その時の韓国は「軍事独裁政権」
「よど号」が金浦空港へ降り立った頃の韓国は、どのような国だったのだろうか。
この事件が起きた時の大統領である朴正煕は、1961年5月16日に軍事クーデターを起こし、「反共」「親米」政策を掲げた軍事政権を続けていた。
「よど号事件」当時の南北関係は、朝鮮戦争の休戦(1953年7月)後で最悪だった。
1968年1月には北朝鮮の特殊部隊による韓国大統領官邸「青瓦台(チョンワデ)襲撃未遂事件」と、北朝鮮海軍による米国海軍情報収集艦「プエブロ号」の拿捕という大事件が続いた。
そして1969年12月には「大韓航空機ハイジャック事件」が起き、北朝鮮で拘留された
乗員・乗客51人のうちの39人が「よど号事件」直前の2月14日に帰還したばかりだった。
筆者の在日韓国人政治犯の記事(『世界』1990年5月)
また「よど号事件」翌年の1971年4月の大統領選挙で朴正煕は、金大中(キム・デジュン)と
激しく争った。1973年8月には、KCIAを使って東京から拉致して殺害を企てている。
そして「北朝鮮の脅威」の名の下に、民主化運動を徹底的に弾圧。
勉学やビジネスで祖国へ渡った在日韓国人150人以上を「北朝鮮のスパイ」にでっち上げて
逮捕・拷問し、死刑を始めとする重罪判決を下している。
つまり「よど号」が金浦空港へ着陸させられた時の韓国は、大統領が国民を恐怖で支配する
軍事独裁政権だったのだ。なお、この独裁者は1979年10月26日に、最側近の金載圭
(キム・ジェギュ)KCIA部長によって射殺されている。「よど号ハイジャック事件」は、
極めて緊迫した南北関係と韓国の厳しい国内情勢の中で起きたのである。
何のために金浦空港へ誘導?
「よど号」は板付空港を出て朝鮮半島の東海岸に沿って北上。軍事境界線より北にある高城(コソン)を通過して元山(ウォンサン)から西に向きを変えて平壌へ向かったと思われる。軍事
境界線から元山までは約100キロメートル。「よど号」は北朝鮮領空へかなり入り込んでいた。
「よど号」が平壌へ向きを変えると、江崎副操縦士は国際遭難通信用の周波数である121.5
メガサイクルで「どの空港でも良いから応答せよ」と呼びかけた。
それを聞いた金浦空港の蔡管制官は、瞬時にそれに応じるボタンを押した。
もし北朝鮮の管制官の方が早く押せば、そのまま平壌へ誘導されていた可能性が高い。
蔡管制官は「ソウル進入管制」だと名乗り、交信を134.1メガサイクルへ変更するように指示。それは金浦空港だけの誘導周波数だった。
蔡管制官は、それからは「平壌進入管制」と名乗り続けた。最初は「ソウル管制」と名乗った
人物が「平壌管制」に変わってしまい、金浦空港へ誘導し続けた。
夕日で輝く朝鮮西海の干潟(2018年9月12日撮影)
そして「よど号」は、平壌からわずか約50キロメートル南を通り抜けて朝鮮西海へ出てから、金浦空港へ着陸した。蔡管制官は、小刻みに進行方向を変えさせたという。だが機長や副操縦士が正確な地図を持っていなかったとはいえ、朝鮮半島を横断して反対側の海まで出て
回り込んだのであり、着陸地点が想定よりもかなり南へ移ったことに気づかないはずがない。
「よど号」からは軍事境界線の位置は分からなくても、38度線はレーダーに表示された。
金浦空港は、38度線から約40キロメートルも南に位置するのだ。
韓国政府は2006年3月に、「よど号ハイジャック事件」に関する外交文書「JAL機拉北事件
措置経緯」を公開。「機器で機体の位置を正確に把握できたはずで、『平壌アプローチ』との
呼びかけの周波数が韓国軍のものと分かったはず。
老練な石田真二機長の、計画的かつ恣意による着陸だった」と結論づけた。
これに対し、石田真二と江崎悌一、そして蔡熙錫がその内容を否定している。
石田機長は、金浦空港からの誘導だと分かっていたのかどうか。その時にコックピットにいた
