「氷室京介は “解散” と決して言わなかった」 | poohta8のブログ

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BOØWYドラマー高橋まことが語る

「 一番悲しいクリスマスイブ 」 ゲンダイ 2021.12.24

 

1980年代に人気を博したロックバンドのBOØWYが、今年でデビュー40周年を

迎えた。氷室京介、布袋寅泰、松井常松、高橋まことの4人で結成されたバンドは、

わずか7年という活動期間でさまざまな金字塔を打ち立て、「伝説のバンド」とも

言われることも多い。

渋谷公会堂(※当時)での解散発表から34回目のクリスマスイブを迎える今、

記事前編に続き、ドラマーの高橋まことが、当時の記憶や、現在も輝きを

放ち続けるメンバーへの想いを語った。

 

長野のホテルで「 1位を取ったら解散する 」と誓った

 

――シングルの『 マリオネット 』(1987年7月)がキャリア初のランキング

1位を獲得、そのわずか半年後の1987年12月24日に解散を発表したBOØWY。

人気絶頂のなかでの解散は多くの人を驚かせましたが、メンバー内では

それ以前から解散の話し合いが持たれていたと言います。

 

解散について真剣に向き合ったのは、最初のアルバムツアーになった「BOØWY'S BE AMBITIOUS」(1985年9〜12月)の長野公演を終えた12月16日が最初でしたね。

 

 

布袋が「4人だけで話したい」と言って、泊まっていた長野ワシントンホテルの

ラウンジにメンバーを集めて、「この後、俺たちは多分売れる思う。

そうしたら解散しよう」と言ったんですよ。

その時は、「やっとマイナスからのスタートラインに立ったばかりなのに…」とか、「まだ解散は先だな」と思っていたんだけど、あれよあれよと人気を博していき

まして…。今振り返ってみると、布袋には「みんなで好きな道に行こう」という

ビジョンがあったんじゃないのかなと思うんだよね。

 

――その後、3枚目のアルバム『 BOØWY 』(1985年6月)で注目を集め、

4枚目の『 JUSTA HERO 』(1986年3月)、5枚目の『 BEAT EMOTION 』(1986年11月)とヒット作をリリースし、絶大な支持を獲得しました。

およそ2年間で3枚のアルバム(※ライブアルバムを含めると4枚)を

リリースされていますが、どのような日々を過ごされていましたか?

 

俺は普段はサングラスを外していたから、声をかけられることは少なかったん

だけど、氷室と布袋は出歩くと、毎回のように声をかけられて大変そうだったな。

ヒムロックは、特に気にするタイプで…。あまり人の集まるところ行きたがら

なかったね。だから休みの日には俺と河口湖に出かけて、他人の目がない

沖合いで一緒にバス釣りをしたりしてしていたよ。

あの頃は毎日何かしらの予定があって、とにかく忙しい日々だった。

特に取材は大変だったな。当時はまだたくさんの紙媒体があったからね。

「この質問は3回目だよ」と内心は感じながら、インタビューに答えたり…(苦笑)。千葉の海や、静岡の浜岡砂丘とか、色々なところに写真撮影に出掛けたりして…。

多忙な日々を過ごしていたけど、一方では「これが “売れている” ことの証なのかな」と思っていたところもあったかな。

 

――その後、シングルの『 Marionette-マリオネット- 』(1987年7月)が

初のオリコン1位を獲得して名実とも日本一のロックバンドに輝くと、9月には

6枚目のアルバム『 PSYCHOPATH 』をリリースし、大ヒットを記録しました。

 

1位を取れたのは、これまでに4人が一生懸命やってきた結果でしかなかったと思う。人気絶頂での解散は、「勿体無い」と思うこともあったし、俺自身は、

「やれるなら続けていきたいな」という想いもあったんだけど、「辞める」と

言ってしまったんだもん。みんなで覚悟を決めるしかなかった状況でしたね。

(1987年6月に制作された)『 PSYCHOPATH 』のレコーディングをしている

ときは、「これで終わりなんだ…」と思いながらやっていましたよ。

 

突然迎えた「BOØWY最後の日」

 

だがアルバムを受けて開催された『DR.FEELMAN'S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR』の最終日、12月24日の渋谷公会堂( 現LINE CUBE SHIBUYA )公演をもって、突然の解散が発表される。シングルチャートで初の一位を獲得した半年後に、BOØWYは解散を発表。「『今まで一番悲しいクリスマスイブだった』と今でも言われることがあって、その度に胸が痛むんだよ」と、高橋さんは想いを語る。

 

――高橋さんは、「BOØWY最後の日」をどのように迎えられましたか?

あの日の朝は、「今日で終わり」かという気持ちで目覚めて、渋谷公会堂の

入り口を間違えて、ファンの人に「そっちじゃないよ」と声をかけられた

ところまでは覚えているんだけど…。あまり記憶がないんだよね。

 

――開演前まで、高橋さんはどのような気持ちで過ごされたのでしょう。

普通ではなかったかな。ライブが始まるまでは、あまり喋らずに過ごしていたように思う。開演前にプロデューサーの粕谷さんがスタッフを集めて、正式に「今日で

解散する」ことを伝えると、それまで解散に半信半疑だったスタッフの表情が

途端に引き締まって…。とたんに空気が変わった感じがしました。

あの日の演奏を聞き直してみると、なんか知らないけどめちゃめちゃテンポが

早いし…。ライブを早く終えたかったのかな。わかんないけど…。

 

――解散を告げる氷室さんのMCを聞いた時の高橋さんの

率直な心境を教えてください。

ヒムロックは「それぞれの道を行く」と言って、「解散」という言葉を使わなかったんだよね。本人じゃないからわからないけど、あいつも言いたくなかったのかな。「“解散”と言わないんだ…」とは思ったけれど…。俺もライブを終えた後に、

タクシーに乗ったところまでは覚えているんだけど、その後は記憶がないんだよな。あまり覚えていない。

 

『 LAST GIGS 』のチケットはわずか10分で完売

 

――翌日のクリスマスの新聞には、翌年開催される「 LAST GIGS 」の

告知もありました。

新聞を見たら、「GIGSをプレゼントします」って広告が出ていて、

「解散したのに、なんだこれ?」と思ってね。その後しばらくしてから、

東京ドームでライブがあることを聞いたんだけど、活動が終わったのに、

次のライブがあるのがその時は信じられなくて…。

 

――「LAST GIGS」のリハーサルは、どんな感じで進んだのでしょう?

久しぶりに集まって、和気藹々とした感じでリハーサルが始まって…。

「まずはイメージ(ダウン)やるか」となったんだけど、松井が「キーは

何だっけ?」と言い出して…。いいところでボケるんだよな。初日は、ヒムロックの「何だ、松井覚えてないのかよ。きちんと覚えてこいよ」で終わった。

周囲はみんな緊張しているのに、一気に拍子抜け(笑)。その後は、ヒムロックと

ビリヤードに行ったな。もちろん、次の日からはきちんとやったけどね。

 

 

――2日間で9万6500枚あった『LAST GIGS』のチケットは、わずか10分で完売。

発売日に電話回線がパンクしたことも話題になりました。

 

電話に関しては、俺のせいじゃないからわからない。『 知ったこっちゃない 』という部分もあるんだけど…。俺らがミュージシャンとして真面目に音楽をやってきて、

日本一になれるという快感を味わえたこと。あの時代にバンドが出来たことが

何よりも財産だし、一番良かった。それに尽きるんじゃないかな。

一生懸命やってきた甲斐があったよ。

 

高橋まことが語るバンドメンバーへの想い

 

――あれから月日が流れましたが、いまだBOØWYを超えるバンドは

出てきていないと言っても過言ではありません。

現在の音楽シーンについて感じることはありますか?

時代の変遷とともに、音楽の作り方やお客さんとの聴き方も変わりつつあるけれど、「もう少し音楽は自由でいいかな」と思うことがある。

どんどん音楽が細かく作り込まれるようになってきてはいるけれど、いつ聴いても同じ音というのはやっぱりつまらない。生の音楽だからこそ楽しめる “グルーブ感” や、音楽との “一期一会” の出会いがこれからもなくならないでほしいという想いですね。

 

――結成40周年を迎えた高橋さんの率直な想いを教えてください。

40年の時間が経つ速さや、俺が67歳になるという事実に、ただ驚きしかない。

解散後も4人がそれぞれの人生を歩みながら、音楽を追求してきた。俺自身も何もしてこなかったわけではないけれど、「時が経つのは早いな」という感じですね。

 

――ギタリストの布袋寅泰さんは、パラリンピックの開会式にも出演され、

年末の紅白歌合戦にも出場も予定されています。

元メンバーの活動をどのようにご覧になられていますか?

