滝川一益の滝川家は、たっきーがはじまり!? | おらのなにがし

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    めめんともり

とりあえず、いつまでも彦九郎と蹴鞠大会にいけないけど、

パパのアップでごまかす!

『はよ蹴鞠の支度せい!』

すんません…でも、パパにはおこられたい。

なんでこんな親しみわくんやろ。

 

さて、たっきーの、忍者イメージをなんとしても払拭するのが、

わしの最大の任務!!

で、

 

逐電?

雲隠れ?

出奔?

 

要するにまあ、たっきーはあんまりいい行いしなかったから、一族を追放された。

みたいな書き方の史料が多いけど、

 

それは、ほんっとに意図的な塗り替え。こんなしょうもない口述記録しかないわけないから。

 

出自のナゾを探る調査していて、いくらかの説がわいているんだけど、

 

一つの説、

池田のおやじ(またか…)と一緒に、

生まれてまもないたっきーも尾張に来た。

で、はじめは池田のおやじ(そう、池田恒利ね)と一緒に、

ちっこいたっきーも出家させておいたんじゃないかとか。

命の危険にさらされるのを回避するために。

 

で、たよりの滝川彦九郎勝景さんが尾張にさっさと来てたのも、

滝川の発祥が近江なんだとしたら、

近江における滝川家含む周辺がかなり危険な状況だったせいもあって、

発展して賑わいつつある尾張に定着したんじゃないかな。

 

この時代は特に、みながみな疑心暗鬼で、

どこの家にも絶えず抗争があるから。

特に、京都近郊なら幕府の動向も踏まえて、なおさらカオスになってたんだろうし。

 

それをお家側から見れば、家を裏切ったってカタチにおさまるのかもしらんから、

出奔でも追放でも言いたいようにさせたらいいのかもね。

 

で、さらに別説、

滝川の名も一益も、

尾張に来てからつけた名前なのではないか、と。

何故って、一益という名前がどうしてもひっかっかってね。

 

一は親(一勝だとして)からの偏諱かもしらんし、櫟野(いちの)ってところから持ってきた可能性もあるんだけど、

 

益って周りにはなかなかいない。

流行ってもいないし、下の文字に付ける主流でもなさそうな。

 

僧侶とか昔むか~しのひとにはたまにいるんだけど、

記録があるのが、公家とか守護以上の身分だったりで、参考にしにくい。

 

でも、その中でも見逃せないのは、土岐さん系。

美濃守護で、1400年代中から益の字を使った名前があって、

しかも、益の名前の土岐さんは途中で、美濃池田の系統として分かれたんだという…。

益の付く名前が、少なくともたっきーと同世代の人たちまで続いてるんだよね…。

また池田?!

すなわち、

たっきーも、土岐系の、美濃池田家由来だったのではないかと…。

 

美濃かあ…

甲賀忍者よりはましな説かもだけど、

あくまでも、名前からの由来憶測だからね。

でも名前しかヒントないから、謎に包まれたたっきーの唯一の手掛かりともいえる。

 

たっきーの親世代とか、池田政秀さんあたりから、土岐下の池田に

何か縁があったんかもしらんねえ。

土岐さん昔は伊勢までも守護として治めてたんけど、

やっぱ広いと管理不行き届きで、

派閥が分かれすぎてカオスだから、カオスに潜り込むのがちょうどよかったんかなあ…

美濃でしかも土岐さんがらみなら、尾張にとっては腐れ縁とも言えるから、

たっきーにしても池田(恒利・恒興親子)にしても、

織田家への仕官は自然な流れではあるよね。

 

たっきー…

複雑な出自にございます…なにとぞ口外無用に。

ああ、こそっと耳打ちされた気がする…

うっとり…

そりゃあ、悩めるイケメンなたっきーになるよね。

 

コーエーさんのたっきーチーム間にもいろんな持論があるんだろうなあ。

でも共通するのは、

たっきーは絶対イケメンでしょ!

なんだろうなあ~よかったよかった(`・ω・´)