2024年6月8日(土)。天気晴れ。
昼食は先日も訪れた市ヶ谷の「焼味佬」へ。
エビワンタンメンのランチ。
「市ヶ谷駅」から東京メトロ有楽町線で「有楽町駅」へ。「東京ミッドタウン日比谷」。
地下コンコースのテーブルで、スターバックスの抹茶クリームフラペチーノ。
相変わらずの混雑でした。
向かいの「日比谷公園」を眺めます。
早々に有楽町・日比谷を後にして、東京メトロ千代田線で「湯島駅」まで。そして徒歩で「旧岩崎邸庭園」へ。2年半前に来た時は、コロナ禍の影響で休園中でした。
門を入って、高台までのアプローチです。
坂を上り切ると、「旧岩崎邸洋館」の威容が姿を現しました。「鹿鳴館」、「ニコライ堂」、「三菱一号館」などを手がけたジョサイア・コンドル設計のコロニアル様式の住宅で、1896(明治29)年竣工。三菱財閥三代目当主岩崎久彌(岩崎弥太郎の長男)邸として建てられました。正面玄関は北向きです。
こちらは庭に続くベランダのある建物南側です。
東側には、サンルームがあります。
洋館の横には撞球室(ビリヤード場)があります。ここと洋館は地下道でつながっています。
また、岩崎家の住居として使われたという和館も接続されています。
庭園の離れた所から洋館を望みます。こんな立派な家に住んでいたら、どのような気分なのか想像できません。
戦後、米軍に接収され「キャノン機関」の本部として使われました。更に「聖公会神学院」を経て政府に売却され、2001(平成13)年に東京都の所管する公園として公開されました。写真左側の建物は東京財務事務所。和館はほとんど取り壊されてしまいました。奥の建物は東京大学医学部附属病院です。
アジサイの花が咲いていました。
江戸時代は、徳川四天王の一人だった榊原康正の末裔、越後高田藩の中屋敷だったという面影も、少しだけ残っている気がします。
かつては岩崎邸の敷地の一部だったという「湯島ハイタウン」(1970(昭和45)年竣工)。たいへんな存在感があります。
実は「旧岩崎邸庭園」の入口にあるサービスセンターにはエレベーターがあって、高台に登るアプローチを通らなくても上に行けるようになっていました(順路からみると、帰りの下りだけ利用するのかな?とも思えましたが)。
「旧岩崎邸庭園」を出た道端で咲いていたアジサイ。