衝突を繰り返し別れを言い渡しが凛々しい歌姫 一部抜粋
布袋の「尋常じゃない嫉妬心」と壮絶な夫婦ケンカ
山下久美子によると、布袋寅泰さんは「嫉妬心が尋常じゃなかった」とか。
ー中略ー
いつも売り子言葉に買い言葉で。次のような夫婦ケンカが繰り返されたそうです。
・布袋さんが怒りにまかせてマンションの6階から服を全部投げ捨てる
・泥酔した布袋さんが、6階から「飛び降りる!」と半身を乗り出す
・布袋さんが久美子さんに「ライブで肌を露出する衣装はやめてくれ」と要求する
自我が強いのはお互いでしたが、いつも先に折れるのは山下久美子さんの方でした。
離婚を言い渡したのは山下久美子、
「憎みきれない」複雑な胸中
1997年(平成9年)に、山下久美子さんと布袋寅泰さんは離婚し、
12年の結婚生活に終止符を打ちました。
離婚を言い渡したのは、久美子さんの方だったそう。
お二人の間にお子さんはなく、久美子さんは「この家が大好きなの。
この家だけくれたら、他は何もいらない」と、南青山の自宅を
財産分与として受け取ったということです。
離婚前年の1996年、日本武道館でデビット・ボウイの来日公演があった際に、
布袋さんは、オープニングアクトを担当しました。
久美子さんは、次のように振り返っています。
長い事ファンであり続けた世界的なアーティストと、夫が同じステージに
立つということは、私にとっても大変な喜びだった。
結婚生活が息詰まっているときではあっても、そのできことを
自分のことのように感激している不思議さは何だったのだろう。
考えあぐねて辿り着いた先は、憎めないということだった。
この人を・・・私は憎みきれない。
あれだけしっかりと愛した記憶があったら、とても憎めない・・・。
たとえ彼に好きな人ができたとしても、憎めたら、どんなに楽だっただろうか。
*山下久美子 「ある愛の詩」幻冬舎2002年
布袋さんが6階から、全部服を投げ捨てた=森昌子さんが息子が18歳になると
自宅から出ていって自立をして欲ししいと言い続けた後、本当に実行しなかったら
1週間後、荷物を全部窓から投げ捨てたと本に書かれていました。
6階から飛び降りつと=ジョニー大倉さんが1987年10月、富山市のホテル7階から
転落し、この事故で全治6カ月の重傷を負った。
窪塚洋介さんが2004年6月にマンション9階から転落。
純ちゃんも2006年頃に、急に鬱になり、私にどこへも行かないで欲しいと
「4階のベランダから飛び降りそうだから」と1か月くらい続きました。
あれだけしっかりと愛した記憶があったら、とても憎めない・・・。=本当に嫌いで
離婚するんだったら分かりますが・・・。愛した記憶だけがあって、憎しみが消えていたの?と思える書き方。人間洗浄機にでもかけたのかな?
私も、憎しみや悲しみなどが消えているので分かります
布袋寅泰、60歳を迎えて思う「音楽家人生で忘れられない
こと」と「夢を諦めない原動力」 2022.02.10 12:00
日本を代表するギタリスト、布袋寅泰さん。昨年「東京2020パラリンピック」
開会式での圧巻のパフォーマンスに、多くの人が誇らしい気持ちになったのでは
ないだろうか。1981年に伝説的ロックバンドBOØWYのギタリストとしてデビュー。1988年のソロデビュー以降は、日本のみならず世界を舞台に活躍を続け、
2021年にアーティスト活動40周年アニヴァーサリーを迎えた。
その40年の軌跡を追ったドキュメンタリー映画『 Still Dreamin’―布袋寅泰
情熱と栄光のギタリズム― 』が、2月4日から2週間限定で公開。
これまでの貴重な未公開映像を多数フィーチャーした軌跡にとどまらず、
“WITHコロナ” 生活における音楽との向き合い方についても赤裸々に告白するなど、
ミュージシャンとしてだけでなく、ひとりの人間としての葛藤も描かれ、その想いがひしひしと伝わってくる。さらに、新型コロナウイルスに打ち勝とうとする彼の
不屈の精神や「アーティストとして今、自身がやるべきこと」を行動に移す姿、
前向きな言葉の数々が生きる勇気を与えてくれる。
2月1日に60歳を迎えた布袋さんに、自身初のドキュメンタリー映画について、
アーティスト人生を振り返って忘れられないこと、家族への想い、
チャレンジしたい夢などを、たっぷり語っていただきました。
とにかく元気になる映画にしよう
──完成された映画をご覧になって、どのようなことを思われましたか?
「40周年を記念してドキュメンタリー映画を作らないか? というオファーを
いただいたときは、正直、自分の40年のアーティスト人生がちゃんとストーリーに
なっているのか少し不安でしたし、少し照れくさい部分もありました。
でも、監督の石田(雄介)さんがとにかく誠実な方で、しっかりと僕の歴史と向き合ってくれて。いいところばかりではなく、ちゃんと人間としての葛藤や、20代から50代までそれぞれの年代で歩んできた一歩一歩を丁寧につないでくださったので、
初めて完成した作品を観たときに、なんだか自分のストーリーに感動しましたね。
“こうやって僕はここまでたどり着いたんだ” ってことを客観的に見る機会って
ないことですから。あのころは気づかなかったけど、みんなつながっていたんだと、自分の年月を受け入れることができたので、監督には非常に感謝しています」
──「ここはこだわりたい」など、布袋さんから監督にリクエストされたことは
あったのでしょうか?
「ドキュメンタリーですから当たり前だけれども、ウソ偽りのないものにすること。監督のほうからは、ただ映像を時間軸でつなぎ合わせた歴史をお見せするんじゃなくて、見終わった後に “もう一歩前に踏み出そう” という勇気をもらえるようなポジティブなエンディングにしたいとう話があって。“とにかく元気になる映画にしよう”っていうのは初めから一貫していましたね。もうひとつ監督の案で、現在の布袋寅泰が
過去の布袋寅泰と心通わせ合うような、少しファンタジーな部分があるので、
そこも映画として魅力になっていると思います」
──そこは普通のドキュメンタリー映画と違うところですね。
約1時間半ですが、あっという間でした。
「“あっという間” っていう言葉ほど、僕らにとって嬉しい感想はないです。
ただ、コロナ禍になって、撮影が予定通りにいかないこともありました。
映画の中で描かれている、無観客の武道館もそうです。本当は満杯の観客の
武道館ライブがエンディングのシーンになる予定だったんですね。
また、パラリンピックは守秘義務があって監督にも言えなかったので、彼らは
ドキュメンタリーを作りながら僕が開会式に出演することを知らないっていう。
でも、逆にいうと、そういうのがリアリティですよね。制作側の都合だけでつなげた “布袋史” だけじゃなくて、そういった今そのものが映っているから生々しい。
コロナの中で、昨年は踏みとどまるだけでなく、やれることをチームで力を合わせてやっていこうという、その一歩も描かれています」
BOØWYでスタートできたことは、かけがえのないこと
──ライブが中止になったり無観客になったり……コロナショックは、
考え方が変わるきっかけになりましたか?
「僕は、ロックダウンが始まったころのロンドンにいましたから、とにかく身動きがとれず、マーケットに買い物に行くにもゴム手袋をしていくような状態で、この世界はどうなるんだろうっていう、味わったことがないような恐怖感から始まりましたからね。さらに、10年前の渡英から積み重ねてきたことが少しずつ現実化していって、小さなヨーロッパツアーやワールドツアーもそろそろ実現できるところに近づいて
きた矢先のコロナだったので、もろもろ全部リセットしなければいけなかったし、
やっぱり心が折れましたよ。
そこから、ロックダウンで何か月も家にこもる中、自分の心のセラピーのような
形で曲作りを始めたり、音楽が結果的に自分を支えてくれたところはあります。
“不要不急” という言葉でいろいろと考えさせられたけど、やっぱり大切なものってあるじゃないですか。何も身動きできないところから、少しずつその中でやれることを精いっぱいやっていこうってことで、このドキュメンタリーのスタッフもそうだし、われわれ音楽チームも少しずつ前進した2年ですね」
──多くのドラマティックな経験をされている40年のアーティスト人生を
振り返って、特に忘れられないことは?
