中山千枚田の中央に鎮座する春日神社です。
境内に建つ農村歌舞伎の舞台が有名なので、観光案内などではそちらが紹介されていることが多いかもしれません。
小豆島巡りの第15回。
神社入り口。右手に見えているのが舞台。
鳥居をくぐると、舞台を見るための桟敷のが設けられた広場に出る。
そちらは後に回して先に奥に建つ春日神社の紹介。
拝殿前。玉乗り狛犬がお出迎え。
玉乗り狛犬。明治三十九年、作者不明。
ちょっと胴というか首が長く見えるが、普段岡崎型ばかり見ているのでこういう違ったタイプに出会うとうれしい。
玉乗り狛犬は江戸末期の広島で発祥し近隣へ広まったという(『新・狛犬学』)。
これもそうした流れを汲む作品だろうか。
開け放たれた拝殿の中には奉納された歌舞伎の絵馬が掲げられていた。年代の見えるものには明治二十二年とある。
境内にはこの後紹介する農村歌舞伎の説明は複数枚設置されているが、神社の由緒等は見当たらず詳細不明。
なので境内の大部分を占める舞台と桟敷席の紹介へ移る。
桟敷席は斜面を利用し設けられている。
池田の桟敷や富丘八幡神社に比べると簡単な造りだが、ちゃんと観客席の形になっている。
最上段の小屋はVIP席だろうか。
桟敷上段からみた舞台。屋根は茅葺。
写真右の建物は衣装倉で、受け継がれてきた衣装や根本(歌舞伎の台本)が納められているという。
昔は舞台手前に置かれている油鉢に火をともして照明にしたそうだ。
戸が閉まっていて内部は伺えないが、せり出し(舞台の地下(奈落)との間で役者などを昇降させる)や回り舞台を備えた本格的なものだと説明されている。
現在の舞台は天保年間(1830-44)の頃に金刀比羅宮の金丸座を参考に再建されたと伝えられる。
国指定重要有形民俗文化財。
小豆島での農村歌舞伎の起源は江戸中期とされ、伊勢参りに出かけた島民が途中、大坂で上方歌舞伎に触れたのがきっかけという。
明治・大正の最盛期には舞台が小豆島全体で30以上、役者は700人ほどいたというが、現在はここ中山と隣接する肥土山にのみ伝えられている。
私の暮らす愛知県にも山間部の神社に同様の農村舞台が残っているところがある。
場所によって演者が村人だったり旅一座を招いたなどの違いはあるが、どこも人々が芝居を大きな楽しみとしていたことが当時の話に表れている。
ここで毎年10月に上演される舞台ではそうした往時の雰囲気が味わえるかもしれない。