【作品#0572】スリー・ビルボード(2017) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

スリー・ビルボード(原題:Three Billboards Outside Ebbing, Missouri)

 

【Podcast】


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【概要】

2017年のアメリカ/イギリス合作映画
上映時間は115分

【あらすじ】

9か月前に娘のアンジェラをレイプされた上に焼死させられた母親のミルドレッドは、家の近所の古びた3枚の看板を見て、あるメッセージを看板に張り出すことを決意する。

【スタッフ】

監督/脚本はマーティン・マクドナー
音楽はカーター・バーウェル
撮影はベン・デイヴィス

【キャスト】

フランシス・マクドーマンド(ミルドレッド・ヘイズ)
ウディ・ハレルソン(ビル・ウィロビー)
サム・ロックウェル(ジェイソン・ディクソン)
ジョン・ホークス(チャーリー)
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(レッド・ウェルビー)
ルーカス・ヘッジズ(ロビー・ヘイズ)

【感想】

アカデミー賞では6部門でノミネートされ、フランシス・マクドーマンドが「ファーゴ(1996)」に続く2度目の主演女優賞を受賞し、サム・ロックウェルは助演男優賞を受賞した。

まず、オマージュの話から記載しておきたい。ディクソンは登場シーンでパトロール中に音楽を聞きながら歌っており、何度も「マオ!」と言っている。映画「ディア・ハンター(1978)」でロシアンルーレットする時にベトナム人がクリストファー・ウォーケンに対して言っている「早くやれ!」といった意味の言葉である。さらに後にミルドレッドはバンダナを巻いており、看板の近くで幻想の鹿を見る場面があるところもオマージュであり、マーティン・マクドナーもサム・ロックウェルもこの映画のファンであることを公言している。

あと、ディクソンの母親が家のテレビで見ている映画は映像こそ映らないが、設定や出演者から判断してニコラス・ローグ監督、ドナルド・サザーランド、ジュリー・クリスティ主演の「赤い影(1973)」という映画である。赤いレインコートを着た少女が死んでしまうところから映画が始まる作品で、本作に登場する赤(広告の背景色、ディクソンの家の電話、バーの照明、ミルドレッドの家のブランコ)はこの映画からの影響だろう。

本作は特に「ヒットマンズ・レクイエム(2008)」でも感じた様なキリスト教のカトリック的な考えに基づく物語であると感じる。キリスト教の聖書の中に「復讐するは我にあり」という言葉がある。これは復讐するのは神のやることだという意味合いである。ミルドレッドは娘のアンジェラを殺した犯人が捕まらないのは警察の責任であり、しかも捜査を促す広告を焼き払ったのも警察の仕業であると考えて警察署を放火するという復讐行為を行ったが、警察に落ち度があったわけでもないし、広告を燃やしたのは元夫のチャーリーだった。また、ディクソンはウィロビー署長の自殺の原因が広告を出したエビング広告店の責任であると考え、責任者のレッドに重傷を負わせたが、レッドは広告主からの依頼に従っただけである。復讐行為が時に身勝手で見当違いであるか。その結果として誤解を生むこともある。ウィロビー署長の妻はあの広告がウィロビー署長の自殺の遠因だと思っているし、息子のロビーは思い出したくないことまで思い出す羽目になり広告の件でどうやら同級生からいじめられている。ミルドレッドにしてもディクソンにしても全く関係のない人まで傷つけてしまっている。

ウィロビー署長はディクソンに書いた手紙の中で「愛」について説いている。見返りを求めない無償の愛である。ウィロビー署長は広告の件でミルドレッドを責めることはないし、何ならお金に困っているミルドレッドに対して広告料の支払いまでやっている。ミルドレッドがウィロビー署長からの手紙を読み終えると、後方を電車が通り過ぎ、踏切のバーが上がっている。要するにウィロビー署長はイエス・キリストである。イースターの日にディナーを食べているところでディクソンから電話で呼び出されるのはウィロビー署長である。イエス・キリストは馬小屋で生まれたが、彼は馬小屋で自殺している。さらに、イエス・キリストは死をもってすべての人の罪を背負った。その罪こそ、ミルドレッドの広告の件であり、ディクソンの差別の件でもある。それを後に手紙でそれぞれが読んでいるのは、まさに聖書を読んでいるようでもある。

序盤にミルドレッドのもとへ神父がやって来るのだが、小児性愛者の仲間だろうと言って神父を怒らせ、その神父には出番がない。神父のやっているようなことでは何も解決しないと言わんばかりである。

また、ディクソンに大怪我をさせられたレッドはウィロビー署長から影響を受けた1人であろう。彼は広告主の依頼で仕事をしただけなのにディクソンに目を付けられ殴られた挙句、二階の窓から放り投げられ入院する大怪我を負った。入院中のレッドと同じ病室に包帯ぐるぐる巻きのディクソンが連れて来られる。ディクソンだと気付いていないレッドが心配すると、レッドはディクソンに泣きながら謝り、自分がディクソンであると明かす。その後、レッドは一時憤慨するが、ディクソンに無言でオレンジジュースをコップに注いで机に置き、ディクソンが飲みやすいようにストローの向きを変えてあげる。レッドはディクソンから悪口も言われ大怪我もさせられたが、彼は復讐ではなく愛で返した。

それから秘かにミルドレッドに思いを寄せるジェームズという小男だろう。火だるまになっているディクソンを助け、どう考えても放火したミルドレッドを庇い、ミルドレッドが梯子を登ると下で支えている。このジェームズには下心こそあるが、庇ったことを口実に誘ったレストランでミルドレッドが不機嫌そうにしていると、「君はいつも不機嫌そうにして、周囲に文句ばかり言っているだけじゃないか」と本気で叱責している。これぞ愛の鞭だろう。

そんな本作において、ミルドレッドはただの被害者、あるいは被害者遺族ではなく、むしろ悪人としても描いている。中盤前くらいに、ミルドレッドとアンジェラの最後の会話シーンが回想される。車を貸してほしいアンジェラはミルドレッドに頼むが「歩いていけば」と断られ、アンジェラは「途中でレイプされても知らないから」と言い、ミルドレッドは「レイプされちまえばいい」と言い返している。車を貸すのを断った理由はアンジェラがマリファナをやっていたからだったが、「車を貸していれば」「タクシー代を渡していれば」と幾度も後悔したことだろう。

さらに、ウィロビー署長の肩を持つ太った歯科医のもと治療を受けようとすると、歯科医の持つドリルを奪い歯科医の親指の爪にドリルを押し当てる蛮行を犯している。その後、ミルドレッドが働くギフトショップにウィロビーが現れ、歯医者での出来事を聞かれて、ミルドレッドは「そんなことしてない」と答えているが、歯医者でした麻酔のせいでうまく喋れていない(完全にブラックコメディだが、フランシス・マクドーマンドの演技の加減が絶妙である)。なので、ミルドレッドに同情させようとするような湿っぽいシーンは極めて少なく、割と突き放した感じで描いている。

また、ディクソンは当初から悪人として描いている。どうやら黒人差別主義者であり、気が短く、今までにも多数の騒ぎを起こしていたことは容易に想像がつく。さらには保守的な土地柄の南部のミズーリにおいて、自分がゲイであることをコンプレックスに思っており、さらにマザコンで、そのことを知られたくないわけである。そんな土地柄でゲイであることを隠すべく他人に対して暴力的に接しているのだろう。また、アバを聞いている場面もある。別に男がアバを聞いたって良いのだが、ゲイ・アンセムと言われるゲイの人に好まれる音楽があり、その代表の1つでもある。他にはジュディ・ガーランドやマドンナなど。

ディクソンが最初に看板に広告が掲載される現場にやって来ると、作業中の黒人の男から目の敵にされて地面に唾を吐かれ怒っているが、後にウィロビー署長に連れられてやって来た広告看板のあるアンジェラ殺害現場で証拠写真を見て気持ち悪くなり唾を吐いている。人にやってはいけないと言ったことを後に自分が自然にやっている。まさに人間らしい。

そんなディクソンが、復讐の鬼になっているミルドレッドによって放火させられた警察署に居合わせたことで顔に大きな火傷を負い、周囲から「火傷を負った酷い見た目の男」として見られることになり、今まで差別をしていた側のディクソンが差別される側になっていく。

また、マーティン・スコセッシ監督の長編デビュー作「ヒットマンズ・レクイエム(2008)」においても、何かを他の何かに例える表現が使用されていたが、本作においてもその表現は登場する。本作は霧の中に包まれた道路脇の壊れた看板を映すところから始まる。その広告には赤ちゃんの絵が描かれており、ミルドレッドの子供を連想する。また、ミルドレッドの娘がレイプされて焼死した事件が解決しておらず、全く晴れていない状態を表している。

ミルドレッドは、エビング広告店に行くと、レッドという若者が対応してくれる。壊れた看板は1986年に貸し出されたものだと分かる。ミルドレッドの娘アンジェラの年齢は明確にされないが、2017年の映画で現在が舞台だとすると、19年前になり、娘の生まれた年、あるいはそれに近しい時期であることが推察できる。

この広告こそ娘の象徴として大事にしていきたいミルドレッドだが、広告を出した看板が何者かによって燃やされていることに気付く。よりによって娘が焼死させられた場所を燃やす行為は完全にミルドレッドの心を打ちのめす。

ミルドレッドに思いを寄せるジェームズと食事していると、元夫のチャーリーと交際中のペネロープというまだ19歳の女性が同じレストランにやって来る。チャーリーは広告に火を放ったのは自分だと白状する。ワインボトルを持ってチャーリーの元へ行くと、チャーリーは「ヤバい。殴られる」というような表情をするが、ペネロープに対してチャーリーに教えた言葉が事実であるか確認し、チャーリーに「この子を大事にしなさい」と言って立ち去る。このペネロープは年齢的にミルドレッドの娘アンジェラに重なる。ウィロビー署長の言葉がなければ、かつてのミルドレッドならチャーリーをワインボトルで殴っていたことだろう。

また、広告は破れたりミスしたりすることがあるから、予備があると業者のジェロームという男がミルドレッドに伝えるためにやって来る。再び看板に「ウィロビー署長」の文字はまだ貼るのかと言って、ウィロビー署長の「WILL」の部分だけを見せてくる。「WILL」には「意思」とか「遺言」の意味もあるし、「未来形」の意味もある。

終盤、警察をクビになったディクソンは、バーで近くの席に座る男が9か月前に女性をレイプした話をしているのを耳にして、アンジェラを殺した犯人だと感じ、車の番号を頭に入れ、その男の顔を爪で引っ掻きDNAを採取することに成功する。ところが、後にそのDNAを調べてもアンジェラを殺した男のDNAと一致せず、犯人ではないことが確定する。この件をミルドレッドに伝えていたディクソンは「希望を持たせて悪かった」と言い、ミルドレッドは「ここまで前向きな気持ちになれたのは初めてだ」と感謝する。

ラストは、ディクソンがDNAを採取した男がアンジェラを殺した犯人ではないが何かしらの悪事を働いたのは確実であり住所も知っているからその男のところへ一緒に向かう場面である。少しずつ他者を思いやることができるようになってきた2人は車の運転席と助手席に乗り同じ方向を向いている。ミルドレッドがディクソンに「その男を殺すつもりなのか」と聞いて、ディクソンは「まだ決めていない」と答え、ミルドレッドも「道すがら決めれば良い」と言って映画は終わる。広告のある通りに車で走って来たミルドレッドが、ディクソンと広告に背を向けて車で走り出す。最初は1人だったが、2人になった。この後、彼らがあの男を殺すことなんてないだろう。彼らはこれからきっと仲良くなれるはずだし、他人に対して愛をもって接することができるはず。

それから、当事者以外の人物に対してこの映画では冷たく当たっている。広告にクレームを入れた歯科医も、ミルドレッドに助けを差し伸べようとやって来た神父も、ウィロビー署長が亡くなった翌朝にロビーを車で学校に送り届けた際に缶を車に投げつけてきた若者に対しても映画的にはほとんど相手にされていない。主人公が彼らに謝る場面もないし、歯科医に関してはウィロビー署長も「どうでもいい」とさえ言っている。事情を知らない他者が関わることが事態は悪化するしかないのだろう。

そんな本作を支える音楽、編集、そして演者の魅力。ジョン・ウェインの演技を参考にしたというフランシス・マクドーマンドの演技は貫禄十分だった。また、アカデミー賞では助演男優賞の座を争うことになったウディ・ハレルソンもサム・ロックウェルも見事な演じっぷりで、他の小さい役のキャストまでが魅力的な作品であった。罪びとがキリストを思わせる人物からの手紙で改心し、共に前進するという前向きな物語であった。

 

【関連作品】

 

「赤い影(1973)」…1973年のイギリス/イタリア合作映画。ニコラス・ローグ監督、ドナルド・サザーランド、ジュリー・クリスティらが出演したオカルト映画。本作でディクソンの母親が本作を見ていると思われるシーンがある(映像は映らない)。

 

 

 

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収録内容

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