第二弁天橋 (浜松市天竜区水窪町奥領家、地頭方) | 手当次第

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気になる所にいってみる

JR飯田線水窪駅の南にかかる吊橋、第二弁天橋です。

 

詳しい地図で見る

 

 

タイトルの橋の紹介に移る前に、第二と付くからには当然気になる第一弁天橋の話から。

 

二つの弁天橋は水窪川の中州である弁天島を介して両岸を結んでいた。

しかし2013年2月に、高校生七人が駅伝の練習中に第一弁天橋を渡っている最中にアンカーが破損し桁が傾くという事故が発生する(高校生は手すりにつかまるなどしてけがはなし)。

そのまま第一弁天橋は撤去され、第二のみが残って現在に至る。

 

ストリートビューで破損前の第二弁天橋の姿を確認できる。

 

近くの押沢橋のような、遠州地方でよく見る赤いトラスの主塔の橋だった。

私もまだ今ほど橋に興味がない頃だったが、国道の上にかかる古そうな吊橋にはインパクトがあって記憶に残っている。

全長約32m、幅約1.2mで、1965年完成だったとのこと。

 

で、その第一弁天橋がかかっていた部分の現在の姿がこちら。右が西側の橋台になる。

第一弁天橋跡

 

橋台の半ばにフェンスが立てられており、奥までは進めない。

第一弁天橋西側の橋台

 

吊橋が無くなったので、西岸から弁天島へ渡るにはここから一旦国道沿いに北へ50mほど進み、川沿いへ下りて引き返す形で迂回する必要がある。

 

もともと橋がかかっていた場所の下あたりに、飛び石風の沈下橋が造られている。

弁天島への沈下橋

 

名称は不明だが新第一弁天橋と名付けよう。

第二第一弁天橋でもいいな。

 

中州の南側には弁天島荘という看板の建物があるが、もう営業して無さそうだ。

弁天島荘

 

中州に建っていて吊橋で渡るロッジなんてちょっとワクワクするが、世間的にはあんまりウケなかったのかな…

 

中州の上から、第一弁天橋のかかっていた場所を見る。

弁天島からの第一弁天橋跡

 

そして中州と東岸を結ぶ、今回のタイトルの第二弁天橋。

弁天島からの第二弁天橋

 

コンクリート製の擬木を使ったしゃれたアンカレッジ。

第二弁天橋のアンカレッジ

 

主塔も擬木製。しかも結構リアルな見た目。

第二弁天橋の主塔

 

主塔に立てかけてある浜松市からの「お願い」看板は、今まで市内の他の吊橋でも毎回目にしており、もう気にも留めなくなっていたが、実際橋の上を七人で走ったために破損した吊橋のすぐ隣で見ると説得力がある。

 

正対。対岸はわずかな平地や斜面を利用した畑となっている。

第二弁天橋から東向き

 

橋の上から水窪川上流向き。水窪駅前にかかる同じく吊橋のやすらぎ橋が見える。

第二弁天橋から上流の眺め

 

東岸へ渡り切った正面には鹿のキャラクターを描いたレリーフがある。

 

そういえば今まで水窪の読み仮名を書かずに進めてきてしまったが、写真の通り「みさくぼ」と読む。

この鹿のキャラクターは昔のファミ通の表紙みたいな画風だ。

 

第二弁天橋南東から。

第二弁天橋南東から

 

主塔には銘板があったんじゃないかと思わせる跡はあるものの、名称も建造年も現地では不明。

第二弁天橋の銘板跡?

 

Q地図様でも建造年は不明となっている。

全体的な造りは第一弁天橋よりも新しいように見えるが、片側の橋だけではあまり役に立つとは思えないので、第二も同時期に架設していそうな気もする。

こちらだけ二代目だったりするのだろうか。

 

ちなみに弁天島の北側にはお堂が建っており、名前の通り弁財天を祀っているのかと中をのぞくと、看板には「御嶽神社」と書かれていた。あるいは相殿かもしれないが…。

弁天島の御嶽神社