2012.02.27 夕刊フジ
22日に肝臓がんのため死去したフォーリーブスのリーダー、北公次さん(享年63)の
葬儀・告別式が26日、東京・西小岩の東京葬祭慈光殿で営まれた。
アイドル時代から追い続けた芸能評論家、肥留間正明氏が波瀾万丈の生涯を綴った。
◇
彼こそジャニーズタレントの原点だった。
ジャニーズ事務所がタレントを選ぶ基準は(1)運動神経(2)歌唱力(3)ルックス-と
いわれている。和歌山県田辺市出身の彼は中学校時代、体操で県大会・中学生の部で
優勝するほどの運動能力に恵まれていた。
中学校卒業後、名古屋の玩具問屋へと集団就職、ジャニーズを見て
「アクロバットで人気スターになれる」とタレントをめざした。
スリーファンキーズのバックバンドのバンドボーイになった彼は、ジャニー喜多川氏に
見いだされてジャニーズの付き人になり、ジャニー氏の自宅兼合宿所で住み込み生活を始めた。
1968年フォーリーブスは「オリビアの調べ」でデビュー。この当時は、ザ・タイガースなどのGSが全盛時代を迎えていたが、ステージではバック転を披露。
歌って踊れる現在のジャニーズ事務所のアイドルの原型を確立したのは彼だった。
70年から7紅白歌合戦に出場するほど人気を集めた。
アイドルの典型的な転落を演じたのも彼だった。78年8月31日に解散するグループ末期の
3年間は覚醒剤漬けだった。当時、彼と会うと左目が異常に輝き、挙動不審で落ち着かない。
話に集中力がなくいつも浮ついていた。
79年4月、覚せい剤取締法違反で逮捕された後は帰郷し、和歌山県田辺市で漁業組合に
就職した。暇を持て余したのか、よくパチンコをしている姿が目撃されていた。
芸能界への復帰は夢だった。東京・浅草で北に会ったが、アイドル時代の面影は失せてうだつの上がらない平凡な中年のおやじに変貌していた。88年には暴露本『 光GENJIへ 』を出版する。
口下手で寡黙。決してタレント向きの性格ではなかった。しかし「私がいないと彼は
ダメになる」と思わせる母性本能をくすぐる陰を持っていた。結婚、離婚を繰り返し、
94年に再々婚して、麻布十番と下北沢にブティックを開店。店の経営はうまくいかず、
介護ヘルパーなどで生計を立て、苦労が続いた。光が見えたのは、2002年のフォーリーブス
再結成。NHK「第38回思い出のメロディー」では57歳にしてバック転も披露。
09年にメンバーの青山孝史氏が肝臓がんで急逝し、活動を休止した。
「70歳までバック転をやってほしかった」と、残るメンバーの江木俊夫(59)、
おりも政夫(58)は涙ながら語っていた。
35年前から…「 女を知る前に男と性体験してしまった 」ジャニー
喜多川氏に弄ばれたと綴った北公次らアイドルの悲痛な叫び
2023/09/15 文春オンライン
2023年上半期(1月~6月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5を
お届けします。芸能部門の第4位は――。(初公開日:2023年5月23日)
※内容は掲載当時のものです。
2023年5月14日、ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長(当時)が顔を出し謝罪動画を
公開した。先代社長であり叔父である故・ジャニー喜多川によるタレントへの
性加害を認めはしなかったが、これまでは動かなかった山が動いた。
ジャニーズタレントのインタビューなどを多く手掛けてきたライターの村瀬まりもさんは
「フォーリーブスの北公次に始まり、タレントによる告発は35年前からいくつかあった。それなのに性加害疑惑を追求、報道してこなかったわれわれメディアの責任は重い」という――。
撮影=プレジデントオンライン編集部 1988年に出版された『光GENJIへ
1988年に実名で出版された最初の告発本の内容とは
