている男女は皆が一人暮らしのようだ(為吉は別の場所に暮らす娘がいたが)。当時の未婚率や家族構成を鑑みるに、おそらく戦争で両親や配偶者を亡くした可能性が高いと考えるべきだろう。そんな彼らが肩を寄せ合うように長屋というある意味ひとつの建物の下で疑似家族的に暮らしているのだろう。

そんな彼らの暮らす長屋に田代が少年の幸平を連れて帰ってくる。この長屋には中年以降の男女しかおらず、当然彼が最年少であり、同年代の少年はいない。やはり子供や赤ちゃんは将来への希望の象徴である。だが、長屋の連中はどいつもこいつも少年の幸平の世話を嫌がっている。もちろんいきなり他人の子供の世話を押し付けられたら誰だって良い気はしない。本作では描かれていないが当時は米は配給制。

この長屋に子供がおらず、やっとこさ現れた子供の世話をみんなが嫌がっているのも、後の小津作品で言えば、いずれ親元を巣立っていくことへの寂しさもあるだろうし、何と言ってもせっかく育てた子供が戦争で犠牲になった。敗戦国となった日本において、新しい家庭を築いて子供を育てていくことにどれほどの希望が持てただろうか。

そんな彼らが自らの運命を託すのがクジである。おたねが少年の幸平の世話をすることになるのも、幸平がおばさんからもらった10円の使い道もクジである。この長屋に住んでいる連中にとっては、戦争に負けたことも、そんな中で彼らが生き残ったのもある意味「運」だろう。

当初は幸平の世話を嫌がっていたおたねも徐々に幸平に夢中になっていく。かつてはおたねも子供を育てていたかもしれない。子育てにはもちろん煩わしさもあるだろうが、それを大きく上回る幸せがある。人間として当たり前に感じる幸せをおたねは思い出すように、今まで意地悪していたのが嘘のように優しくなっていく。

そして、ジャンプカットでおたねと幸平と、あの10円をくれたおばさんの3人で動物園に行っている。すると、ボロボロだった幸平の服はきれいになっており、おそらくおばさんに買ってもらったのだろうと推測することができる(後におばさんが買ったことをおたねが言及)。破れて汚れた服から新しい服に着替えることで、幸平をかつての家族を思わせるものを知らず知らずのうちに捨て去っているようでもある。

当初はほとんど会話のなかったおたねと幸平もまるで親子、あるいはおばあちゃんと孫のような距離感で会話している。ちなみに、中盤になってようやく幸平が口を開いた夜。「おばあちゃん、おやすみ」「おばちゃんだよ!!」「おばちゃん、おやすみ」という会話のテンポ、声のトーンなどすべてが見事である。

おたねと幸平は写真屋に写真を撮影しに行く。まだ共に暮らし始めて1週間しか経過していないのにお金のかかる写真撮影なんて唐突に映るのだが、おたねが幸平と家族であることを証拠として残したかったんじゃないか。誰の提案で写真を撮りに来たかは分からないが、おたねかきく女のどちらかであろう。また、新しい服を買ってくれたのはきく女なので、彼女が提案したのかもしれない。

小津映画では後の「麦秋(1951)」のラストでも家族写真の撮影の場面があった。あの場面では、娘が嫁ぎ、両親は田舎に隠居することで、もうあの時のあの家族構成は二度と訪れることがないのだ。そんな最後の瞬間を切り取るように家族写真の撮影をすることに意義があった。

また、写真を撮り終えると画面は暗転し、会話は続いているのにその暗転した画面のまま20秒ほど続く。すると、画面はおたねと幸平が写真撮影の際に座っていた椅子を映し続けて、ラストシーンへ移行していく。この暗転した画面が20秒ほど続く意図は初見時でも再見時でも容易に意図を汲み取ることはできない。やはり画面が真っ黒なので良い意味で使用しているとは言えない。おたねと幸平が後に離れ離れになる伏線として使用した演出なのだろうか。何ともチャレンジングな演出であると感じる。

動物園へ行って、写真屋で写真を撮ってもらい、そしてどうやら夕食も一緒に食べて帰って来たおたねと幸平のところへ1人の男がやってくる。その男は幸平の父親だというのだ。おたねはてっきり息子を捨てた薄情な父親だと思っていたら、礼儀正しい父親だったことに驚くと同時に、これからずっと暮らしていくと思っていた幸平が突然取り上げられたかの如く、まさに不意を突かれてしまう。一度家族の如く築き始めたものが突然崩壊してしまう。

日本は戦争で多くの犠牲を払うことになった。それはこの長屋に住んでいる連中もそうだろう。そんなおたねのところへ現れた幸平はやはり希望の象徴だったわけで、おたねもこれから育てていく決心をしていたことだろう。そこへ急に幸平の父親が現れて、まともに別れの言葉も告げることができず幸平は父親と共に去ってしまった。長屋という疑似家族的な集まりの中へ、幸平がやって来て、彼もこの疑似家族の一員になりかけていた。

せっかく築いたものが崩壊するかの如く、彼女は泣き始める。彼女はその涙の訳を「幸平が父親に会えてどれだけ嬉しいだろうか」と言っているが、本当は寂しいのだろう。涙を拭ったおたねは、田代に「私に子供出来ないかね」と聞いて「それはおかしい」と返されている。年齢的におたねが子供を産むことができないという意図だろう。おたねは「もらうとかできないか」と言って、田代は上野公園に行けばいくらでもいると言う。

すると、画面は上野公園にある西郷隆盛像を映し、次のカットでその像の近くに多くの戦災孤児がいる様子が映される。上述のように多くの戦災孤児がいたわけである。家族を失った子供たちに手を差し伸べることができるのはもちろん大人である。まだ戦後まもなくであり、戦災孤児に手をかける余裕はなかったのかもしれない。でも、もしできるなら「どうですか」と言わんばかりのラストカットである。人間の本能に訴えかけるカットであり、セリフもない戦災孤児を映すラストカットが雄弁に物語っている。

 



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