「忘れられないことの連続で、この映画にあるエピソードがすべてそうですけど。
でもやはり始まりがあるから今があるという意味合いでは、BOØWYですね。BOØWYの4人で運命のように、右も左もわからない東京でバンドを組むところから始めて。お客さんのいないライブハウスから始めて励まし合いながら、ひとつの成功まで4人で行けたっていうのは、やっぱりある意味、僕の音楽家人生のすべてのような気もしますよね。活動期間は6年と短かったし、解散後のほうがキャリアとしては
長いわけですけど、バンドとしてスタートできたことは、自分の音楽史のスタートであるという意味で、やはりかけがえのないことです。
また、2002年に負った頭のケガや東日本大震災など、命に関して改めて考えさせ
られるような出来事は何度かありました。そこも人間としては大きなことですね。
それから娘が生まれたり、家族とのいろいろなストーリーも忘れられないことです」
イギリス生活を支えてくれた妻への感謝
──ご家族は布袋さんにとって、どのような存在でしょうか?
「特にロンドンに移住してからのここ10年、家族の絆はより強くなっていますし、
60歳や40周年を幸せに迎える上で、家族の力は一番大きいと思いますね。
僕が50の声を聞く直前に、長年の夢である世界への挑戦を理由に、家族と一緒に
英国に移住することを提案して、半ば強引に決めたんですけども。でもそこには、
僕の夢だけじゃなくて、娘にも世界を感じる人生を歩んでほしい、いつかは外国で
学んで視野を広くもってもらいたいという思いがあったので、移住というのは
大変なチョイスだけど、必ず彼女の人生にとってプラスになるという確信もあって。
それで、家族で10年前にイギリスに移り住んだわけですけど、(妻の今井)美樹
さんはこの10年を、多くの時間を夫の挑戦や娘のさまざまな初めての経験をサポートすることに費やしてくれました。一番大変だったのは美樹さんだったと思いますし、感謝しています」
──ロンドンで一から生活を作っていくのはご苦労もあったでしょうね?
「そうですね。僕は音楽の現場で挑戦しているから、ある意味、自分の世界の中で
戦ってはいるけれど、彼女は生活のことや学校のことや10代の娘のこと……
向き合うものが多かったですから。英語教室に通って一生懸命勉強したり、
真面目な人ですから頑張ってくれましたね」
──映画をご覧になった、奥さまとお嬢さまのご感想は?
「残念ながらスクリーンではなくロンドンの自宅で観てくれたのですが、“素晴らしい! 感動した!”と言ってくれました。特にロンドン生活で僕がもがいているところは、家族が一番知っていますからね。雨の中、僕がギターを担いでバスや地下鉄に
乗ってオーディションに出かけたり、肩を落として帰ってくる姿を見ていますから。逆に、美樹さんも娘も知らない20代の僕が描かれているところは、今20歳の娘から
すると興味深いだろうし。ちょうど僕がデビューしたのが20歳ですから、そこから
40年という年月はきっと計り知れないだろうから。
最近は、ブレずに頑張ってきたこの10年のチャレンジが実を結んでいる
部分もあって、もちろんいろいろな方の協力があってのことですけど、今いちばん
自分でも充実している時期だと思うんです。そんな中で、去年はパラリンピックや、制限がある中でも全国ツアーをチームで頑張って成功させたり、紅白歌合戦に
出演させていただいたり、いろいろなところで自分らしさを表現できたので。
娘はテキストで “あなたが世界で一番かっこいい男だ” って、言ってくれました」
──それは父親としては最高に嬉しい言葉ですね。
「よし! よしよしって(笑)。僕は悔しい状況において、それを楽しみながら、負けるもんかって思いで、前に進んで行くタイプだと思うんですよね。何かひとつ形ができあがると、また違う扉を開けたくなるというか。それはやっぱり、変化をずっと求めてきた人間だから。ただ、60代を迎える今、ここからはまたその自分の完成形に近づいていくというか、自分を磨いていく時期だろうし。やっと手に入れた充実した表現力や今までの経験も含めて、自分が楽しめる時期がやってきたのかなと思います」
60歳、自分のなりたかった自分になれている
──アーティストとして、年齢を重ねることによって変化していることは
ありますか?
「ステージで高いところからのジャンプは怖くなりましたけども(笑)、
そのぶん音楽の説得力は絶対的に手に入れたと思うしね。
自分のなりたかった自分になれているんじゃないかな」
──2月1日に還暦を迎えられましたが、それは通過点という感じでしょうか?
「いや、けっこうショックですよ(笑)。いよいよ若ぶるのはみっともないし、逆にいったら、大人ぶる必要はない。60っていうのはそういう年齢かなと。ただ、矢沢(永吉)さんやザ・ローリング・ストーンズのような元気な先輩方もいるので、まだまだ60とも思う。たぶん70になったときには、“60は若いよ”と思うんでしょうけど。
とはいえ、僕の憧れのデヴィッド・ボウイは69歳で亡くなっていますしね。これからキャリアもできる限り続けていきたいし、ステージに立つために身体をメンテナンスしていこうとは思う。今まで何千回ってやってきましたけど、これから先どのくらいライブをやれるのかなと思うと限られているだろうし、一本一本が大切ですよね。
今までにも増して、自分に言い訳をしないように充実させていきたいと思います」
──変わらぬ若さと健康を保つ秘訣(ひけつ)は?
「散歩したり、YouTubeを見ながらヨガもどきみたいなことをやったり、軽くスト
レッチをしたりするくらいです。筋トレはあまり好きじゃないし、なんとなく似合わないじゃない?(笑)。年齢を重ねていくと無理をしないことのほうが大事だと
思うし、実際、身体の調子もいいですし。無理しないのが秘訣ですね」
──プライベートでリラックスする時間は?
「散歩は好きです。ツアー中もライブの前に、朝8時くらいに起きて散歩に出かけて
ます。朝5時まで飲んでいた昔からは考えられないですね(笑)。最近は、城めぐりが楽しくなってきたり。昨年のパラリンピックからずっと東京にいるので、家族とも
7か月会っていませんから、ひとり時間の使い方が上手にならざるをえないですよね。
本当は旅が好きだし、ロンドンに住んでいると、東京から北海道や沖縄に行く
ぐらいの感覚でイタリアやスペインやヨーロッパのあちこちに行けますから、
それもロンドンに住む楽しみのひとつだったんですけど。それも今はまだ、
ままならないので。コロナがひと段落したら、日本ツアーのあとの夏休みは、
家族でどこか島にでも行きたいですけどね」
生き方で大事にしていること
──今、生き方で大事にされているのはどんなことでしょうか?
「やっぱり仕事が好きですしね。仕事=僕の一番好きな音楽なので、音楽を作って、音楽を聴いてもらって、そのためのプロモーションも、今はすごく楽しい。
いろいろ楽しめるのは集中力が出てきた証拠だと思うんですけどね。
何を大切にしているかというと、昔から、よくON/OFFの切り替えとは言ってたけど、それって本当に大事なことで。今言ったように集中力がやっと発揮できる年代
なのか、キャリアなのか、今の自分の充実感っていうのは、そこだと思うんですね。必要以上に頑張らないから、必要以上に疲れないし、それで集中するときはガチっとやる。それは、人に点数をつけてほしいんじゃなくて、自分の中の100点にいかに
近づけるかという自分の中での戦いなんです。それに尽きますかね」
──これからチャレンジしたい夢は?
「そこはゴールではないのかもしれないけど、その言葉が僕をずっと動かし
続けているという意味では、やっぱりワールドツアーの成功ですね。
それはライブハウスであろうと、どんな規模であろうと、ギターとともに
世界を旅するという少年時代の夢は、いかなる形でも叶えたいなと思います」
──布袋さんの夢を諦めない原動力は何なのでしょうか?
「それはやっぱりCuriosity(キュリオシティ)。好奇心だと思いますね。何か事柄がひとつ結末を迎えたとき、その先に何があるんだろうって好奇心を持ったときには、もう一歩前に踏み出しますからね。それが一番だと思う」
(取材・文/井ノ口裕子)
《 PROFILE 》
ほてい・ともやす 1962年2月1日、群馬県高崎市出身。伝説的ロックバンドBOØWYのギタリストとして活躍し、1988年にアルバム『GUITARHYTHM』でソロデビューを果たす。プロデューサー、作詞・作曲家としても才能を高く評価されており、
クエンティン・タランティーノ監督からのオファーにより、『 BATTLE WITHOUT HONOR OR HUMANITY(新・仁義なき戦いのテーマ)』が映画『 KILL BILL 』の
テーマ曲となり世界的にも大きな評価を受ける。2012年よりイギリスへ移住。
4度のロンドン公演を成功させるなど、世界的な活動を続けている。
アーティスト活動歴40周年を迎えた2021年1月、日本武道館にて『 HOTEI 40th ANNIVERSARY Live ”Message from Budokan”』、無観客配信ライブ開催。
同年8月24日には「東京2020パラリンピック」開会式にて、『 TSUBASA 』
『 HIKARI 』の2曲を制作し出演。圧倒的なパフォーマンスを披露。9月から12月まで全国26公演の40周年ツアー『HOTEI 40th Anniversary~Double Fantasy Tour~ “BLACK or WHITE ?” 』を実施。2022年2月1日にリリースした20 thアルバム『Still Dreamin’』を携えた全国ツアー『 HOTEI the LIVE 2022”Still Dreamin’ Tour” 』の開催が決定。5月7日群馬・高崎芸術劇場よりスタートする。
●公開情報
『Still Dreamin’―布袋寅泰 情熱と栄光のギタリズム―』
監督・脚本:石田雄介
制作:東北新社
配給:東宝 映像事業部
(c)2022「Still Dreamin」製作委員会
公開:2022年2月4日(金)〈2週間限定〉全国ロードショー
(c) 2022「Still Dreamin」製作委員会
今なら、あの出来事のことを理解できたと思いますが、全部受け入れたと
布袋さんが言っていたので・・・。良かったですね。
占い師の母が「全部受け入れる事、受け入れないとダメ」だと言った
本当の意味が分かってきました
布袋さん、美樹さん、家族のみんなも、これからは心身ともに健康で、心安らげる
生活ができると良いですね。いつまでも仲良く、お仕事頑張って下さい
純ちゃんに嫌な事をしてこないで!咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、
体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、
体などを痛くしない。トイレ関係も。しつこく言ってこないで。脅さないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
その技術を使わないで!
人に腹痛や胃を痛くしない、気分を悪くしない!身体を熱くしないで
TV等の撮影やスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで
束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて ( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )
人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。心に入って来ない、心を読まない、
人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない、無気感を持て来ないで、
人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。トイレ関係
思考低下させない、停止にしない。人の胸に衝撃を与えないで!首を痛くしないで!
人をバッサリ言葉で切らないで。深夜に連絡してこないで
仕事の邪魔や記憶障害にしない。目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、
人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせない
特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。
負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。
口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、散財させないで、調子づかないで
乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこない。中枢神経を触って来ないで。
人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。口のろれつが回らないようにしないで
唇を痺れさせない!卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで
あの親子、水晶を使って人を脅さない。マウントを取って来ない、過保護にしない!個人情報保護法、プライバシー侵害しない!その力、仕事以外に使わないで!
人の為に使って、決して悪いように使わないで。日本には言論の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い )
店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで
全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて
長女のパワーを持って来ないで!使わないで!
上記に書いていることは、みんなのことを指す
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。
アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないで
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました