恋路から海沿いに南下し、松波の町を抜けて九里川尻川に差し掛かると、下流の川の中に櫓(やぐら)のようなものが立っているのが目に入りました。
よく見るとそれは橋のようなので、面白そうということで立ち寄ってみました。
のどかな風景の中に急に現れるハデで巨大な物体。
主塔が装飾されているが形式的には普通の斜張橋だ。
右岸正面。車止めが置かれ歩行者と自転車しか渡れない。
橋の上に立つと主塔はかなり高く感じられる(高さ23.8mとのこと)。
右上に書いてある「ロマンの里 うちうら」は恋路海岸でも見かけたフレーズだ。
上段の絵は恋路の由来となった物語の二人と、橋のモチーフとなった切籠(きりこ)が登場する恋路火祭を描いている。
この絵は一見夕焼けっぽく見えるが、助三郎と鍋乃の二人が会えるのは夜で、恋路海岸が東向きなことを考えると朝焼けだろう。
反対(左岸側)には上段に「平成」、中段に「智 情 意」の文字が書かれている。
「平成」はこの橋が平成二年七月というまだ改元の興奮が残っていた時期に完成したからだろう。
「智・情・意」は橋の解説板によると、
"豊かな知識の「智」、と思いやりの心の「情」、進んで考え行動するの「意」、を表している。このような人間を目指して、この橋を渡ろう"
という高邁な理想を掲げたもの。もとはカントの言葉で、渋沢栄一の著書から広まったようだ。
となると私のように日々に汲々としている凡下にはこの橋を渡る資格などなかったのかもしれないが、渡ってからこの解説を読んだのでどうかご寛恕願いたい。
観光橋らしい仕掛けとして(?)ボタンを押すと曲が流れるようになっている。
訪れたのは5月だが、曲目は秋のままだった。
押さなかったので作動するかは不明。
主塔を下から見上げると、中を通って上へ登れるようになっていた。
特に注意書きもなにもなかったので、ひょっとして展望台も兼ねていて登ってもいいのかと一瞬考えたが、あまりにハードな造りなのでやっぱり点検用だろう。
橋の左岸側には橋の名前になっているきりこ(切籠)の説明がある。
きりこというと江戸切子や薩摩切子みたいなガラス細工が思い浮かぶが、ここでは能登の祭りに登場する切子灯籠のこと。
能登の切籠は神輿を先導する御神灯が大きくなったもので、正にこの橋のような形で数mの高さがあり、複数人で担いで練り歩く。
浄土真宗ではお盆に切子灯籠(普通の大きさの)を吊るすということだから、真宗の強い土地柄ゆえその辺りから発展したものだろうか。
左岸側に目印があって、そこでポーズをとると切籠を担いでいるような写真が撮れるという。
銘板は「ふる里きりこ橋」が2枚、「平成二年七月完成」「九里川尻川」。
その他側面にも銘板がある。ちなみに内浦町は2005年に能登町へ合併されて無くなっている。
下流はすぐ目の前が海となっている。
主塔を地元の名物である切籠に見立てたのが結構似合っていて、走っていてもよく目立つので、私のように切籠を知らない人にアピールする効果もあっていいアイディアだと思う。