おらのなにがし

おらのなにがし

    めめんともり



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★☆★

これは前にも『名将言行録』バージョンで紹介した逸話だけど、

データベース探検してたら、

とってもたっきーしてる挿絵付きのバージョンを発掘したので、

ぜひ張り付けて紹介!

 

相変わらず動じてないんだけど、

動じてなさ過ぎて、逆に心配だよね…

 

 

さあさあなにって、このたっきーのイラスト、

月代じゃないところと、三郎みたいに茶筅気味なお髷がポイント(`・ω・´)!

みなさんの想うたっきーはやはり、武勇とか血なまぐさいよりは、

インテリイケメン度が高いということでしょう。

 

ほい、

だんとつかっこええたっきーもちゃんと載せておきそうろう。

ちゃんと左向きで態勢も似てるので比較するもよろし。

 

しかしだね、ああやって古書にちゃんと平時のたっきー描かれてるんだから、

コーエーさんもう少し頑張りましょうね!

 

切り張りが雑だったせいで、

次の項の『滝川一益の沈勇』も気になっちゃうなあ。

1533年 天文2年 滝川一益 8歳 三郎信秀 22歳(25歳説もある)

 

天文二年 八月

 

十八日、

戊子、天晴、

平手中務丞来、

此間種々馳走之間、息助次郎に葛袴被遣了、則御禮に二百疋進上候了、

織田右近尉飛へ花むけとて三百疋進候、同息興三郎百疋進、

同丹波守子息七歳、竹滿丸に、八境圖、鴨沓之免状被遣候、圖者未遣也、

蔵人、毛利十郎両人に鞠扇被遣了、

武衛息治部大輔義統、方へ、鴨沓、葛袴、八境圖、同免状等、

以速水兵部丞被送遣了、

毛利十郎大江敦元予に毛抜数六、送候、祝着々々、

勘解小路治部大輔被来候、鞠道之門弟に被成候、太刀糸、

千疋持来候了、予、蔵人両人見參禮申候了、速水兵部に百疋、

織田丹波守子竹滿丸禮に来、飛鳥、予両人に太刀糸、

にて禮候、蔵人には太刀代三十疋也、

赤林、坂井、矢野善十郎等来、

織田監物鞠通之門弟に成候、明日可申聞、云々、今日禮に来、太刀糸、

馬代三百疋、沓、葛袴に五百疋也、速水兵部に百疋等也、

 

帰京が近付くからって、今から鞠門弟って、飛鳥井さんだいじょうぶかな…

鞠道之門弟だから、文献とかと合わせて口頭講義みたいな感じなんかなあ。

 

公家たちはほんとにこのまろまゆだったんかなあ。

天道の頃の山科さんはも少しイケメンタイプだったのになあ。

桑名城乗取り秘策~(抜粋部分のみ)

 

服部左京は大敗軍のおかげで逆心の嫌疑が晴れた。

 

一益は伊勢三郎の定めた掟を悉く改め、町人、百姓の運上を軽くし、

刑罰を寛にし、顔に似合はぬ民政上の手腕を発揮した。

民にとりて税の軽い領主ほど有難いものはないから、

一益の評判はよくなるのみであつた。

彼は服部にだまつて居るのもわるいと氣がついて、ヒョッコリ使者を送り

 

た「お変りはないか。桑名は早々と梅の花がさき申した。

散らぬ間に、梅見にわせられぬか」

と呑気なことを云つてやつた。

 

梅見の案内を受けると服部左京は、瀧川一益の昔のまゝの

親友のように思うのであつた。

煮え湯を飲まされた恨がどうゆうものか日増しに薄らいで、この頃ではあの

ワダカマリの少しも無い一益を憎むのは、憎む方がケチなような気がした。

もちろん返事はしなかつたけれど一益のあるくような道もあるものだと云う風に、

新たな學問をしたつもりになつた。

 

まして瀧川の方から服部を憎むかどは更に無かつた。

瀧川一益不肖と雖も、好漢の信長を助くる以上、竹馬の友に一二杯の

煮え湯を飲ませるぐらゐは、當然と心得て居る。

 

愛すべき服部左京よ、貴公も蟹江がどうの、桑名がどうのと、

蚕のキンタ〇を八つざきにしたような事に屈託せずに、

梅見をしながら大局に心を配つてはどうか、その心がけあらば、

拙者は身に代えて貴公の一命を助けてつかはすぞ…と

モウ大決戦に勝つて服部左京を生捕りにでもしたように考えた。

 

「梅見をしながら大局に心を配ってはどうか」

「その心がけあらば、身に代えて貴公の命を助けてつかわすぞ」

 

…ややや(´ρ`)やばい。

かっこよすぎだってば…!

 

みんなみ~んな、

 

心がけます!

たっきー様お願い!

ってなるわけだわいなあ。

 

ちょと蛮勇なセリフもあったにもかかわらず、

それを割引しても粋で品位が高い!

かっこよすぎ!

 

まさにつみつくりだわ…

つみつくりなヒトとは瀧川のことと云う風に、新たな学問をしたつもりになった。

 

「わしも何度その計略にしてやられ学問したことか。

ほんにたっきーは生まれながらの罪人よ」

 

最後にパパも出演あんがと~(`・ω・´)

 

乗っ取りばなしはこれでおわり~。

1533年 天文2年 滝川一益 8歳 三郎信秀 22歳(25歳説もある)

 

天文二年 八月

 

十五日、

乙酉、天晴、

織田三郎、同右近来、三郎、右近數度来候了、織田大和守、

同監物、同丹波守、同勘解由左衛門、瀧川彦九郎、毛利十郎等来了、

丹波守方より予、蔵人両人可来、晩飯之由両度有之、

無人之由申て斟酌(しんしゃく)了、

戌刻丹波守赤粥持参、一口被食候了、

蔵人に借用之儀二百八十返遣候了、彌七に六十疋借用、

蔵人に申木綿袴誂候了、

蔵人に詠遣了、月下馳狂菟留也、

 

 思ひきやこよひ最中の秋の月

      影を清すの空にみんとは 鳳 巣

 

飛鳥之鑓織田三郎に被出候了、

 

十六日、

丙戌、天晴、暮暮細雨下、

右近来、

本善寺(此間居住之處)之坊主白粥被振舞了、

織田大和守、同丹波守、同勘解由左衛門、赤林對馬守、

矢野善十郎、坂井攝津守等見舞に来、

従武衛使山本大隈守、有之、

蔵人に誂候木綿袴出来、 十疋四十、云々、染事迄、

毛利十郎来、

蔵人に短冊出候、先皇勅筆候題、一枚、當今勅筆、三首、

逍遥院短冊五首、等也、

飛鳥今日終に被興候、被得滅氣候、大慶々々、

織田興三郎に葛袴被遣了、

 

十七日、

丁亥、雨下、

織田右近、同丹波守、毛利十郎、矢野善十郎、那古屋又七、

坂井攝津守、平手中務丞来候了、

今日上洛依雨来廿日へ延引、仍大和守暇乞に来候、

飛鳥へ太刀持、一腰、馬一疋、栗毛印雀目結、五千疋進候了、

予に太刀、持、馬一疋代三百疋、蔵人にも同前也、

飛へ毛利花向とて二百疋進上、

従勝幡三郎方、先日乃折紙錢二百疋到、

けぬき十四代二十疋出来了、

木綿袴代二十疋遣了、

雑色興三郎詫言候間、二十疋遣候了、彌七に借候代八十疋返、

 

いや~もう、だめかと思ったけど、

なんとか滅氣したんやて、飛鳥井さん。

後半のつらい想い出のせいでもう二度と尾張に来たくない、

ってなっちったかもね…。

もしくはみんなが優しくて、いい記念になってたらいいけど。

 

逆に、当時の風潮から、お互いに不吉よばわりされないといいけど。

 

「いやはや、なんとかおわりでおわりと言われずにすんだわい」

 

パパもみんなもこそっと見舞いに来てくれた彦九郎さんも、

気苦労絶えなかったよね(`・ω・´)

 

「わしも非力ながら通夜ふるまいの気色にて、

坊主の取次やら粥やら走舞したものよ」

 

え?!

