海外の捜査官を困惑させる “ヤクザ” の存在 2023.05.17 ゲンダイ
禁断の世界麻薬マーケットの暗部と、世界の反社がどうつながっているのか?
伝説のマトリだから書ける「人類、欲望の裏面史」、『 ナルコㇲの戦後史 ドラックが
繋ぐ金と暴力の世界地図 』より、公開コードギリギリのエピソードをピックアップ!
※ナルコスとは――「感覚を失わせる」という意味のギリシャ語のナルコン「narkoun」に
由来する英語「narcotics」から派生したスラングで、海外ではドラッグとともに
麻薬を意味するものとして認知されている。
ハワイでロケット砲を入手しようとする
変わって1980年代は山口組にとって激動の時代だった。
1981年には田岡一雄組長が亡くなり、4ヵ月後には山口組から絶縁処分を受けていた元若頭
補佐の菅谷政雄(ボンノ)、さらには四代目襲名を有力視されていた山本健一若頭も死去。1984年には竹中正久が山口組四代目を受諾。これに異議を唱えた反対派が一和会を結成し、
山一抗争が勃発する。翌年には四代目となった竹中組長が一和会に狙撃され、死亡する。
その搬送現場に遭遇したことはすでに述べた。この事件をきっかけに抗争はさらに激化の
一途を辿る。日本のヤクザ史において史上最悪と言われた抗争の事件数は317件を数え、
死者数は29人。負傷者は警察官や一般人を含めれば70人にものぼった。
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竹中組長が射殺された1985年には実弟の竹中正ら山口組幹部が一和会への報復のために
ロケット砲や機関銃の密輸を計画。麻薬不正取引なども含めた容疑でDEAに逮捕される
「山口組ハワイ事件」が発生する。抗争の火は海を渡り、アメリカにまで波及したのである。
DEAはアメリカ麻薬取締局の通称で、正式名称はDrug Enforcement Administration。
日本で言う麻薬取締部と規模こそ親子以上の差はあるものの似通った組織と言っていい。
DEAは世界60ヵ国で絶えず情報収集を行い、大型の国際薬物犯罪組織に対しては
5年、10年というスパンをかけて捜査にあたっている。情報の漏洩を防ぐため、
徹底的な秘密主義で動くのもDEAの特徴の一つだ。
かねてからマトリはDEAやNCIS(Naval Criminal Investigative Service=
米海軍犯罪捜査局)等の海外捜査機関と密に連携を取り、麻薬捜査に力を注いでいた。
私自身もDEAやNCISで長期にわたって学び、本部やアカデミーで訓練を受けていた。
一方で、海外の捜査機関は日本のヤクザに強い関心を持つようになっており、
私もよく各国の捜査官たちへの説明に追われた。麻薬の情報交換をする際も
常に彼らの頭の片隅にあるのはヤクザという存在だった。
ロケット砲で思い出したのが、1988年11月25日~女子高校生コンクリート事件の被害者が
受けた被害に、打ち上げ花火をあそこに入れた時や硫酸を顔や頭にかけられた時に
激痛で気絶したんだと思います。その時に、あの姉妹が被害者の脳が溶けてiいた時に
姉のパワーと三女の技術でまた脳を縮ませたので司法解剖で1/2になっていた
その痛みに耐えかねて、あの長女が次女に痛みの感覚を麻痺させていた
私も後頭部の感覚を麻痺させられたので分かりました。
海外の捜査官が困惑するヤクザという存在
そもそも海外にはヤクザという言葉に置き換えられるような言葉は存在していない。
暴力団はあくまでも法令用語であり、ヤクザたちは自身のことを暴力団とは呼ばない。
ヤクザ、任侠という概念は海外の言語に訳しづらいものではあった。
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さらに彼らは日本のヤクザについて幻想に近いイメージを抱いているケースが多かった。
日本刀を手に持ち、相手に向かっていく。多くは語らず、己の感情も決して表には出さない。