 

布袋は相変わらず凄いな。アクティブだし、才能もいまだに枯れていない。

見てて嬉しいよ。

氷室も「ライブ活動はやらない」と言ってマイクを置いたけど、決して音楽を

辞めたわけではない。これから新譜を出してくれる日を楽しみにしているし、

きっと俺たちに何らかの答えを出してくれると思っている。

俺もやれることはやっていくつもりです。

コロナ禍に苦しむライブハウスを盛り上げるために、全国を回ったりとかね。最近はようやくライブもできるようになってきたし、俺も頑張って活動していきたい。

「コロナ禍」の影響で出来ていないこともあるけれど、さまざまな苦難を

乗り越えて、出来ることを前向きにやっていきたいと思うよ。

 

 

 

10万人が熱狂したBOOWY伝説の解散ライブ

「 LAST GIGS 」完全盤発売へ

スポーツ報知 

 

「ラスト・ギグス」での氷室京介(右)、布袋寅泰

「ラスト・ギグス」での氷室京介(右)、布袋寅泰

 

「LAST GIGS ―THE ORIGINAL―」のジャケット写真

「LAST GIGS ―THE ORIGINAL―」のジャケット写真

 

BOOWY解散ライブセットリスト

BOOWY解散ライブセットリスト

 

 4人組ロックバンド・BOOWY(ボウイ)が1988年4月4、5日に

東京ドームで行った解散ライブの完全盤が、6月12日に4枚組みCD

「 LAST  GIGS ― THE ORIGINAL―」として発売されることが4日、分かった。

 

 「ラスト・ギグス」は、絶頂時の1987年12月24日の突然の解散宣言により、

88年3月に開場したばかりの東京ドームで、2日間で10万人が熱狂した伝説のライブ

 

 2日目のテイクを中心としたCDとDVD「 LAST GIGS COMPLETE 」(08年)が発売されているが、初日(23曲)と、2日目(24曲)の、のべ47曲を完全収録した

作品は初めて。ボーカル・氷室京介(58)がアンコールで発した名セリフ

「まだまだ伝説になんかなんねーぞ!」などのMC部分も収録される予定で、担当していたエンジニアの坂元達也氏が、音源のリミックス(再編集作業)を手掛ける。

当時、チケット10万枚は10分で完売。電話予約が主流だった時代だったため、

チケット争奪戦で、東京ドームのある文京区の電話回線がパンクしたほどだった。

 

 デビュー35周年の17年に、全演奏曲目を収録したアルバム、渋谷公会堂ライブ映像の完全版「 BOOWY 1224―THE ORIGINAL― 」などのリリースがあったが、

レコード会社担当者は「公式で発表できるものは、これが最後になります。

本当に、本当に、最後のリリース作品です」とコメントした。

メンバーも今作の発売に同意しているという。

4月4日に東京・渋谷REXで、アルバム音源の先行試聴などのスペシャル

イベント開催が決まった。解散して31年、その人気は今なお色あせない。

 

 ◆BOOWY(ボウイ) ボーカル・氷室京介、ギター・布袋寅泰、ベース・

松井恒松、ドラムス・高橋まことにより、1981~88年まで活動。82年アルバム「MORAL」でレコードデビュー。86年アルバム「JUST A HERO」でブレイク。

同年シングル「B・BLUE」のヒットで、日本中にバンドブームをもたらした。

「O(空集合)」は「どこにも属さない、誰にも似たくない」という意味を込めた。

 

 

BOØWYが解散ライブ映像『1224』の “空白の40秒” で

埋めた最後の真実    2017.12.22 20:00

 

 「誰がなんと言おうと日本で1番カッコいいバンドだったと思います」

 自らそう言ってのける姿が、こんなにも様になるバンドなんて他にいるものか。

1987年12月24日、渋谷公会堂。BOØWYは解散した。

この日の模様は2001年12月24日、結成20周年に始まったプロジェクトの一環として、BOØWYのライブを初めて完全収録した映像作品『1224』としてリリースされた。しかしながら、実際はアンコールの「ONLY YOU」の中盤、約40秒が欠損していた。2012年12月24日にBlu-ray化されているが、こちらでも欠損のままであり、

この “空白の40秒” は長年、ファンの間では様々な憶測を呼びながら、もう見る

ことができないものだと思われていた。しかし、オリジナルフィルムが発掘された

ことにより、あの日から30年目の2017年12月24日、正真正銘完全なる映像作品『BOØWY 1224 -THE ORIGINAL-』として、リリースされる。加えて、HDおよび4K・HDR化、16:9画角として再編集され、鮮明な画質・音質で蘇った。

 

 同作のリリースに先立って、12月12日、Zepp DiverCityにて『BOØWY1224 -

THE ORIGINAL- ONE-NIGHT PREVIEW 1212』と題された先行上映会が行われた。

「NO WAR」「SEX」「NO AIDS」、浮かび上がる文字。印象的なイントロとともに閃光が放たれ、ステージ上に組まれた鉄骨が広がっていく。見慣れたはずのオープ

ニングからの「LIAR GIRL」がこんなにもスリリングで美しいものだったとは……。大きくビートを刻む高橋まこと(Dr)、クールな面持ちの松井恒松(Ba)、悠々と

している布袋寅泰(Gt)、そしていつになく鋭い表情を見せる氷室京介(Vo)、

4人の姿がありありとスクリーンに映える。

 

 これまでの『1224』は、どこかブートレグな雰囲気があった。

元々は翌1988年4月に行われた実質上のラストライブ、メンバーの言葉を借りれば

“一足早い再結成” として行われた『 “LAST GIGS” 』の映像と合わせ、解散に焦点を当てたドキュメンタリー作品が制作される予定で収録されていたものであった。

ライブ収録が目的ではなく、あくまで解散宣言の瞬間を捉えるための記録用の

カメラであり、その宣言タイミングは氷室自身に委ねられていたため、結果として

全編収録するに至ったという、いわば偶然の産物のようなものだ。

 

 元の映像素材は同じものなので、劇的に変わったというわけではなのだが、

細かいカット割りの変更、なにより16:9の画角、鮮やかな画質・音質は30年前の

ライブとは思えないほどであり、99.9パーセント内容を知っているライブ映像で

あるのに、かなり新鮮な印象を受けた。記録映像が音楽映画に生まれ変わった、

といっても言い過ぎではないだろう。

 

 『 ONE-NIGHT PREVIEW 1212 』では、上映前にダイノジと特別ゲスト、高橋まことによるトークが行われた。話題は、1986年12月16日の長野市民会館でのライブ後の話へ。「(チャートで)1位を取ったら解散」と以前から話していた彼らが、

現実的に解散を決めた夜。ワシントンホテルの最上階でその話が行われたという。

 

 そもそも、BOØWYの何がすごかったのか? 音楽もファッションも、その存在自体がシーンに大きく影響を及ぼしたわけだが、“ALL OR NOTHING” の考えをもって「人気絶頂時に解散した」ことも、伝説として語り継がれる所以だ。

実際、いわゆるブレイク前夜からの活動期間は約2年ほどしかない。

1981年に活動を開始し、翌1982年にメジャーデビューするものの、最初の数年間は制作も宣伝もセールス自体も上手くいっておらず、本格的な快進撃が始まったのは、所属事務所をユイ音楽工房へ、レコード会社を<東芝EMI>へと移籍した1985年からである。佐久間正英をプロデューサーに迎え、ドイツ・ベルリンでレコーディングを行ったアルバム『 BOØWY 』をリリースした彼らは6月25日、初めて大ホールでの

ワンマンライブを行った。その会場が渋谷公会堂だった。その後、9月から全国ホールツアーを行い、最終日の12月24日、再び渋谷公会堂のステージに立つ。

そして、その2年後に解散する。

 

12月24日発売『 BOØWY 1224 -THE ORIGINAL- 』ダイジェスト映像

1986年は激動の年である。シングル2枚、アルバム2枚、ライブアルバムとライブ

ビデオのリリース。全国ツアーは翌年まで続くものを合わせて3本。7月には初の日本武道館公演を行った。このとき氷室が発した「ライブハウス武道館へようこそ!!」は今なお、語り継がれる名言であるが、正直、最近の若いロックファンにはいまいちピンとこないかもしれない。当時は今より武道館でライブを行うこと自体が難しく、歌謡曲やニューミュージック主流の歌番組全盛の時代に、ヒット曲もないロックバンドが武道館を3時間でソールドアウトさせ、ステージでそう言い放ったのだ。

この時の最新シングル『 わがままジュリエット 』はオリコン39位、アルバム『 JUST A HERO 』は5位だったのだから、世間一般から見れば、まだ耳の早いロックファンにしか知られていない存在だった。そして、勢いづいた彼らはこの年11月にリリース

したアルバム『BEAT EMOTION』でついに1位を獲得し、12月には解散を決める。

 

 1987年はすべてが終わりに向けての活動だった。外部には一切公表していないにも関わらず、解散の噂が流れた。アルバム『PSYCHOPATH』を提げた9月からの全国

ツアー『ROCK’N ROLL REVIEW DR.FEELMAN’S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR』の最終日は2年前と同じ場所、12月24日渋谷公会堂だったのだ。

ツアーには日本武道館公演も組まれていたとはいえ、破竹の勢いの彼らのツアー

最終日にしては手狭な会場である。ちなみに前年1986年の12月24日の会場は横浜

文化体育館であり、ツアー最終日は武道館だった。だから敢えて渋谷公会堂を

選んだ彼らの真意を、週刊誌や音楽関係者の予測などもあったとはいえ、

勘のいいファンは察していたのだ。そして、ツアー中に『 PSYCHOPATH 』から

「季節が君だけを変える」がシングルカットされた。布袋が「もっと深い、俺たちの関係を言葉にして欲しい」とはじめて氷室に歌詞の書き直しを申し出たという曲。

それに対し、氷室は「そういう歌詞にするんだったら」と、カップリング曲に提案したのは「CLOUDY HEART」だった。氷室の思い入れの深いラブソングをあらためてレコーディングし、布袋と一緒にユニゾンで歌ったことは、噂を決定付けるのには

充分すぎたのかもしれない。

 

 12月24日の渋谷公会堂にはチケットを入手できなかった大勢のファンが

詰めかけた。場内の様子を知ろうともみ合いになり、正面玄関のガラスが割れる

という事態にまで発展する。

 

 ライブ冒頭から、体力が心配になりそうなくらい切れ味抜群の歌と動きを見せる

氷室。ライブ中、布袋とは終始目を合わせない。アンコールの「MEMORY」で

マイクスタンドに寄りかかりながら〈スーツケースにすべてつめこんで 

気が変わらないうちにここを離れるよ〉と言葉を噛み締めるように歌い始める。

いつもよりも情熱的にフレーズを紡いでいく布袋のギターソロに、そっと耳を傾け

目を向ける氷室の表情はどこか寂しげで儚げだ。同じバンドメンバーとしての

仲間意識ではない、いちアーティスト同士としてライバルとして、せめぎ合ってきた二人の関係性が垣間見えた気がした。「日本にギタリストは腐るほどいるけど、

こんなカッコいいヤツはコイツしかいません。クレイジーギター布袋寅泰!!」

お決まりのメンバー紹介は、普段は面と向かっては絶対に口にしない氷室が、

布袋のことを “認めている” ことがわかる瞬間でもある。

 

 『 BOØWY 1224 -THE ORIGINAL- 』に収められた「ONLY YOU」の中盤、

何度も見慣れた場所で、フェードアウトせずにそのまま映像は続いた。

失われたはずの空白の40秒。ドラム台にかけ上がった布袋が放心したようにギターを弾く。それを見た氷室が手の銃で布袋を撃ち抜き、お互い笑顔を見せ会った。

その後、布袋は後ろを向いてギターをかきむしり、前を向き、また後ろを向いた……そして、腕で涙を拭うような仕草を……。それは本当にたった40秒ほどの時間だったのだろうか。ものすごく印象的なシーンだった。最後のピースがようやくはまって

完成されたと同時に、これまで思っていたものとは違う『1224』になった気がする。

 