たっきーそれほんと??(゚∀゚)

だといいなあ…おりこうさんだもん居たなら絶対やってるよ。

 

桑名城乗取り秘策~(抜粋部分のみ)

 

その日の夕方伊勢三郎は疲れて歸つて来た。

 

た「やあ、それなるは伊勢三郎殿と見しは僻目(ひがめ)か。

我こそは天下の浪人瀧川左近一益なり。東國の旅を終えてこれよりは

中國、四國えと志すみちすがら、足に草鞋豆を作りて難渋いたす。

不図見ればこゝに手頃の空城あり、よつてしばらく立よりて足休めいたす。

貴殿は遠慮無くいづれえなり立のいて雨露を凌がれよ、

道を急いで草鞋豆を作られな」

 

伊勢三郎は二の句がつけなかつた。

絶対無抵抗で人質を返してもらい、

すごすごと大河内え引返した。

 

瀧川一益は持前の蛮勇を振るうまでも無く舌一枚で

蟹江、桑名の二城を物にした。

蟹江の方は甥の瀧川義太夫詮益に守らせた。

信長はいよ〱瀧川一益を面白い男だと思つた。

一益には改めて桑名城主に任ずる旨の朱印を遣わした。

 

伊勢三郎が大河内え引返して、一益に空巣をさらはれし一條を

注進したので、北畠國司以下重臣等の大評定が開かれた。

十目十指で座中の誰もが、

 

北畠以下重臣等「服部左京の裏切りとこそ覺えたれ。

彼れ瀧川一益は信長の密使を受けて

左京を説き左京は夫れを承知の上にて蟹江城を築き、

伊勢殿のルスをねらいて内外相応じ逆心を現せしものに違なし。

しかと左京を吟味の上、仕誼によりては桑名よりも先づ以て長島を

攻めらるゝが至当かと存じまする」

 

ととなえた。國司も服部を疑う心は他にゆづらなかつた。

そこで長島え問罪使が急派された。服部は使者の来意を聞いて

 

服「なんと、滝川一益が蟹江からはい出して、

伊勢殿のルスに桑名城を乗つ取りしとな」

と全然初耳であつた。使者は

 

使「おとぼけるな、服部氏、そこもとが桑名城乗つ取りの手引きを為せしこと」

 

服「これはしたり、何を証拠に左様の名を被せらるゝぞ。

この服部に二心の有りや無しやを明日にもお目にかけん」

とイキまいて使者を追返し、翌早朝先づ蟹江城を取まいた。

蟹江城は、一益が桑名城え押出す時に、呉々も籠城の法を詮益に教えて行つたので、

詮益はその通りにして寄せ手の軍を待ち設けた。

服部左京は腸が煮えくり返るようであつた。

 

服「あれほど頼み切つた滝川が、我等を欺むかうとは知らなんだ。

瀧川ですら我等を欺くとせば、この世に信ずべき者は無い」

と呆れながら矢張り一益をだれよりも信用した。そうかと思うと

 

服「本願寺の上人から金子を調達して敵の爲に城を築き、

その揚句逆心の汚名を受く、これ瀧川の奸なるに非ず我が愚なるなり」

と悟ったような愚痴をコボした。

 

 

(´・ω・`)あいや~、お見事。

完璧だね。

たっきーの謀略、軍事のスペシャリスト面が出まくりだもの。

服部も感じたように、

たっきーがずるいとかよこしまなんじゃなくて、

自分がおろかだった。

そう悟りに至らせるところが、最高にたっきーしてるね!

 

やっぱりたっきーは民をおみちびきする立場のお方なんだよねえ。

言葉遣いも丁寧だし、知的だし、やさしいし。

 

「いつのまにか、みな喜んであにじゃに転がされる。げにおそろしきこと哉」

 

うむ…すげえんだたっきー。

ほんっとに。

でも三郎には慎重に真摯に正直に接しとると思うよ。

転がす必要ないし。

勝手に転がるから(`・ω・´)ね。