2023年7月1日(土)。天気曇り後雨後曇り。蒸し暑い一日でした。

京王線「調布駅」南口広場に面した「ヱビスバー調布サウスゲートビル店」にて、

ヱビスプレミアムブラック。

フィッシュアンドチップス。

そして府中に移動しました。「大國魂神社」では、7月20日が「すもも祭」ということです。からす団扇とからす扇子の頒布も行われるそうです。

大きなからす団扇の飾り付けが行われていました。

大祓の茅の輪くぐり。

更に京王線で西に移動して、「めじろ台駅」へ。

京王バス「八67東京家政学院行き」に乗り込みます。かつては、八王子駅南口から山田駅を通って東京家政学院に至る「八64」という系統がありました。私はそのバスで、「日野オートプラザ」に行ったことがありますが、2021(令和3)年3月いっぱいで廃止され、現在、東京家政学院に向かう京王バスの系統は「八67」のみとなっています。なお、「八64」に替わって、八王子駅南口から山田駅を通ってめじろ台駅に至る「八90」という系統が新設されました。

バスは、湯殿川を渡ったところで「めじろ台グリーンヒル通り」から分かれ、都道506号「八王子城山線」を進みます。この道は、大船川という小さな河川の谷戸に沿っています。かつては、南多摩郡大船村、1889(明治22)年に南多摩郡横山村の一部となり、1955(昭和30)年に八王子市に編入されました。やがて、バスは多摩丘陵の小さな峠道を越えて、八王子市大船町から町田市相原町に入ります。

多摩丘陵の南と、東京都と神奈川県との境界となっている境川との間で、東西に細長く町田市の市域がささりこんでいる形の町田市相原町には、これまでも何回か訪れています。相模野台地を一望できる「長福寺」、境川源流部の町田市最高峰・草戸山(364m)登山、早朝の七国峠越えなどです。

バスの終点にあたる「東京家政学院」には、バスの転回ができるスペースが設けられています。

バス停のすぐ近くには、小さな祠と仏像が置かれていました。奥は「金比羅宮」。18世紀末の寛政年代、八王子方面に向かう旅人が行き倒れとなり、ここ(三堂谷戸)に葬った際、その旅人が金比羅様のお札を持っていたため、「金比羅宮」となったそうです。元は現在の「相武カントリー倶楽部」敷地内にあったということです。

手前は、「つげ巻地蔵」。やはり三堂谷戸にあった尼寺の参道にあったものを、「東京家政学院大学」建設時に現在地に移したそうです。それぞれ解説の看板が掲げられています。

こちらは「おさる様」。水子地蔵のようなものだそうです。都道の改築にあわせて、現在地に移されたとのことです。

「真米トンネル」に続く道。「真米」とは、この辺りの古い地名で、「馬込」など街道筋につながる地名ではないかと思われます。私は、元々、七国峠から分かれる多摩丘陵の尾根筋の道を通って、JR横浜線「相原駅」方面に出るつもりだったのですが、あまりにも蒸し暑い空気の中で、何となく気が進まないでいました。

そうしていたところ、ちょうど神奈川中央交通「原23相原駅西口駅行き」のバスが来たので、山道を歩いて行くのはやめて、バスで「相原駅」に向かうことに、あっさり気持ちを切り替えました。

但し、「相原駅西口」の一つ手前「諏訪神社前」バス停で途中下車して、

旧相原村の鎮守「諏訪神社」に向かいました。

参道の脇に「夕焼小焼」の碑がありました。作詞者の中村雨紅は、この「諏訪神社」宮司である中村家の養子となったのです。「夕焼小焼」の情景は、中村雨紅の故郷である恩方村(現・八王子市)のものと言われています。

二の鳥居と立派な狛犬、そして幹回り5mの大きなケヤキの御神木。2019(平成31)年にやむなく伐採されてしまったそうです。

1926(大正15)年に建て替えられた拝殿。

「諏訪神社」から「相原駅」までは、歩いてもすぐ近くにあります。区画整理事業により整備された立派な街路。

JR「相原駅」の西口広場。

横浜線で隣の「橋本駅」に行ったところ、相模線の新しい電車、E131系500番台がいました。