「少年愛にとりつかれた男が経営するジャニーズ事務所にいるアイドルたちよ、
おれの二の舞にだけはなってくれるな」
これは1988年に出版された『 光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記 』(データハウス)の一節である。ジャニーズ事務所の創業者にして初代社長・ジャニー喜多川(1931~2019年)に性的行為を強要されたという元所属タレントの告発が相次ぐ現在、筆者が仕事の
フィールドとするエンターテインメント業界、また、テレビや新聞や出版の報道は、
「なぜこの異常とも言える状態を変えられなかったのか」と責任を問われている。
その検証を始めるためにも、35年前に初めて実名( 北公次はタレント名で本名は松下公次 )で勇気ある告発をしたこの本を読んでみた。
フォーリーブスは1967年に結成され1978年まで活動した男性4人のアイドルグループ
( 後に2002年再結成 )。1970年から7年連続でNHK紅白歌合戦に出場し、昭和の歌謡界
華やかなりし頃、10年以上も高い人気をキープした。「にっちもさっちも……」の
フレーズで有名な『 ブルドッグ 』や『 踊り子 』など38枚のシングルレコードを出した。
若かりし頃のジャニー喜多川はハンサムな青年だった
ジャニー喜多川とその姉・メリー喜多川(1927~2021年)がマネジメントした最初のグループであるジャニーズ(あおい輝彦らがメンバー)の解散後、その跡を継ぐように売り出されたのがフォーリーブスだ。和歌山の漁村で生まれ育った北公次もジャニーズにあこがれて上京し、
東京オリンピックが開催された1964年、ジャニーズが出る音楽イベントの会場でジャニーと
出会ったという。そのときの様子を北は「舞台そで」にいた「ハンサムな青年」に声をかけられたと綴っている。それが当時33歳前後のジャニー喜多川だった。高校へは進まず、16歳にして無職だった北は、彼に拾われた形で四谷にある「お茶漬け屋の二階」に住まわせてもらうことに。しかし、まったく予想していなかったことに、それから4年半もジャニーと性的な関係を
続けることになったと記している。
16歳の少年だった北公次は性行為を拒絶したというが…
北の手記によれば、下宿して2日目の夜に、ジャニー喜多川が自分の布団の中に入ってきた。
そして、数日後には、アイドルデビューを約束するような言葉を吐きながら、北の体をマッサージして全身にキスをし、性器を弄り始めたという。さらに北の性器をみずからの口にふくみ、「やめてください」「いやですよ」と拒絶した北を「巧みな技巧で」射精させた。
本の描写はとても生々しく、そのときの性行為が詳細に記してあるが、その被害パターンは2023年5月17日に放送された『 クローズアップ現代 』(NHK)で紹介された比較的新しい
証言とほぼ合致する。同番組で証言した元ジャニーズJr.の二本樹(にほんぎ)顕理(あきまさ)は、1990年代、中学1年の時にジャニー喜多川からジュニアの「合宿所」(都内高級ホテル)に
泊まるように言われ、そこで性被害に遭ったと語った。
「寝入る頃から( ジャニー喜多川が )ベッドの中に入って、最初は肩マッサージしたりとか
体全体を触られるようになりまして、足とかもまれたりする感じですね。そこからだんだん
パンツの中に手を入れられて性器を触られ、そこから性被害につながっていくようになるん
です。そこからオーラルセックスされました」(『クローズアップ現代 “誰も助けてくれな
性経験がなかった少年たちはひどく困惑したと告白
昭和の活動初期から大企業に成長した平成まで約50年間、ジャニー喜多川はスカウトした
少年たちに同じような手口で性的なことを強いてきたのではと推測できる。
二本樹はそのとき性経験がなく「すごく困惑して体が硬直した」と語った。
北も「女を知る前に男と性体験してしまった」と複雑な気持ちになったという。
北は「怖さといやらしさと不安と……せっかく芸能界にデビューできる近道をつかんだと思ったその恩人に今こうやっておもちゃのようにもてあそばれている」ことに言いしれぬ感情が渦巻
いた。行為の翌日1万円を渡された二本樹も「お金で買い取られた。売春みたいだなと。
自分の価値をお金で決められた」と感じた。被害に遭った時代は30年も違うが、13歳や16歳の少年にとって、それは生涯抱えることになる強烈なトラウマになりうる出来事だった。
2023年5月21日に、ジャニーズ事務所所属タレント最年長である少年隊の東山紀之は、
出演する番組「サンデーLIVE‼」(テレビ朝日)でこう語った。
「今回の喜多川氏に対する元Jr.たちの勇気ある告白は、真摯 (しんし) に受け止めねば
なりません。実際に被害を訴えられていることは切実で、残念でなりません。
未成年に与えた心の傷、人生への影響は計り知れません」
〔 2023年5月21日放送「サンデーLIVE‼」(テレビ朝日)より 〕
芸能界デビューと引き換えに体を差し出すよう迫ったか
二本樹は合計10~15回、被害に遭ったと証言した。
2023年4月に記者会見した元Jr.の岡本カウアンも15~20回襲われたと語ったが、北は4年半も毎晩のように性行為を求められたと振り返っている。ただ、異性愛者である北にとって、
「毎夜のジャニーさんの愛撫 (あいぶ) はまさに生き地獄だった」という。
では、なぜ彼らは性行為を拒まなかったのだろうか。その理由もまた、何十年経っても変わら
ない。北はこう綴っている。「しかし東京で食いつなぎながらアイドルになるためには、
ジャニー喜多川氏のもとで生活する以外に手段はなかった」「ジャニーさんにからだを
まかせるのも、芸能界でデビューして必ずアイドルになってやるんだという目的のためだった」
『 光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記 』(データハウス)
当時から亡くなる直前まで、ジャニー喜多川には絶大な権力があった。昨日までただの無名の
一般人だった男の子が、彼にひと声かけられれば一夜にして、オーディションもなしに華やかなコンサート会場に立つことができる。本格的にデビューしてレコードやCDを出せば、全国放送のテレビに顔が映り、歌番組やドラマに出て、サラリーマンでは考えられないほどの収入を
得られる。実は初期のジャニーズ事務所がタレントに正当な報酬を払っていなかったのでは
という疑惑は、北の本にも書かれているが、スターを夢見る少年たちはそう信じていたのだ。
当時も合宿所に寝泊まりする複数の少年が被害を訴えた
男性に対する性行為の強要やレイプは罪に問われず、「均等法のセクシュアルハラスメント
対策規定」(2019年施行)、いわゆるセクハラ防止法もなかった時代。
しかし、人権意識に照らし合わせれば、告発された内容はアウトでしかない。
北はジャニー喜多川に「コーちゃん」と呼ばれ、恋人や夫婦のように親密な関係になったが、
やがて合宿所に寝泊まりする他の少年たちも性被害に遭っていることがわかったという。
ある日、北は小学3年生ぐらいのアイドル予備軍の男子に相談されたそうだ。
「おとなのおとこの人ってみんなあんなことやるの? あのねえ……ジャニーさんがメンソ
レータムもって部屋にくるの。ぼくいやだよ、あんなこと……。きもちわるいよ」
『 光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記 』(データハウス)
証言の信憑性は慎重にチェックすべきだが…
フォーリーブスとしてデビューした後も北とジャニー喜多川の関係は続き、仕事で疲れきって
いた北がジャニーに体をまさぐられて「やめてくれっ!」と叫んだことも。
パジャマ姿で逃げ出した北は真っ青な顔で涙を流し、その姿をファンに目撃されたという。
そして「この男たちの愛欲の館と化している合宿所から抜け出そう」と決心する。
YouTubeもSNSもない35年前、元所属タレントが深刻な性加害を実名で告発していた。
なぜ報道メディアがそれを大きく取り上げてこなかったのかというと、事務所への忖度(そんたく)という側面に加えて、北がジャニーズ事務所を辞めてからの経歴も影響したと考えられる。北はアイドル時代から薬物に手を染め、1979年に覚醒剤取締法違反で逮捕されている。
クスリでラリっていたような前科持ちの証言は信用できない。メディアがそう判断した
部分もあっただろう。さらに北はこの『 光GENJIへ 』シリーズで告発を続けながら、
2002年にはジャニーズ事務所と和解した形でフォーリーブスを再結成している。
2012年に病気で亡くなった際には、ジャニー喜多川とメリー喜多川に対して感謝の言葉も
残しているので、喜多川姉弟の責任を問う意志があったのかは、疑わしくもある。
これは岡本カウアンの会見で、彼がTwitterで「ジャニーズ事務所に訴えられました」と虚偽の投稿をしたことが指摘されたのと同じで(本人は多くの人にクリックしてもらい震災被害への
寄付をする目的だったと回答)、証言に信憑性があるかということはチェックすべきだろう。
覚醒剤で捕まったが性被害の告発には誠意があった
しかし、北公次が自分にとってなんのメリットもない性被害について綴ったのは、この本の
仕掛け人でもあったAV監督・村西とおるの意向もあるだろうが(村西はジャニーズ事務所と
対立していた)、そこには自分のような被害者を出したくないという “一分の魂” が
あったからだと思われる。「おそらくジャニーズ事務所のなかでは今もきっとこれと同じことが行われているだろう。すべてをここで書き記すことがこの書のつとめでもあるならば、
あの事実を記すこともやはり避けて通ることはできない」
『 光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記 』(データハウス)
藤島社長は幼少期から合宿所のタレントと接してきたか
性加害の告発という本筋からは少し逸れるが、『 光GENJIへ 』にはこの問題を考える上で
注目すべき記述が他にもいくつかある。
まず現社長であり、ジャニー喜多川の性加害について「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした」とコメントした藤島ジュリー景子が出てくる場面。北が事務所にいた1970年代、ジュリーは就学前か小学生だったと思われるが、母親のメリーと共に合宿所に出入りしていた。北がその一室で発作的にガス自殺を図った時は、マネージャーが部屋の外からドアをこじあけようとし、大人の手ではドアの隙間に手を入れられないので
ジュリーが手を入れたという。幼い頃から合宿所に入り浸り、アイドルのそんな裏の姿も
見てきた彼女が、叔父の性的指向や性行為の強要を知らなかったとは考えにくい。
『 クローズアップ現代 』の調査によれば、元所属タレント13人中6人、つまり半数が性被害に遭ったと回答している。岡本カウアンの推測によれば被害者は計100人以上。社会人になり、フジテレビを経てジャニーズ事務所に入ったジュリーは、TOKIOや嵐などをブレイクさせたが、たくさんのタレントと接する間、彼らから性被害について相談されたことはなかったのだろうか。
ジャニー喜多川イズムが詰まった舞台『 少年たち 』
また、フォーリーブスと言えば、ジャニーズのファンにはおなじみのミュージカル『少年たち』の初演(1965年)を成功させたグループである。この物語は、日米の二重国籍をもちアメリカのエンターテインメントを日本に輸入してきたジャニー喜多川が『 ウエスト・サイド・
ストーリー 』などにインスパイアされ、少年刑務所に入っている少年たちのハングリーな
生きざまを描いたもの。
企画・構成・総合演出を手掛け、ジャニー喜多川イズムが詰まったこの舞台は、フォーリーブス時代に公演100回を超え「エネルギッシュな踊りと歌に酔いしれた少女たちは、夜通し合宿所を取り囲んで……」と北は振り返っている。それから50年間引き継がれ上演されてきた
『 少年たち 』。映画版はSixTONESやSnow Manのメンバーを中心に撮影され、
2019年、ジャニー喜多川が死去する直前にその“偉業”を称えるような形で公開された。
北公次の叫びは性被害の連鎖を止められなかった
しかし、53年前に発売された『少年たち』のサントラ盤のジャケット写真で上半身裸になっている北たちの姿には、ジャニー喜多川が彼らに向けていた性的な視線が反映されているよう
にも見える。おそらくジャニー喜多川はこの現場にいて、撮影のディレクションをしていた
ことだろう。欧米なら小児性愛を喚起させる写真としてジャッジされそうなこのイメージが、
なぜ日本では良しとされてきたのか。“昔の話” ではなくこのレコードは2007年にCDとして
復刻され、現在でも販売されている。
ハラスメントについて語られるとき、よく「今の時代に合っていない」「もうそんなハラスメントをしていい時代じゃない」というフレーズが使われる。それはハラスメントを続けてきた
相手には有効な説得方法かもしれないが、真実ではない。人権を尊重し人の心を守るためには、ハラスメントはいつの時代にもしてはいけないものであるし、セクハラ、性加害も
いつの世にも許されず、糾弾して責任を追求するべきものであるのだ。
芸能やエンターテインメント業界はどこから間違ってしまったのだろうか。
未成年に対する大規模な性加害があったとして、そこで心の傷を抱えた被害者たちを彼らの
タレントイメージを損なわないようにして救うためにはどんなアクションをすればいいのか。
東山紀之が「ジャニーズという名前を存続させるべきなのかを含め、外部の方とともに全てを新しくし、透明性をもってこの問題に取り組んでいかなければならない」(2023年5月21日放送「サンデーLIVE‼」)と語ったように、解決は簡単ではない。「おれの二の舞にだけは
なってくれるな」という北公次の叫びを無視し続けたことが、35年後の今、重くのしかかる。
村瀬 まりも(むらせ・まりも)ライター 2023/09/14配信
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも
別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。
「リアルサウンド映画部」などに寄稿。
【 ジャニーズ 】34年前“怒りの”告白ビデオ入手
「 騙すのはよくねえっつんだよ!」複数の当時 Jr.も証言
TBSテレビ
「正直言ってね、書いてくれんの、何社しかいないよ!」怒りの “告白ビデオ”
1967年から78年にかけて一世を風靡したジャニーズタレント「フォーリーブス」。
解散から10年後の1988年、メンバーのひとり、北公次氏がジャニー氏から受けた性被害を
赤裸々に綴った告白本を出版。著書は35万部も売れたが、当時、新聞やテレビでは
ほとんど取り上げられることはなかった。
翌年、40歳になる北公次氏はこのビデオでも被害を訴えていた。
元フォーリーブス 北公次氏(ビデオ証言より)「正直言って我慢しなくちゃいけないという
雰囲気に作られちゃって、この人の言うことを聞かないと、デビューできないな。
実際にデビューさせてやるってことを聞いてましたから、この人のいうことを、
ジャニーのいうことを聞かないとデビューできないと思ってましたから」
このあと話はジャニー氏とメリー氏の問題に及ぶ。
北公次氏(ビデオ証言より)「一番ジャニーに考えてもらいたいことは、メリーにも考えて
もらいたいことは、20年間まだ同じことを繰り返してるってこと。僕はそれを言いたい」
さらに語気を強めてこう言った。
北公次氏(ビデオ証言より)「騙すのはよくねえっつんだよ!子供だけじゃなくて親までも
騙してさ。俺が告白しなかったらどうなる?やめろよ、もう。繰り返しはやめろよ!」
当時、問題を取り上げなかったメディアに対しても。
北公次氏(ビデオ証言より)「正直言ってね、書いてくれんの、何社しかいないよ!新聞は
書いてくれんわな。女性週刊誌が書いてくれん。テレビ、レポーターは何もやってくんない」
告白本の編集と、このビデオの監督を務めたノンフィクション作家の本橋信宏さん。
会った当初、北氏は性被害を否定していたという。
ノンフィクション作家 本橋信宏氏「公ちゃんがジャニーさんと付き合っていた噂があるが、どうなんですかと聞いたら、即座にそれは違うと。そんなの知らないという感じでスルーされた」
だが、取材を重ねるうちに真実を洗いざらい話したという。
当時、北氏にはマスコミや世間から「売名だ」「金儲けだ」などといった厳しい声が上がった。それでも…
本橋信宏氏「目の前で犯罪行為が行われていたら、見て見ぬふりは普通はやれない。
メリーさん、ジャニーさん、いい加減やめておけよと。マスコミにも本を出して訴えた。
警察にもジュニアが行ったけど、どこも相手にされないから四方八方の閉塞感はすごい」
そんな北氏は、こんなメッセージを残していた。
北公次氏(ビデオ証言より)「これから新しく生まれる、未来ある若手の若い子がまた
同じ目にあって、それも親も知らずに、ジャニーズ事務所だから安全だとか、
そういうことは絶対ありませんから。それだけ言っておきます」
ビデオでは、複数の元ジュニアたちもジャニー氏による性被害を証言している。
その中のひとりは北氏から直接こう言われたという。
ビデオで証言した 元ジャニーズJr.「人生がボロボロになっちゃうから、俺みたくならない
ように今辞めろと。熱心にもう(レッスンに)行くなと。僕のことを思って言ってくれていると感じた。北さんがいたから僕は辞めてやってこれたと思います」
北公次さん亡くなる前日に “遺言”
本当に本当にありがとうございました。
北公次としての人生を全う出来た僕は本当に幸せでした。
大好きなステージを沢山させていただきました。
きっと
僕からのこのメッセージを読んでいただける頃は
もう僕は居ませんがみんな悲しまないでね。
僕は空からみんなを見守るよ!
ありがとうを言うのもこれで最後です
今まで応援ありがとうございました。
そして最後にどうしても言わせていただけるなら
ジャニーさん
メリーさん
ありがとうございました
感謝しています。
2012年2月21日
北公次(原文まま)
文中には、間近に迫った死を覚悟したような文言があり、北さんが瀕死(ひんし)の
状況の中、つづったものとみられる。また最後にはフォーリーブスが所属していた
ジャニーズ事務所の社長ジャニー喜多川氏と姉のメリー喜多川氏への感謝の言葉をつづった。
北さんは暴露本「光GENJIへ」を発刊、ジャニー氏らを批判したことがあり、
その謝罪の思いを最後に伝えたかったようだ。
北公次さんは、自分の薬経験から江木さんにアドバイスができたんですね
最初にインタビューを受けた時は、本人が否定していたのに、すぐに肯定したのは
何かあったんだと思うのは当たり前です。
占い師の母が「相手には立場もあるから・・・」と言っていました
( 本当の事を言いたくても言えない。でも、いろんなことを無理に理解しなくてもいい )
2012年2月22日に肝臓がんのため死去したフォーリーブスのリーダー、北公次さん(享年63)の葬儀・告別式が26日、東京・西小岩の東京葬祭慈光殿で営まれた。
青山 孝さんは、2009年1月28日午前2時頃、青山の容体が急変します。同4時頃には吐血し、
同7時にめぐみ夫人と10歳の長女に見守られながら静かに息を引き取ります。57歳で死亡。
天国でみんなと出会えて、悩みなく楽しくしていますか?
これからも、占い師の母を信じて頑張って行きます。見守っていて下さいね
源氏物語りのあらすじ
三十四帖 若菜上(わかなじょう)
六条院への行幸後、病にかかり強く出家を望む朱雀院は、愛娘の女三の宮の行く末だけを
気にかけていた。あれこれと候補者を考えた末、朱雀院は姫を源氏に託す決心をする。
一度は固辞した源氏だが、正妻として姫を受け入れる。
紫の上の心は激しく揺れるが、かろうじて冷静さを保っていた。
年が明け、玉鬘が源氏の四十の賀を催す。
二月中旬、女三の宮が六条院に迎えられた。
源氏は紫の上とくらべ、あまりに幼い女三の宮にあきれ果てる。
紫の上の苦悩は絶えず、その重苦しさから逃れるように、源氏は朧月夜を訪問する。
明石の女御が懐妊し、六条院に下がった。
これを機に紫の上は女三の宮と対面し、六条院の秩序の維持に努める。
翌年三月、明石の女御は男児を出産。宿願をかなえた明石の入道は、山に入り、消息を絶つ。
春うららかな日、六条院で蹴鞠が催された。
偶然にも猫が御簾を引き上げ、柏木が女三の宮を垣間見、懸想する。
女三の宮と柏木の秘密
みんなと個人的に約束しているのなら、絶対に約束を守って、約束を破らないで
最近、また純ちゃんに嫌な事 ( 首や頭を痛くしない、咳込まさない、口臭も持って来ないで、
体を動かしにくくしないで、転ばさないで ) をしてくるの止めて。味覚障害も
【 ボードゲームの禁じ手 】を使わないで!
いくつかのゲームには、ルールで定められた禁じ手が存在する。
禁じ手を打った(指した)場合、即座に負けとなるのが一般的である。
スポーツやゲームのように明確な規則で禁じられたものだけでなく、
「使うべきでない」とされる手法についても「禁じ手」と呼ばれることがある。
※ このルールを違反した時点で、ゲームオーバー及びゲームアウト!
人の脳の中枢神経などを触らない、潜在意識などに入ってコントロールしないで
( 目の錯覚、老眼近視。思考が低下、停止にしない。記憶が出来ない、出てこない、忘れる。人に自分の考えを言わさない。理性を失わせないで。胸などにモヤモヤとさせないで。口臭も
人の仕事の邪魔をしないで、人の後ろに憑かない憑依しない。喉、頭や首の神経を痛くしない。
特に、乗り物を運転している時は、絶対に頭を低下やボーっとさせないで!体調不良にしないで
人を縛らない、人をコントロールしないで、もっと自由にさせて。人のモノマネや水晶禁止。
人に嫌なことをしたり、言って脅さない。人に必要以上に執着や嫉妬しない。過保護にしない。
人にお金を使わさないで( 家や外食、テイクアウト、旅行仕事も含む )。プライバシー侵害
個人保護法。人を嵌めないで。楽天、ソフトバンクグループに嫌な事はしないで、緊張させない
その力、仕事にだけ使って、自分勝手に使わないで。みんな(全部)に対して良い様に使って
人に対して完璧主義を押し付けないで(暴言や自分勝手な言動行動は慎んで、人を縛らない)
深夜に毎日、連絡してこないで。自分が言った言葉に責任を持って、高圧的に言ってこない、
考えが甘い、ワガママを言わないで。トイレ関係。唇びるを痺れさせない。こけさせない。
顔や身体を熱く冷たくしない )吸い上げない。怒りの感情を倍増しない、笑い上戸にしない。
人のアイデアを盗ったり、利用しないで自分で考えて。パワーや感情を抑えたり取らないで。
やる気を取らない。ちゃんと直して。職権乱用しない。全責任は、お母さん達に取ってもらう。
解散や休止、脱退、独立、退社、業務提供解消させないで。離婚も。言論や表現の自由が
法で定められている)人のPCやスマホに、ハッカーみたいに侵入してこないで
3つの約束やルール、個人的に約束した事、日本の常識は必ず守 って。みんなに対して
( 私の言うことを聞くように・命関係は打ち止め・引退をさせない。契約書、反故にしない )
いつもありがとうございます。
最後までお読みいただきありがとうございました