ドラマー高橋まことがクリスマスイブに想うこと
ゲンダイ 2021.12.24
1980年代に人気を博したロックバンドのBOØWYが、結成から40周年を迎えた。
氷室京介、布袋寅泰、松井常松、高橋まことの4人で結成されたバンドは、わずか7年という活動期間でさまざまな金字塔を打ち立て「伝説のバンド」とも言われている。
渋谷公会堂(※当時)での解散発表から34回目のクリスマスイブを迎える今、
ドラマーの高橋まことが、当時の記憶や現在の想いを語った。
第一印象は「おっかない二人」がいる下手なバンド
――1981年5月に新宿ロフトで行われたデビューライブから40周年を迎えました。
まだメンバーではなかった高橋さんは、このライブを観客席からご覧になられて
いたようですね。
知人が「とにかく来い」と言うので、何があるのかもよくわからないままロフトに
向かいました。まだ6人だったBOØWY(当時暴威)のパフォーマンスを見ていると、「こいつらドラムが抜けるらしいんだけど、後任で入ったらどう? 紹介してやるよ」みたいな流れになって…。友人の「お節介」が加入のきっかけだったんだよね。
――メンバーの第一印象を教えて下さい。
ライブが終わったあとに楽屋に出向いて、氷室京介と布袋寅泰に会ったんだけど、
最初は「とにかくおっかないな」という印象だった。布袋は身長も大きかったし。「何かあったらドラム叩くんで連絡ください」と電話番号を交換して、
この日はLOFTを後にしました。
――その後、どのような流れで加入することになったのでしょうか?
ちょうど一ヶ月くらい経った頃、「スタジオに遊びにきませんか」とヒムロックから電話が来たので、スタジオに出向くと、「これが俺たちの曲なんだけど、合わせて
叩いてもらえませんか?」と、『 IMAGE DOWN 』のカセットテープを渡されて…。正直、「めちゃめちゃ下手だな」と思ったんだけど(苦笑)。
練習を終えた後は、みんなで喫茶店に行って、「来月もライブがあるから、
ドラムとして入ってほしい。間に合わせるために、軽井沢でやる合宿に来てほしい」と言われて、とんとん拍子に決まっていった。
まったく売れる気配もなかった…
――1982年3月には、デビューアルバムの『 MORAL 』をリリースされました。
俺が加入した時には、すでに全曲完成していて、加入したタイミングでビクターからリリースすることが決まったんだけど、俺がドラムを叩いているのは、アルバムの中の2曲だけ。ジャケットには写っているけど、中途半端な形での参加だったんですよ。
『 MORAL 』
――『MORAL』は、若々しく尖った部分の多い作品ですね。
歌詞はとにかく尖っていたからね。ヒムロックは、人間の深層心理を
シニカルに歌った『 MORAL 』は、“愛” だと言っていたしね。
「学校を辞めろ」と歌った『 SCHOOL OUT 』にしても、なぜか「あの曲を聴いて、学校に行くようになりました」と言われたりして…。戸惑ったことはあったな。
でも、アルバムはリリースしたものの、まったく売れる気配もなかったので、半ば放り出されるような感じで、ビクターとの契約は終わってしまったんだよね。その後は「何とかライブだけはやらせてほしい」と事務所にお願いして、「Ø-con' nection」という自分達の会社を設立。何とか活動を続けることになりました。
――BOØWYのライブバンドとしてのこだわりが垣間見える言葉です。
俺たちにはライブしかなかったから、毎日必死でしたよ。でも、小さなライブハウスのステージに上がってお客さんと対峙するなかで、どんどん演奏も上手くなって
いった。最初は、ろくに譜面も読めないようなところからスタートしたのにね。
そのうち布袋が毎回のようにアレンジを変えてくるようになってからは、
覚えるのがとにかく大変だったな。「また覚え直すの?」みたいな…(苦笑)。
イントロ、間奏、エンディングと毎回のように違うフレーズが入ってきて、
音源とはかなり違う形に変わっていたしね。
「バンドは生き物」だから、それも魅力だと思うけどさ。
『 INSTANT LOVE 』
――翌1983年9月には、セカンドアルバムの『 INSTANT LOVE 』を
リリースされました。
「もう一回レコーディングしょう」という流れになったんだけど、当時はスタジオが空いた時に使わせてもらうような感じだったので、行き当たりばったりで制作を
進めていました。今振り返ってみると、『 INSTANT LOVE 』は、よく陽の目を
見たなと思いますよ。
『 BAD FEELING 』は氷室家のこたつで出来た
その後、ライブの動員を増やしたBOØWYが転機を迎えたのは、ユイ・ミュージックに移籍した1985年のことだった。6月に3枚目の『 BOØWY 』をリリース。
「給料をもらいながら音楽作りができることが単純に嬉しかった」と当時を振り返る高橋さんは、布袋寅泰さんの弾くリフが印象的な『 BAD FEELING 』では、
氷室京介さんと共に作詞も担当した。
――『 BAD FEELING 』の歌詞は、どのように誕生したのでしょう?
3枚目のアルバム『 BOØWY 』をベルリンでレコーディングをすることに
なったんだけど、ヒムロックから「なかなか歌詞が書けない」と連絡が来て…。
ヒムロックの家でこたつに入りながら一緒に書いた曲です。
『 BOØWY 』
布袋のリフを聞いた時に、「BAD FEELING」という言葉は何となく湧いていたん
だけど、その後は行き詰まっていて…。そんななかで俺が「お前の腰つき」という
言葉を出したら、ヒムロックも「いいね」と言ってくれて…。
「『アッパッパー』で良くない?」というヒムロックに、
「本当にいいのか?」とか尋ねたりしているうちに完成した歌詞です。
出だしが決まった後は、スムーズに書き上げられたような記憶があるかな。
――サウンドもさることながら、歌詞にも特徴的なフレーズが使われていますよね。
作詞はヒムロックにお任せだったんだけど、いつもどこからか洒落た言葉を見つけてくるんだよね。「デセール」( JUSTY )とかさ。「歌詞は歌う人が考えればいい
かな」と思っていたから、あまり意見することはなかったんだけど、作詞に追われるヒムロックを傍目に見ながら、「大変そうだな」と感じることはありました。
――氷室さんのストイックなエピソードを目にすることも多いのですが…。
昔から、とにかくストイックだった。頭が痛くなるのが嫌だったらしくて、
お酒も飲まなかったし…。「自分はこうでありたい」という理想があるんだろうね。
それとヒムロックは、とにかく凝り性でね。車やゴルフも、まずは「形から入るタイプ」でした。ボーリングをやって負けると、次のゲームではレガースやマイボールを揃えてみたり、俺にゴルフで負けた途端に、クラブセットを買ってきたりして…。
とにかく負けるのが嫌いなんだよね。勝負は勝つまでやる。でも一度勝ったら、
「じゃあね」と言って勝ち逃げしていく( 苦笑 )。そんな思い出が残っている。
ヒムロックと最後に会ったのは、5年前くらいだと思う。その前にチャリティライブで仙台に来た時(2014年3月11日)には、久しぶりに話す機会もあってね。「元気?
まだゴルフやってるの?」と聞かれて、俺のスコアを言ったら鼻で笑われた(笑)。
相当ストイックにやってるんじゃないのかな。
大ブレイクで多忙を極めた2年間
3枚目のシングル『 わがままジュリエット 』(1986年2月)で注目を集めた
BOØWYは、4枚目のアルバム『 JUST A HERO 』(1986年3月)で大ブレイク。
日本武道館公演の模様を収めた『 JUST A HERO TOUR 1986 』(1986年7月)は、
ライブアルバムとしては異例のミリオンヒットを記録した。その後もシングル
『 B・BLUE 』(1986年9月)や、アルバム『 BEAT EMOTION 』(1986年11月)と
リリースラッシュを続けたBOOWYは、圧倒的な人気を博した。
――『 IMAGE DOWN 』では、氷室さんの「ライブハウス武道館へようこそ」
というMCがありました。デビューアルバムの収録曲でもありますが、
高橋さんはどのように捉えていましたか?
「ウグイスボーヤ」のヒムロックが、「俺たちはここまできたぜ」という4人の
想いを伝えたかったんだろうな。俺と松井の前にはマイクなかったし。スネアの横に
置かれていたのは、カウント用のマイクだったからさ。氷室と布袋が派手に動いて、
松井と俺は動かない。「松井は3歩以上動くな」とか言ったりしてね(笑)。
今振り返ると、いいバランスだったのかなと思うよ。
『 JUST A HERO 』
――解散までのおよそ2年間に3枚のオリジナルアルバムをリリースされています。
どんな日々を過ごされていたのでしょう?
『 BEAT EMOTION 』では、あまりに忙しすぎてプリプロ(プリプロダクションの略。レコーディング前に行う準備作業のこと)が出来ない状況になっていて…。
アルバムを作ることが決まった初日に、ジャケット撮影を済ませました。
まだ収録する中身も決まってないのに…。
『 BEAT EMOTION 』
撮影が終わって、「今日は家に帰れるのかな?」と思ったら、「そのまま新宿
スタジオ行ってくれ」と言われ、そのままレコーディングが始まって…。
正直、「ここからやるの?」と戸惑ったけど、そこからから毎日。
布袋が書いてくれた譜面を弾いて録音を続ける日々が続いてね。
とにかく目の前にあることをこなすだけで必死でしたよ。
――多忙な中でも、過去のレパートリーを演奏するライブ「CASE OF BOOWY」(1987年7月・8月)を、横浜と神戸で開催されました。
プロデューサーの糟谷さんが、誰もやっていないようなことを色々考えるんだけど、「今までにリリースした曲を全部やろう」と言われた時には、「何考えてんの?」「マジかよ…」と…。
40曲の公演を2ステージもやるのはとにかく大変だったけど、体力もあったし、
誰もやっていないことに挑戦する面白さを感じながらやりきったね。
曲を覚えるのは大変だったけど、よくやったと思うよ。
吉川晃司、山下久美子ちゃんとかと一緒に豪雨のなかでやった「ウォーターロック
フェス」(1986年8月・新宿)もそうだし、「King of Rock Show」(1987年8月・名古屋)では、レベッカを呼んできて、俺らが最後に出演したりとか…。
色々あったな。
――レベッカは再結成されていますが、同世代に活躍したバンドの再結成を
どのようにご覧になられていますか?
レベッカもバービーボーイズも、オリジナルメンバーではないからね。
そういう意味では作り込まれている。
「NOKKOは頑張っているな」とか、そんな感じで見ていますよ。
最初のレコード会社がビクターで、たった1年くらいで契約が終了したのには、
少しビックリしました。もう1~2年くらい、契約してても良かったのでは
もしかしたら、他に理由でもあったのかな?
でも、地道に頑張っていたおかげで、ファンの応援もあり、86年になるとリリース
ラッシュでレコード( CD も売れて大人気に。同世代なので良く知っていましたが、
こんな苦労があったなんて知りませんでしたが、この3年後に突然の解散宣言
この時代、グループがよく解散していたので・・・。
この続きは、今夜にupします
純ちゃんに嫌な事をしてこないで!咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、
体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、
体などを痛くしない。トイレ関係も。しつこく言ってこないで。脅さないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
人に腹痛や胃を痛くしない、気分を悪くしない!身体を熱くしないで
TV等の撮影やスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで
束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて ( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )
人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。心に入って来ない、心を読まない、
人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない、無気感を持て来ないで、
人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。トイレ関係
思考低下させない、停止にしない。人の胸に衝撃を与えないで!首を痛くしないで!
人をバッサリ言葉で切らないで。深夜に連絡してこないで
仕事の邪魔や記憶障害にしない。目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、
人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせない
特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。
負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。
口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、散財させないで、調子づかないで
乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこない。中枢神経を触って来ないで。
人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。口のろれつが回らないようにしないで
唇を痺れさせない!卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで
あの親子、水晶を使って人を脅さない。マウントを取って来ない、過保護にしない!個人情報保護法、プライバシー侵害しない!その力、仕事以外に使わないで! 人の為に使って、決して悪いように使わないで。日本には言論の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い )
店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで
全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて
長女のパワーを持って来ないで!使わないで!
上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないで
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました