たっきーに羽織を…!ひいき目言われるんならごんちゃんにも同時に着させたらええ! | おらのなにがし

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    めめんともり

秀パパで出陣がとおおい昔に感じる…

何故か不思議と秀パパ好きだからほんとにしみじみ懐かしい。

 

そうきっと、たっきーもパパのことけっこう慕っていたんやないかな。

経済力が土台やけど、

地域おこしというか、地域貢献というか、朝廷にもいっぱいお金あげてるし。

世の民のくらしもそれなりに明るくしていこうって意気込みあったくさいし。

たっきーもどちらかというと説き伏しがちだから、別にぎゃーぎゃー戦いたくないし。

 

そんな信秀パパの時代、

ある程度守られてる身分ってのもあったんだと思うけど、

いかんせん、たっきーは器用になんでもできるので、

まだ15歳前後の頃から、

きっぽの兄貴分やりながらも、

鉄砲、火器研究

密輸

暗殺

謀殺

密談

諜報

…まあその他もろもろの暗躍間者な工作…スパイね。

現代人には想像出来えない冷酷な世界が、

裏舞台では日常だったのでしょう。

 

そんな仕事をさくっとやっていたりしちゃったりもあったのでは…

それが、いわゆるみなさんのおっしゃるお忍びな仕事で、

それをたっきーの本業と言いたくなるのは否めないですよ。

 

でもね、何が許せないかって、

別に闇に潜まないし!顔も隠さないし!屋根も飛び越えないよ!

風魔、百地、山本勘ちゃんなどなど…いわゆる忍者臭ぷんぷんな、

こういうひとたちと、混同されちゃうのはかんべんなのよ…

 

たっきーの仕事姿は、堂々と、真正面(相手から見れば)から、きれいな羽織り一揃え着て、手土産も持って、

織田家の使いの者として交渉に行く、

そういうやり方が基本だったと思うのよ…少なくとも尾張はわりかし都会なんだからさあ…。

 

んで、好きくないけど、役柄は明智の野郎に近いわけ。

それよりも織田家歴史が長いし、各地に人脈あるし、京都近郊ばっかの明智と違って内向的じゃないし!

そんなわけでどちらかというと、

途中から現れた明智の方が忍者色強いとすら思うんだけど!(`・ω・´)ぷん!

なんで忍者説おしされんのかわからん。

 

まあ…とにかく、そういう仕事につきものなのが、

潜入というか潜伏。

 

一時的にね、

少し身を隠さないといけない時期あったんかもなあとか。

 

たとえば、

 

水軍系・森寺さん(伊勢出身?)系から見ると、

尾張発で、伊勢~志摩とかに、

海上水上運輸、情報収集、人脈形成などのための長期潜伏。

なんせ、たっきーが17歳の時にくっきー(九鬼)が生まれとるんやけど、

一説に、

『くっきーは隣の家の娘の子じゃ』

みたいな紹介のしかたしとったって!?

…いや、むしろたっきーの子??

とうのはぶっ飛びにしても、

隣って…志摩育ち?

尾張からどんだけ遠い思てんねん!

 

いやいや、たっきー流の冗談だなこれ!(`・ω・´)

というわけで、志摩付近にある程度住んでた時期はあってもよいんじゃないかなあ。

 

むしろ、くっきーが北上して、

尾張付近まで行き交いしてた可能性もありだけどね。

それを、使える!と先見したのがたっきーだったんでしょうねえ!

すごい!すてき!

 

さて、鉄砲の達人視点からは、

まあしかたないから堺でもいいですよ。いまさら?みたいな感もあるけど、

堺いっときゃ間違いはないもんね。

 

でも堺なら、隠す必要もないのでは?

ヒトもモノも流れまくってる堺でいろいろ見聞きするのは当たり前やし。

というわけで、堺で勉強はしたかもしんないけど、別段秘密裏にやってはいなかったんじゃないかと。

当然、人脈形成もやってきたんだろうしね。

京都にも知り合いいっぱいいたみたいだからね。

 

今回も溢れる情熱をここでぐっとおさえ、

これにて幕としよう。

 

なんやいつのまにか増えてたゴロサの写真。

 

こんなさあ、ゴロサですらなんかすんごい良いおべべ着させてもらっちゃって…。

ゴロサなんか鬼ゴロサの斬りゴロサ仕様にしてやった方が変わり映えすんのに。

はっきりいって、ゴロサじゃイケメンイメージ無いから結局微妙やし…

 

ほんとはこの雰囲気、たっきーの図案だったんじゃないかなあ!?

たしかたっきーが、この色の半襟?的ななんか着てるし!

たっきーだったらめっちゃいい写真だったのに…もったいないなあもう!!!

無理やり目のピントぼやかしてたっきーのお顔で想像するしかないんかい。

うむ…

 

って、そうじゃなくて、

コーエーさん!

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