能登半島北部、珠洲市と能登町の境に位置する恋路海岸には、その地名にちなんだ悲恋の物語が伝えられています。
能登半島一周の途中に立ち寄ってみました。
珠洲市から海沿いを南へ下り、能登町へ入ってすぐの所に恋路海岸の駐車場がある。
道路脇には「ロマンの里 恋路駅」の案内が出ていた。
看板が示す山側に目をやると、少し高い所に「恋路駅」の看板と駅舎やプラットホームが見えた。
これは2005年に廃線となった、のと鉄道能登線の一部を「奥のとトロッコ鉄道 のトロ」として足こぎ式のトロッコに転用したもの。
恋路駅と北隣の宗玄駅の区間のみレールが残されていて、そこを往復するようだ。
とにかく地名に乗っかってロマンチック推しである。後ろに写っているモノについてはおまけで触れる。
ロマンチックを盛り上げるこのようなアイテムも設置されている。
しかしコレ、ハートが割れちゃってるように見えるが大丈夫か。
オレの歪んだ心がそう見せるのか。
あとこういうのに名前書いちゃうような面白くないバカがスシローで醤油なめまわしたりしてんだろうな。
…などと考えているとだんだん荒んでくるので、恋路海岸の風景を見て心を落ち着ける。
訪問時は弁天島と恋路海岸がつながっていたが、潮が満ちると島になるようだ。
砂浜はこの一画のみの小さなものだが、目の前に小さな島があることで不思議な雰囲気があってとてもいい。
で、恋路海岸の伝説について。
源平争乱の頃(1180-85頃)、助三郎と鍋乃という若い男女がこの浜で夜毎逢瀬を重ねていた。
助三郎は鍋乃が灯す明かりを頼りに暗い海辺を渡って来るのだが、ある時二人の仲を妬んだ源次という男が明かりの場所を移して助三郎をだまし、海で溺れさせてしまう(別の話では源次が鍋乃を縛っておいた上で溺れかかった助三郎を斬ったともいう)。
助三郎の死を知った鍋乃は源次の求愛をしりぞけ、自らも海に身を投げて跡を追う。
源次は己の過ちを悔いて仏弟子となり、二人の菩提を弔いつつ諸国を巡ったのち、この地へ戻り観音堂を建てたという。
いつしかそこが縁結びの観音堂といわれるようになり、助三郎と鍋乃の悲恋と相まってここが恋路と呼ばれるようになったとのこと。
話の最後の部分にちなんで海岸の南側に観音像が建てられている。
実はこの型の話は各地にあるらしく、私の地元愛知県でも現在の豊橋市の牟呂にかつては恋路と呼ばれた浜辺があり、似た由来が伝えられている(今は住所としてはなく、正確な場所がわからない)。
こちらの話では通うのは女の方だが、灯りを頼りに海を渡り、ある時それが消えて遭難するという筋は同じ。
ただし灯りを消したのは恋敵ではなく女に飽きた男自身で、最後に男は発狂して女が打ちあがったのと同じ浜に死体となって上がるという救いのない話になっている。(参考)
その他灯りを消すのが娘の父親となっている話もどこかで読んだ記憶がある。
なので話を基に地名が生まれたというよりは、地名に結び付けて悲恋の話が各地に定着したというところだろう。
本来の地名の由来としては恋路海岸の南側が丘陵地となっていることから「越路」の意味ではないかと思う。
同じような例としてこれまた愛知県の渥美半島先端に恋路ヶ浜があり、ここも伊良湖岬へ向かって急に盛り上がった地形となっている。
…まぁこんな野暮なことを言わないで、素直に縁結びの観音様に五体投地する勢いで拝み倒しておく方がいいかもしれない。
おまけ1。
海岸のそばにある謎のロックシェッド(?)。
なんか見覚えがあると思ったらクイックさんが記事にしておられた。
考えられるのはやっぱり横の岩というか山からの落石防止なんだろうが、中途半端な長さも相まってヘンな構造物である。
おまけ2。
駐車場の車止めに小鳥が留まっていた。
私は今回初めて気が付いたが、これは「ピコリーノ」という名前の製品で1981年の発売以来各地の公園などに設置されているそうだ。(参考)
販売元のサンポールが「こんなところにピコリーノMAP」で目撃情報を募集しており、この恋路海岸のものは載っていなかったので送ったら採用されてちょっとうれしかった。
皆さんも参考のリンク先からマップを見て、載ってない場所でピコリーノを見かけたら投稿してみてはいかがでしょうか。