今も平壌に住む「よど号グループ」
「よど号ハイジャック事件」とは、どのようなものだったのか。
1970年3月31日、乗客131人を乗せ羽田空港から福岡の板付空港へ向かった日本航空351便
(愛称「よど号」)がハイジャックされた。日本初のハイジャック事件である。
犯行メンバーは、新左翼の一党派である「共産主義者同盟赤軍派」の9人で、
リーダーはその軍事委員長の田宮高麿。
「よど号グループ」の昔の写真(「よど号グループ」提供)
圧倒的な警察権力によって新左翼運動が追い込まれていく中で、海外の「国際根拠地」で
軍事訓練を受けて日本へ戻り「武装蜂起」するという計画だった。
そのため、北朝鮮へ行くために航空機をハイジャックしたのだ。
「よど号グループ」が暮らすアパート(2014年9月24日撮影)
ハイジャックによって北朝鮮へ着いた9人は、北朝鮮政府から政治亡命を認められて
平壌郊外の「招待所」で暮らしてきた。彼らは日本人と結婚し、多い時には妻や子どもなど
36人が「日本人村」で暮らした。実行犯9人のうち5人がすでに死亡しており、
現在は実行犯とその妻が暮らす。
黎明通りのレストランへ出かけた際のマスク姿の「よど号グループ」
(2021年2月8日撮影、「よど号グループ」提供)
現在の「よど号グループ」は、実行犯の小西隆裕(1944年7月生まれ)、若林盛亮(1947年2月生まれ)、赤木志郎(1947年11月生まれ)、魚本(旧姓・安部)公博(1948年3月生まれ)。そして田宮高麿(1943年1月- 1995年11月)と結婚した森順子(1953年5月生まれ)と、
若林盛亮の妻・若林(旧姓・黒田)佐喜子(1954年12月生まれ)の6人である。
私は「よど号グループ」への本格取材を3回行なっており、テレビ東京『未来世紀ジパング』(2014年10月20日放送)などのために「日本人村」へ7日間滞在したこともある。
多くの人命を危険にさらすハイジャックを起こした血気盛んな「赤軍派」学生たちは、
いまや穏やかで人への気遣いができる “お年寄り” へと変わっている。
拳銃や日本刀は模造品だった
1970年3月31日、JAL351便「よど号」が羽田空港を離陸したのは午前7時20分。
富士山上空へ差し掛かった時、リーダーの田宮が立ち上がる。それを合図に他の「赤軍派」
学生らは “拳銃” や “日本刀”などを取り出した。当時はまだ、搭乗時の手荷物検査がなかった。ただこれらの “武器” は、斧以外は模造品だった。
「ちょうどその頃操縦席では石田機長が操縦桿に機首がやや下がる手応えを感じていた。
その時だいぶ機内で人が動いているなと思ったそうだが、じつは客室内で人が前後に移動する
だけで機体の重心位置が変わり、それを操縦桿が敏感に感知するのだという。
江崎も客席の方が騒がしいなと思っていた」(『中継現場』)
それは「赤軍派」たちが、席を立って移動したためだった。
彼らは鍵の掛かっていない操縦室へ駆け込み、機長に平壌へ向かうよう迫った。
石田真二機長は「赤軍派」たちに、平壌へ行くには燃料が足りないと伝え、予定通りに
福岡の板付空港へ着陸することになった。本当に燃料補給が必要だったのかどうかを、
久能は江崎に質問している。
「『我々の常識からすれば不可能です。燃料だけなら多少の余裕がありましたからピョンヤン
まで行けたかもしれません。そうではなくてピョンヤンの飛行場がどこにあるのか
場所がわからなかったのです。航空図もないし、行ったことがないのですから。
我々パイロットの常識としては行先の飛行場がどういうところにあり、標高はどのくらいか、
滑走路の長さがどのくらいなのか、誘導してくれる無線の周波数も知らなければなりません。(略)直接行くというのは自殺行為に等しいのです』」(『中継現場』)
計画を変更せざるを得なくなった「赤軍派」は、乗客たちへ次にように伝えた。
「『乗客の皆さん、この飛行機は油が足りなくて予定通り福岡に着きますが、我々は福岡に飛ぶことを目的にしていない。給油し次第北鮮に向かうが、飛行場内にいる時に諸君が少しでも気勢をあげるようなことがあれば、我々は手製爆弾を持っているので断固として応ずる(略)』。
なぜこのように克明な言葉がわかったかというと乗客の1人がカセットテープに録音していた
からだ」(『中継現場』)
今なら大事件に遭遇したら、目撃者たちが次々とスマホで映像や音声を記録するだろう。
ところが半世紀前に機内のようすを、録音している人がいたことに驚く。また、注目すべきは「赤軍派」が「北朝鮮」を「北鮮」と呼んでいることだ。この差別的な呼び方は当時の日本ではまだ使われていたが、これから世話になろうとしている国をそのように呼ぶほど、
この「革命家」たちは北朝鮮についての知識を持っていなかったのだ。客室では「赤軍派」たちが手分けして、満席の客室にいる乗客122人の抵抗を防ぐための作業をしていた。
[若林] 「コックピットから私が出たら、まだ小西ともみ合っている乗客がいました。
小西は最前列の席にいて男の乗客を制圧する任務でしたが、隣席の松本さんは柔道に覚えが
あるらしく小西が『制圧』に苦労したわけです。私は手にした短刀の『峰打ち』(傷つけては
いかんと思ったので)で、頭をぼこぼこ叩いたのを記憶しています」
「(「赤軍派」の)男たちは女性と子供を除いて男性客全員を後ろ手に縛り上げ、男性客を
窓側に女性客を通路側に移動させた。乗客が逃げたり、抵抗したりするのを防ぐためだろう」(『中継現場』)
[若林] 「『後ろ手に縛り上げ』ということはしなかったと思います。前で縛っておいて、
通路側の乗客は通路沿いに渡したロープでつないで飛び出せないようにするという方法を
とったように思います。ソウル金浦空港での長期戦を強いられるようになって以降は、
食事などで両手の自由が利くよう、両手の間隔を空ける縛り方へ変えました。
トイレ時には縄をほどき、トイレ後に縛り直すというふうにしました」
縛られていた状況を説明する乗客(『昭和タイムズ2』1970年、デアゴスティーニ・ジャパン)
週刊『昭和タイムズ2』の「よど号ハイジャック事件」の記事に掲載された写真について、
若林が解説した。記者会見の際に、手がどのように縛られていたのかを実演しているのは、
乗客代表格の「ヒゲの松本」と呼ばれていた人だという。若林が、短刀の峰で叩いた人だ。
金浦空港での最初の夜までは前手交差の縛りにしていたが、翌日からは写真のように
両手の自由が利くようにしたという。
板付空港でなぜ5時間も
午前8時69分、「よど号」は福岡の板付空港に着陸した。
この空港は1945年5月に、陸軍航空部隊の「席田(むしろだ)」飛行場として建設。
敗戦によって米軍が接収して「板付基地」となり、朝鮮戦争の際には重要な軍事拠点となった。1972年4月に「福岡空港」となったが、今でも空港の約14パーセントに「米軍基地」が残る。日本の民間空港内に、米軍専用区域があるのはここだけである。
着陸した「よど号」の機体の下には、作業服や私服姿の警察官が拳銃を持って待機。
給油作業は時間をかけて行なわれ、壊れてもいないブレーキを交換したり、自衛隊機を
滑走路上で「故障」させたりした。「赤軍派」は、一部の乗客を降ろすことを認めた。
「子供を連れた母親と老人、あわせて二三人がタラップを降りてきた。女性と子供を降ろすことを犯人側が受け入れたためだが、降りてきた二三人を乗せたバスが機体のそばを離れると、
再びドアは固く閉められ、午後一時五五分、『よど号』は突然滑走を始めた」(『中継現場』)
[若林] 「解放された乗客らが降りた後、機動隊員がタラップを駆け上がって来た。
それを見た田宮が『ドアを閉めろ』と言うと、スチュワーデスの一人が『ハイッ!』と
答えてバタンと閉めたというエピソードは語り草になっています」
「滑走路上にいた車はくもの子を散らしたようにあわてて避けたが、この時機体の後方から
一人の男が転がり落ちる姿が、各局のテレビカメラでもはっきりととらえられていた。
じつは対策本部では、燃料タンクのバルブを閉めて飛行できないようにしようとしていたのだ。転がり落ちたのはバルブを閉めようとした整備員だったが、失敗に終わった。しかしもし閉めることに成功していたら燃料が流れず、飛び立てたとしても途中で墜落していたかもしれない。
事件後、そのことを知ったという石田(機長)も江崎(副操縦士)もなんという馬鹿げたことをしてくれたのかと怒りを口にしている」(『中継現場』)
こうして、「よど号」は “平壌” を目指して離陸した。板付空港で駐機していた「5時間」は、
日本政府が「ハイジャック事件」を国内問題として収拾するために、何とか国外へ行かせないように次々と邪魔をしただけなのだろうか。それとも、重要な意味のある時間だったのだろうか。
「対空砲火」発表の意図は
「『よど号』は三八度線をかなり越えた江陵(こうりよう)の沖合上空で西に進路を変えた。
そのまま進めばピョンヤンに到着するはずであった。とその直後、思いがけないことが起きた。迷彩色を施した戦闘機が『よど号』の右側に現れたのだ。江崎は胴体のマークからすぐに
韓国空軍の戦闘機であることがわかったそうだが、北朝鮮領内に入ったはずなのに
なぜ韓国の戦闘機が飛んでいるのか理解できなかったという」(『中継現場』)
朝鮮戦争の結果、韓国と北朝鮮を隔てる軍事境界線は北緯38度線より東側では北に、西側では南に曲がった。東側の海岸線では、38度線から軍事境界線まで約70キロメートルある。
そのため「よど号」が38度線を越えても、しばらくは韓国領空だったのだ。なお、ここに
書かれている「江陵」は38度線より南にあるので、他の都市だと思われる。
[小西] 「この時のことは、私自身、コックピットにいたのでよく憶えています。
あの時、石田機長は私に操縦席の前に付いているレーダーを示しながら、『これが38度線。
これを越えたからピョンヤンに向かいますよ』と言いました。
戦闘機が『よど号』の右側から姿を現したのは、それとほぼ同時でした。
機体には迷彩色が施されており、私がいくら目を凝らしても何のマークもありませんでした。
私が探したのは、米国とソ連のマーク。そのどちらなのかということでした。
なぜなら、戦闘機に乗っていたのは白人だったからです」
朝鮮戦争では、北朝鮮側の戦闘機の多くをソ連軍パイロットが操縦した。
そのため小西は、北朝鮮の戦闘機にはロシア人がいまだに乗っていると思い込んでいたのだ。
[小西] 「その白人はこちらを見ながら、手を挙げ指で進行方向を示しながら機体を旋回
させ、『よど号』の下に潜るようにして、われわれの視界から消えて行きました。そこで私は
江崎副機長に、あれはどこの国のものかと聞きました。答えは案の定『分からない』でした」
[若林] 「誘導した戦闘機が米国製ファントムらしきものであったこと、パイロットが白人
だったことも疑念を呼ぶものでした」
2機の戦闘機は、軍事境界線の直前で旋回して韓国側へ戻って行ったと思われる。
韓国「戦争記念館」の米国・韓国の古い軍用機(2014年9月10日撮影)
午後3時50分に日本の防衛庁と外務省は「米国第5空軍」からの連絡として、「よど号」は北朝鮮へ入ってから対空砲火を浴び、北朝鮮空軍のミグ戦闘機に追われたと発表した。金浦空港の「日航現地対策本部」事務局長の島田滋敏は、「北朝鮮軍機のスクランブルと対空砲火によって『よど号』が機首を南に向け、Uターンしたという架空のストーリーを米軍がわざわざ流したことになる」(『「よど号」事件 最後の謎を解く 対策本部事務局長の回想』島田滋敏、2016年、以下『最後の謎を解く』)とする。
平壌へ向かっていた「よど号」の急な進路変更は、北朝鮮が原因を作ったことにしようとしたのだ。この嘘はすぐにばれたが、そこまでして「よど号」の乗客を何としてでも平壌に行かせたくない理由があったのだ。
管制官へ「閣下」の命令
韓国空軍管制官の蔡熙錫(チェ・ヒソク)は、「米連邦航空局(FAA)」の航空管制官免許を
持つ数少ない韓国人だった。「よど号ハイジャック事件」が起きてすぐに、突然、
憲兵隊が自宅へやって来た。ジープで連れて行かれたのは、金浦空港の米国第5空軍のレーダー進入管制室。これは非常事態だと蔡は思ったという。そこには米軍の金浦空港通信隊長のケラー大尉と米兵4~5人、韓国人の管制官と空軍憲兵大尉がそれぞれ2人いた。ソウル上空の管制権は米軍にあったため、いつも米兵が管制業務をしていた。ところが蔡管制官は、1人で管制する
ように命じられたのだ。そのようなことは今までに1度もなく、極めて異例なことだった。
時刻は午前11時30分。その後、「よど号」が板付空港を離陸したのは午後1時59分なので、
金浦空港では管制官を韓国兵へと早々と交代させていた。「よど号」を金浦空港へ降ろすための大作戦がすでに始まっていたのだ。「よど号」が平壌へ向かおうとしていることについて、
その当時の韓国・国防部長官だった丁来赫は久能に次のように語っている。
「丁長官は事前に、『よど号』が北朝鮮に向けて飛び立っても航行を妨害しないことと、韓国内に着陸したいと連絡があった場合は着陸に協力することという命令は、全軍に出してはいた。
だが、誘導するようにという指示はいっさい出していない。(略)こうなると、いったい誰が
金浦空港に『よど号』を降ろしたかである。誰の指示もなく飛行機を誘導して降ろせるとしたら管制官しかいない。丁長官も同じ見方をしていたが、この時、丁長官が調査した限りでは
特定できなかった」(『中継現場』)
[若林] 「この丁長官の話は、金浦空港への誘導が米軍の命令であることを知らされて
いなかったのか、知っていて言わないのかは別にして、いずれにしろ事実認識が
間違っているものと考えます」
若林が指摘するように、当時は軍事政権だった韓国で圧倒的な力を持つ韓国軍の国防部長官が「特定できなかった」はずなどあり得ない。当時の韓国でこのようなことが出来るのは、
自らの韓国軍でなければ米軍か、CIA(米国中央情報局)と連携したKCIA(韓国中央情報部、
現在は国家情報院)しかない。
午後0時半頃、蔡管制官の前のホットラインが鳴った。「私はKCIAの部長だ。福岡を出た
飛行機を必ず金浦空港へ着陸させろ。これは閣下の指示だ!」という話だったのである。
KCIAのトップは金桂元(キム・ゲウォン)部長。「閣下」とは朴正熙(パク・チョンヒ)
大統領のことだ。「KCIA部長が空軍管制官に直接の指示を下すだけでも異例。
ましてや軍事政権下で絶対的な存在の大統領からという厳命に、蔡さんは身震いした。(略)。金部長は蔡さんへの電話で『よど号を着陸させるためなら、ソウルを北朝鮮だと言って
構わない』と命じたという」(「西日本新聞」2019年11月18日)
「よど号」が板付空港に留まっている時点で、朴大統領が金浦空港へ誘導するための命令を
下していたのである。板付空港の「5時間」で、金浦空港を平壌空港へ偽装するための
作業が行なわれたのだ。
金桂元・元KCIA部長は近年、NHKの取材に次のように答えている。
「共産主義者たちが乗った飛行機が、我が国上空を我が物顔で通過して行くことはどうしても許せなかったのです。よど号にハイジャック犯だけが乗っていたら、韓国領空で撃ち落としていたかも知れません。何としてでも北朝鮮には行かせずに、韓国に着陸させる必要があったのです」(「NHK「 “ピョンヤン” を名乗れ~よど号事件・交信記録の全ぼう~」2016年10月28日)
日本政府が「ハイジャック事件」を国内問題として収拾するために、何とか国外へ行かせないように次々と邪魔をしただけなのだろうか。それとも、重要な意味のある時間だったのだろうか。
この記事を読んで、私がフィリピンへ行こうと思った2日後くらいに、フィリピン・セブの
マクタン・セブ国際空港で現地時間10月23日午後11時すぎ、大韓航空(KAL/KE)の
ソウル(仁川)発セブ行きKE631便が滑走路をオーバーランし、大破した。
現地報道などによると乗客乗員173人が乗っていたが、死傷者は出ていないという。
大韓航空のA330(資料写真)=PHOTO: Tadayuki YOSHIKAWA/Aviation Wire
KE631便の運航スケジュールは定刻でソウル午後6時35分発、セブ午後10時着。
悪天候で着陸を2回やり直しており、3回目に着陸した後にオーバーランした。
航空機の位置情報を提供するウェブサイト「フライトレーダー24(Flightradar24)」によると、着陸を最初に試みたのは午後10時すぎ、2回目は午後10時20分すぎで、セブ島北東沖で
旋回後、午後11時すぎに3回目の滑走路進入を行って着陸したが、午後11時8分ごろ
オーバーランし、機体が大破した。のは軍然?
上記の記事を読んで、偶然なのか?分かりませんが、月日が誕生日付近だったり、
事故、勝負した日、結婚日だったり当てはまりますが・・・。
占い師の母から「ヒントは与えてある。それに、気が付かなければそれまで」と
言われていましたが、まさか、このハイジャックのことも含まれていたとは
純ちゃんに嫌な事 ( 首や頭を痛くしない、咳込まさない、口臭も持って来ないで、
体を動かしにくくしない、転ばさないで ) 人の感情を持って来ないで、言わさないで!
【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、
「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!その技術を使わないで!
その嫉妬と執着、本当に止めて。あの三女とあの子が一緒になって人の後ろに憑くのも。
本当に、人に迷惑がかかる言動行動は止めて。
人に体調不良やネガティブな感情を持って来ない。口臭も。咳込まさない。やる気を取らない、人の後ろに憑かない、憑依しない、入って来ないで。心を読まない、言ってこないで
思考低下させないで、胸にモヤモヤさせないで、情報を吸い上げないで。トイレ関係も。
言葉使いが乱暴。人をバッサリ言葉で切らない。深夜に連絡してこないで
仕事の邪魔や記憶障害にしないで。目の錯覚、頭をボーっとさせないで、笑い上戸にしないで。
特にブログを書いている時、いちいち注文を言ってこないで、自分で考えて書いて。
私が寝てると思って、いろんなことを言うの止めて、負けず嫌いも程々に、優柔不断
自分が言わせたい言葉を人に言わせない。乗り物関係を運転時は、邪魔をしてこないで
人の感情やパワーを抑えないで、持って来ないで。口のろれつが回らないようにしないで!
頬を麻痺させない!唇を痺れさせないで!卑猥な言葉を言ってこないで、言わさないで!
あの親子、水晶を使って人を脅してこないで、個人情報保護法、プライバシー侵害しないで!
その力、仕事以外に使わないで!人の為に使って、決して悪いように使わないで
全責任は、お母さん達に取ってもらう。もちろん本人にも取ってもらう!
人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて
首を痛くしないで!長女のパワーを持って来ないで!
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。みんなに対して
( 私の言うことを聞く・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない )
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございます