「とんぼ」「乾杯」「しゃぼん玉」など、数多くのヒット曲を持つ、シンガーソングライターの長渕剛さん。初期の頃は、フォークソングを歌われていましたが、1990年頃からスタイルを

変更され、容姿を含めたその激変ぶりが度々話題となっています。

年齢は?出身は?身長は?

長渕さんは、1956年9月7日生まれ、
鹿児島県鹿児島市のご出身です。

身長は 175センチ、

学歴は、九州産業大学芸術学部を中退されているそうです。

下積み時代

長渕さんは、1974年友人とフォークソンググループを結成すると、

毎晩のように、場末のバーでオリジナル曲を演奏されていたそうです。

しかし、演歌ではなく、フォークソングを歌う長渕さんは、泥酔した客から怒りを買い、罵声を浴びせられるばかりか、ビール瓶や灰皿を投げられたり、蹴りを入れられていたのだとか。

下積みとはいえ、あの長渕さんが、こんな体験をされていたのですね~

デビューするが・・・

そんな厳しい環境を生き抜いてこられた長渕さんは、1976年「第12回ポピュラーソング・コンテスト」(現在の「TEENS’ MUSIC FESTIVAL」)に参加されると「雨の嵐山」で見事入賞。

 

翌年の1977年には、シングルデビューを果たされるのですが、

鳴かず飛ばずで終わってしまったのでした。

巡恋歌

しかし、それでも、あきらめなかった長渕さんは、1978年に

「第15回ポピュラーソング・コンテスト」に再び挑戦され、見事「巡恋歌」で入賞。

今度は、レコード会社を変えて再デビューを果たされると、この曲がヒット。

 

 

以降、長渕さんの音楽活動も軌道に乗り始めたのでした。

多くの困難を乗り越えての本格的デビューということで「巡恋歌(作詞・作曲:長渕剛)」は、長渕さんにとって、とても思い入れのある曲になり、ライブでは欠かさず、

演奏されるのだそうです。

順子!

また、1980年には、シングル「順子」がオリコンチャート1位になり、

ミリオンセラーを記録します。

「順子」は、もともとは、長渕さんのアルバム「逆流」に収録されていた曲なのですが、

有線放送で流されると、たちまちブレイク。シングルカットされたのでした。

 

 

初恋の人と再会したことがきっかけで、この曲が誕生したということで、

ここでも、長渕さんの一途で切ない想いが綴られていますね。

ドラマは?

こうして、歌手として大成功を収められた長渕さんは、1983年には、テレビドラマ

「家族ゲーム」で初の主演に抜擢。主題歌「GOOD-BYE青春」も発表されています。

 


「家族ゲーム」より。

 

まさに、長渕さんのためのテレビドラマとなった訳ですが、長渕さんは、

をきっかけに本格的に俳優としても活動をスタートされ、

1986年「親子ゲーム」1987「親子ジグザグ」1988年「とんぼ」

 


「とんぼ」より。

 

1991年「しゃぼん玉」
1993年「RUN」
1997年「英二ふたたび」
1988年「ボディーガード」

と、いずれも主演を務められています。

結婚は?

そんな長渕さんの気になるプライベートなのですが、長渕さんは、

1981年、当時アイドル歌手だった石野真子さんと結婚されています。

 

 

しかし、1983年には長渕さんのDVが原因で離婚。

その後、長渕さんは、1987年女優の志穂美悦子さんと再婚されたのでした。

お二人は、1986年のテレビドラマ「親子ゲーム」で恋人役を演じられているのですが、

翌年の1987年にも、映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」で再び恋人同士役を演じられ、

仲良くなられたそうです。

 


「親子ゲーム」より、長渕さんと志穂美さん。

 

しかし、長渕さんは、妊娠中の志穂美さんにも暴力を振るっていたとか。

ただ、志穂美さんには極真空手の心得があり、出産後は暴力を振るわれると、やり返されていたそうで、さすがに長渕さんも敵わず、空手を稽古するようになったのだそうです(^^)

子どもは?

ところで長渕さんには、娘さん1人と、息子さん2人がいらっしゃいます。

長女の長渕文音(ながぶち あやね)さんは女優、長男のWA航RUさんはラッパー、

次男の長渕蓮(ながぶち れん)さんは、元レーシングドライバーで、

現在は音楽活動をされているそうです。

さて、素晴らしい才能に恵まれ、長きにわたって多くのファンを魅了する長渕さん。

ただ、私生活は、歌詞に表れているような、繊細で心優しいイメージからは程遠く、

暴力、薬物、不倫騒動など、荒れに荒れ、度々週刊誌を賑わわせています。

長渕さんはこれから、どこへ行こうとしているのでしょうか?

ぜひ、素晴らしい音楽で、話題となってほしいですね。

応援しています!!

 

 

石野真子と元夫(長渕剛)との馴れ初めと離婚 2024.01.23  一部抜粋

石野真子と元夫・長渕剛

ハートに響く名曲と男気あふれる生きざまで絶大な人気を誇るカリスマ、長渕剛さん。

長渕剛さんは1978年、ライブのMCでこう宣言しました。

「俺は将来、石野真子を嫁さんにする」

2年後の1980年、ニッポン放送『オールナイトニッポン』でパーソナリティを務めていた長渕

さんは、番組の構成作家だった秋元康さんに石野真子さんのゲスト出演のセッティングを依頼。

番組で二人が意気投合したことから交際がスタートしました。

翌1981年8月末で芸能界を引退した石野真子さんは、翌年の1月22日に長渕剛さんと挙式。

【補足】

結婚式を終えた直後のワイドショー番組の直撃インタビューで、

長渕剛さんは今後の結婚生活について以下のように語っていました。

やっと石野真子さんが自分のものになった

よそはどうであれ、亭主関白を貫いていく

 

仲人役は吉田拓郎さん、浅田美代子さん夫妻 (のちに離婚) でした。

吉田拓郎さんがコメントを残しています。

「やっぱり僕の知っている長渕剛からいくと見たことの無い長渕剛でした。

非常に傲慢さの無いですね、非常に硬くなっている印象で、初めて見ました」

幼い頃から、幸せな結婚をして家庭に入ることが夢のひとつだった石野真子さん。

長渕剛さんも妻が家庭に入ることを望んだそうです。

デビューからわずか3年半で引退、結婚。

当時の騒動を石野真子さんが振り返ります。

「それはもう大変でしたよ。

今と当時ではアイドルの恋愛や結婚について世間の反応は全く違いましたからね。

若かったですし、もともと情熱的なタイプなこともあって、

恋愛してすぐに結婚を決めてしまったんです。

専業主婦になることは夢でもあったので、急に引退することになり、

当時、さんざん周囲から反対されました。

今考えると本当にたくさんの方にご迷惑をかけ、

『ごめんなさい、許して』と言いたい気持ちです」

けれども、二人は結婚生活でさまざまな考え方の違いを表面化させていきます。

長渕剛さんのDVや、長渕さんの母親との確執が取り沙汰されるようになり、

結婚生活は1年あまりで破綻。

石野真子さんは1983年5月、離婚と同時に芸能界への復帰を発表しました。

【補足】

1981年には婚約会見を行い、石野真子さんは芸能界を引退、結婚式は当初ロサンゼルスにあるガラスの教会として有名な「ウェイフェラーズチャペル」で1982年1月15日に行われる予定だったものの、長渕剛さんのお母さんの体調が悪くなり、同年1月22日にハワイで行われました。

この日になったのは、石野真子さんには「二十歳の花嫁」に強く憧れがあったことから、

21歳の誕生日 (1月31日) よりも前に挙式したいと希望したためだそうです。

 

石野真子さんは元旦那から「ばかやろう」と怒鳴られたり、頬や頭を叩かれたことも

あったそうですよ。石野真子さんが家を飛び出す形で、1983年3月頃から別居が始まり、

5月には離婚となりました。

 

ある日、石野さんは台所で自分のアイドル時代の歌を口ずさみながら料理していました。

長渕さんはそれに腹が立って、「体調の悪い母の前でけしからん!」と

石野さんの頬をぶったらしいです。

そりゃお母さんが大事なのは分かるけど、石野さんに対しどこに怒りのスイッチが入ったのか

わかんない。私だったら今まで理不尽さに耐えてきたとしても我慢できず大号泣し、

その場で荷物をまとめて速攻出ていきますね。姑の配慮まで正直もう頭が回らないと思います。

石野さんはそこまではしなかったみたいですが・・・

あと2人の離婚原因には、長渕さんが石野さんをイメージしてつくった曲が

石野さんの逆鱗に触れてしまったからという噂も。

長渕さんは30代に俳優業も始めたことで音楽性が変わってしまったと

後に発言しているので可能性としてはあり得ます。

 

 

長渕剛「幸せが壊れた」石野真子と離婚時の心境語る

 

 シンガー・ソングライターの長渕剛(60)が、前妻で女優の石野真子(56)との

離婚を振り返った。

長渕は21日放送のラジオ番組「伊集院光とらじおと」に、前週に引き続きゲスト出演。

パーソナリティーの伊集院光とトークを繰り広げた。

デビューからこれまでの変化についての話になり、伊集院から「30代は少し変わりますよね、音楽性も。きっかけというか、思いってありますか?」と転機について尋ねられると、

「演じたことも大きかったと思うんだよ」と俳優活動の影響をあげるとともに、

「それで1つ目の幸せが壊れた。離婚をしたっていうのも大きかったし」と語った。

 

 石野とは81年に結婚し、83年に離婚。「やっぱり愛した人と添い遂げられなかった

というのはどんな人でもキツイからね。苦しいからね」と離婚当時の心境を明かした。

 

 

石野真子と長渕剛の離婚原因は「君と僕が見た空は高かった」?!

 

1983年当時、正式に長渕剛さん(当時26歳)と石野真子さん(当時22歳)が

離婚したという話を聞いて、「やっぱリ」と思った人も少なくなかったと言います。
何しろ1982年1月23日にハワイで挙式した直後から、二人の離婚説が流れていました。

しかし、幾度となく持ち上がった離婚説も、真子さんが否定し続けたことや、

主婦としての健気に夫に尽くす行動などから、いつもうやむやになっていたのです。

例えば、離婚する1983年の2月下旬、長渕さんが最新曲のレコーディングをしている

仕事場に真子さんが手作りの弁当を作ってやって来たことがありました。
その時は周囲のみんなが離婚など考えらえないほど、夫婦は仲良く談笑していたと言います。

ところが、5月23日の記者会見で、真子さん自身の口から語られたところによれば、

離婚のことは去年(1982年)の暮れに決心

し、2月9日には夫と1年間暮らした東京・世田谷の家を飛び出して、横浜の吉田拓郎さんと

浅田美代子さん夫妻(後に離婚)の所に身を寄せていたと言うのです。

つまり、真子さんは離婚すると決めて別居している最中に、夫の仕事場に弁当を届けに

行っていました。このような背景もあり、離婚の噂や信ぴょう性がどこまで真実なのか、

記者にもわからなかったのです。

何か、この離婚劇の裏に隠されているのではないか?
そう感じた記者達が、「嫁と姑の不仲説」や「夫の暴力説」などを挙げましたが、

そういった噂を真子さんはキッパリと否定しました。

離婚会見の席上では、

夢と現実のギャップが大き過ぎてこうなリました。

このまま彼の奥さんといて良いのかしらと思った。

と語った後、大粒の涙をこぼしたのです。

結局、具体的な離婚原因については、真子さんも長渕さんも多くは語りませんでした。
真子さんは、

日々、生活しているうちに離婚について考えるようになった。

と言い、長渕さんは、

君と僕が見た空は高かった。

という歌詞(Jungle Gym)の一節を持ち出して、その心情を語ったのです。

二人でいても寂しかった。

と、真子さんはコメントし、夫婦の会話が少なかった家庭だったことも明らかになりました。

「このままでいいのかしら?」と手紙や詩で気持ちを伝えようとした真子さんの努力も、

ツアーで家をあけることの多かった長渕さんには、最後まで真剣に受け止めて

もらえなかったらしいのです。「女は黙ってついてこい」という九州男児の長渕さんと、

「甘えられる暖かい家庭を夢見た少女のズレ」だという関係者の声もありました。

彼女は彼女なりの、僕は僕なりの人生を歩むことがベストだ。

と、最後に語った長渕さん。
こうして1年4ヶ月に渡る二人の結婚生活にピリオドが打たれたのです。

 

 

志穂美悦子、長渕剛から結婚時に言われた言葉を紹介 

ハライチ岩井「北斗の拳みたい」と驚く  

 

女優、志穂美悦子(68)が4日、フジテレビ系「ぽかぽか」(月~金曜前11・50)に出演。

夫でシンガー・ソングライター、長渕剛(67)から結婚時に言われた言葉について明かした。

番組では作詞家、湯川れい子さんから結婚を機に家庭に専念し、家族のために尽くしてきた

ことを称賛するメッセージが寄せられた。志穂美は「引退するつもりはなかったんですよ。

あわよくばやりたいと思っていたけど、家の中に2つの星はいらないと言われて。かの方に」と

長渕の希望だったと告白。番組MCのお笑いコンビ、ハライチの岩井勇気(37)は

「2つの星。北斗の拳みたい」とつっこんだ。

志穂美は「今までの私のキャリアはって言ったら、まあ、おいおいな、みたいなって感じ

だった」。その後、出産したことで気持ちが変わり、「自分の仕事はいいやって思いましたね」と家庭に専念していたという。「成長して〝おいおい〟がきた?」と聞かれると、

「(フラワーアーティストとして)お花もやらせてもらっているし、

子供が巣立ったから、まだおいおいとは思ってない」と語った。

長渕は花の作品の感想を言ってくれることはあるかと聞かれると、「私だけではなく、

3人の子どもに対して褒めたことがまずないです。頑張ったねは言ってくれるけど、目線が

人と違うから、ここはこうじゃないって。よくいえばアドバイス(をくれる)」と明かした。

また、湯川さんからのメッセージでは、過去に夫婦げんかをして湯川さんが仲裁に入ったことが明かされた。メッセージでは「真相は不明」としたが、「先に手を出したのは悦子だ」という

当時の長渕の主張が紹介され、アクション女優の先駆け的存在の志穂美は「してないしてない。かの方(長渕)が先なのに。私は商品には手を出さない。手を出したり足を出したりはない」と釈明して笑いを誘った。

 

 

高校生時代に、帰りの電車に ”当時の長渕剛さん” 似のお兄さんがキターを抱えて

電車に乗っていたのを思い出しました。凄くそっくりで、本人かと見間違えるほどでした びっくりあせる

そして、従妹から長渕剛さんのLP「逆流」をもらったり、当時の男友達(笑)から

長渕剛さんのファンだったのでLPを貸してあげると言われ借り、「乾杯」が凄くいい曲と

言われ感想を聞かれた記憶が・・・私は、「素顔、夏祭り」も好きな曲でしたが 恋の矢 ギター 音譜

 

石野真子ちゃんとは離婚しましたが、その後、志穂美悦子さんと共演がきっかけで結婚して、

3人の子供にも恵まれて幸せそうで良かったです。いつまでも公私ともにお幸せに ニコニコ おばあちゃん 虹

( 人に言えないことが多かったと思いますが・・・占い師の母から聞いていました )

 

 

純ちゃんに嫌な事 ( 首や頭を痛くしない、咳込まさない、口臭も持って来ないで、

体を動かしにくくしないで、転ばさないで ) をしてくるの止めて。 ムキー 爆弾 パンチ!

 

【 ボードゲームの禁じ手 】を使わないで!

いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。

禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。

スポーツやゲームのように明確な規則で禁じられたものだけでなく、

「使うべきでない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。

 

※ このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!その技術使わないで!

 

本当に毎日毎日、人に嫌なことをしてきて何が面白いの?

そんなに仕事が嫌なら転職やストレスを別な方法で発散したらどう?

その力(技術)、もっと人の為に使ったら?自分勝手に使うんじゃなく。

人の潜在意識に入って来て、中枢神経や末梢神経などを触ってコントロールしてこないで 物申すパンチ!

思考の低下、記憶障害、自分の考えを人に言わさないで。迷惑行為禁止。

過保護禁止。トイレ関係。自分の都合がいい情報を吸い上げない。プレッシャーをかけない。

プライバシー侵害、個人保護法。水晶禁止。プレッシャーをかけない。

人の感情を持って来ないで!姉のパワーを使わないで!パワーや感情を抑えたり使わない、

人の後ろに憑かないで、憑依しないで。直してから出て行って!

その力、仕事にだけ使って、自分勝手に使わないで。みんな(全部)に対して良い様に使って。

全責任は、お母さん達に取ってもらう。言論や表現の自由が法で定められている プンプン 

人のPCやスマホに、ハッカーみたいに侵入してこないで パンチ!むかっ

 

3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守 って。みんなに対して パンチ!パンチ!パンチ!

( 私の言うことを聞くように・命関係は打ち止め・引退関係。契約書、反故にしない )

 

 

いつもありがとうございます。

 

最後までお読みいただきありがとうございました 愛飛び出すハート