タイの葬儀と荼毘に参列 | + つれづれ in タイ・バンコク +

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2014年04月からタイ・バンコクに移住しています。
しごとは現地採用、1人暮らしです。
遊園地でも旅行でも1人でどこでも行けちゃう派。
でもインドア。手広くちょっぴりオタクです。

今週は、しごとの関わりで、
タイの葬儀に参列しました。

その備忘録。

以下、聞いたコトや感じたコトを情報源の主としており、私自身がタイ仏教、タイの文化、タイ語等々に明るいワケではないので、誤りがある可能性もあるかと。


タイでの葬儀に参列するのは、
今回で3回目。




どの時もしごと関係で、それぞれ異なる状況や進行も感じられました。


◆ 参列 1回目:
王族ともゆかりのある同業の偉い方の葬儀。
格式の高いイレギュラーなお式。
棺が坐位式の縦長タイプで、火葬は100日後。
葬儀は何日にもわたって開かれ、葬儀の主催は日によって変わる持ち回り制。
当時の勤務先が主催のときの葬儀に参列。

◆ 参列 2回目:
同僚だった女性の内縁の旦那さまの葬儀。
当時の勤務先が金銭的な支援をして式を取り行った。
棺は日本の一般的なものと同じく臥位式。
西洋人や日本人の参列が珍しかったようで、式中にたくさん写真を撮られる。

◆ 参列 3回目:
仕事関係でお世話になっている方の御尊父様の葬儀。
葬儀と荼毘(火葬)への参列。
棺は臥位式。



今まで参列した葬儀は、1度も面識のない方々ばかりで、日本の葬儀の縁の濃さとは異なるように思います。



参列者の様子の動画や写真もたくさん撮られ、「こんなにたくさんの人が来てくれた」「こんなに偉い人が来てくれた」という雰囲気にも、重きを置いているように感じています。

話を聞く限りだと、「外国人までもが来てくれた」というのは箔がつくようで、ポイントが高めなようです。



式中の雰囲気も、日本より全然明るい。

近しい方々の悲しさや寂しさはもちろんおありだろうとは思うのだけれど、どんよりした重苦しい雰囲気はそこまで感じるコトはないかも。

お隠れになられた方々がご年配だったというのも要因の1つかもしれないけれど、それでもやっぱり、明るいと思う。

式中にスマホ操作は当たり前だし、服装も緩めなのもあるのかも。

服装で言うと、
足元はサンダルや白のスニーカーでもOK。
黒ければTシャツやポロシャツでもOK。
生足、肩出しも場合によってはOKそう。


棺の右側で三礼→棺の前で一礼、といった作法などに関しては、共通している流れがいくつかあったから、たぶん「式」としての型がある程度決まっているのだろうな、と思います。



今回は、初めて荼毘の際にも参列しました。

お坊さまのお話を30分ほど聞いた後、火葬場へ。
おそらく説法だと思うのだけれど、もちろん全てタイ語でした。
こういう時、ずっと手を合わせたままじっくりとお話を聞いている人、ずっとSNSをやっている人、寝ている人…と、性格の違いが如実に出るねえ。

説法はタイ語だからほとんどわからなかったけれど、聞き取れた部分のお話は「分かち合おう。分け与えよう。」的なコトだったかと。

お坊さまの独特の話し方がすごく心地よい。
あのリズム感と言葉の響きの柔らかさが、好き。


そしてその後、荼毘へ。


お寺から別の火葬場などに移動するのかと思いきや、全てお寺の中で完結していました。
コレが出来るかどうかは、お寺次第そう。

棺の下に白いお花を1人ずつ捧げて、
お見送りをしました。

お会いしたコトはないけれど、
とても寂しい気持ちになりました。
周りは変わらず明るかったけれども。



お寺では、ごはんも振舞われます。


精進料理とかでは一切なくて、
肉も魚も全く問題ないようです。


同じ仏教文化でも、いろいろと違うよう。



葬儀関係なく、どこのお寺でも共通しているのは、この人たち。


道端のわんこ達より、お寺のわんこの方が毛並みもよく、活発に歩き回っているように思います。





タイの文化を知る上でも、とても貴重な体験でした。

ただ、寂しいコトなので、出来る限り参列しなくてよい状況が続けばよいのに、と思います。