2024年3月9日(土)。天気晴れ。

先々週、川崎長太郎の私小説「ふっつ・とみうら」にあやかって、横須賀の久里浜港から「東京湾フェリー」で、内房の富浦(千葉県南房総市)に赴きましたが、時間の都合もあって、富津にまで足を延ばせませんでした。そこで、今週は富津に行くことにしました。

富津については、たまたま図書館から借りた「地形の思想史」(原武史:著、角川新書、2023年)という本を読んだところ、「「湾」と伝説」という章で、「古事記」、「日本書紀」のヤマトタケル(倭建命、日本武尊)の東征におけるオトタチバナ(弟橘比売姫、弟橘媛)の伝説と、富津の地名の由来との関連が書かれていて、川崎長太郎に加えた二重の興味を持ちました(「ふっつ・とみうら」には、この伝説のことは全く触れられていません)。なお、私が読んだ新書は2023年発行ですが、元々はコロナ禍直前の2019年12月に出された単行本で、本書は未だ移動や面会が自由だった時期に日本各地を巡って、地形と歴史や思想形成との関わりを考えたという、たいへん面白い「紀行文風のエッセイ」になっています。

ヤマトタケル一行が相模から上総に渡ろうとした際(これが古代における一般的なルートだったようです)、「是小さき海のみ。立跳にも渡りつべし」と言ったにも関わらず、湾を進むうちに暴風に遭って進退が窮まったところ、オトタチバナが「妾、御子に易りて、海の中に入らむ。御子は、遣さえし政を遂げ、還奏べし(私は、お身代わりになつて海神の心をなだめませう。皇子は、勅命をはたして、めでたく都へお帰りになりますやうに)
」と言って海に入ったところ、暴風がおさまったということです。
富津は、オトタチバナの衣の布が海岸に流れ着いたことから、「布が流れてきた津」→「布流津」→「富津」になったと言われているそうです。また、現在の千葉県の東京湾岸一帯の古名であった「袖ヶ浦」も、オトタチバナの衣の袖が流れ着いたことに由来しています。
今回は、「バスタ新宿」から「木更津駅西口」まで高速バスで移動しました。
「小湊バス」で「木更津駅西口」に到着。
JR「木更津駅」の駅舎(西口)です。
久留里線用のキハE130系100番台気動車がいました。
私は、「木更津駅」からJR内房線で「青堀駅」まで移動します。「君津駅」までは、最新のE235系電車でした。
「君津駅」でE131系電車に乗り換えです。
「君津駅」から一駅目の「青堀駅」で下車。
 「ふっつ・とみうら」では、「君津駅」からバスに乗って「富津公園」に向かっていますが、現在のバス路線は、「木更津駅西口」発「青堀駅」経由で「富津公園」行きとなっており、私は「青堀駅」から「日東交通」のバスに乗るつもりでした。しかし、時刻表を見比べると、バスに合わせると、どうしても時間が足りなくなるように思え、駅前にタクシーが止まっていたので、思いきってタクシーに乗りました。タクシーの運転手さんは、「今日から潮干狩りが始まるんですよ。今年はいつもより早いけど、大潮が来てて」と説明してくれました。私は、それを聞いて、タクシーに乗って良かったと思いました。
せっかくタクシーに乗ったので、「布引海岸」に行ってもらいました。オトタチバナの衣の布が漂着した海岸なのです。
ここには、「日本武尊弟橘姫領布漂着」と「戦後米軍本土初上陸地」という2つの全く異なる事象を並べて示した碑があると、「地形の思想史」に書かれてあって、私は事前にストリートビューでも確認していたのですが、全く見当たりませんでした。この辺りにあるはずなのに。移設されたのか、撤去されたのか、私が見落としたのか。
気を取り直して、「布引海岸」近くの「貴布禰神社」に向かいました。。オトタチバナの衣の布が祀られています。
境内には砲弾が祀られていました。
「貴布禰神社」の周りには、小さな神社がいくつかありました。「御嶽神社」。
県道に出て、「富津公園」まで歩いて向かいます。
「富津公園」の入口です。
「ふっつ・とみうら」から引用します。「バスを降りると、私達は第一の目的にしてきた、国民宿舎を尋ね、歩き出していた」。
「松林の間へ、池のような筒処が現れる裡に、海中へ突き出した長い砂州の全貌もあらわになってきて、中間の少し小高い砂丘の上へ、新築になったばかりの大きな洋館もみえ始め、おのずとそれが目当の建物と知れた」。
国民宿舎だったと思われる場所では、数年前まで「富津岬荘」という宿舎が営業されていましたが、別の場所に移転をしていて、現在はその敷地は「立入進入禁止」になっています。川崎長太郎と妻P子も、せっかく来た国民宿舎は満室で泊まれなかったため、食堂で木更津駅で買った駅弁を食べて、すぐに引き返して富浦に向かったので、私もその故事にしたがって、すぐに引き返すことにします。
「富津公園」の駐車場前。食堂もあるようです。
駐車場に「日東交通」のバスが止まっていましたが、バス停がどこにあるか分かりません。停車中の運転手さんに聞いたところ、乗り場は公園を出て交差点を渡った先だと教えられました。既に発車時刻に近かったので、ここから乗せてくれないかと頼んだら、「バス停でないのでダメです」と断られました。これは仕方ないので、私は走って次のバス停に向かって乗車しました。
(続く)