2019年5月3日(金)。憲法記念日。
小田急線小田原駅。
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連休中ということもあり、大変な人出になっていました。
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小田原は、私小説家川崎長太郎の故郷であり、執筆活動の場でありました。
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小田原駅から小田原城天守閣を望む。私は、つげ義春の「貧困旅行記」を通じて、川崎長太郎を知りました。そして、その作品を読んでとても大きな共感を覚えました。何にかというと、言い当てることは難しいのですが、自分が世間に対して感じるものと、川崎長太郎の感じ方が近いような気がするのです。
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川崎長太郎が毎日通って、きまって「ちらし寿司」を頼んだという「だるま料理店」。本を読んでいるだけでは、こんなに立派な店だったとは分かりませんでした。きっと順番待ちで入れないだろうと思って、別の店で食事をしましたが、案の定店の外に人があふれています。
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「中央労働金庫小田原支店」の建物から、小田原駅方向を望む。大正の終わりか、もしくは昭和の初め頃の建築と伝えられています。ということは、川崎長太郎がこの奥にある「だるま料理店」に通う際は、この建物の前を通ったのでしょう。
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東海道沿いにある「どら焼き屋・菜の花」。とてもおいしかったです。店先のベンチでお茶と一緒に食べることができます。
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さらに一本入った路地の風情。川崎長太郎の世界に近くなってきました。
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と思っていたら、ものすごく大きな砲声が聞こえてきて、何事かと近寄って見ると、「北條五代祭り」ということで武者行列が進軍してきました。
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こんなパフォーマンスも行われていました。
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こんな要望の行進も!でも、北条氏は、相模・武蔵の人でないと、なかなか思い入れはないかも知れません。
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北条早雲に扮しているのは、「小田原ふるさと大使」の俳優・合田雅吏さんです。
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お姫様の行進もありました。
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北条氏政に扮しているのは、大河ドラマ「真田丸」で同役になった俳優・高嶋政伸さんです。とにかく写真が下手で、反対側を向いている時に撮ってしまいます。
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この辺りが川崎長太郎の実家の魚屋さんがあった辺りでしょうか。この角の路地を進んでいくと。。
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「川崎長太郎 小屋跡」の碑がひっそりと佇んでいます。
川崎長太郎は、東京で徳田秋声の弟子となって執筆を続けていましたが、結局文筆だけで生計を立てることが困難になり、故郷小田原に戻って、実家近くの物置小屋で暮らすようになります。戦時中、海軍の軍属として徴用され、横須賀・小笠原に行きますが、終戦後は再び物置小屋に戻って来ます。私は、世の中との折り合いのつけ方が難しい人として、川崎長太郎(もちろん、つげ義春も)を思い浮かべるのですが、実際にはこんなに突き詰めたことはできないでいます。
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「小屋跡」の碑の先にあるトンネルを抜けると。。
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いきなり海が。。つい、「人気のない秋の渚 ぼくらだけに開ける空」と口ずさんでしまいます。秋ではないですけどね。
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小田原城のお堀端にやって来ました。やっぱりお城の風情はいいですね。
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立派な「常盤木門」を潜ると、、、
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「小田原城」の天守閣がドーンと聳えます。小田原城は、北条氏の拠点として有名ですが、江戸幕府が開かれる前に北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされてしまいます。その後、最初に徳川家康譜代の大久保忠世が小田原城主となり、さらに阿部氏、稲葉氏と代替わりした後、17世紀後半に再び大久保氏が入封しました。以降、幕末まで大久保氏の治世が続きます。落語「抜け雀」に出てくる大久保加賀守は、この歴代の殿様の誰かでしょう(ほとんどが加賀守を名乗っています)。
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小田原城内にある「報徳二宮神社」。
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小田原城にも藤棚がありました。交差点の名前も藤棚でした!
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「だるま料理店」でチラシ寿司を食べられなかったので、帰りに駅地下の「魚国」で三色丼をいただきました。おいしかったです。
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