 「ONLY YOU」を終えると、4人は楽屋に戻る。タバコや飲みものを手にする

3人とは違い、神妙な表情でどこかを見つめる氷室が早々とステージへと向かう。

その様子を見ながら「まだ言ってない」と内心ハラハラしていたという高橋。

「6年間……、6年間……、6年間、BOØWYをやってきました……」

 そのときがきたーー。

「誰がなんと言おうと日本で一番カッコいいバンドだったと思います」

 氷室は最後まで “解散”という言葉を用いなかった。

その表情と、この日までの活動ですべて察してくれという思い、

そしてそれを汲み取ったファンの美しい解散宣言だと思う。

「布袋寅泰、松井恒松、高橋まこと、氷室京介、We are BOØWY!!」

 

 “誰がなんと言おうと日本で1番カッコいいバンド” の最後の真実。

多くのロックファンに観て欲しい。

 

■冬将軍
音楽専門学校での新人開発、音楽事務所で制作ディレクター、A&R、マネジメント、

レーベル運営などを経る。

 

『BOØWY 1224 -THE ORIGINAL-』(Ultra HD Blu-ray+Blu-ray)の画像

■リリース情報

『BOØWY 1224 -THE ORIGINAL-』
発売日:2017年12月24日(日)
価格:Blu-ray(2ch/5.1ch)¥6,480(税込)
   DVD¥5,400(税込)
   Ultra HD Blu-ray +Blu-ray(5.1ch)¥12,960(税込)

<収録内容>
・本編
LIAR GIRL
ANGEL PASSED CHILDREN
BLUE VACATION
ハイウェイに乗る前に
GIGOLO&GIGOLET
PSYCHOPATH
CLOUDY HEART
MARIONETTE
わがままジュリエット
LONGER THAN FOREVER
季節が君だけを変える
WORKING MAN
B・BLUE
RENDEZ-VOUS
HONKY TONKY CRAZY
PLASTIC BOMB
BEAT SWEET
IMAGE DOWN
NO. NEW YORK

・アンコール
MEMORY
ONLY YOU
DREAMIN'

 

 

1988年4月4、5日東京ドームで「 LAST GIGS 」LIVEがあった時に、

純ちゃんのお母さんと当時の彼女が、このLIVEを観に行っていたと聞きました。

お土産にBOØWYの4種類( 黒、白、ピンク、緑色 )のTシャツと東京ディズニー

ランドに行った時に、グーフィーのぬいぐるみを買ってくれました。

そのぬいぐるみ、今でも大切にしていますが、最後まで着なかった緑のTシャツ、

やっと、その意味が分かりました 照れ ラブラブ おばあちゃん

 

武中さん時期は分かりませんが、東京ディズニーランドのパレードの

ライティングをしていたと聞きました びっくり 音譜

 

BOØWYのライティングを担当していたのが武中さんでした 照れ 音譜

 

『 BEAT EMOTION 』(ビート・エモーション)は、日本のロックバンドであるBOØWYの5枚目のオリジナル・アルバム。 1986年11月8日に東芝EMIのイースト

ワールドレーベルからリリースされた。この日は、私の20歳の誕生日 です 笑ううさぎ おばあちゃん 虹

 

純ちゃんのお母さんのことは、以前ブログに書きましたがもう一度書きます。

1993年12月、病院からの帰りに自動車で事故をして車は大破し本人は入院。

その年の秋頃に、元彼女が結婚をして子供を産み、生後8か月の子供を残し

首つり自殺をした後、その両親から電話で「手塚くんに、お葬式に出てほしい」と

言われたと聞きました。

この時、なぜお葬式に出てほしいと言ってきたのか? 不思議でした 汗うさぎ パンチ!パンチ!

 

2012年12月24日頃に、福山雅治さんが横浜パシフィコでLIVEがあり、

武中さんがましゃのライティングを担当していました。

この数日前に、MステクリスマスSPでコブクロ、ミスチル、BZ、福山雅治さん、

桑田佳祐さんがトリを務めました。この時も、ライティングを担当していたのが

武中さんで、幕張メッセの会場を一瞬にしてLIVE会場に変えたのは圧巻でした 音譜

 

ミスチルは、歌い終わったらすぐに明日、名古屋でLIVEがあるので

直ぐ新幹線に乗らないといけないとタモリさんと話をしていました びっくり

 

武中さんとは、1985年12月28日(日)甲斐バンドのLIVEが大阪城ホールであり、

その時に、私がいたのを見つけてもらったのが最初で、その次が1988年2月21日(日)の中森明菜さんの明治製菓のイベントがあり、チケットを知人から譲って

もらい参加して、武中さんとまた出会いました。明菜さんにも見つけてもらい、

新曲「アルマージ」を歌う予定が、予定になかった曲を5曲も歌ってくれましたてへぺろおばあちゃん

 

3回目が和歌山ビックホエールでの福山雅治LIVEでした。 

 

1985年1月に大阪フェスティバルホールで山下達郎さんのLIVEに行っていました 音譜

 

本当に人の出会いは、”一期一会” だと最近、気が付きました 笑ううさぎ おばあちゃん 虹

 

私を見つけてくれた武中さん、育てて貰った占い師の母、前世から仲が良かった

明菜さん、本当にありがとうございます。これからもよろしくお願いします 照れお願い 音譜

 

 

旧ジャニーズ事務所「SMILE-UP.(スマイルアップ)」の所属タレント28組295人が今月、新会社「STARTO ENTERTAINMENT(スタートエンターテイメント)」に

移籍したので引き続き、約束は必ず守って!( ジャニーズ事務所を退所した人も含む )

そして、飯島 三智さんの新しい地図事務所( 株式会社CULEN代表取締役 )と

滝沢秀明さん率いる新事務所TOBEもメンバーとスタッフ、従業員、取引先なども

約束は守って!危害を加えないで!昨夜の番組で木村拓哉くんや塚田くんに思考低下

や頭をボーっとさせて転ばせないで。二度と人に嫌な事はしないで 物申す パンチ!パンチ!パンチ! 

 

ジャニー喜多川さんとメリーさんが、あなた達の要求を今まで聞いてきたでしょ!

その時の約束、メンバーたちに危害を加えないこと。必ず守って ムキー 爆弾 パンチ!パンチ!パンチ!

 

 

純ちゃんに嫌な事をしてこないで!咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、

体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、

体などを痛くしない。トイレ関係も。しつこく言ってこないで。脅さないで! プンプン 爆弾

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!プンプン

その技術を使わないで!

 

人に腹痛や胃を痛くしない、気分を悪くしない!身体を熱くしないで パンチ!パンチ!パンチ!

TV等の撮影やスタッフに付いて行って、ロケや取材等の邪魔をしないで ムキー パンチ!

束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて パンチ!パンチ!パンチ! ( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )

人に威圧的な言動、迷惑な行動は止めて。心に入って来ない、心を読まない、

人に体調不良やネガテなィブな感情を持って来ない、無気感を持て来ないで、

人の後ろに憑かない憑依しない、余計なことを言ってこないで。トイレ関係 プンプン パンチ!パンチ! 

思考低下させない、停止にしない。人の胸に衝撃を与えないで!首を痛くしないで!

人をバッサリ言葉で切らないで。深夜に連絡してこないで 物申す パンチ!パンチ!

仕事の邪魔や記憶障害にしない。目の錯覚、老眼近視、頭をボーっとさせないで、

人に言われたことを他人に言わさない。心の中に持って来ない、響かせないムキー 爆弾 パンチ!

特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。

負けず嫌いも程々に、優柔不断、人間不信を持ってこないで、キツイ気を感じる。

口臭も。咳込まさない。毒舌禁止、散財させないで、調子づかないで プンプン パンチ!パンチ!

乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこない。中枢神経を触って来ないで。

人の感情やパワーを抑えない、持って来ない。口のろれつが回らないようにしないで

唇を痺れさせない!卑猥な言葉を言ってこない、人をコントロールしないで パンチ!

あの親子、水晶を使って人を脅さない。マウントを取って来ない、過保護にしない!個人情報保護法、プライバシー侵害しない!その力、仕事以外に使わないで! ムキー パンチ!人の為に使って、決して悪いように使わないで。日本には言論の自由がある( 自分達に嫌な事を言われていると思って咳込まさない、自意識過剰、被害者意識が酷い ) 

店員さんや美容院の人に嫌な事をしないで、言わさないで ムキー パンチ!パンチ!パンチ!

全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!

人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて パンチ!むかっ

長女のパワーを持って来ないで!使わないで!

上記に書いていることは、みんなのことを指す 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。

アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

契約書を読んで!約束を破るとペナルティーが、母との勝負を忘れないでムキー爆弾パンチ!パンチ!パンチ!

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート