「一年の計は金杯にあり」と言われていますので、「今年こそは中山競馬場に乗り込むぞ」と思っていたものの、1月3日に図らずも川崎競馬場に行ったため、「新年早々、連日競馬場通いというのも」と気弱になってしまいました。
実は、川崎に行った日に、元々は「草戸山登山」に行こうということも考えていましたので、今回は初志貫徹で草戸山に行くことにしました。

草戸山とは。詳細は、以下の町田市のホームページをご覧ください。
町田市の最高峰 草戸山

標高364m。やるぞ、最高峰制覇!

出発点は、京王線めじろ台駅です。草戸山登山をする人は数あれど、ここから出発する人はそうそういないと思います。
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最高峰を目指す登山なので、散歩気分ではなく、駅前のローソンでカロリーメイトとチョコレートと烏龍茶のペットボトルを購入し、何かあった時でも2日はもつ準備をしました。

法政大学行きの京王バスに乗車します。法政大学はめじろ台の奥、町田市相原の地にもキャンパスがあり、経済学部、社会学部、現代福祉学部、スポーツ健康学部が所在しています。
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終点法政大学で降ります。広大なキャンパス。
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そして、大戸行きの神奈川中央交通バスがやって来ました。このバスは、橋本駅北口発で、横浜線の相原を通ります。
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10分弱で、青少年センター入口バス停に到着。
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お地蔵さんのいる分かれ道で、町田市青少年センター方面(右)に入ります。
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極めて長閑な景色になってまいりました。
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外来の車はここ(第二駐車場)までですね。
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しばらく歩くと、「町田市大地沢青少年センター」に到着します。たいへん立派な施設です。有料で施設を利用する人向けには、バスによる送迎もあるようです(相原駅から)。
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この一帯は、元々相原村の共有入会地で、牛馬の秣を採ったり、桑を栽培していたのだそうです。
「相原」という地名は、町田市と相模原市と両方にあります。境川によって両相原及び東京都・神奈川県が分かたれており、大地沢が境川の源流ともなっています。
町田市側の相原は、江戸時代の多摩郡相原村から、1889(明治22)年の町村大合併で小山村と合併し、南多摩郡堺村の一部となりました。さらに、1958(昭和33)年に町田町他と合併し町田市の一部となり、現在の地名は町田市相原町です。地図で見ると、町田市の市域が境川に沿って細長く東から西にグーンと伸びて、八王子市と相模原市との間に刺さり込んでいる箇所にあたります。草戸山がその先端に当たります。パッと見た感じでは、八王子市の一部もしくは相模原市の一部でも良いように思えます。
但し、相模原市側の相原は、江戸時代には高座郡に属しており、1889(明治22)年には橋本村、小山村(この地名も両方にあるのです)などと合併し、高座郡相原村となっているように、元々町田市側の相原とは郡も違うし、武蔵と相模とで国も違うので、一緒になるという発想はなかったのかも知れません。
なお、多摩郡(その後継の南多摩郡)は、1872(明治5)年から1893(明治26)年まで、神奈川県に編入されていたので、この間に相原の一体化を進めることはできたかも知れませんが、やはり郡(国)が違うという意識が強かったのでしょうか。
八王子との関係を考えると、境川沿いに町田街道が走り、町田とは平地でつながっているのに対し、八王子に行くには丘陵(峠)を越えていかなければならず、この峠越えという物理的なハードルがあったのだと思います。それでも、町田市発足時に、堺村では町田と合併するか、八王子と合併するかを村議会で諮り、町田を選択したということです。

今回は、冒頭からも強調しているとおり、町田市の最高峰草戸山(364m)を目指すのですが、多摩郡相原村の住人が、峠を越えて同じ多摩郡の高尾(当時は浅川)方面に向かう気持ちで、先ずは草戸峠に向かっていきたいと思います。

青少年センターの直ぐ前に草戸山頂上に向かう道がありますが、こちらを通らずに草戸峠方面へ。
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宿泊用のキャビンやテントサイトもあります。夜は真っ暗でしょうね。
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最初のうちは、たいへん歩きやすい、山道というよりは整備された林道です。
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それでも、こんな注意書きが。夜にキャンプして大丈夫でしょうか。
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ここが草戸峠に直登していく道の入口です。
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峠に向かって、けっこうきつい登坂が続きます。
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この分かれ道は右側に進みました。ここからさらに登りがきつくなります。
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草戸峠に到着です。この尾根を越えて反対側に降りると、高尾山口駅方面に向かうことになります。
ここが武蔵(多摩郡)と相模(高座郡)との境界でもいいはずですが、運動不足の身にはけっこうきつかったとはいえ、それでも越えることがたいへん困難というのとは違うので、けっこう行き来はあったのかも知れません。
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そして、草戸山の制覇を目指して、さらに登山は続くのでした。アップダウンがあって、最後の登り坂を進んでいくと。
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草戸山山頂に到着です。
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草戸山から見た八王子市街地方面。
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同じく草戸山から見た橋本市街地方面。
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木立に隠れてよく見えませんが、眼下には城山湖が広がっているのです。
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