映画監督市川崑が三浦友和を「古都」に緊急招集! | poohta8のブログ

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衝撃の山口百恵引退表明から2か月後の(1980年)昭和55年5月7日

未だに日本列島は混乱の渦の中にあった。

そんな最中に開かれた山口百恵最後の主演映画「古都」の制作発表。

しかし、その出演者の中に三浦友和の名前はなかった。

 

山口百恵最後の映画が「百友映画」じゃないなんて・・・

 

山口百恵と三浦友和の結婚については祝福しているものの、山口百恵を失ってしまう

悲しみを解消できないでいた日本国民の心は、三浦友和を出演させないとした

東宝映画、ホリプロへ怒りに向かい、各地でデモが頻発するようになった。

このままでは、国民の理解が得られないと判断した映画監督の市川崑は急遽、

原作には存在しない「木こりの清作」という役を無理矢理に作って

三浦友和を急遽、映画に出演させることにした。

川端康成の代表的な文芸作品をそこまでいじるのは相当の勇気が要ったはずだ。

だが、結果として市川崑の判断は正しかった。

三浦友和の映画出演が決まり、日本のみならず、世界中のマスコミが

ロケ地に殺到し、大々的に報道した。

日本で、アメリカで、フランスで、中国で、ロシアで

そして、全世界が市川崑監督の英断を絶賛した。

 

三浦友和の出演が決まり、映画はすでにヒットが決まったようなものだった。

しかし、映画の撮影は、これまでの百恵映画以上の困難を極めた。

引退興行と並行しての映画撮影で過酷なスケジュールになったことは

もちろんであるが、それに加えて大変だったのが、百恵が双子の姉妹を

一人二役で演じなければならないことであった。

当時の撮影技術は、現代のようにCGを使うような高度なものではない。

山口百恵演じる双子の姉妹、千恵子と苗子が同じ場面に登場する場合は、

フィルムを半分づつ撮影して後で合成するという極めてアナログな方法がとられていた。

だが、物語の中には千恵子と苗子が抱き合うシーンがある。

このシーンでは、後から合成するという方法は使えない。

そこで使われたのが ”影武者” だ。

東宝は、全社を挙げて山口百恵に似た人物を探した。千恵子と苗子が抱き合うシーンでは

山口百恵と山口百恵のそっくりさんとで抱き合ってもらうというわけだ。

そして、白羽の矢が立ったのがタレントの白貝真理子。

この人だ。

似てるか? ← 興味がある人は、山口百恵史を見て下さい

 

今だったら山口百恵にもっと似ている女優はいる。

例えば上戸彩だとか・・・

石原さとみとか・・・

まあでも顔は映らないんだから、体形さえ似ていたら良かったということか・・・

とにかく、山口百恵は引退コンサートで全国を飛び回りながらも、

合間を縫って京都、東京での映画ロケに戻り、約2ヶ月の及ぶ撮影を終えた。

そして、最後のシーンのカットが終わった瞬間・・・

山口百恵は泣かなかった。

「最後の最後まで、山口百恵はプロフェッショナルだった」

現場スタッフはそう思った。

が、その後の撮影打ち上げパーティーでのことだ。

監督の市川崑が山口百恵に花束を渡した。

その瞬間だった。

山口百恵の頬を涙がつたった。

人前で涙を見せない山口百恵が泣いた。

苦労を共にした市川崑監督の顔を見て、涙を堪え切れなくなったのだろう・・・

 

 

92歳市川崑監督死去、最後まで創作意欲

[2008年2月14日8時47分]日刊スポーツ

 

記録映画「東京オリンピック」や「ビルマの竪琴」など多くの名作を作った映画監督の市川崑(いちかわ・こん)さんが13日午前1時55分、肺炎のため都内の病院で亡くなった。92歳。

先月24日に体調を崩し、入院していた。巨匠の死に衝撃を受ける映画関係者は多く、

「細雪」「おはん」など多くの市川作品に出演した女優吉永小百合(62)はベルリンで

悲報に接し、絶句した。葬儀・告別式は近親者のみで行い、後日、お別れの会を開く予定。

喪主は長男建美(たつみ)氏(60)。

 

 市川監督の遺体はこの日早朝、病院から都内の自宅に戻った。

主人を失った自宅は一日中、悲しみに包まれるようにひっそりとしていた。

監督は1月24日に「息苦しい」と訴え、そのまま入院した。小康状態を保っていたが、

長男建美さん、長女舞子さんら家族に見守られながら眠るように亡くなったという。

穏やかな最期だったが家族のショックは大きく、多くの弔問の申し出を断り、

対面したのはフジテレビ日枝久会長や一部の映画関係者だけだった。

 

 くわえたばこがトレードマークで、1日4箱吸うほどのヘビースモーカーだったが、晩年は1箱半に減らしていた。好物の肉料理も減らし、リンゴを食べるなど食生活にも気を使っていた。

健康管理を徹底していたのは、映画への情熱があったからだ。高齢であることもあって、

新作現場では「あと何本取りたいですか」という質問がよく出た。しかし「手帳には

20本くらい企画が書いてある」と答えるなど、創作意欲は衰えることはなかった。

最後の作品になった76作目の「犬神家の一族」の試写会では、完成したばかりの作品を

目の前に「もう少し長生きして、もうちょっとちゃんとした映画を作りたい」と笑わせた。

巨匠と言われることが多いが、言葉のイメージと違って、柔軟な創作体勢を常に保っていた。「犬神家-」リメークの時には、CGを「時代のすう勢だから。若返ってたしなみたい」と

話した。旺盛な実験精神は、65年の「東京オリンピック」で存分に発揮された。

ストップモーションなども多用し、記録か芸術かで物議を醸した一方、カンヌ映画祭で

国際批評家賞を受賞するなど海外で高い評価を受けた。

学校や地域で繰り返し上映されたことで、約1800万人を動員した。

記録は今でも破られておらず、日本映画史上最大のヒット作と言われている。

 

 ディズニーアニメを見て映画界を志し、アニメーターとして修業を積んだ異色の経歴だ。

「東京-」に代表されるドキュメンタリー、監督の名前を一躍知らしめた「ビルマの竪琴」や「野火」などの文芸作品だけでなく、恋愛もの、アニメなどあらゆるジャンルの作品を、

妻で脚本家の和田夏十(なっと)さんと二人三脚で手掛けた。また、大作に取り組む一方、

テレビの「木枯し紋次郎」などで斬新な映像美とさえた演出を見せた。

83年に夏十さんが亡くなった後も、四騎の会で活動した黒沢明監督らとの共同脚本を

映画化した「どら平太」や「かあちゃん」などをヒットさせた。

 

 映画人だけでなく、三谷幸喜や宮部みゆき、和田誠、椎名誠ら作家や画家など、

創作者に影響を与え続けてきた。「映画は天職」と語り、衰えぬ創作意欲から、

新作が最も待望される監督だった。

 

 

市川崑監督と惜別…石坂浩二涙の弔辞

[ 2008年3月30日 06:00 ] スポニチ

 

 2月13日に肺炎のため92歳で死去した映画監督・市川崑さんの「お別れの会」が29日、東京都世田谷区の東宝スタジオ内の第9ステージで行われた。葬儀は近親者による密葬だったため、この日は映画関係者ら約850人が参加。「犬神家の一族」など多くの市川作品に出演した

俳優の石坂浩二(66)は「ついこの前、このステージで監督と仕事をしたばかりなのに…」

と涙ながらに弔辞を読み上げた。「監督の大好きな麻雀もない、サーロインステーキも

焼けない、こんな会はつまらないと思ってらっしゃるかも…」。トレードマークのニット帽と

くわえタバコの遺影に向かって弔辞を読んだ石坂は涙を流し続けた。


 第9ステージは77年の「獄門島」、85年の「ビルマの竪琴」、87年の「竹取物語」で

演出を受けた場所。「ついこの前、この天井の下で監督と仕事をしたばかりなのに…」。

会の前に行われた会見では「亡くなる1週間前、延期になった新年会を2月20日に

やろうというメッセージをもらったのが最後になってしまった」と悔やんだ。


 石坂や吉永小百合(63)中村敦夫(68)らが発起人となったお別れの会には、監督に指導を受けた俳優が多数参加。遺作となった「犬神家の一族」に出演した女優の松嶋菜々子(34)も駆け付けた。昨年11月30日に第2子を出産後、初めての公の場となった。
女優の岸惠子(75)は、滞在先のパリで監督から「細雪」の出演依頼を電話で受けた

エピソードを披露。「惠子ちゃん、日本に帰ってきてな。長女役やってほしいんだけど。

ミスキャストとも思うんやけど、なんておっしゃって」と振り返った。


 会場では、監督の劇場公開作品78本と撮影現場の写真などをまとめた17分間の追悼映像も

流された。ラストはタバコに火をつけた市川監督が撮影所の奧へ消えていくシーン。

参列者は大きな拍手で巨匠を見送った。

 

 

石坂浩二、岸惠子ら約850人が市川崑監督に最後のお別れ

2008年3月31日 12:00 映画.com

崑さん、さようなら!
崑さん、さようなら!

 

[映画.com ニュース] 2月13日に逝去した市川崑監督(享年92)のお別れの会が、

3月29日、東京・成城の東宝スタジオにて営まれ、映画関係者ら約850人が参列した。

お別れの会は、石坂浩二を中心に、岸惠子吉永小百合山田洋次監督ら18名が発起人と

なって開催。会場となった東宝スタジオ第9ステージは、市川監督の数々の名作が撮影された

ゆかりの場所で「ビルマの竪琴」「犬神家の一族」「細雪」など78本の映画、写真やアーカ

イブ映像をまとめた17分間の特別映像が上映されると、参列者から拍手が巻き起こった。

その後、弔辞を読んだ石坂は「監督の声、姿勢、しぐさが、どれほど私たちの肌にピリピリと

焼き付いているか……。これは一生離れていかないでしょう」と時折涙ぐみながら声を詰まらせた。岸は「先生は必ず、役をくださる時にご自分で電話をかけてくださいました。先生のお誘いはいつもユニークで、その度にパリにいた私は“はいはい”と(日本に)帰ったものです。でも、もう“惠子ちゃん、ちょっと帰って来てや”と電話をかけないで。もう少し待ってください」と、市川監督とのユニークな思い出を語って故人を偲んだ。また、会場の祭壇は1万本の花や桜で

彩られ、日本映画界への貢献を讃え、3月27日に叙勲された正四位と旭日重光章が飾られた。

市川監督と懇意にしていた中井貴一は献花後、「監督がいなければ今の自分はいなかった。

いつまでも意欲的だった姿勢を見習いたい」と、感謝の言葉を述べ、死の直前まで映画製作に

意欲を燃やし続けた市川監督に思いを馳せて、最後の別れを惜しんだ。

 

■主な参列者 石坂浩二中村敦夫役所広司中井貴一岸惠子浅丘ルリ子吉永小百合草笛光子浅野ゆう子谷川俊太郎山田洋次日枝久角川歴彦、松岡功、高井英幸角川春樹篠田正浩三谷幸喜佐久間良子富司純子司葉子鈴木京香松嶋菜々子岸部一徳豊川悦司三谷昇藤村志保中村メイコ島田陽子萬田久子黒鉄ヒロシ野田秀樹

長塚京三あおい輝彦岩城滉一風吹ジュン、うじきつよし、石橋蓮司佐々木すみ江

 

 

 

たかじんさんがTVで「木枯らし紋次郎」に少し出演しNGをよく出したと言って、

その時のエピソードを面白おかしく話していたのを思い出しました 笑ううさぎ おばあちゃん 虹

 

詳しくは書きませんが、私が飼っていた愛犬2匹に関連する日の3日前や誕生日と

偶然にも重なっていました。監督のご冥福をお祈りいたします。

 

 

純ちゃんに嫌な事 ( 首や頭を痛くしない、咳込まさない、口臭も持って来ないで、

体を動かしにくくしないで、転ばさないで ) をしてくるの止めて。 ムキー 爆弾 パンチ!

 

【ボートゲームの禁じ手】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規制で禁じられたものではなく、

「使うべきではない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!その技術を使わないで!

 

本当に、人に迷惑がかかる言動行動は止めて。

人に体調不良やネガティブな感情を持って来ないで。口臭も。咳込まさないで。

人の後ろに憑かないで、憑依しないで。心を読まないで、言ってこないで プンプンパンチ!

思考低下させないで、胸にもモヤモヤさせないで、情報を吸い上げないで。

言葉使いが乱暴。人をバッサリ言葉で切らないで。深夜に連絡してこないで 物申すパンチ!

仕事の邪魔をしないで。記憶障害にしないで。目の錯覚、頭をボーっとさせないで。

人の感情やパワーを抑えないで、持って来ないで。口のろれつが回らないようにしないで!

頬を麻痺させない!唇を痺れさせないで!卑猥な言葉を言ってこないで、言わさないで!

水晶を使って人を脅してこないで!個人情報保護法、プライバシー侵害しないで!

その力、仕事以外に使わないで!人の為に使って、決して悪いように使わないで ムキー パンチ!

全責任は、お母さん達に取ってもらう。

あの弟、人のPCやスマホにハッカーになって侵入してこないで、エラーが出たので止めて パンチ!むかっ

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守って。みんなに対して パンチ!パンチ!パンチ!

(私の言うことを聞くように・命関係は打ち止め・引退関係・契約書など、反故にしない)

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございます 愛飛び出すハート