義理堅く、自己犠牲の精神を強く持つ。それが海外が想像する日本のヤクザ像だった。
恐らくは高倉健出演の『 ザ・ヤクザ 』や松田優作出演の『 ブラック・レイン 』などの
映画の影響が大きかったと思う。刺青も機械彫りではなく手彫りで丹念に入れる。
それ一つとっても海外の人間から見ればヤクザの姿は神秘的に映るのだろう。
それゆえ、海外の捜査官(以下、エージェント)たちは日本のヤクザに興味津々だった。
たとえば南米の麻薬カルテルなどの犯罪組織は反政府勢力が大半を占める。しかし、
ヤクザはそれら組織には該当しない。この時点で大抵のエージェントたちは首を傾げる。
昔のヤクザは警察権力に迷惑をかけはしない、弱いものを助ける、道の真ん中は歩かずに
譲ると自負していた。ヤクザは名刺を持っている。そんな特徴を羅列するほどエージェント
たちの顔はみるみる険しくなっていく。海外のカルテルと毛色も性質も違うヤクザの習性は
まったくもって理解ができないのである。
ちなみにヤクザの基礎知識すらない若いエージェントの最初の質問は「ヤクザと忍者は関係が
あるのか。彼らは手裏剣を持っているのか」である。いかにエージェントたちへの説明に
私が苦労していたか、この問いかけだけでもご想像いただけると思う。
海外の麻薬取締局から見れば日本のヤクザとそれを取り巻く日本の環境はきっと
不思議の連続だったに違いない。代表的だったのがヤクザの代紋看板だった。
私が大阪で勤務していたころ、アメリカのエージェントが来日したことがあった。
私は現場視察を兼ね、捜査フィールドであった西成を案内することにした。
「これは何だ?」
歩いて回る途中、エージェントは突如足を止めて、そう尋ねてきた。彼が示したのは
ある西成の組事務所だった。どうやら外壁に飾られた代紋が気になっているようだった。
「これはヤクザ組織の紋章だ。ここはヤクザのオフィスだ」
私が返答するとエージェントは矢継ぎ早に質問を始めた。
「お前たちの国は法律でヤクザを認めているのか。ヤクザが犯罪組織と言うのであれば、
ここはその巣窟じゃないか。お前たちの国は犯罪組織を受け入れているのか。
近所の人たちは何も言わないのか」
彼の指摘もわからなくはないが、その感覚は日本では通用しない。とはいえ、私がいくら
「ヤクザイコール犯罪者ではない」と説明してもエージェントは納得できない様子だった。
炊き出し、テキ屋、親子盃、指詰め……
ヤクザの炊き出しも同様であった。1995年、阪神・淡路大震災が発生すると山口組は
いち早く災害支援に回った。直系組長たちから資金を集めるとカップラーメンなどの
食料品をはじめ、防寒着やカセットコンロなどを被災者に配り、神戸・花隈にある
山健組本部前では炊き出しまで行った。しかし、海外のエージェントたちからすれば
ボランティア活動を行うヤクザの姿は理解の範疇を超えたものだった。
Photo by GettyImages 阪神・淡路大震災の様子
「ヤクザは震災の時に炊き出しを行っていると聞いた。
なんでそんなことをするのか。犯罪組織がそんなことをしていいのか」
ヤクザの災害支援は弱きを助けるという義侠心から生まれるものだが、どう説明しても
その任侠の本質的な意味が伝わらない。他にも組事務所にある提灯については
「ヤクザはお祭りをしているのか」と真剣な面持ちで聞いてくるエージェントもいた。
「ブッダなのか」
事務所内の神棚に関してはそんなクエスチョンが向けられる。
「いや、ブッダではない。これは日本独自の神様を祀っている」
「ではヤクザは宗教を持っているのか。
ヤクザになるにはその宗教団体に入らなきゃいけないのか」
答えに窮する質問である。長年、マフィアや反政府組織と対峙する彼らからするとヤクザは
未知なる存在だった。だからこそ我々日本人も想像しないような疑問が飛ぶのかもしれない。
ちなみに、テキ屋について話すと、「何だそれは? 露天商がヤクザなのか?
