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考え方

若い頃から、いろいろなことに感化された。

影響を受けた。

その最たるものがロックで、いかにロックに生きるかを考え続けた。

20代の頃は、仕事とロック的な考え方のギャップに悩んだ。

自分の元々の性格的なところと、その考え方のズレにも悩んだ。

30代を超えると、だんだんと違う考えを持つようになった。

20代までの人生を振り返って、どうもうまく行っていないように思えたからだ。

30代は、そのまま、完全な変換をできずに来ているような気がする。

一時はうまくいったように思えたけれど、

思想のリバウンドというか、昔のスタイルに戻ると妙に居心地が良かったりする。

それでうまくいかなかったのだからダメなのだけど、

戻ろうとする自分が居たりする。

そこからまた、今の自分に帰ってきたりしている。

これを言ってしまうと根本から崩れていくのだが、

おそらく、僕はロックでは無いと思う。

ロックは深く知っているが、僕自身はロックではないと思う。

そういうことを割と認めるようになったのは、つい最近である。

最近はちょっと息苦しいところもある。

ちゃんと仕事をやると、それなりに評価される。

それがなんだか、クソくらえという気分になる。

そんなことで認められても、うれしくは無い。

そういう時は、ロックはいいなと思う。

くだらなく生きたいなと思っても、まじめな自分が居たりもする。

自分をわからずに生きてきてしまったのかもしれない。

成功した人は、ちゃんと筋が通っているのだろう。

自分の筋の通らなさに、なんとかならないかと思う。

今はまた、そういうことを意識する時期だ。

ほんとに、これから後はどうやって生きようかと考え中である。

一歩前へ

男性諸君なら一度は見たことがあるだろう。

公衆トイレに入り、便器の前に立つとある張り紙

「一歩前へ」

確かに、便器の下の周りは、濡れていることが多い。

でもなあ。

逆に疑問に思っていた、あれって、外すものかと。

そう簡単に、便器の外に出るものでは無いだろうと。

そうしたら、居ました、先週。

僕の隣でしていたおじさん。

見事にほぼ垂直にチョロチョロと下に垂れる雫の先は、

便器の外でした。。



あの「一歩前へ」って言葉を見ると思う。

その便器のことではなくて、日常生活で「一歩前」へ出ることがいかに難しいか。

凡人はその一歩がとても大変なのだ。

そして、やれる人はいつもその一歩が踏み出せる人なのだと思う。

その一歩が踏み出せたら、僕らは変わる。

でもその一歩が踏み出せずに、僕らは愚痴を言ったり、ごまかしたりして、

日常をやり過ごしていく。

その小さな一歩が、大きな始まりだとわかっていながら。

物事を始めるのは、些細な一歩だ。

チリも積もれば、というのは本当である。

その一歩を、勇気を持って踏み出せば、僕らは確実に変わるのだ。




インドカレー

昨日も

今日も

インドカレー。

ナンが美味くてたまらん。

前世はインド人だったのかもしれない。

歌詞をもう一度

僕は今まで、音楽のほとんどを洋楽で聴いてきた。

海外のロックにしか、興味は無かった。

海外のロックから、多くのことを学んだ。

そこには秀逸な歌詞があり、音楽が持っているダイナミズムがあった。

僕はむさぼるように、それらの音楽に没頭した。

自分が曲を作るようになって、13年程になる。

僕が曲を作るようになったのは二十代も半ば頃からだから、

ずいぶんと遅い方だ。

その時に最も意識したのは、歌詞だった。

自分が聴いてきたものに恥じない言葉のクオリティを出せるかどうか。

残念ながら、すべてうまく行ったとは思えない。

しかし、ある曲のワンフレーズとか、

メロディは失敗しているけど、歌詞は良かったとか、

そういう半端な成功はいくつかある。

自分が聴いてきたものには及ばないけれど、

自分の力を出し切ったと言えば納得のいくものもある。

過去に書いてきたものがすべて納得いくわけでないが、

自分の力量を思えばまあまあ書けてきたかなと思うこともある。

今後は経験を生かし、歳を食ったなりの歌詞を書いていきたい。

すこし、自分の中でハードルをあげようと思う。

そう思ったのはやはり、巷に溢れている邦楽の歌詞が、

偏り過ぎているように思えたからだ。

なんだか、みんな取っ替えが効くように感じたのである。

誰が歌っても同じというような。

だったら、僕はレベルが低くても、自分にしか歌えない歌を作ろう。

アマチュアとして、ライフワークとして活動しているだから、

そのくらいのことをしようと思う。

それを幻想だと言えばそれまでだけど、

その一言で世界が一瞬にして変わるような、

そういう力を持った歌はたくさんあった。

できるできないではなく、そういう取り組みをずっと行っていきたいと思う。

仕事の裁量

自宅から最寄り駅まで、朝はバスを使っている。

帰りは元気だったら歩く。疲れていたら、バスに乗る。

昔はバスが苦手だったのに、今はほぼ毎日、バスを使うようになった。

バスの運転士も、いろいろな人がいる。

今日は行きも帰りも、たまたま同じ運転士だった。

この運転士は、ひとりひとりの乗り降りに『ありがとうございます』と言う。

なかなか良い声で、ハキハキと応対する。

バスは全部ワンマンバスなので、基本的なことができていれば、問題ないのだろう。

あとは運転士の裁量だ。

黙って運転しても別に支障はない。

愛想が悪くても、目的地に安全運転で到着してくれれば、それでいい。

だけれども、挨拶をしたり、マイクをつけて案内をする運転士もいる。

それは仕事に対する姿勢なのだと思う。

最低限やれば良い事をこなすだけの仕事か、よりよく仕事をしようとする姿勢か。

僕が今共感するのは、より良く仕事をしようとする姿勢だ。

いろいろ工夫をしながら、どうしたらより良くできるか、考えながら仕事をした方が面白い。

バンドもそうだ。

アマチュアながら、やれる範囲内でどれだけ質を高められるか。

このブログだって、そうだ。

より良い内容、より良い文章を書くにはどうしたら良いか。どうしたら読みやすいか。

工夫をしながら、日々改善して行く方が面白い。

より良く仕事をしようとするバスの運転士を見て、「良い仕事」をしているなと思った。

「良い仕事」をしたいし、また、「良い仕事」をできる環境に居たい。

そんなことを思いながら、バスを降りた。