[ 2015年10月17日7時31分 ] 日刊スポーツ

 

 円蔵さんは7日午前1時ごろ、長女(51)と同居する自宅2階で倒れた。

ドンという大きな音がして長女が駆けつけると、トイレ付近で倒れていた。救急車で病院に搬送されたが、午前3時30分、長女や義弟らにみとられて息を引き取った。

生前に「今まで派手にやってきたから、死ぬ時だけは静かに送ってほしい」と

話していたこともあり、葬儀・告別式は近親者と弟子だけで行ったという。

 

 1965年(昭40)に真打ちに昇進して月の家円鏡となった。

速いテンポでナンセンスギャグを連発し、相手を持ち上げる「ヨイショ」や、妻を

ネタにした「うちのセツコが」のギャグが大当たり。テレビで引っ張りだことなり、CMにも多数出演した。口ぐせは「うまいのは(古今亭)志ん朝、(立川)談志は

達者。アタシは面白い落語家を目指す」。言葉通りどこまでも面白さを追求した。

 

 78年に起きた落語協会の分裂騒動時に1度脱退を表明したが、

寄席出演を求めて復帰。82年に円蔵を襲名した。

 

 古典落語に現代的ギャグを織り込む独自演出で人気を誇ったが、4年前から寄席の

高座を控えた。総領弟子の月の家円鏡(70)によると「落語を忘れたり、突拍子も

ないことを言い出すようになった。弟子の名前も忘れることもあった」。心臓が普通の人の3分の1程度しか動かない疾患を抱え、10メートル歩いても息切れした。

医師からペースメーカー装着を勧められたが、「シャレ、シャレだから」と

かたくなに拒んだという。

 

 寄席から遠ざかったが、12年11月に地元の東京・江戸川区で一門落語会に出演した。「途中であやしくなって僕らが出て行って『大喜利にしましょう』と謎掛けなどをしました」(円鏡)。2年前にも「落語をやる」と落語会に出掛けたが直前に

なってやめたという。「やる気はあっても上がる勇気はなかったのでしょう。

僕らも恥をかかせたくなかった」(円鏡)。3年前が最後の高座になった。

 

 10年に「うちのセツコ」でおなじみの妻節子さんが82歳で死去。1人暮らしと

なったが、弟子10人が交代で家に泊まり込み、食事などを共にした。4月に長女と

同居するまでこの生活が1日も休まず4年続いた。円鏡は「師匠は『俺が主役』というプライドがあった。気配り屋できめ細かい人だった。ヨイショも気配りから来ている。師匠には、もう気を配らず、ゆっくりと休んでほしい」と話した。

 

 ◆橘家円蔵(たちばなや・えんぞう)1934年(昭9)4月3日、東京都生まれ。

小学校卒業後、家業の紙芝居を手伝い、52年に7代目橘家円蔵に入門、橘家竹蔵を

名乗る。55年に升蔵と改名して二つ目、65年に真打ちに昇進、月の家円鏡に。

82年に8代目橘家円蔵を襲名。テレビは「お笑い頭の体操」「やじうま寄席」などに出演。落語協会相談役も務めた。

 

 

「ヨイショの円鏡」橘家円蔵さん死去…

速さと八方破れの爆笑落語家

 

「ヨイショっと」のギャグで一時代を築いた橘家円蔵さん。

 

 「ヨイショっと」「うちのセツコが…」のギャグで知られ、黒縁メガネがトレードマークの落語家、橘家円蔵(たちばなや・えんぞう、本名・大山武雄)さんが7日

午前3時30分、心室細動で死去していたことが16日、分かった。81歳だった。

明るい芸風で、1960年代からラジオやテレビで活躍した落語家タレントの先駆け。

関係者によると、15年前から拡張型心筋症を患い、5年前に愛妻を亡くして以降は

体調を崩していた。爆笑落語と鉄板ギャグで落語家タレントの先駆けとなった

円蔵さんが、人生の高座を下りた。

 

 弟子の橘家蔵之助(57)ら関係者によると、円蔵さんは7日未明に東京都内の

自宅で倒れ、一人娘が救急車を呼び、到着したときには心肺停止状態だったという。病院に搬送され、同午前3時30分、娘に看取られて息を引き取った。

 

 円蔵さんは15年前から心臓から血液をうまく送り出せなくなる拡張型心筋症に。

代表的ギャグ「うちのセツコが…」のモデルだった妻の節子さんを2010年6月に

亡くして以降は体調を崩し、12年9月29日の東京・浅草演芸ホールを

最後に高座から遠ざかった。

 

 1952年に入門した円蔵さんは65年に真打ちに昇進して月の家円鏡を襲名し、テレビやラジオに出演して全国区に。「ヨイショっと」と叫ぶことから「ヨイショの

円鏡」と呼ばれ、「うちのセツコが…」の由来となった「よし子さん」のギャグで知られた兄弟子で初代の故林家三平さんとともに、落語家タレントの先駆けとなった。

 

 78年の落語協会分裂騒動で一度は脱退を表明するも、復帰。

82年には八代目円蔵を襲名した。

 

 明快かつ早口な芸風で知られ、得意ネタは「らくだ」や「死神」など。

高座はマクラが長く、ナンセンスギャグを連発。オチを冒頭に持ってくるなど、

斬新な試みで爆笑落語をあみ出した。

 

 親交があり、ラジオで共演した故立川談志さんも2011年に死去。

一時代を築いた落語家がまた1人、鬼籍に入った。

 

 通夜は13日、葬儀・告別式は14日に営まれた。「身内だけでやってほしい」という故人の遺志で本名の大山武雄として送り出され、喪主の長女や蔵之助、橘家仲蔵(56)ら5人の弟子が参列。戒名は「鏡光院武儔圓蔵居士(きょうこういんぶちゅうえんぞうこじ)」で、円鏡としても光り輝いた功績が込められた。

棺には高座で着用した黒紋付きはかま、黒縁メガネ、家族写真が納められ、

愛用の羽織をかけられた。お別れの会は予定していないという。

 

 

橘家円蔵さん死去…また昭和の落語家が

 

 

 黒縁眼鏡がトレードマークでナンセンスギャグを連発した人気落語家の八代目

橘家円蔵(たちばなや・えんぞう、本名大山武雄=おおやま・たけお)さんが7日

午前3時30分、心室細動のため死去した。81歳。東京都出身。

15年前から患っていた拡張型心筋症が急死の一因となった。

葬儀・告別式は14日に都内の斎場で近親者で執り行った。

 

 円蔵さんに異変が起きたのは7日午前1時30分頃だった。関係者によると、

都内にある自宅2階で倒れていたところを一緒に暮らしていた娘が発見。呼吸をしておらず、救急車で病院に運ばれたが同日午前3時30分に死亡が確認された。

 

 生前から本人が「香典はいらない。お金をかけるな」と語っていたことなどから

近親者で13日に通夜、14日に葬儀を済ませた。

ひつぎにはトレードマークの黒縁眼鏡が収められたという。

 

 15年前に拡張型心筋症が発覚したが、薬での治療を続けながら仕事を

こなしていた。ただ、高齢になったことで高座を務めることは難しくなっており、

2012年9月29日、東京・浅草演芸ホールでの「初代林家三平三十三回忌追善興行」

が最後となった。

 

 「面白い落語家を目指す」が口癖だった円蔵さん。小学校卒業後に家業の

紙芝居を手伝い、52年に七代目橘家円蔵に入門。65年に真打ちに昇進、月の家円鏡を襲名した。82年に八代目橘家円蔵を襲名。「死神」「らくだ」を得意ネタとし、

故人の立川談志、三遊亭円楽、古今亭志ん朝と並び「落語四天王」と呼ばれた。

 

 円鏡時代には、下町の語り口や、ナンセンスギャグの連発でテレビ、ラジオ、

CMで人気を博した。「ヨイショっと」「うちのセツコが…」は大当たりに。

TBS「お笑い頭の体操」や、文化放送「午後2時の男」、ニッポン放送

「談志・円鏡歌謡合戦」と引っ張りだこだった。「エバラ焼き肉のタレ」

「メガネクリンビュー」のCMでもお茶の間に親しまれた。

 

