前回の熱池八幡社から南東の集落の中に鎮座する八剱宮です。
境内にあるものの中でも「剣」の字の表記が揺れてて、劍、劔、剱が混在しています。
なんとなくタイトルには一番すっきりした剱を選びましたが、いっそ「八剣宮」にしてもよかったかな。
さらに所在地の住所も現在は熱池町(にいけちょう)ですが、元は隣接する上道目記町(かみどうめきちょう)に含まれていたため、一部にその名残がみられました。
…いきなり細々とややこしい話をしてすみません。
神社正面。ちょうど入り口付近の桜が咲いていた。
上道目記の名前が残る社号標。
また一枚目の写真後方の福地中学校近くにも「道目記鎮守八釼神社」の石柱があります。
境内の様子。
鳥居は昭和四年、「岡﨑市 石工 新美栄太郎」作。
熱池八幡社と連続の受注だ。
境内を別角度から。
端に石のベンチがあるのですが、どう見ても鳥居の再利用…。
近くに柱の部分が転がってたりもしたし。
いやまぁいいんですが、現在の昭和四年製のものより前の鳥居ならちょっと惜しい気もする。
拝殿前の狛犬。昭和四年、成瀬大𠮷作。
向かって左の境内社。御鍬社らしい。
八剱宮社殿。
『西尾市史 現代』によると、創建は不明ながら当地開拓時からの鎮守であるという。
知多半島の野間で源義朝(頼朝の父)が暗殺された後、家臣が源家に伝わる宝刀と龍の彫刻を携えて近くの恵験寺へやってきたが間もなく病死。宝刀は当社へ奉納したと伝えられる。
また、下道目記町にあった秋葉社を大正七年に合祀している。
これは花蔵寺町の秋葉社のところで触れた、花蔵寺から洪水で流された神像を祀ったもの。
霊夢により元の花蔵寺へ神像を返したあとも分霊を祀り、明治三十年頃まで花蔵寺秋葉社へ代参を立てていたという。
個人的にはこの秋葉社のお話がつながってスッキリしました。