小西隆裕に再度の詳しい説明を求めたところ、直ちに回答が送られてきた。
「これは今回初めて言うのですが、私は石田機長がこの『劇』で一役買っていたとほぼ確信しています。なぜなら第一に、『よど号』が三八度線を越えた直後に、隣にいた私に操縦席にある
レーダーを示し、『三八度線を越えましたよ。これからピョンヤンに向かいます』と
短く断った後、私の答えを待つまでもなく、機体を左旋回させたからです。
もし、彼が本当にピョンヤン行きを目的にしていたなら、もっと余裕を持って機体を
北上させた後、私に断って機体を左旋回させたのではないでしょうか。
第二の根拠は、『よど号』を左旋回させた直後に機体の右側から現れた白人が操縦する
正体不明の戦闘機に対する石田機長の対応にあります。もし、機体が朝鮮の領域内に
入っていると彼が信じていたなら、この戦闘機の出現には驚いたはずです。なぜなら航空の
専門家である彼が、その戦闘機が米国製であることが分からないはずがないからです。
しかし、あの時の石田機長は眉一つ動かさないものでした。
第三に、『よど号』が高度を下げて下界の田園風景がくっきりと現れた時、それが朝鮮のもの
でないくらい容易に見分けることができたはずだからです。しかも着陸後に彼は、われわれが
どうも様子が違うと降りるのをためらっているのに対し、『到着しましたよ。早く降りたら
いいんじゃないですか』と、二、三度促しました。以上から私は、石田機長は福岡空港を
飛び立つ時から、われわれをだまして金浦空港で逮捕するという計略の下に行動していたと
ほぼ確信しています」
石田機長と江崎副操縦士は、蔡管制官が「平壌管制」を名乗って誘導をし始めた時くらいから、「よど号」が韓国の空港へ向かっていることを確信するようになっていたのだろう。
実行したのは米韓情報機関
「よど号」の金浦空港への誘導・着陸は、朴正煕大統領が金桂元KCIA部長に指示をし、
蔡熙錫管制官がそれを実行したことまでは明確になった。
それは朴大統領の、北朝鮮への怒りや報復のためだけに行なったのだろうか。
日航本社対策本部には、長野秀麿運行基準部長が詰めていた。
現地対策本部事務局長だった島田滋敏によれば、長野は戦後、日航からパイロット要員として
ノース・ウエストへ送り込まれたことがあり、米軍との交友が広かったという。
島田は、事件発生後の長野に動きについて次のように記している。
「三月三十一日朝、長野部長が出社してまもなく彼とかかわりのある米国当局からデスクに
電話があった。ハイジャックされた『よど号』に二人のアメリカ人が乗っているが、
そのうちの一人は重要な任務をもっている人物だから、犯人たちのいうとおりに北朝鮮へ
行かせないように手を打ってくれとの要請であったという。
(略)午前九時、「よど号」が福岡に着陸すると、再び米国当局から大要つぎのような内容の
電話が長野部長にかかってきたという。『万一、福岡で乗客を降ろすことに成功しなかったら、つぎには韓国へ着陸させて乗客を救出する』」(『最後の謎を解く』)
島田は、この大作戦を実行したのは韓国と米国の情報機関によるものだとする。
「韓国政府機関のなかでKCIAだけが事件発生以来『よど号』を追跡し、極秘裡に空軍と
航空管制を指揮していたということだ。CIAとKCIAは、密接な連携プレーのもとに
『よど号』を金浦空港に着陸させたのである」(『最後の謎を解く』)
この時の管制官の蔡熙錫は「朝日新聞」の取材に「当時の管制は米軍の指揮。
情報部の指示があっても米軍の命令がなかったら動けなかった」と答えている。
石田機長は「『よど号を北朝鮮へ行かせまいとした日本政府、日航、米軍、韓国が緊急に協議
して決めたのでしょう』と推測してみせた」(「読売新聞」2006年3月31日)としている。
「よど号」の金浦空港への誘導と着陸は、米国の強い意志によって日本と韓国の政府が
全面協力したものだったのだ。
ここは平壌ではない!
板付空港で時間稼ぎをしている間に、金浦空港では駐機していた韓国や欧米の航空機を他の空港へと移し、韓国と米国の国旗はすべて取り外され、韓国と分かる表示を塗りつぶしたという。
北朝鮮風に花束を持ったチマチョゴリ姿の女性たちや、朝鮮人民軍の軍服を着た兵士たちも
用意された。
午後3時19分、「よど号」は金浦空港へ着陸。
「ピョンヤンに着いたと有頂天になっていた赤軍派はすぐに降りる準備を始めたが、
後ろの方にいて窓の外を見ていたメンバーの一人が突然、『ここはピョンヤンではない。
シェルのタンクが見えるし、飛行機もアメリカ製だ』と叫んだ。(略)(地上の)男性職員が
うっかり『まもなく大使が見えますからお待ち下さい』と口をすべらせたのが決定打になった。国交のない北朝鮮に日本の大使がいるわけがないからだ」(『中継現場』)
平壌近郊の農場(2019年10月17日撮影)
[若林] 「空港へ降り立つ前に見た田んぼが、曲がりくねって不規則で小さなもので、社会主義国の集団農場には見えなかったことで疑念はふくらみました。また『不法入国』のわれわれが
歓迎されるはずがないのに、過剰演出のチマチョゴリ姿の女性歓迎団、機内に流れ込む
音楽(ラジオから?)が日本の流行歌的で社会主義的ではない、といった不審な状況・・・」
「赤軍派の男たちは『騙したな』とわめき出したが、彼らの一人が同じレシーバーで管制官とのやりとりをすべて聞いていたのだから、石田(機長)や江崎(副操縦士)に怒りの矛先を
向けても仕方がなかった」(『中継現場』)
[小西]「あの時、私たちは極めて冷静で、『騙したな』とわめくこともありませんでした。
敵がこちらを騙してくるのは当たり前のことだったし、それは、コックピットの下に広がる
田園風景からおおよそ察しが付いていたからです。到着したのがピョンヤンでないのは複数の
根拠から明らかでしたが、確信したのは、私がコックピットの窓から下にいた兵士に
『Here Soul?』と聞いた時でした。彼は、『Yes Soul』と答えたのです」
小西が兵士に鎌を掛けて聞いたら、うっかりソウルだと認めてしまったというのだ。
このハイジャックを指揮していた田宮は、次のように記している。
「金浦空港におろされるのではないかということは、当初から予想されたことであった。
だから、そのこと自体にわれわれはあわてることはなかった。ただ韓国は三八度線をはさんで
いまだ『戦争状態』にある国だという認識はもっていた。だから日本政府がそれを口実に
韓国政府に無茶をやらされるのではないかという危惧をもち、金浦空港にいる間、
警戒心を一度としてゆるめたことはなかった」(田宮高麿『わが思想』1988年)
若林は、「韓国に降ろされる危険性」についてハイジャック決行前に実行犯たちで意思統一を
していたという。「赤軍派」たちは、「日米韓軍事同盟」への挑戦でもある北朝鮮への
ハイジャックが、すんなりとは実現しないだろうと覚悟していたのだ。
金浦空港での偽装工作は、「赤軍派」たちに簡単に見破られる程度のお粗末なものだった。
そうであっても、海外の空港を知らない「赤軍派」学生たちが油断して機体のハッチを
開ける可能性に賭けたのだろう。もしそうなれば、兵士たちは一気に機内へ突入する。
日本政府は「よど号」の受け入れを、ソ連(ソビエト連邦)と「赤十字国際委員会(ICRC)」を通して北朝鮮政府に要請。それに対して北朝鮮の「朝鮮赤十字会」から4月2日、
「日本赤十字社」に連絡があった。
一、航空の安全は保証する
一、乗員の処遇は人道的にし、速やかに返還する
一、機体は返還する
日本にとって、最良の返答である。
これによって日本の世論とメディアは一気に、
「よど号」を北朝鮮に行かせるべきとの流れになった。
(文中敬称略。撮影年月日の記載がある写真は筆者撮影。『実録 昭和の大事件「中継現場」』からの引用については、著者の久能靖氏と河出書房新社のご協力をいただきました)
「よど号ハイジャック事件」が起きてすぐに、突然、憲兵隊が自宅へやって来た。
ジープで連れて行かれたのは、金浦空港の米国第5空軍のレーダー進入管制室。そこには、
米軍の金浦空港通信隊長と米兵4~5人、韓国人の管制官と空軍憲兵大尉がそれぞれ2人いた。
ソウル上空の管制権は米軍にあったため、いつも米兵が管制業務をしていた。
ところが蔡管制官は、1人で管制するように命じられたのだ。
上記の書籍の一部を読んで、下記に起きた事故を思い出しました。
羽田管制官の記録を読んで40秒間の無言の時があったと。普通、無言の時がない程忙しく、
確認をするなずなのに、この時は何かが起こり事故に繋がったと思いました
海保機の殉職職員5人を公葬 遺族や同僚ら約300人参列
羽田衝突事故から2カ月 配信
羽田空港の航空機衝突事故から2カ月となる3月2日、亡くなった海上保安庁の職員5人の
公葬が都内で執り行われた。 2024年1月、羽田空港で起きた日本航空の旅客機と
海上保安庁の航空機の衝突事故では、海保機に乗っていた副機長・田原信幸さん(41)、
通信士・石田貴紀さん(27)、探索レーダー士・帯刀航さん(39)、整備士・
宇野誠人さん(47)、整備員・加藤重亮さん(56)が死亡した。
2日に都内で執り行われた公葬には、遺族や同僚など約300人が参列し、5人の死を悼んだ。
海上保安庁・石井昌平長官「われわれの大切な宝である優秀な職員を任務の最中に
失ったことは、海上保安庁長官として痛恨この上ないことであります」 また、遺族は事故が
起きた時間に合わせ、羽田空港で花を手向けたほか、代理人を通じて「わたしたちの家族の
大切な命が失われたことを無にしないで、将来に生かしていただきたい」とコメントしている。
亡くなった人たちに、ご冥福をお祈りいたします。
『よど号』を左旋回させた直後に機体の右側から現れた白人が操縦する正体不明の戦闘機
「韓国政府機関のなかでKCIAだけが事件発生以来『よど号』を追跡し、極秘裡に空軍と
航空管制を指揮していたということだ。CIAとKCIAは、密接な連携プレーのもとに
『よど号』を金浦空港に着陸させたのである」
占い師の母からヒントである「CIAとステルス戦闘機」を聞いていました
ヒントは1つと限らずにあるので・・・。
純ちゃんに嫌な事 ( 首や頭を痛くしない、咳込まさない、口臭も持って来ないで、
体を動かしにくくしない、転ばさないで ) 人の感情を持って来ないで、言わさないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!その技術を使わないで!
その嫉妬と執着、本当に止めて。あの三女とあの子が一緒になって人の後ろに憑くのも。
本当に、人に迷惑がかかる言動行動は止めて。
人に体調不良やネガティブな感情を持って来ない。口臭も。咳込まさない。やる気を取らない、人の後ろに憑かない、憑依しない、入って来ないで。心を読まない、言ってこないで
思考低下させないで、胸にモヤモヤさせないで、情報を吸い上げないで。トイレ関係も。
言葉使いが乱暴。人をバッサリ言葉で切らない。深夜に連絡してこないで
仕事の邪魔や記憶障害にしないで。目の錯覚、頭をボーっとさせないで、笑い上戸にしないで。
特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。
私が寝てると思って、いろんなことを言うの止めて、負けず嫌いも程々に、優柔不断
自分が言わせたい言葉を人に言わせない。乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこないで
人の感情やパワーを抑えないで、持って来ないで。口のろれつが回らないようにしないで!
頬を麻痺させない!唇を痺れさせないで!卑猥な言葉を言ってこないで、言わさないで!
あの親子、水晶を使って人を脅してこないで、個人情報保護法、プライバシー侵害しないで!
その力、仕事以外に使わないで!人の為に使って、決して悪いように使わないで
全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて
首を痛くしないで!長女のパワーを持って来ないで!
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。みんなに対して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございます