2021年2月27日(土)。天気晴れ。ですが、寒い一日になりました。

京王線「桜上水駅」横の踏切から。現在、京王線は、笹塚~仙川駅間で、連続立体交差事業の準備で、現在の線路敷地周辺の土地の更地化が進んでいます。このような踏切の風景も、いずれ幻になるのでしょう。

「桜上水駅」周辺は、旧荏原郡松澤村です。1932(昭和7)年に荏原郡が東京市に編入されたことから、松澤村は消滅し、周辺の世田ヶ谷町、駒澤町、玉川村と併さって「世田谷区」が形成されました。1936(昭和11)年には、北多摩郡の砧村と千歳村が「世田谷区」に加わり、現在の「世田谷区」の姿になります。

さらに遡ると、1889(明治22)年に、上北沢村全域と、赤堤村、松原村、世田ヶ谷村の一部が合併して松澤村となりました。写真は、暗渠となっている北沢川(目黒川支流)と集合住宅。

旧上北沢村の鎮守であった「勝利八幡神社」。京都の石清水八幡宮を勧請したと伝えられます。

「勝利八幡」という珍しい名前は、日露戦争を記念して付けられた通称です。

1968(昭和43)年に建てられた現社殿。実は境内には、天明8(1788)年築と伝えられる旧本殿も保存されています。

さらに、旧松澤村の区域を進んでいきます。「勝利八幡神社」付近には、日本大学文理学部及び日本大学櫻丘高校の敷地が拡がっています。再び北沢川の流路に突き当たりました。そこには、上北沢村の旧家鈴木左内家に祀られていた「左内弁財天」があります。

「左内弁財天」の祀られている地点から南東に向かって、北沢川の流路に沿って親水公園が造られています。

「赤松通り」。これは赤堤と松原から取られた名前でしょうか。それとも赤堤と松沢からとられたのでしょうか。

いずれにせよ、旧上北沢村、旧赤堤村、旧松原村とを結んでいます。世田谷の住宅街の中で、こんな大きな道路ができていることにびっくりしました。

「赤松通り」に沿って建つ「西福寺」。真言宗豊山派の寺院です。赤堤村を知行地としていた旗本服部家が開基し、服部家の菩提ともなっています。

東急世田谷線「松原駅」。

そして、「松原駅」の近くにある旧赤堤村の鎮守「六所神社」。名前のとおり、服部氏が府中の「六所宮」(大國魂神社)を勧請して創建されました。江戸時代には「西福寺」が別当寺でした。

社殿は、1969(昭和44)年の建造。

境内には、「厳島神社」もあります。

次は、その名も「天神通り」沿いにある、旧松原村の鎮守「菅原神社」に向かいました。

「菅原」とは、もちろん「菅原道真(天神様)」のことです。この神社は、当地で寺子屋を開いていた石井兵助直慶という人が勧請したと伝えられ、由来からして勉強の神様だったのです。

現在の社殿は1965(昭和40)年築。

神楽殿の横には、梅の花が咲いていました。

京王線「明大前駅」に出てきました。駅周辺の商店も立ち退きが続いています。

新しい駅の景観は、どのようなものになるのでしょうか。私はそれを見ることができるのでしょうか。

京王線に乗って、「新宿三丁目」まで出てきました。

喫茶店はどこも混んでいて、「ルノワール」に久しぶりに入りました。