整えられたヘア、派手な装いと美しいネイル。上品な顔立ちに刻まれた深い皺。どこか不愛想な老女(倍賞千恵子)の思い出話に、いつしか下町気質の奔放な蓮っ葉さがあふれ出す。彼女の“悔いなき懺悔”に戸惑いながらも市井のドライバー(木村拓哉)は聞き役に徹し否定も肯定もしない。
タクシーという閉鎖空間は、あたかも市井の民の告悔室のようだ。戦後80年という過去を懸命に生きた老女、今という時代に四苦八苦しながら生きるドライバー。そこには罪や赦しを超越した“生きる”という現実と格闘する“人”の姿があるだけだ。
老女の過去は記憶の核を抽出するように背景を切り詰めた寄り中心の映像で語られる。その映像演出が、現在の東京の実景と対比効果を生み二人の密な会話劇を引き立てる。良くも悪く破綻のない手堅いファンタージだった。
(2025年11月27日/TOHOシネマズ南大沢)
★★★★
女性登山家が人生のピーク(頂上)から「母」として「妻」として降りていく姿が描かれる。登りつめた到達点が高ければ高いほど下山の道のりもまた一筋縄ではいかないのだが、持ち味の楽天さと強い意志で飄々とマイペースで人生の終幕へ向かっていくさまを吉永小百合が好演。そんな妻を、もどかしく感じつつも尊重し“認める”ことが最大の支援だと心得ている夫(佐藤浩市)の愚鈍な賢人ぶりも好感。
若き日の夫妻(のん、工藤阿須加)。女性登山隊の面々(茅島みずき、和田光沙、円井わん、安藤輪子、中井千聖)。そして娘と息子(木村文乃、若葉竜也)。それぞれ出演シーンの多寡にかかわらず壮年夫婦の物語のキーとして吉永と佐藤の生きざまを浮き彫りにしていく。阪本順治監督の抑制の効いた語り口のたまものだろう。
(2025年11月25日/TOHOシネマズ南大沢)
★★★
言葉に苦闘する脚本家(シム・ウンギョン)は、行動しながら語る自作映画の主人公・海辺の女(河合優実の存在感が素晴らしい)に戸惑い嫉妬し、世間から切り離された雪深い民宿で出会った語らず(語れず)に行動する朴訥な宿主(堤真一)に挑発される。
あえて狭苦しいスタンダードサイズの画面を使って、三宅唱監督と撮影の月永雄太コンビは、開放的な海辺の情景を作為的に内側へ閉じ込め、閉ざされた雪里を内心の象徴として開放してみせる。“言葉”をめぐるトリッキーな心象映画だ。
そういえば『ケイコ 目を澄ませて』(2022)は“言葉”を超えて会話(コミュニケーション)するボクサーの話。そして『夜明けのすべて』(2023)は“言葉”ではなく同じ方向を共有することでソフトに共闘する女と男の話だった。
(2025年11月11日/ヒューマントラスト渋谷)
★★★★
海外にいる夫から連絡が途絶えた看護師長プラバ。異教徒の青年と密かに交際する後輩のアヌ。不当な立ち退きを迫られる独居の年長者ルヴィア。喧騒と光に溢れた大都会ムンバイの夜を背景に、そんな、一歩が踏み出せない“悩み”を抱えた3人の女たちの姿が、ときに繊細にかつ力強く点描されていく。
終盤、都市の夜景から海辺の陽光の下に“開放”された女たちは、社会の呪縛からも“解放”され、静かな夜の光の下に居場所を得たかのような光明をみた。見事な転調だった。
アプローチは違えども都市を描くという手法を用いて、同じムンバイを舞台に様々な階層の人々の“フツーの生活”を通して、インド社会の階級制の「なごり」浮き彫りにした『裁き』(2014年制作/2017年公開/2017/8/2コメント投稿)という傑作映画があったのを思い出した。
(2025年11月4日/下高井戸シネマ)
★★★★
今日で閉鎖される田舎の野球グランドに、むさ苦しいオッサンたちが三々五々集まって来る。粗野なジョークが飛び交うなか、ヤル気と負けん気に技量は追い付かないが、当人たちはいたって真剣な試合が続く。やがて男たちは無邪気で滑稽な戯れの裏側に潜んでいた“時空の亡霊”の悪戯に翻弄され異空間へ。
【以下、ネタバレです】
それはEEPHUS(超スローボール)に導かれるように出現した非日常への逃避願望か。あるいは未練たらしい自縛。それとも優しい地縛霊による呪縛なのかもしれない。まるで『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(ルイス・ブニュエル)の意地悪のようであり、『楽日』(ツァイ・ミンリャン)の時空の輪廻ようであり、『ブンミおじさんの森』(アピチャッポン・ウィーラセタクン)が発散した自然の気配のようだった。
スポーツコメディのなかに堂々と“不条理”を仕掛けるカーソン・ランドという映画作家の“曲者ぶり”に驚いた。本作が初長編監督作で、2024年のカンヌ国際映画祭の監督週間選出作だそうだ。
(2025年10月30日/新宿ピカデリー)
★★★★
薄暗い屋内。背を丸め畳に顔を触れんばかりに近づけて、一心に絵筆を操る浮世絵師。来訪者により開けられた戸口から差し込む微かな光が閉じられた内世界と外界をつなぐ。そこは雨でも晴でも自然光に溢れた世間。そんな光の制御が印象的。大柄な長澤まさみの存在感が応為の“不敵”を担保して適役。
葛飾応為が主人公の作品はアニメ映画の『百日紅~Miss HOKUSAI~』 (2015)とNHKドラマの『眩(くらら)~北斎の娘』(2017)を観たことがあります。前者は杏、後者は宮崎あおいが応為を演じていました。今回の長澤まさみも含めて、三者三様ながら同じ系統の応為像でした。今度は江口のりこや安藤玉恵といった“やさぐれ感”が強めの役者さんの葛飾応為を観てみたいと思いました。
余談です。以前、応為の「吉原格子先図」を始めてみたときの感想をブログに書いたことがあります「光と影の境界。あるいは欲望が交錯するところ」→ https://ameblo.jp/ponsyuza/entry-12921870032.html
(2025年10月21日/TOHOシネマズ南大沢)
★★★
時代から取り残され荒野のなかに忘れられたような人々が暮らす町。そんな生気のない故郷にすら居場所を失くしてしまた青年が、一匹のはぐれ犬に不器用に“共感”を見いだしていく姿が描かれる。
まず開巻一番、長い長いファーストカットの顛末に度肝を抜かれる。その後ほぼ全編、広角に切り取られた映像がスタイリッシュ。生命の光明を象徴する荘厳な日食シーンも神々しく美しい。
誤って友人を死なせ刑期を終えてた寡黙な青年(エディ・ポン)が、反抗的で奔放な一匹の野犬(黒い弾丸のようなシャープな体型がかっこいい)との交流を通じて再始動へ向かう物語。安易な“動物もの”にありがちな感動の過剰演出に陥ることなく、ひたすら抒情を排除してハードボイルドに徹した語り口がかっこ良く好感。
(2025年10月14日/新宿シネマカリテ)
★★★★
環境保護活動家のグレタ ・トゥーン ベリに共感する小学四年生の少女(瑠璃)の気を引こうと同級生の男子二人(嶋田鉄太/味元耀大)が、悪戯まがいの環境テロを仕掛けるという高田亮の脚本を、呉美保監督は「いかに子供を子供らしく撮るか」に集中してリアルと非リアルの狭間を絶妙なバランス感覚で綴っていく。
純粋無垢な女子アジテーターに、鬱憤ばらしきみの実力行使を提案する武闘派男子。そんな二人の関係に遅れまいと追随するノンポリ男子。そんな三人組小学生テロリストの成り行きが、大人社会の無邪気なパロディにも、現実を無視した抗議活動の風刺にも見え始め、この「ふつうの子ども」たちの物語は、いったいどこに着地するのだろうと観ていたら、終盤に差し掛かり教師と親たち交えて毒を含んだ、ぞっとするような「ふつうの大人」の、滑稽でいて笑うに笑えない展開に。
で、良いも悪いも、所詮この話に境界線など引けないのだからと言わんばかりに、確信犯的に呉美保監督は“落としどころ”を(見事に)はぐらかしてしまう。・・・・異議な~し、と納得する私でした。
(2025年10月12日/アップリンク吉祥寺)
★★★★









