ありがとう横田慎太郎、決して忘れない  | フルマラソン100回完走への道

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この道を行けばどうなるものか。迷わず行けよ、行けばわかるさ。

昨日、会社で残業がひと段落し、Yahoo!ニュースを開いたとき、言葉を失いました。

「元阪神 横田慎太郎さん死去」

横田さんは2013年に阪神に入団し、恵まれた体格と身体能力で将来を嘱望される選手でした。プロ3年目の2016年、2番センターで開幕出場し、1番だった高山選手とともにタイガースの将来を背負って立つ存在と期待されていました。しかし、翌2017年、脳腫瘍を患い、半年にわたる入院生活を送ります。寛解後チームに戻り復帰を目指しますが、後遺症による目の影響により2019年に引退しました。


 

引退試合は2軍の試合だったにもかかわらず、1軍の選手のほとんどが駆けつけて立ち会ったことからも彼の人柄の良さが想像できます。僕は現地で観れなかったのでYouTubeで観ましたが、涙なしに観ることができませんでした。その引退試合で奇跡が起こります。彼が守備に入った直後に打球が飛んできたんです。打球もホームのキャッチャーもよく見えないはずなのに、打球をキャッチし、キャッチャーへのノーバウンドの送球でランナーを刺しました。もちろん練習では一度もできたことがありません。このプレーは「奇跡のバックホーム」と呼ばれ、テレビドラマ化され、本も出版されました。



その本の文庫版で、引退後腫瘍が転移し2度目の闘病生活を送られていることを知りました。僕も講演活動などされている彼の姿を見ながら「病気大丈夫なんかな?」と気にしていましたが、昨年腫瘍の再々発が判明し、昨日の朝亡くなられました。

プレーぶりがすごくひたむきで一所懸命な選手でした。また、入団会見で「偉大な先輩(桧山進次郎さん)がつけていた背番号なのでそれにふさわしい選手になりたいです」と言うつもりが「ふさわしい」を「ふがいない」と間違えたりして、ちょっと天然なところも多くの選手やファンに愛された理由だったと思います。その彼が28歳の若さでこんなことに・・・。引退試合の奇跡のバックホームを見て鳥谷敬さんが「野球の神様っているんだな」と言われていました。鳥谷さんもそのときはこういうことになるとは思いもしなかったでしょうが、神様がいるのならなんで彼にそんな残酷な仕打ちをしたんやと悔しさでいっぱいです。病気がなければ間違いなく今ごろ阪神の中心選手になっていたはずやのに。




その彼が闘病中励みにしていた曲がゆずの「栄光の架橋」でした。今後この曲を聴くたびに彼のことを思い出すと思います。僕の最も思い入れの強い大会のひとつが下関海響マラソンですが、この大会では合唱で選手を送り出してくれます。僕が初出場した2014年の合唱が「栄光の架橋」で、それ以来マラソンで自分に気合を入れる曲として定着しています。翌2015年のこの大会で「栄光の架橋」を聴きまくって気合いを入れ、初のサブ4を達成しました。「栄光の架橋」つながりで2019、2021、2022年の下関海響マラソンでは横田さんのユニを着て走りました。今年は出場できませんが、来年は必ず彼のユニを着て下関海響マラソンを走るつもりです。



横田さんに関するニュースを見ていまだに気持ちの整理がついていませんが、心よりご冥福をお祈りいたします。そして、命より大切な野球ができなくなっても最後まであきらめることなく前を向いて病気と闘い続け、最後に奇跡を起こした彼の生きざまは一生忘れることはありません。彼に比べれば自分などはるかに恵まれていると思うので、彼のことをたまに思い出しながら一日一日を大切に生きていきたいと思います。タイガース選手および関係者のみなさま、そしてファンのみなさま、優勝&日本一にならなあかん理由ができましたね。今年こそ優勝&日本一になって天国の彼に報告できるよう頑張りましょう!