おらのなにがし

おらのなにがし

    めめんともり



★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★☆★

天正八年

 

九月廿五日

 

瀧川左近 成身院、惟任日向守 吉祥院、

今日日中時分ニ来了、地下家陳成敗堅固之間無殊儀、

十新今暁ヨリ是へ来臨了、

 

九月廿六日

 

興福寺 衆徒中

瀧川左近殿

惟任日向守殿

 

寺社所領の提出だって。

たっきーってば、こんなとこでも地味な仕事地道にこなしちゃって。

明智と誰かでもできそうな仕事だけど、

このあとたっきーが個人的な趣味に走るようだから、

自ら行くゆうたんかもね。

てゆうかいつのまに筒井順慶きとったん。

大和やし、ずっといたんか?

 

十月十九日

 

禪識房釜瀧川見度之申由間、

可借出由順慶被申トテ成身院来被申、

沈思〃〃、

 

沈思沈思…

誰が?

たっきー??(`・ω・´)

ふむふむ…

 

所領確認の仕事は戦に比べたらしょーもないから片手間で十分だし、

ここぞと趣味に走っているのは間違いないが、

釜って、

茶器?

禪識だし、仏具?

たっきーならどっちもありうるからなあ…ううむ

 

「滝左殿ならば…、ふふふ、やはり多くは語り益舞」

 

出たか…(`・ω・´)!!

細川幽霊!じゃない、幽斎!

 

意味深すぎる存在だから今は控えめによろすく…

益とか舞とか歌みたいに気取っちゃって…

微笑と脇差しこわすぎだから…

でも、たっきーにもこのアングルこのポーズあげたい…

 

むふふ

 

「細兵衛…」

 

(゚∀゚)はっ!たっきー今はおさえて…はわわ。

織田三郎信長の愛將『瀧川左近将監一益』

 

ほい、本日も大出血サービスでござんす。

これはただシルバーかけただけだけど、

なんでこんなかっこよい度あっぷっぷなん。

白黒の不思議(`・ω・´)

織田三郎信長の愛將『瀧川左近将監一益』

 

 

 

 

いや~………まいった、

ずーーーーーっと、

ずーーーーっと、

ずーーーっと、

ずーーっと、

ずっと、

ずっ、

見ていたい。

タブレットの壁紙設定してたら、

あんまりにもかっこよすぎる出来になったから、

みなさまにもご披露目(`・ω・´)

これがたっきーだ!!

 

1531年 享禄4年

 

     滝川一益 6歳

 

ひきつづきたっきーはすくすくと育ち、いまごろ山城か尾州か勢州か坂東か河内か堺かやっぱり大原か…

 

(仮)将来就く職業にまつわる、軍事エリート教育を受けるため、とある組織に属している。

 

(仮)将来就く職業、すなわち軍事スペシャリストなエージェントになるべく教育を受けるため、秘密裏な師匠を直接つけられている。

 

(仮)軍事教育に力を入れる家に養子として入り育ちつつある。

 

(仮)安全・教育をかねて出家。砲術もできるところか。

 

まだまだ神の子。罪も罰もなく。吉凶そのもの。

でも、かしこいたっきーは易学や数学あたりはだいぶ身に付けているかも。

 

そろそろ気になる、森寺藤左衛門がすでに信秀パパのもとにいるのでは?11歳くらいかなあ。

そして、滝川(滝)恒利も、尾張にて閑居中の宗傳から婿養子池田恒利になっている…?20~30歳くらい?

 

 

周囲の出来事

 

・織田弾正忠家・および周辺・

 

 

1531年 信秀 20歳 

     今川竹王丸(義元の弟)が那古野今川の養子に

 

1532年 信秀 21歳

     清州斯波達勝・織田藤左衛門と戦うも和談

 

・他、日本のあれこれ・

 

1531年  4月 善光寺造営図が完成

 

     閏5月 享禄の錯乱勃発 又は大小一揆

      いやあな雰囲気。本願寺やら細川やら…

 

      6月 大物崩れ(だいもつくずれ)

        細川晴元

        (細川、赤松←浦上への父の仇とりのために高国からの寝返り、三好元長)

        による細川高国

        (細川、浦上)の自害

 

     7月 尼子晴久と毛利元就 兄弟契約締結

        うわ、西は興味ないんだよね…けど、有名人たちだから名前だけね。

        中身は知らんよ。

 

        『当麻寺縁起絵巻』完成

        絵・土佐光茂

        詞書・後奈良天皇 

        三条西実隆の奥書  など

 

        御伽草子『酒呑童子絵巻』完成

        企画制作・北条氏綱!?(1523年からとか)

     

     「よっしゃやるぞ!」

いやはや、何故か頭が上がらない気持ちになる(;´・ω・)

氏康パパのパパ。この威厳が続けば世界は違ってたよね…たっきーもほんとそう思ってたろうなあ。

        絵・狩野大炊助藤原元信 

        詞書・近衛尚通(太閤 近衛准三宮 前関白太政大臣)

          定法寺公助(法務大僧正公助 定法寺)

          青蓮院尊鎮(ニ品尊鎮法親王 青蓮院)

 

        しかもこれ、1590年に北条家から徳川、そして池田家に…池田あぁ…

       

 

たっきーそんなに有名人なの!?

というかかなり畏れられている?

 

と、思われる謎の日記。

 

多聞院英俊さんがほぼ書き記した日記らしいが、この戦乱の中、なんや犬猫大好きなのんき坊主らしい。

 

天正八年

九月二十二日

 

瀧川、矢部善七郎法隆寺へ昨日来之間、奈良へ来トテ以之外騒了、無殊儀

 

ふむ。

法隆寺行っただけでも騒ぎみたいな…。

まあわしもたっきー来るって!言われたら駆けつけるもんね。

 

さて、その脅威とみなされているたっきーが記された部分は以下。

 

天正八年

九月二十七日

 

瀧川来トテナラ中サワク、成身院へ来用意之處不来、

 

同二十八日

過夜後夜前ニ、タキ川京ヨリハヤ打ニテ上了、

筒井用意無足了、奈良中可有陣取歟ト各家ノ前ニ垣用意、

近邊マテ機遣無限之處、不慮ニ引取、併神慮眼前之御利益也、

難有〃〃、人数一万モ在之、追〃引了、夢ノ覺タル風情也

 

なんなん(`・ω・´)

来なかったら御利益ですわアリガタや夢みたいとか言って。

こわいから?垣?で家囲ったりしてっけど、

ほんとは有名人たっきーに来てほしいくせに。

 

たっきーが何も由なく弱っちい奴らに焼き討ちとか、

強奪とか、脅しとかやるわけないしょ。

 

しかも、何故か認知されてないらしいけど、

とっっても信心深い禅僧にも等しいたっきーが、

陣宿に寺社を使うのなんて、心苦しいとすら思ってるはずだからね。

 

中には、馬鹿やる奴がいるだろうから、

ムヤミにみんなビビられちゃうんだろなあ。

でかい組織って収集つかないからねえ…

 

「宿命よの」

 

タキ川様也!歓喜之有!

余愛君!

 

何度も言いますけどね、

軍事のスペシャリストよ?

のんきな坊主とか一般庶民には興味ないのよ。

忙しいのよ、たっきー様は。

 

でもね、あとで、英俊さんにお声をおかけになってくれますから。

ありがたや~ありがたや~

これぞ、御利益、一益でしょ。