「The半導体」アーム 黒子の進化(1) 日経産業新聞 2024年1月9日 2:00 

 

 戦後すぐにコンピューターの時代の到来をもたらしたのは小さなチップだった。

1965年に「ムーアの法則」で予言された爆発的な成長は現実のものとなり、

インターネットや人工知能(AI)といったイノベーションを支えてきた。

データの世紀を支配する半導体を巡る攻防劇を描く新連載「The半導体」。

 

第1弾はスマートフォンの頭脳を握る知られざる黒子、英アームの実態に迫る。

2023年の株式市場は半導体産業にとって象徴的な交代劇を見届けた。

12月に上場廃止となった東芝は、かつてフラッシュメモリーを生み出し、

日立製作所NECとともに世界の頂点を競う半導体の雄だった。

東芝の退場から3カ月ほど前に米ナスダックに上場したのがアームだ。

23年で世界最大の新規株式公開(IPO)を実現したこの会社は、まさに東芝など

日本勢が半導体産業の天下を握っていた1990年に、英国の学問の街ケンブリッジ近郊でわずか12人で創業された。

 

アームにとって転換点となったのが8年前に世界を驚かせた買収劇だった。

ソフトバンクグループが3兆3000億円を投じてアームの全株式を取得すると

表明したのだ。通信を柱とするソフトバンクが、なぜ半導体なのか。

「本業との相乗効果が見えない」「高値づかみだ」そんな批判に対して、会長兼社長の孫正義は「囲碁で言えば50手先に布石を打ったようなもの。まあ、この世界で

命を賭けている人にしか分からないでしょうね」と、けむに巻いた。

ただ、孫は当時、私の取材に対してはこう話していた。「アームはスマホの会社ではなくなる。もう、始まっているから」なにが始まっているのかを聞くと

「それは言わない。ボクサーが戦っている時に『次は右のストレートを狙います』

なんて言わないだろ」と言っていたが、その青写真が明らかになったのが買収翌年の17年のことだった。アームは会社を実質的に4分割した。圧倒的な強さを誇る

スマホから切り離したのがIoT、自動車、そしてデータセンターだった。

アームのビジネスモデルは独特だ。半導体の動作を指示する「アーキテクチャー」と呼ぶ中核部分の設計に特化し、その技術をライセンスする形で他社に売る。

創業当時からフィールドをモバイルに絞ったことも特徴的だ。

90年代はパソコンが普及期を迎え、米マイクロソフトと米インテルの「ウィンテル

連合」が栄華を極めた。インテルとの勝負を避ける形でモバイルに賭けたアームは

携帯電話のCPUで開花し、07年に米アップルがiPhoneを発売すると

「スマホの頭脳」を牛耳る存在として君臨してきた。

 

そんなアームの第2幕を開いたのが孫だった。英国政府に対して買収を認めてもらう

代わりに、エンジニアを中心に社員を倍増させることを約束した。

利益は一時的に下がったが、その裏ではスマホ依存からの脱却を強力に進めていた。

買収でアームは非上場企業となったのだが、孫は「株式市場の声を気にせずに

改革できる」ことに意味があると語っていた。この頃、目前に控えていたAIの時代で

ポールポジションを取るには「今しかない」と考えたからだ。

孫が明かしたとおりアームの改革はすでに始まっていた。突破口と目したのがデータセンターだ。AI時代にはリアル社会のあらゆる場所からデータが送られる世界がやってくる。情報がスマホに集約されていた時代から分散の時代へと移り変わるのだ。

王者インテルと真っ向勝負

膨大なデータの受け皿となるのがクラウドをつかさどるデータセンターだ。

若い頃から、20世紀初頭の米国で石油をかき集めたジョン・ロックフェラーを手本に

「情報産業の胴元になる」という未来図を描いてきた孫は、ここに勝負を仕掛けた。

行く手には巨大なライバルが立ちはだかる。クラウドの半導体では巨人インテルを

米AMDが追う2巨頭体制が確立されていた。両社が採用するアーキテクチャー

「x86」に対して、アームのシェアはほぼゼロ。

それまで何度も2強に挑んでは、ことごとく跳ね返されてきた。

負の歴史を塗り替えるチャンスが舞い込んだのが買収前年の15年のことだ。

米アマゾン・ドット・コムがアンナプルナ・ラボというイスラエルの新興半導体

メーカーを買収した。狙いはクラウド事業「AWS」の強化にあった。

アンナプルナはアームの設計図を採用している。ここが攻め時とばかりに

アームはクラウド向け半導体の開発体制を抜本的に見直し始めた。

圧倒的なシェアを持つスマホの技術を転用するやり方を改め、クラウドのデータセンターに適した設計を確立しようと考えたのだ。

かつて全面対決を避けていた王者インテルに、データセンターで真っ向勝負を挑む。こうして「スマホの巨人」アームの第2章が始まった。

 

 

アームがクラウドのデータセンター向けに開発した「ネオバース」は18年に実用化

された。ここからアームがインテルとAMDの2強支配を切り崩すことになった

のだが、すんなりと進んだわけではない。

「悪いニュースがある。実はクアルコムがうちのサーバー計画を却下したんだ。

それでも君はうちに来るか」米ブロードコムに在籍していたモハメド・アワッドは、ネオバースが公開される直前にアームへの移籍を決めようとしていた。

クラウド事業の責任者に任命されることになっていたのだが、その矢先に前任者から告げられたのが、この分野の壁の高さを物語る知らせだった。米クアルコムはスマホのCPUで急成長した半導体メーカーだが、それを陰で支えたのがアームだ。

二人三脚をともにしてきた相手からノーを突きつけられたのだから衝撃は大きい。

そう言われてもアワッドはロサンゼルス郊外にある自宅を手放してしまった

ばかりで、もはや引くに引けない。

「我々がなるべき姿だ」

ただアワッドは「私には自信があった」と語る。アームには「秘密兵器がある」ことを思い知らされていたからだ。

アワッドがブロードコム以前に無線ネットワークのスタートアップ、エンバーに

入社したのは02年のことだ。米東海岸のボストンに本拠を置く会社だったが、

この頃に進出したのが英国のケンブリッジだ。

半導体を主力とする会社に転換するために接近したのがアームだった。

「これこそ我々がなるべき姿なんだ」。ケンブリッジで開かれたアームのパートナー会合に出席したアワッドはこう痛感した。当時、ケータイは単なる電話機から

インターネットへの接続端末へと姿を変えようとしていた。その先陣を切るために、アームはエコシステムと呼ぶパートナー企業との連携を深めていたのだ。

ケンブリッジに移り、エコシステム企業を見て回ったアワッドは、数々の企業群を

束ねるアームの姿に半導体産業の未来像を見たという。それこそがアームの秘密兵器だ。

アームのライセンス供与先は1000社を超えるが、その先にも無数の企業群が存在する。アームに関わるエンジニアの数は世界で1500万人にのぼる。

アワッドの自信を裏付けるようにネオバースはアマゾンのクラウド「AWS」だけでなく、マイクロソフトの「アジュール」にも採用された。クラウド半導体の2強支配に

風穴を開けていく。クアルコムとの契約失敗の痛手を取り戻すには十分と言えるだろう。

「この指止まれ方式」

スマホで築きクラウド市場を切り開きつつあるアーム。

広範なエコシステムに支えられる勝利の方程式を発展させて挑むのが自動車産業だ。

アームが狙いを定めるのが、いわゆるソフトウエア・デファインド・ビークル(SDV)だ。直訳すれば「ソフトが定義するクルマ」。3万点もの部品からなる巨大なサプライチェーン網に支えられた自動車産業が、ソフトウエアという未知なる領域と融合する。そんな潮流の波頭を捉えるために仕掛けたのが「この指止まれ方式」だ。

クラウドと同様に自動車をスマホとは別組織にすると、アームは立て続けに2つの

コンソーシアムを設立した。19年に自動運転に特化する「AVCC」を設立し、

21年にはより広くSDVを扱う「SOAFEE」を結成した。

いずれも要素技術ごとに分科会を作って参加企業が議論を重ねる。そうすることで次世代の自動車に使う半導体を動かすためのソフトウエアの業界標準を形成していく。そうなればアームの設計が広く自動車業界に浸透していく。

「この業界では誰もがSDVで生き残らなければならないと気づいている。

でも、そのビジョンはまだバラバラ。だからこそ知識を共有する必要がある。

誰の脅威にもならないアームにはそれができる」

自動車事業を統括するシニア・バイスプレジデントのディプティ・ヴァチャーニは

こう話す。自社では半導体を作らず設計図を売るアームは、どのメーカーに対しても中立な立場を維持してきた。そのポジショニングが業界を挙げて新しいテクノロジーに挑む上での強みになるという。

クルマの頭脳もつかむ

世界に散らばる1500万ものエンジニアの力を借りることで、研究開発を効率化できる。ソフトで定義されるようになるクルマの頭脳をつかむために、その力を差し出して自動車関連メーカーをエコシステムに組み込もうという思惑が、コンソーシアム

戦略の根幹にある。

ここで孫が語った「50手先の布石」という言葉に戻ろう。AI時代にはあらゆるモノに頭脳が入り、クラウドがこれら「エッジ」から送られるデータの受け皿となる。

エッジとクラウド。世界中に張り巡らされていくネットワークの両端を押さえるべく動き始めたのがアームの第2章に他ならない。クラウドに続いて自動車をターゲットとするのは、クルマこそが巨大なエッジになると見るからだ。

創業以来、モバイルに特化してきたアームにとって、急速に広がるフィールドを

カバーしきれるかという新たな課題がのしかかる。まだ50手先までは見えない。

それでも半導体の黒子はポスト・スマホ時代を見据えて動き始めた。

 

次回は知られざる誕生秘話に迫る。アームの成長には日本が深く関わっていた。

=敬称略

(編集委員 杉本貴司)

 

 

英アーム、始まりは七面鳥小屋 シャープに救われた窮地

「The半導体」アーム 黒子の進化(2) 日経産業新聞 

 

それは霧が立ちこめる寒い夜のことだった。1990年11月、英国南部にあるアシュウェルという小さな街のパブにやって来たのはロンドン郊外に住むロビン・サクスビー

という経営者だ。サクスビーはここから少し離れた学術都市のケンブリッジで

設立されたばかりのスタートアップの経営を依頼されていた。

エイコーン・コンピューターという会社から切り出された12人が創業したアドバンスド・リスク・マシンズ(Advanced RISC Machines)、頭文字を取って通称

「ARM(アーム)」という会社だが創業メンバーの12人はいずれも半導体

設計者で、経営を担える人材を探していた。

アーム側の代表者と話していると突然店のドアが開き、男たちが続々と入ってきた。アームの創業メンバーたちだ。卓に座るサクスビーを取り囲んだ。

いずれの手にもビールが注がれたグラスがある。

実はサクスビーは当初、ケンブリッジに移り住むことをためらっていたというが、

彼らの話に耳を傾けて、この新しい半導体会社のかじ取りを担うことを決めた。

こうして12人の技術者と1人の経営者で始まったアームは、すでに大型の商談を

まとめていた。米アップルが携帯端末にアームの半導体を採用することを決めていたのだ。実はアームは母体となったエイコーンの経営不振が原因で誕生した会社だ。

12人のなかのひとりで後に長くアームの技術トップを務めるマイク・ミュラーは「人生のギャンブルだと思って起業に参加したけど、実のところ僕に選択肢はなかった」と振り返る。85年にイタリア企業の傘下に入ってからも不振続きで、エイコーンに

残ることは現実的ではなかったと語る。

水平分業のパラダイムシフト

起死回生を期して取り付けたのがアップルとの契約だった。アップルはアームの出資者にも加わったが、期待外れに終わる。アップルが93年に発売した携帯端末「ニュートン」は今では「iPad」の原型とも評されるが、ちょうどこの年はワールドワイドウエブ(WWW)が無償公開されてインターネットが到来した時期にあたる。パソコンが爆発的に普及し始め、時代を先取りしすぎたニュートンはまったく売れなかった。

いきなり訪れたピンチを前に、サクスビーは発想を切り替えた。「ひとつの製品に

頼るのは危険だ」。そこで考案したのが半導体を作るのではなく、設計に特化して

他社にIP(知的財産)をライセンス供与するというビジネスモデルだった。背景には半導体とエレクトロニクス産業を取り巻くパラダイムシフトが存在していた。

アームが生まれる3年前に設立されたのが台湾積体電路製造(TSMC)だ。

中国に生まれ、米国に渡ったモリス・チャン(張忠謀)が作った半導体の生産だけに特化する会社だ。後に「ファウンドリー」と呼ばれる。

 

 

創業メンバーのミュラー氏はパブでの会合から参加していた(2016年10月、英ケンブリッジで)その翌年には米テキサス大学の学生時代に起業したマイケル・デルが23歳の若さでナスダックに上場する。デルは顧客の要望のままにパソコンを組み立てて出荷する「デル・モデル」で一世を風靡し始めていた。二つの新しい会社が示すのは、エレクトロニクス産業で世界的な水平分業ができつつあるということだった。

ならば、高度な技術力が求められる半導体にもいずれ分業の波がやってくるはずだ。

こう考えたサクスビーが確立したのが、半導体の中でも頭脳にあたるプロセッサーで、命令の種類を減らして演算処理速度を高める「リスク(RISC=縮小命令セット

コンピューター)」の設計に特化した会社への転換だった。

その設計図をIPとして半導体メーカーなどにライセンス供与するのだ。

日本に猛アピール「ミウラと呼んで」

ただし、新しいビジネスモデルにはリスクが伴う。出費を抑えるため、アームの

オフィスはケンブリッジから少し離れた田舎町にある七面鳥小屋に置くことにした。牧草が積まれた大きな一軒家に机やパソコンを持ち込んで急ごしらえのオフィスとした。創業メンバーは今も「barn(納屋)」と呼ぶ。それでも資金はみるみると減り

続けた。エイコーンから移籍する技術者に約束していた昇給も凍結せざるを得ない

状況に追い込まれた。

「救世主」は遠く離れた日本にあった。アームは創業直後から、当時は半導体で隆盛を極めていた日本を有望な市場と見て、社員を毎月派遣していた。技術者ながら

マーケティングを担当することになったミュラーも日本語の名刺を携えて足しげく

通った。つたない日本語で「ミウラと呼んでください」と言うのがお決まりだった。

突破口となったのがシャープだ。アップルのニュートンとほぼ同時期に携帯端末

「ザウルス」を開発しており、アームの設計図に目を付けたのだ。シャープと契約を結ぶとアームの財務体質は大幅に改善していった。その後は松下電器産業(当時)や日立製作所など名だたる電機大手へのライセンス供与を決めていき、94年には川崎市に事務所を開設した。その後すぐに拡大し、現在は新横浜駅前に移転している。

 


ザウルスは電子書籍の先駆けとして利用された

 

ニュートンとザウルス。いずれも成功したとは言いがたいが、ふたつの端末に

採用されたアームは狙いを定めていく。あえてパソコンという巨大市場に背を向ける決断を下したのだ。「パソコンではすでにインテルが巨人。僕たちはどうやっても

太刀打ちはできないと考えた」。ミュラーはこう証言する。

「業界標準になる」

創業者たちには決めていたことがある。「いつか業界のスタンダードになる」。

その野望を実現させるため、パソコンの次に来るチャンスを伺おうと考えた。

こうしてアームが力を入れたのが2つの商品のような「モバイル」だった。パソコンが爆発的に普及する一方で、携帯電話がじわりと広がろうとしていたからだ。

ケータイはパソコンと比べ、とにかくバッテリーを長持ちさせる必要がある。

アームは徹底して低消費電力技術を磨いた。90年代末になり、この戦略が大当たり

する。アームのライセンス供与先となった米半導体メーカーのテキサス・インスツルメンツが推奨する形で、フィンランドの携帯大手ノキアに採用された。

こうしてアームはケータイ向けCPUという新たな市場に攻め込んだ。

2007年には創業にも関わったアップルがiPhoneを発売し、モバイル・インターネットの時代が幕を開ける。今では世界中で使われるスマートフォンのほぼすべてに

アームの半導体設計が取り入れられている。

七面鳥小屋から這い上がり「スマホの黒子」の地位を不動のものにしたアーム。

その躍進を目の当たりにして虎視眈々と狙いを定める男が、日本にいた。

ソフトバンクグループ創業者の孫正義だ。

=敬称略  (編集委員 杉本貴司)

 

 

占い師の母にも「5年、10年先を見ときなさい」とよく言われていました おばあちゃん 虹 

 

技術があっても、その技術を買ってくれる会社、誰と組むのかで変わってきます。

成功すると口コミで広がり、取引先も増えてメーカーや顧客にも良い。

インテルの様な巨人がいたから、考え方を変えて別の方向へ進んだことが良かった。

目的意識を持って叶うように努力して、地道に活動した結果、成功をした。

その前に、いらないところをカットして出資を抑えないと会社が持たなかった 汗うさぎ

 

 

純ちゃんに嫌な事をしてこないで!咳や嗚咽をさせないで、口臭を持って来ない、

体を動かしにくくしない、人の言葉を言わさない、人の感情を持って来ない、

体などを痛くしない。トイレ関係も。しつこく言ってこないで。脅さないで! プンプン 爆弾

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!プンプン

その技術を使わないで!

 

束縛、嫉妬や執着、妬み、依存、あの三女が遠隔でコントロールするの止めて ムキー パンチ!パンチ!パンチ! ( あの三女、お互いを似ているように近づけようとしないで )

 

ここからは、今日と同じなので省きます。

 

全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!

人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて パンチ!むかっ

長女のパワーを持って来ないで!使わないで!

上記に書いていることは、みんなのことを指す 物申す パンチ!パンチ!パンチ!

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。

アミューズ同様、みんなに対しても約束など厳守して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート