2021年2月28日(日)。天気晴れ。今日で2月も終わりです。

昨日の続きで、世田谷区内の京王線沿線の南側を歩いてみました。

「千歳烏山駅」。連続立体交差事業が完成すれば、高架駅になるらしいのですが、想像がつきません。

駅南口の商店街。線路に近い所にあったパンセで知られる菓子屋「たちばな」の建物は、既に撤去されています。

商店街を抜けた所にある南口バス乗り場から、京王バス「歳23千歳船橋駅行」に乗り込みます。

狭い道でバスが人と自転車をよけながらゆっくり進み、「蘆花恒春園」バス停に到着しました。

そこにあったのは、「粕谷村地蔵尊」です。通常ならば、道路工事の際などに撤去されてしまっているはずですが、いろいろないきさつがあって、ここに置かれたままになっているようです。

粕谷村は、上祖師谷村や給田村など周辺の村と合併して、1889(明治22)年に北多摩郡千歳村となり、1936(昭和11)年に世田谷区に編入されました。1907(明治40)年に、粕谷村(正確には北多摩郡千歳村大字粕谷)に、小説家徳冨蘆花が東京からその居を移して来ました。前年、ロシアでトルストイと面会した蘆花は、トルストイの影響を受けて、この地で半農生活を送りました。当時の粕谷は、東京の郊外ではなく、完全な農村地帯でした。

徳冨蘆花の旧居「蘆花恒春園」に近付いていくと、大きな欅の並木が見えてきます。

徳冨蘆花の旧居は、「東京都立蘆花恒春園」として、当時の建物が保存されているのです。

竹林の向こうに藁葺きの建物が見えてきました。

この建物は、徳冨蘆花が近在の農家で見つけてこちらに持ってきた離れです。「秋水書院」と名付けられています。この名前は、1911(明治44)年の大逆事件にまきこまれたアナーキスト・幸徳秋水からとられています。徳冨蘆花は、幸徳秋水の無実を訴え、絶縁していた兄・徳冨蘇峰を頼ってまで助命活動を行いましたが、虚しく幸徳秋水は処刑されてしまいました。この建物は、蘆花夫妻が密かに「秋水書院」と呼んでいたということです。

こちらが、母屋になります。蘆花によれば、「近隣の大工の妾の家」ということです。

広々とした敷地も公園として整備されています。

「蘆花恒春園」の中に佇む徳冨蘆花と妻・愛子の墓。蘆花は1927(昭和2)年に亡くなり、1936(昭和11)年に愛子夫人が、建物・敷地を東京府に寄贈しました。愛子夫人は、1947(昭和22)年に亡くなりました。

「蘆花恒春園」に隣接して、旧粕谷村の村社「粕谷八幡神社」があります。この神社の鳥居には「天保六年」の銘があります。徳冨蘆花は、自宅を訪れた人を、この鳥居の辺りまで見送ることを習いとして、鳥居の横の杉の木のことを「別れの杉」と呼んでいたそうです。

「粕谷八幡神社」の社殿。放火で焼失した後、1959(昭和34)年に再建されました。

次に隣の旧八幡山村の村社「八幡山八幡社」を目指すことにします。八幡山村は、江戸時代に彦根藩の領地でした。世田谷から狛江にかけては、「豪徳寺」や「伊豆美神社」など、井伊家の名残があります。

環状八号線の向こうに「千歳清掃工場」の煙突が聳えています。この付近は、「明治大学八幡山グラウンド」の敷地が拡がっています。

「八幡山八幡社」。旧滝坂道沿いにあります。烏山川の流れている谷戸から、少し上がった位置にありますので、これを山と言ったのでしょうか。

「八幡山八幡社」の社殿。ちょっと高い位置にあるのを意識したような造りです。

「烏山川緑道」方面に下って行く道。写真では高低差があまり分かりませんね。

「八幡山八幡社」の近くの住宅街の中にある「稲荷神社」。一時期、「八幡山八幡社」に合祀されていたようです。

「赤堤通り」を「八幡山駅」方面に進みます。通りの進行方向右側は、「都立松沢病院」です。

歩道に、たいへん大きな欅の木が植わっていたり、

「松沢病院」の正門近くには立派なヒマラヤスギの木があったりします。

「八幡山駅」に到着しました。ここは、1970(昭和45)年に、環状八号線を渡る高架駅になりました。

既に半世紀前です。

「八幡山駅」近くにある「山谷稲荷神社」。こちらは、「勝利八幡神社」に合祀された上北沢村の神社のようです。

本日、中山競馬場メイン11Rは、「中山記念(GII)」(芝・右・1800m)。14頭が出走。

1番人気は、前走「中山金杯(GIII)」で優勝した「⑧ヒシイグアス」(牡・5、松山弘平騎手)。ここまで3連勝できています。今年は、「⑧ヒシイグアス」の年になるかも知れませんよ。

2番人気は、「⑦バビット」(牡・4、内田博幸騎手)。遅咲きでしたが、昨年3歳時、「ラジオNIKKEI賞(GIII)」、「セントライト記念(GIII)」と重賞を含む4連勝で「菊花賞(GI)」に挑み10着、続く前走「有馬記念(GI)」は13着。この馬をどのように評価するのかが分かれ目ですね。

3番人気は、前々走「アンドロメダステークス(OP)」2着、前走「日経新春杯(GII)」3着ときた「⑪クラージュゲリエ」(牡・5、C.ルメール騎手)。

本レースをもって騎手を引退する蛯名正義騎手は、この日既に2勝をあげています。本レースでは6番人気「⑩ゴーフォザサミット」(牡・6)に騎乗。この馬は、3年前の「青葉賞(GII)」を蛯名騎手騎乗で優勝した以降は勝利から遠ざかっています。久々のコンビを組んでの挑戦になります。

レースは、1000m57秒8というハイペースで、「⑦バビット」が引っ張りました。後ろについた「⑬ウインイクシード」(牡・7、横山武史騎手)<7番人気>は最後まで粘って3着に入りましたが、「⑦バビット」は4コーナー前で既に力が続かず、直線ではズルズルと後退して最下位になってしまいました。優勝は、先頭グループの後ろに控えていた「⑧ヒシイグアス」、クビ差の2着は同じ位置にいた「④ケイデンスコール」(牡・5、岩田康誠騎手)<5番人気>。ともにメンバー最速の上りで、コースレコードタイとなりました。「④ケイデンスコール」は、「京都金杯(GIII)」優勝でしたので、東西金杯コンビのワンツーフィニッシュです。

「⑩ゴーフォザサミット」は、中段から猛然と追い上げて、最後は4着で入線しました。5着は、クビ差で「①トーセンスーリエ」(牡・6、横山和生騎手)<4番人気>。蛯名騎手は34年間の騎手生活に終止符を打って、調教師に転身されます。おつかれさまでした。どうもありがとうございました。