おかしくないか。それとも隠れ蓑か」と彼らの混乱を招くばかりで、
最後まできちんとした説明ができなかった記憶が残っている。
精神世界の話になればなおさらだった。日本のヤクザの所作はまさしく
「なぜ?」だらけだった。たとえば親子の契り。どうして盃で行うのかから始まり、
一般家族でも行われる儀式なのかとまで聞く。一般的なものとヤクザ社会における親子は
違うと否定すると「では、親は子を力で押さえつけて従わせるのか」と返ってくる。
これこそカルテル的な思考である。
「違う。力では押さえない。ヤクザは親分に対して子分が惚れ、親子の契りを交わす」
そう答えても「ではヤクザは男性を同性として愛するのか」と言う。どうにも噛み合わない。
ヤクザの話題になると、終始こんなやり取りばかりが続いた。
欧米のマフィアにもファミリーという仲間意識があるにはある。しかし、結局のところ
ファミリーは出身地や血の繋がりで構成されるコミュニティであり、生まれや血縁関係を
重視しない日本のヤクザの“家族”と捉え方は違う。実際、マフィアにおけるファミリーは
裏切れば殺されるというのが通説だが、日本のヤクザは指詰めという段階的なプロセスがある。すると今度は指詰めに対しての質問が入る。
「指は誰かに切られるのか?」
「違う。彼らは謝るために自分で指を落とすんだ」
「どうして自分で切るのか?」
「痛みを我慢するという気持ちが謝罪の意味になるからだ」
「切った指はどうするのか?」
「謝罪相手に届ける」
こう言うとほとんどのエージェントたちは感激する。
そうして侍や戦時中の特攻隊にヤクザの姿を重ねていく。
「ヤクザはラスト・サムライなのか」
そんな質問を真顔でするエージェントもいた。
それほどヤクザ社会の美徳は欧米のエージェントたちにとっては新鮮に映っていたのだ。
だからこそ、山口組によるハワイ事件はDEAも衝撃をもって受け止めていた。
ショックという表現が正しいかもしれない。東洋の神秘に見えていたヤクザが突如として
テロ組織に変貌したのである。日本刀だと信じていた武器がロケット砲に
変わったのだから驚くのも無理はない。
1970年代から始まった拡大路線の中、山口組はヤクザという存在を
自らの手で変えてしまったということだろう。
よく石原軍団が、いち早く震災地に駆け付けて、炊き出しをして、TVで流れてきますが
ヤクザが炊き出しをしたことは、TVで一度も聞いたり見たりしたことがありません。
あの姉妹やあの子は、人が嫌がるのを力ずくや脅しで従わせる
( その技術、人の為に良いように使って )
伝説のマトリが、韓国反社の実態を明かす――
地下に潜る組織とナルコス 2023.05.22
韓国の反社の実態
韓国の犯罪組織についても少し説明したい。
当然ながら韓国にも反社会的組織が存在している。組暴(チョポク)、または暴力団
(ポンニョクタン)という集団である。正式な名称は組織暴力輩と書くようだが、
これが世間で一般的に知られている呼び名である。ただし、日本のヤクザが暴力団と
名乗らないのと同様に韓国の組織のメンバーたちは自身を乾達(コンダル=遊び人)と呼ぶ。
暴力でシノギを得るという組織構造は日本のヤクザとなんら変わりはない。
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日本組織との大きな違いは法律的な線引きになる。組暴は組織に所属しているだけでも
取締りの対象となり、組員と判明すれば逮捕されることもある。
いわばカルテルやマフィアに近い立ち位置にいるグループなのだ。
組織のトップは頭目(ドゥモク)と呼ばれ、その下に顧問、幹部、隊長といった役職が並ぶ。
組暴は地元の不良グループからメンバーを引き抜き、付き人のようにして先輩が面倒を見る。
晴れて組織入りを果たすと今度は共同生活を2年ほど送る。そこで組織の礼儀作法や
組織内のルールを叩きこまれるというわけである。肩書も見習い時代は収拾隊員、
入隊が認められれば行動隊員へとランクアップする。
組暴のルールは大きく二つと言われている。一つは目上の人間には最上の礼儀を尽くす。
一つは抗争では命を捧げる覚悟を持つ。いずれも日本のヤクザ組織と相違はない。
かつてはカタギに手を出さないという掟もあったが、組員による一般人への恐喝や
暴行事件も明らかになっており、表向きのものに過ぎない。
1960 年代まで組暴は政界と密接に繋がり、政治家の周辺者でありながら暴力的に
利益を奪う組織として機能していた。政治的に不安定だった当時は政治家と組暴は
表裏一体の役割を果たしていたようだ。しかし、1970年代に入ると山口組を筆頭にした
日本組織の影響もあってか、建設業界から芸能まで様々なシノギに進出し、栄華を極めていく。日本向けの覚醒剤の密造もそんな組暴の重要なビジネスの一つであった。
巨大化した各組織は次第にシノギをめぐっての強烈な縄張り争いを繰り広げていく。
しかし「漢江の奇跡」とも言われる1980年代の急速な経済成長によって組暴の時代は突如、
終焉を迎える。国内に経済的な余裕が生まれると市民の中でも犯罪組織の脅威は消え失せ、
徐々にその勢いを失っていった。
極めつけは盧泰愚大統領による特別宣言だった。
1990年、政権に対するクーデター未遂が発覚し、韓国国内で大きな社会問題となった。
さらに計画には組暴も組織として参加していたことが判明し、政府世論から厳しい目を
向けられることとなる。この事件がきっかけとなり、当時の盧泰愚大統領は暴力廃絶宣言を
発令し、政府は1年間で200件余りの関連事件を検挙、700人もの逮捕者を出すなど
組暴に対して徹底的な摘発を行った。
決められたルールは厳守して、もう一度、3つの契約書を思い出して
占い師の母、アミューズ、タイシタ、ビクターレコード関連は守られる。危害を加えない。
( 個人的な責任、連帯責任、全部の責任は、お母さんに取ってもらう )
生き残った組暴と地下新勢力
こうして時代の片隅に追いやられた組暴だったが、2021年、韓国国内で報じられた
ニュースで再び注目を集めることとなる。韓国警察は44人の組暴のメンバーを検挙、
そのうちの8人を逮捕したと発表したのである。それは国をあげての撲滅運動で
消えたと思われていた反社会的勢力が暗がりから顔を出した瞬間でもあった。
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きっかけはソウル郊外の利川市にある公園駐車場に設置された深夜の防犯カメラ映像だった。2018年のある日、公園には二つの組織が集まっていたという。組員を裏付ける証拠と
なったのは彼らの所作にあった。帰り際、メンバーらは横一列に並び、90度にも
見えるほど深いお辞儀で、幹部の乗った車を見送ったのである。
韓国でも深々と礼をすることはあるが、結婚式や宗教儀式といった厳かな場面で行われるのが
通例である。しかし、上下関係を何よりも重んじる組暴にとってはお辞儀は当然の礼儀とされ、日常的に行われる。韓国警察はこの映像を決定打として犯罪組織の逮捕に至ったのである。
さらに興味深いのは彼らが公園に出向いた理由にあった。現場にいたグループは旧勢力と
新興組織の二つに分けられていた。彼らはかねてから繁華街のシノギを巡って縄張り争いを
繰り広げており、それが原因となり、双方が公園に集まっていたというのである。
この事件はしぶとく生き残る旧組織、さらに音もなく生まれていた新興勢力という
組暴の現状を浮き彫りにしたものでもあった。両者に共通して言えるのは韓国もまた
日本のヤクザと同じく地下組織化を進めているということだ。
韓国社会が豊かになりナルコスも侵食
1980年代、韓国の取締りの強化も相まって日本向け覚醒剤の密造は台湾にシフトしていく。
反対に韓国組織は中国や香港といった東アジアから日本向けに密輸された麻薬の中継国として
機能を果たすようになる。といっても依然として韓国国内では大きな蔓延問題は見られず、
相変わらず世界有数の麻薬清浄国を維持していた。実際、空港や港でも5キロ、10キロと
いった大型摘発はあったが、そのほとんどが日本向けのナルコスに過ぎなかった。
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韓国国内で変化が訪れたのは2000年代に入ってからだった。きっかけはめざましい
経済発展にある。韓国の実質GDPの成長率は1999年の11.47%を皮切りに、翌年には9.06%、2010年には6.81%と高水準を保っていた。一方の日本は毎年1~2%台。
2021年の両国の実質GDPの成長率は韓国は4.15%、対する日本は1.66%と韓国は日本の
倍以上の伸び率を記録している計算となる。近年、世界的に人気を集めているK-POPなど
エンターテイメント産業も韓国経済を押し上げた要因の一つだろう。
そんな経済と比例するように韓国国内で流行の兆しを見せ始めたのが麻薬だった。
私も麻薬取締官時代は韓国で開催されるアジア地域の捜査会議に出席するなどこまめに
現地の検事や捜査官と情報交換を行っていたが、確かに10年ほど前までは韓国での
薬物汚染による大きな被害は報告されていなかったと記憶している。
ところが、2018年8月にソウル市内でタイから密輸された覚醒剤90キロ、同年11月には
釜山港でメキシコからのコカイン64キロが押収されるという大型事件が発生する。
いずれもブツの一部は日本等へ渡る予定だったらしいが、半分は韓国消費分と捜査当局は分析、ここで急変する韓国の麻薬の現状が露見することとなる。これ以後、押収量は急増、
大検察庁が発表した報告書によれば2021年に韓国で押収された薬物の総量は過去最多となる1295.7キロを記録。これは前年比の約4倍に相当する数量だった。覚醒剤(メタンフェタ
ミン)、コカイン、大麻などの総量は1179キロであり、前年と比較しても6倍以上となる。
薬物事犯で言えば同年の検挙件数は前年比の8.6%増の7576件、逮捕者は1138人にまで
のぼっている。これは上半期だけの数である。2022年に限っては1~8月の薬物犯罪の
検挙者数はすでに1万人を超えている。この現状を見ればいかに韓国国内で麻薬蔓延が
起こっているかがおわかりいただけると思う。私を含め、かつての韓国の清らかさを
知る者にとっても信じられない惨状である。
2018年8月といえば、占い師のユリさんがブログで約束事は安易にしない事と
アドバイスが書かれていた記憶が
老眼にさせない、口臭も。人の胸に衝撃を与えないで。難聴にさせないで。
思考低下、言葉を出にくくしないで。人の後ろに憑かない、憑依しない
台風の影響で2日前に5組がLIVE中止発表しましたが、近畿は雨は降っていない、
風も強くないのでLIVE開催は出来たのでは?共通して言えるのは、あの三女やあの子の
逆鱗に触れたから?言われたくない事や、してほしくないことをしたから?
2011年8月福山雅治夏のー沖縄LIVEが開催予定が台風2つが直撃するかしないかで、
武中さんとスタッフみんなとギリギリまで検討して、それると判断し開催したのに、
今回は早い判断でLIVE開催しなかったが、結果的にLIVE開催できたのでは
続きは<韓国社会で広がる「キムチ・プレミアム」——伝説のマトリが語る、
伝説のマトリだから書ける、禁断の世界麻薬マーケットの暗部と、世界の反社を描いた
衝撃作は絶賛発売中です。
伊勢物語絵巻六六段(難波津)
むかし、をとこ、津の国にしる所ありけるに、あにをとと友だちひきゐて、 難波の方にいきけり。なぎさを見れば、船どものあるを見て、 難波津を今朝こそみつの浦ごとにこれやこの世をうみ渡る船 これをあはれがりて、人々かへりにけり。 (文の現代語訳) 昔、ある男が、津の国に所領地があったゆえ、兄弟や友達を引き連れて、難波の方へ 出かけた。渚を見ると、船どもがいるのが見えるので、(男はこう歌った) 難波津を今日初めて見たら、その入り江ごとに沢山の船がいて、 それがこの世を憂えているように見える 人々はこの歌に感心して、そのまま帰っていったのだった。 (文の解説) ●津の国:摂津の国、今の大阪府の北部から兵庫県の一部に跨った地域、 ●しる所:所領地、「しる」は統治する、●難波の方:今の大阪港のあたり、 ●けさこそ:けさ初めて、「こそ」は強調の助詞、●みつの浦:御津と見つとをかけた、 御津は難波津のこと、●うみ渡る:うみは、海と憂みをかけた、 ●あはれがりて:深く感心して (絵の解説) 数人の男が渚にたたずんで船を眺めている様子を描く (付記) この歌は「後撰集」雑三にも乗っており、その詞書には、「身の憂へ侍りける時津の国に まかりて住みはじめ侍りけるに 業平朝臣」とある。どんな憂えなのかはわからないが、 難波に住んで初めて海をみたということがよくわかる。 |
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました