富丘八幡神社 その1 (小豆郡土庄町淵崎甲) | 手当次第

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気になる所にいってみる

小豆島巡りの第11回、土庄町の市街地西の丘の上に鎮座する富丘八幡神社です。

 

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土庄町渕崎の交差点脇に建つ大鳥居。奥に見えるのが神社のある丘。

 

鳥居は昭和三十一年五月建立、寄付者の名前は金属板に彫られて柱に嵌めこまれていた。

徒歩ではここが正面の参道入り口になると思われる。

500m程北からは車で境内のすぐ下の駐車場まで登ることができる。

 

鳥居をくぐって少し歩くと、広場に出る。

広場の奥には池田の桟敷と同様に山の斜面を利用した石積の桟敷席が広がっている。

 

が、桟敷前の馬場が普段は土庄小学校のグラウンドや駐車場として利用されているらしく、若干風情に欠ける。

単に私の写真の撮り方が悪いというのもあるが。

 

池田の桟敷よりも富丘八幡神社の桟敷の方が規模としては大きく、幅約150m、高さは約24mとのこと。

馬場での太鼓祭り等を楽しむため、という目的は同じ。

江戸中期にはすでに一部が存在していたといい、戦前には420面程あったが、現在使用されているのは364面程という。

 

石積は池田の桟敷のような野面積ではなく、自然石をセメントで固めている。

 

境内へは桟敷の中の階段を登っていく。

桟敷の上段からの振り返り。

 

途中に建つ二の鳥居。

 

柱の前側になにやら彫られていたが読み取れなかった。

 

参道の途中に脇道があり、その奥に「若潮魂」と刻まれた碑が建っている。

 

これは第二次大戦末期にここ渕崎に訓練基地が置かれた陸軍船舶特別幹部候補生部隊、通称若潮部隊の戦没者の鎮魂を祈るものである。

この部隊は「〇レ(マルレ)」と呼ばれる小型艇に爆雷を積んで敵艦に体当たりする、いわゆる特攻の訓練をしていたという。

同じ特攻艇としては船首に爆薬を搭載した海軍の震洋が有名だが、陸軍にも同様の兵器と部隊があったとは知らなかった。

 

〇レは正式には四式肉薄攻撃艇といい、トヨタまたは日産製の自動車用エンジンを積んでいたとのこと。

フィリピンから回収された〇レの日産製6気筒エンジン。戦後、遺族が遺骨代わりに持ち帰ったとの説明があった。

 

「陸軍船舶特幹生の像」

 

当時の彼らの心にこの海はどう映っていたのだろうか。

 

次回へ続く。