【作品#0513】ハート・ロッカー(2008) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

ハート・ロッカー(原題:The Hurt Locker)

 

【Podcast】


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【概要】

2008年のアメリカ映画
上映時間は131分

【あらすじ】

イラク戦争中の2004年。路上に仕掛けられた爆弾の解体作業中に爆弾が爆破して、爆弾処理犯の班長が亡くなってしまい、後任としてウィリアム・ジェームズが赴任してくる。

【スタッフ】

監督はキャスリン・ビグロー
脚本はマーク・ホール
音楽はマルコ・ベルトラミ/バック・サンダース
撮影はバリー・アクロイド


【キャスト】

ジェレミ・レナー(ウィリアム・ジェームズ)
アンソニー・マッキー(J・T・サンボーン)
ブライアン・ジェラティ(オーウェン・エルドリッジ)
ガイ・ピアース(トンプソン)
レイフ・ファインズ(PMC分隊長)
デヴィッド・モース(リード大佐)

【感想】

アカデミー賞では、キャスリン・ビグロー監督の元夫ジェームズ・キャメロンの「アバター(2009)」との一騎打ちの様相を呈した中、作品賞や監督賞を含む6部門を受賞した戦争映画。1,500万ドルという低予算映画で、アメリカ国内では1,200万ドルという、インフレ調整後の成績で見てもアカデミー賞作品賞受賞作としては最低の売り上げとなった(ちなみに全世界でも4,900万ドル程度の売り上げ)。

主人公が誰かの代わりに現場にやって来るという設定は、奇しくも「アバター(2009)」と同じ設定である。また、タバコを吸うキャラクターが登場するのも同様である(「アバター(2009)」ではシガニー・ウィーバー演じるグレースが喫煙者だった)。

冒頭はガイ・ピアース演じる爆弾処理の班長が爆破に巻き込まれるところから始まる。本作には当時主演のジェレミ・レナーよりもメジャーな俳優が3人出演しており、ガイ・ピアース、デヴィッド・モース、コリン・ファースである。ガイ・ピアースなる男が冒頭に死ぬなんて想像しづらいので、ここにキャスティングした意図は功を奏している。ここの爆破シーンのスローモーションもとても印象的で、よくスローモーションを演出で使うキャスリン・ビグロー監督作の中でも最も印象的であり、効果的なものだろう。さらに音声解説でも言及していたが、爆破のリアリティにも拘っている。ハリウッド映画での爆破と言えば、オレンジか赤の炎が燃え上がるものだが、ガソリンなどを使っているためにそういう色合いになる。ただ、戦場などでの爆破では爆破によって巻き上げられた土やコンクリートが飛び散るため、本作あるいはニュース映像で見るような灰色がかった爆破となっている。知名度のある俳優の演じたキャラクターが死に、かつスローモーションをうまく活用した爆破も印象的で、オープニングの掴みとしても見事だと感じた。

そんな中でも、本作で私が一番印象に残ったのはデヴィッド・モース演じるリード大佐から「爆弾処理に必要なことは」と聞かれたジェームズが「死なないことです」と答えているところである。一見すると馬鹿みたいなやり取りだが、とても重要なことである。爆弾処理云々以前に戦場にいる時点で、あるいはこれからも生きていくのなら当然のことである。

死んだトンプソンの代わりにやって来ることになる、本作の主人公ジェームズはまさにアメリカ合衆国そのものを体現しているキャラクターだろう。世界で紛争や問題があれば真っ先に駆けつけて駐留し、用が済めば撤退する。そしてまた何かが起これば駆けつけるという歴史を繰り返してきた。個人レベルで考えればアメリカ軍だって数多くの犠牲を出してきたが、アメリカという国は滅びずに軍事力も経済力も世界のトップを走ってきたわけである。

「戦闘での高揚感は時に激しい中毒となる、戦争は麻薬である」という、アメリカのジャーナリストであるクリス・ヘッジスという人物の言葉から本作は始まる。世界の警察の名の元、多くの戦争に参加してきたアメリカ。戦争に参加することもやめられないわけだ。そしてまた同時に、この戦争映画のような緊張感や高揚感を得るために観客は戦争映画を観ることもある。この幾重にも考えられる構造は邪推かもしれないが、見事だと感じる。

車に仕掛けられた爆弾を処理する場面でジェームズが起爆装置を探すのに時間がかかっていると、周囲には見物人が徐々に集まってくる。これはアメリカに向けられる目だろう。中にはビデオカメラを回している人もいた。この爆弾処理の部隊は少数部隊なので見物人が増えると敵かどうかの判別を付けられなくなるため、サンボーンは「早く切り上げて帰ろう」と言っているのだが、この行動はアメリカを体現するジェームズの考えとは正反対である。ジェームズは多少の犠牲やリスクがあったとしてもその場で問題の解決ができるまでは撤退しないのだ。

そのジェームズに触発されてかサンボーンは砂漠での銃撃戦で、小屋に敵が1人残った状態で夕方になるまでかなり粘ることになる。ジェームズから「もう終わろう」と言われるまで続けていたのだから、得意の狙撃で最後までやり遂げようとしたのだろう。ジェームズが周囲のキャラクターをアメリカ的に染めていくようにも感じる。

また、この部隊で最年少のエルドリッジは、序盤の爆弾処理の場面でトンプソンが死んだことに責任と恐怖を感じている。その後は軍医のカウンセリングを受けるが、それが意味をなさないと思っており、軍医に対しても冷たい発言を繰り返している。軍医も多くの兵士の精神状態を確認してきただろうし、その中にはエルドリッジのような兵隊も多数いたことだろう。基本的に基地にいる軍医はエルドリッジの思いに報いようと現場に帯同してくることになる。ただ、それが悲劇を引き起こすことになる。エルドリッジはまだ現場経験も浅いし、目の前で起こる爆発や人の死に対して受け入れられずにパニックにもなってしまう。最も観客目線に立てるキャラクターでもある。

そんな3人で部隊を形成する爆弾処理班だが、主人公はジェームズである。ジェームズは最初の爆弾を発見した時、爆弾に向かって「Hello baby」と言っている。ここでいう「Baby」は親しい女性に声をかける時に使う表現と同義だろう。まるで女性を口説くように、爆弾に接しているようにも見える。ジェームズは最初の登場シーンからしばらくは、他とは違うぶっ飛んだ人間であるかのように感じるが、徐々に優しさや面倒見の良さ、悲しさや寂しさといった人間なら誰もが抱く感情を出している。特にエルドリッジに対しては手取り足取り教えている。ジェームズの「死なないこと」発言を考えると、エルドリッジを一人前の兵士に育て上げれば、彼のフォローで手が回らないこともなくなるだろうし、自分の爆弾処理の仕事にも集中することができる。じゃあ最初の場面はやり過ぎだろうと感じるが、初仕事の場面で自分のペースに持ち込むのがジェームズのやり方なのだろうと感じる。

また、同時にジェームズは子供っぽいところもある。何かを言い過ぎたりやりすぎたりすることがあり、それを相手が不快だと受け取ると「冗談じゃないか」という風に流す場面が何度も出てきた。それに、ジェームズのことを殺してやろうかとまで思っていたサンボーンは砂漠での銃撃戦でジェームズが優しくしてくれたことで、基地に帰るとジェームズはサンボーンとじゃれ合っている。殴り合いをして仲を深めるところなんかはある種のセックスみたいなものだと感じる。それに、ジェームズは爆弾処理だけでなく、周囲のフォロー役もこなしている。砂漠での銃撃戦では、エルドリッジが異変に気付いて報告すると、「自分で決めろ」と促して敵の殺害に成功している。この辺りまでは、ジェームズの行動が結束を深めたり、若い兵士を成長させたりしているので割と順調に見える。

ところが、ジェームズは殺されて腹に爆弾を仕掛けられた少年を発見する辺りから風向きは変わってくる。発見当初は気付かなかったが、処理の途中であのベッカムを名乗る少年であると思うようになり、爆破を中止することにして、この少年から爆弾を取り出すことになる。サンボーンもエルドリッジもこの少年があのベッカムではないことは理解しているだろうが、班長のジェームズの指示に従い特にそれを指摘することはない。基地へ帰ると、ジェームズはアメリカにいる別れた妻へ電話を掛ける。何も話すことはなかったが、別れた妻と、そして赤ちゃんが生きていることに安心して電話を切る。身近で自分の知る少年が殺されたんだと信じ、アメリカにいる別れた妻や子供は大丈夫だろうかと思って電話を掛けるところはいかにも人間臭く映る。

ジェームズはこのベッカム少年と仲良くしたことで情が湧いて、テロの道具として人間爆弾にされてしまったことに怒りも覚えてしまった。そこで彼は復讐を考えてDVDを撃っていた男の車に乗り込んで基地を飛び出す。おそらく適当な場所に降ろされたジェームズが入った家にいた男は教授を名乗る男で、英語も話せる男だったことに不意を突かれてしまう。後にジェームズは人間爆弾にされた少年がベッカム少年でないことに気付くのだが、イラク人がどんな人間かとか何も考えていないのだろう。ここでは思っていた奴と違う、テロを行うような人間ではないところへ来てしまったと感じ、ジェームズは逃げるようにその場から立ち去ってアメリカ軍の基地に戻ることになる。

そして、後日あのベッカム少年がいることにジェームズは気付いて驚く。ただ、今までのように明るく接しようとせず無視してしまう。あの人間爆弾にされた少年をベッカムだと思っていたが全くの別人だったことに全く気付くことができなかった。そして、冷静さを欠いて復讐にまで走った自分を恥ずかしいと思ったのだろう。これだと思っていたものがまるで全然違ったというのも、大量破壊兵器があるとして始めた戦争で実は大量破壊兵器がなかったというアメリカの間違いにも通じるものがある。

それから場面は少し遡るが、アメリカ軍の基地に戻ったジェームズは夜間に爆破テロが行われた現場に急行することになる。毎日のように爆弾処理をしているのに、爆破テロがまたしても起こってしまった(DVD付属のブックレットによると、1日10~15件の爆弾処理をしていたそうだ。)。エルドリッジは目の前でトンプソンも軍医も爆破によって亡くしている。イラク人がアメリカ軍を狙った爆弾で多くのイラク市民も犠牲になっている。やりきれない状況というほかない。そんな中、冷静さを失っているジェームズが犯人を捕まえに行こうと言って暗闇の中、先へ進み始める。すると、エルドリッジが捕らえられ、どこかへ連れ去られていくところを後方から銃撃して何とか助け出すのだが、ジェームズの撃った銃弾はエルドリッジの脚にも命中してしまう。翌朝、エルドリッジは帰国するためにヘリコプターで搬送されることになる。歩けるようになるまで半年はかかると言って、汚い言葉を使ってジェームズを罵る。今までのジェームズは何かやり過ぎたことがあれば「冗談だ」と言っていたが、そんな余裕はない。完全に自分のミスでエルドリッジを負傷させてしまった。場合によっては殺されていたかもしれない。エルドリッジからすればジェームズの無茶は最初の現場からあったが、目の前で次々に人が死んでいき、明らかなジェームズの自己満足のために負傷して帰国する羽目になった。名誉の負傷でも何でもない。味方の銃弾に撃たれたなんてこんなに屈辱的なことはないはずだ。またここも、無茶で始めた戦争で若者が犠牲になるところと重なるわけである。

そして映画の中では最後の爆弾処理の現場では、体に爆弾を仕掛けられた男が路上で立ち尽くしている。その男の身体には爆弾が巻き付けられ、さらにいくつもの南京錠で固定されてしまっている。ジェームズはボルトカッターでひとつずつ鍵を壊していこうとするが、爆破時間まで間に合わない。すると、ジェームズはその男に「Sorry」と何度も謝って、その男から離れる。この謝罪こそ、アメリカがイラク市民に対してすべき行為なのだろう。そして、いくつもの鍵がかけられてどうにもできない状況こそ、すぐに終わらせるつもりだったのに長期化してなかなか解決の糸口が見えなかったイラク戦争を体現している。また、その男に巻き付けられた爆弾が爆破する寸前、逃げるジェームズは振り返っている。これはもしかしたら防爆スーツが体の前面をより守れるようになっているからそうしたのかと思うが、もしかしたら自分が守れなかった男の死を直視しようとしたのかもしれないと思えた。

ジェームズが任務を終えてアメリカに帰国してからの場面はほんの僅かである。イラクとアメリカの描写を割合で示すなら95:5くらいの割合である。これこそ、ジェームズがどこで何をしたいのかを表しているように思える。ジェームズには、離婚したというのに共に暮らす元妻と赤ちゃんがいる。イラクで車に乗っている場面からアメリカのスーパーマーケットでカートを押す場面に移行する。別れた妻からシリアルを取って来るように頼まれたジェームズは棚に大量に並べられた何種類ものシリアルを前に立ち尽くしてしまう。アメリカのスーパーマーケットでは、シリアルだけでこれほどの選択肢がある。戦場では選択肢なんてない。また、シリアルなんてどれも同じ。イラク人の少年の顔を区別がつかなかったところにも重なる。

さらに家では別れた奥さんにイラクで爆弾によって犠牲が出た話をして、自分がそこに必要である話をしている。その話に奥さんがリアクションすることも特にない。小さな子供がいるのに志願して戦場に向かうジェームズとおそらく何度も話し合った事だろう(ちなみに徴兵された臨んだベトナム戦争などと違い、基本的には志願兵がイラク戦争で戦った)。こんな状況でも志願したからこそ別れたのだろうし、でもそういうところが好きだから別れたのに一応同じ家で暮らしているのだろうと感じる。ジェームズはまだ意思疎通のできない自分の赤ちゃんに向かって「今遊んでいるおもちゃもいずれは忘れる。好きなことなんて大人になれば忘れて行き、1つか2つしか残らない。パパは1つだ」と言った後に、ジェームズが再び戦場に向かう場面になる。ジェームズはイラク人の少年を見間違え、冷静さを欠いて若い兵士を負傷させてしまった。戦場にいれば多くの能力が必要になるが、ジェームズの得意分野かつ好きなことは爆弾処理である。これだけの失態を犯してもまた戦場に戻るのはやっぱりそこに活躍できる場所があるからだろう。

戦場での張り詰めた状況下での麻薬のような高揚感が得られる爆弾処理をジェームズは唯一の生きがいとしている。これは戦場でしか得られない。エルドリッジが冒頭にやっている戦争ゲームでは得られないものだろう。結局、サッカー選手がサッカーをやるように、ジェームズは爆弾処理をやっている。そして、彼にはイラク戦争という活躍する舞台もある。イラク戦争が終わって戦場に彼の活躍する場所がなくなれば彼はどうやって生きていくのか。もし彼に活躍の場所がなければ、PTSDになり、よからぬことをしでかしてしまう人間なのかもしれないし、高揚感を得るためにドラッグに走る人間になるかもしれない。ただ、妻や子供に語るジェームズは比較的穏やかな表情である。これは次の任務がすでに決まっていたからではないだろうか。戦争は麻薬だとオープニングで表記されるが、主人公に限って言えば爆弾処理ジャンキーみたいなもの。犯人を捕まえるとか、若い兵士の育成とかはできないかもしれないが、爆弾処理ならできる自信がある。

見終えて感じたのはリテラシーがなければ、また見方によってはヒーロー映画的にも見えるところが本作の怖いところでもある。類稀な才能を持つ一風変わった男が次々に任務を成功させていく。ところが、徐々に任務も失敗していき、自分の能力の限界や思い違いを知らされていく。それでも、主人公は市民を救うために立ち上がる。描きようによればこうも描ける。リテラシーがないと意図が伝わらない可能性もある。ラストにかかる音楽もブッシュを批判したMinistryの楽曲が使用されている。いかにも勇ましく描かれているが、この楽曲を使うことで強烈な皮肉になっている。

それからカメラは常に手持ちでぐらぐら揺れている。何ならアメリカに帰ってからの戦場でない場面でも揺れている。画面が揺れたらそれだけでドキュメンタリー調になるとは思わないが、この揺れ続ける居心地の悪さこそ戦場なんだだろう。

 

当時、アカデミー賞では作品賞候補で「アバター(2009)」との一騎打ちとなったが、本作の方がよっぽどキャラクターや設定に対する読み取り甲斐がある。イラク戦争映画は当たらないとのジンクス通りの興行成績となったが、新たな戦争映画の傑作と感じる。

【音声解説】

参加者
├キャスリン・ビグロー(監督/製作)

├マーク・ホール(脚本/製作)


上記2名による対話形式の音声解説。マーク・ホールがイラク戦争の現場で取材した内容をキャスリン・ビグローに持ち込んだところから映画製作が始まった話、キャスティングへの拘り、多くのカメラを同時に回した撮影手法、銃を空港で没収されて現地で一般人から銃を購入した話、爆弾処理や銃撃戦をリアルタイムで描くことで緊張感を演出した話、実話をもとに考えられたシーン、撮影時のトラブル、音楽の使い方、自主製作映画だからこそできたこと、各地映画祭での上映時の反応など、多岐にわたって語ってくれる。

 

 

 

取り上げた作品の一覧はこちら

 

 

 

【ソフト関連】

 

<DVD>

 

言語

├オリジナル(英語/アラビア語)

├日本語吹き替え

音声特典

├キャスリン・ビグロー(監督/製作)、マーク・ホール(脚本/製作)による音声解説

映像特典

├アメリカ版・日本版予告編

├TVスポット集

├キャスト・スタッフ プロフィール(静止画)

 

<BD>

 

言語

├オリジナル(英語/アラビア語)

音声特典

├キャスリン・ビグロー(監督/製作)、マーク・ホール(脚本/製作)による音声解説

映像特典

メイキング

ビジュアル・ギャラリー※音声選択可(1)サウンドトラック(2)ICAにおける監督・脚本家のティーチイン音声

├アメリカ版・日本版予告編

├TVスポット集

キャストの証言集

├キャスト・スタッフ プロフィール(静止画)

 ※下線部は上記DVDに収録されていないもの