 晩年は「-セツコが…」とネタにしていた妻の節子さんが10年に亡くなり、

娘と2人暮らしに。お酒の席では周囲のグラスを気にかける気遣いの人で神経質な

一面もあった。全盛期には円形脱毛症になっていたが、勇退後に治ったといい、

「神経を使わないから楽だ、楽だ」と語っていたという。

 

 病と闘いながらも面白さを追求した円蔵さんに弟子は

「幸せな人生だったと思います」と話した。

 

 

橘家圓蔵さん死去 81歳 黒縁眼鏡となぞかけで人気

[ 2015年10月16日 12:36 ] スポニチ

10月7日に死去した橘家圓蔵さん(07年12月撮影)

 

 一般社団法人落語協会相談役の橘家圓蔵(たちばなや・えんぞう、本名・大山武雄=おおやま・たけお)さんが7日午前3時30分、心室細動のため死去した。

81歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で執り行った。

 

 52年に七代目橘家円蔵に入門、橘家竹蔵を名乗る。65年に真打ちに昇進、三代目

月の家円鏡(えんきょう)となった。60年代から80年代にかけて「ヨイショの圓鏡」と呼ばれ人気に。トレードマークの黒縁眼鏡、得意のなぞかけと軽妙な語り口で

落語家としてだけでなく、テレビCM、映画、ラジオのDJなども務め、

「うちのセツコが…」のギャグが大当たりとなった。

 78年の落語界内紛のときには、師匠の七代目円蔵らとともに一度は落語協会脱退を表明したが、定席を求めてすぐに協会に復帰。82年に八代目橘家円蔵を襲名した。「うまいのは(古今亭)志ん朝、(立川)談志は達者。だからアタシは面白い

落語家を目指す」が口ぐせで、どこまでも面白さを追求した。
 
 最近では高齢のため、口調にきれがなくなり、3年前から高座の出演は控えていた。

 ▼三遊亭円歌さんの話 いつも誰かを喜ばせなくてはと考えている人だった。

楽屋に入るとパーッと明るくなる。偉くなってもキャーキャー騒いでいた。

そういう方はなかなかいません。落語は、聴いているうちに忘れてしまうことが

多いが、お客さまが覚えて帰ってくれるはなしをするのが魅力です。亡くなって

しまうとあの芸がなくなってしまう。それが残念です。ご冥福をお祈りします。

 ▼落語協会顧問の三遊亭金馬さんの話 ずいぶん会わなかったのでびっくりして

いる。テレビやラジオで忙しい時期もあったが、彼の落語は筋にこだわらない

八方破れのところが面白い。お客も人情話ではなく、腹を抱えるほど笑わせて

くれるのを期待した。その無鉄砲さが魅力だった。亡くなって寂しい。

 

 

「あんちゃん、どの噺をやりたいの?」 

分け隔てなく接し、若手に愛された師匠  

 

 八代目橘家円蔵さんは、若手落語家からも最後まで頼られていた存在だった。

落語家によっては、一門など近い仲間以外との交流を避けてしまうこともあるが、

円蔵さんは所属していた落語協会だけでなく、立川流の若手も、円蔵さんに

稽古を付けてもらっていた。

 

 お茶の間で見せた優しい人柄そのままに分け隔てをすることはなく、若手落語家に対しても「あんちゃん、どの噺をやりたいの?」と、好きな噺を稽古を付けることを惜しまなかった。なかでも、自身の持ちネタ「猫と金魚」をやりたいといえば、

積極的に稽古を付けた。稽古が終わると、「頑張んなよ」と励ました。

厳しい稽古が当たり前の世界で、その優しさは、若手にとって心に深く刻まれ、

そして愛された。

 

 地方での弟子の落語会に一緒のときには、地方の主催者に「うちの弟子を

よろしく」と、どこに行っても明るく、腰が低かった。

円蔵さんにまつわる温かい人柄について、関係者の話が尽きることはなかった。

 

 齢を重ねるにつれて滑舌が悪くなり、高座に上がらなくなってからも、

協会の寄り合いには元気な姿を見せていた。

 

 7日に死去し、近親者で葬儀・告別式を行った。

ニュースで知った若手落語家も多かったようだ。(松垣透)

 

 

大山節子さん死去 落語家橘家円蔵の妻・・すごすぎる!

こちらのブログ拝見してます。

結婚の相談ってあいかわらず、ややこしいですね。
賢い女性になるためのためには、勉強ですね。
ちょっと難しいかもしれませんが、女性には必要な知識ですどうぞ。


みなさんも一緒に考えましょう。

大山節子さん死去 落語家橘家円蔵の妻
6月25日7時9分配信  サンケイスポーツ

 落語家の橘家円蔵(76)の妻、大山節子(おおやま・せつこ)さんが24日、

亡くなった。82歳だった。

節子さんは、山形県出身。円蔵が修行先の大師匠、8代目桂文楽の女中だった

節子さんと知り合い、1959年に結婚。月の家円鏡時代の持ちネタの一つとして

「うちのセツコ」などと呼ばれていた。葬儀・告別式は28日午前11時から

東京都江戸川区平井5の7の9、鹿倉第2斎場で行われる。

喪主は夫の橘家円蔵(たちばなや・えんぞう、本名大山武雄=おおやま・たけお)。

 

 

伊勢物語のあらすじ

十一 空ゆく月


むかし男が東国へ行ったとき
友人たちに旅先から詠んでよこした歌。

 忘れないで下さいね                     忘るなよ
 雲ほど遠く離れても              ほどは雲居になりぬとも
 空ゆく月がまたいつか                   空ゆく月の
 再びめぐり会う日まで                 めぐりあふまで

 

 

圓蔵さんが亡くなる前に奥さんが先に亡くなられて、今頃、天国で会えて2人仲良く

していますか? みんなと落語の話で盛り上がって楽しんでいたらいいですね。

みんなのお弟子さんを天国から見守っていてあげて下さい 笑ううさぎ おばあちゃん

ご冥福をお祈りいたします。

 

圓蔵さんは、2年前にも「落語をやる」と落語会に出掛けたが直前になってやめた。

似たようなことが、尾崎豊さんが1988年8月31日東京ドームのLIVEや玉置浩二さんも

その日直前になって、急にLIVE中止したいや行きたくないと本人が言ったことが

分かりました。なにか、プレッシャーがかかったのか?行きたくないと思ったのか?

本人しか分かりえませんが・・・もしかしたら、本人はやりたいのに、

そう思わされたのかも知れませんね 物申す おばあちゃん パンチ!パンチ!

 

ここ数年も、LIVE当日直前に、急にLIVE中止のは発表がありますが、

遠くから来ているファンもいると思うので、中止にするなら、もっと早く発表して

ほしいです。ホテル代や交通費がかかるので ムキー 爆弾 パンチ!パンチ!

 

圓蔵さんは、小さい時からTVで観ていたので、好きな落語さんでした。

面白く、本当に弟子想いで、気楽に接してくれる、みんなに愛された人 笑ううさぎ おばあちゃん 虹 

 

娘さんやお弟子さんは、圓蔵さんの分も落語を盛り上げてください。

そして、心身ともに健康で家族を大切にして下さい お願い

 

 

本当に、人のPCにハッカーのように侵入してこないで!遠隔操作してこないで。

そのせいで、PCがフリーズしてしまうので、2度としてこないで ムキー パンチ!パンチ!パンチ! むかっ

ブログを書いている時に、人の邪魔をしてこないで。自分で書いて パンチ!パンチ!パンチ!

人の後ろに憑かないで、憑依しないで。思考低下させないで、

キツイ気を持って来ないで。人の感情やパワーを抑えないで 物申す パンチ!

人の仕事の邪魔をしないで。目の錯覚や老眼にさせないで パンチ!パンチ!

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました 愛飛び出すハート