【タイトル】
ドリーム(原題:Hidden Figures)
【Podcast】
Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。
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【概要】
2016年のアメリカ映画
上映時間は127分
【あらすじ】
1961年のバージニア州。白人と非白人の分離政策が行われている中、キャサリン、ドロシー、メアリーはNASAで計算係として働いていた。
【スタッフ】
監督はセオドア・メルフィ
音楽はハンス・ジマー/ファレル・ウィリアムス/ベンジャミン・ウォルフィッシュ
撮影はマンディ・ウォーカー
【キャスト】
タラジ・P・ヘンソン(キャサリン・ゴーブル)
オクタヴィア・スペンサー(ドロシー・ヴォーン)
ジャネール・モネイ(メアリー・ジャクソン)
ケヴィン・コスナー(アル・ハリソン)
キルスティン・ダンスト(ミッチェル)
マハーシャラ・アリ(ジム・ジョンソン)
グレン・パウエル(ジョン・グレン)
【感想】
マーゴット・リー・シェッタリーの小説「ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち」の映画化。アカデミー賞では作品賞含む3部門でノミネートされたがいずれも受賞はならなかった。
まず、本作の邦題の話をしておきたい。日本では当初、「ドリーム 私たちのアポロ計画」という邦題が付けられていたが、本作はアポロ計画ではなく、マーキュリー計画を描いた作品であるため、無関係の副題が付けられていることに公開前から批判が相次ぎ、副題を排除した「ドリーム」というタイトルになってしまった。「ドリーム」という邦題も黒人女性3人の活躍を描くということで「ドリームガールズ(2006)」からインスパイアされたもので、さらにケヴィン・コスナーの代表作「フィールド・オブ・ドリームス(1989)」にもかかるからということであろう。これに関して、日本での配給を担った20世紀フォックスは「日本人にも伝わりやすいタイトルをつけた」とコメントを発表した。原題が「Hidden Figures」という、「隠された」「形/容姿/数字/人物」という意味になる。本作で描かれるNASAで勤務していた才能ある黒人女性たちという、今までスポットライトの当たらなかった人たちを映画にして表したというところに意味がある。もちろんそうした内容を描く本作が埋もれてしまっては元も子もない話だし、映画も興行なので客を集めなければならないのは分かる。ただ、事実と異なるタイトルで客引きをするというのは、本作の描くテーマに著しく反している。しかも、「ドリーム」というあまりに淡泊なタイトルになったことで後に発見されにくい映画になってしまう可能性があるのは極めて残念である。
ところが、本作はこうした邦題に関する負のイメージを払拭するだけの傑作に仕上がっていると言える。それは冒頭の僅か5分から10分程度のシーンだけでそのエッセンスが凝縮されていると言える。
映画の始まりはキャサリンの少女時代からである。数学の天才少女として飛び級で進学し、走る車から空を見上げるシーンで映画における現代のシーンに映っていく。そこでは故障する車から空を見上げるキャサリンが登場する。少女時代から現代に移り変わって同じ動作をしていると言うと、ジョディ・フォスターが科学者を演じた「コンタクト(1997)」の冒頭を思い出させる。
そして、その車は故障している。少女時代に走っていた車は現代のシーンで止まっているので、物事がそううまくは進まないことを示している。しかも、黒人女性3人がいるところに白人警官までやって来る。1960年代当時と言えばまだまだ人種差別も当たり前に存在していたわけで、これから何か嫌なことが起こるのではないかと予感してしまう。ところが、その白人警官は彼女たちがNASAの職員であると分かると、当時はソ連との宇宙開発競争をしていたこともあって、パトカーでNASAまで先導してくれることになる。さらに、その僅かなシークエンスで3人のキャラクターを見事に描き分けている。さらに故障した車が走り出した時の躍動感は音楽と合わせて、これから始まっていくぞという胸が躍るものがある。あとは、故障した車を誰かに直してもらうのではなく自分たち(特にドロシー)が直しているところも大きなポイントだ。
また、彼女たちは3人で1台ではあるが車を所有している。本作の中にキング牧師の映像も登場するが、本作の描く前にあたる1955年にアラバマ州でバスボイコット事件があった。バス内の黒人用の席に座った黒人女性が、白人の席が足りなくなったから席を譲るように運転手から言われたが断っただけで理由で逮捕されたのだ。これに反発したキング牧師が同じ黒人に対してバスに乗車するのをボイコットするよう働きかけた。当時のバスは低賃金で働く黒人の交通手段であり、彼らの支払う運賃が市のバス事業を支えていたが、彼らの乗車がなくなったことで大きな経済的ダメージを負わせることに成功した。さらに、連邦最高裁がこの地域での人種隔離政策を違憲の判決を下し、1年以上に渡るボイコット運動に終止符が打たれた。彼女たちはバスではなく車で通勤しているのだから、それ相応の給料をもらっているということだ。彼女たちが当時の黒人女性では数少ない才能の持ち主であることも示されている。
それから、本作には繰り返しの動作が度々登場し、それがもたらす意味合いが後に大きく変化するという映画的手法がきれいに使われている。一番わかりやすいのはキャサリンが何かを手に取るシーンである。冒頭の少女時代に先生からチョークを渡されるシーンは、中盤でキャサリンがやっとの思いで参加した会議室で実力を発揮するシーンでもハリソンからチョークを受け取るシーンで回収されている。さらに、このチョークの受け取り方はその前のジムがキャサリンをダンスに誘い手を差し伸べた際に、キャサリンがジムの手を取る動作とも重なる。そして、ジムがキャサリンの家を訪れ、家族で食事する前のお祈りの場面でも皆が手を繋ぐ際に、キャサリンはジムの手を握っている。
上述の会議室でチョークを握り数式を書き上げるシーンは、リズミカルに記していく様がまるでダンスの如くリズミカルで、編集の妙もあって見事な場面に仕上がっている。また、キャサリンとジムのダンスシーンで、ジムの言葉にキャサリンが「uh-huh」という言葉を繰り返している。その繰り返しも声の調子が若干異なり、キャサリンがジムの謝罪を受け入れて行く様子が見事に表現されている。
あとは何と言ってもキャサリンがトイレに走る場面であろう。ただトイレに行くためだけに何百メートルも走らなければならない。トイレに行って帰って来るだけでどれだけ大変かを示すために細かいカットを繋ぎながらなんとか到着したという様子が決して冗長にならずにスマートに描かれている。ついに雨が降る中びしょ濡れになったキャサリンが歩いてしまう場面もその繰り返しが効いていた。そして、ラストには検算をした書類を持って再び走る場面がある。今まではたかがトイレのために走っていたのが、マーキュリー計画成功のためという、非常に意味ある走りになっているところもベタながら素晴らしい。
それからドアを開けたり閉めたりする場面もかなり登場する。新たな局面になる時、主人公たちは必ず自分の手でドアを開けている。キャサリンはミッチェルに連れられて新たな部署に行く時も、ミッチェルがドアを開けてくれるわけではなく自分の手で開けている。また、メアリーは裁判長のところへ行く時の小さな扉も自分の手で開けている。そして誰もドアを開けてくれなかったのに、検算を終えて書類を届けたのに誰も声をかけてくれずしょんぼり帰ろうとするキャサリンをハリソンが呼び止めてドアを開けたまま部屋に招き入れるシーンもフリが効いている見事な映画的表現である。
そのドアの話で言うと、本作のラストカットは、キャサリンの働く部署の部屋をカメラが引いていって、その部屋のドアが開いたまま状態で暗転するというものだ。これは何人にもドアは開かれていることを示しており、本作の描くテーマとも合致した見事な終わらせ方である。このような終わり方は「学校(1993)」のラストなどとも共通するものである。
当時のアメリカは1分1秒を争うソ連との宇宙開発競争の裏で、人種差別や女性差別が原因による保身行動で、非効率な事態を招いていたのだ。それこそ冒頭では、宇宙開発競争を支えるNASAの職員をパトカーで先導するという、彼女たちを職場に送り届けるのに最も効率的な方法で取られていたことを考えると、NASA内の非効率性は際立って見える。特にキャサリンは黒人女性という理由で資料は黒塗りにされ、最新の情報を得られる会議に出席できず、トイレのためにだけに遠く離れた建物までヒールで走らなければならない。また、ヒールに関しては、メアリーがヒールを溝に引っ掛かけてしまう場面がある。物理的に早く進む上でヒールは邪魔でしかないし、服装規定で履きたくもないヒールを履くことが強いられるのも本作の描くテーマに合致する。
そういった非効率性をキャサリンが実力で打破していき、スパイ疑惑をかけられ、休憩ばかりしていると疑われてブチ切れるシーンでついにハリソンの心を動かすことに成功する。さらに再三妨害をしていたポールは、ラストシーンでコーヒーをキャサリンに持ってきている。待っていても何も起こらない。自分たちで行動を起こさないと、裁判長の心を動かすことも、エンジニアとして働き続けることも、そして何よりマーキュリー計画を成功させることもできなかった。人種差別がダメだと直接訴えるのではなく、能力を最大限生かすにはどうすればよいか、自分たちが将来生き残っていくにはどう行動すべきかを考えているところはもちろん現代にも通ずるところである。
役者陣の印象も概ね好ましい物であり、これぞ演技アンサンブルである。特に白人側のメインキャラクターを演じたケヴィン・コスナー、ジム・パーソンズ、キルスティン・ダンストらは基本的に終始仏頂面で、喜怒哀楽を表現する場面は極めて少なかった。そんな中に微妙なニュアンスを表現するあたりはさすがである。何といっても最後の最後ににケヴィン・コスナーがキャサリン微笑むところは観客も笑顔になる素敵なものだった。
そして、黒人差別や女性差別、数学者が主人公という題材ながら、万人が見やすい娯楽作に仕上げているところも見事である。各キャラクターの前向きな姿勢と、無意識的な差別をしている人たちに気付きを促し、サブキャラクターたちも含めて各キャラクターの成長も描かれている。
黒人差別にしても女性差別にしても基本は、生まれ育った環境や教育の過程で生まれるものである。差別でないにしても、何気ない一言が相手を傷つけることは往々にして起こりうるものである。襟を正す意味でも、また間違った教育を正すという意味でも良い教材だと言えるし、娯楽作としても申し分ない出来である。邦題に関するいざこざは残念ではあるが、そういった負の話を吹き飛ばす後世に残すべき傑作。
【音声解説】
参加者
├セオドア・メルフィ(監督)
├タラジ・P・ヘンソン(キャサリン・ゴーブル役)
上記2名による対話形式の音声解説。特にタラジ・P・ヘンソンの明るい人柄が感じられる温かみ溢れる音声解説。監督から場面ごとにどのように準備して演技したかの質問への答えは興味深い。また、キャサリンが会議が終わる度に数値が変わって苦労したように、本作の撮影でも黒板に数式を書く場面ではせっかく覚えてきたのに監督から撮影直前に数字を変更されたという本作さながらの撮影エピソードは面白かった。本作が気に入ったならぜひ聞いてほしい音声解説。
取り上げた作品の一覧はこちら
【予告編】
【配信関連】
<Amazon Prime Video>
言語
├オリジナル(英語)
<Amazon Prime Video>
言語
├日本語吹き替え
【ソフト関連】
<DVD>
言語
├オリジナル(英語)
├日本語吹き替え
<BD>
言語
├オリジナル(英語)
├日本語吹き替え
音声特典
├セオドア・メルフィ(監督)とタラジ・P・ヘンソン(キャサリン役)による音声解説
映像特典
├完成までの数式
├限界を超えて
├キャサリン・ジョンソンの半生
├適任者たち
├時代の再現
├映画の中の美術
├心の旅
├映画の中の音楽
├小数の力
├キャサリンをたたえて
├未公開シーン集(セオドア・メルフィ監督による音声解説付き)
├遺影に語りかけるキャサリン
├リーバイの抗議運動
├タイヤ修理
├白人用の食堂を使うキャサリン
├リバティ・ベル7の回収失敗
├エベレスト登頂について語るハリソン
├カプセル改良案について話し合うメアリーとゼリンスキー
├NASAの通知
├1960年代のNASAをジョージアで再現する
├スティル・ギャラリー
├オリジナル劇場予告編
【書籍関連】
<「ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち」>
形式
├紙/電子
著者
├マーゴット・リー・シェタリー
翻訳者
├山北めぐみ
出版社
├ハーパーコリンズ・ジャパン
長さ
├464ページ