1533年 夏 滝川一益をとりまく年表をつくる 番外言継編15 | おらのなにがし

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    めめんともり

1533年 天文2年 滝川一益 8歳 三郎信秀 22歳(25歳説もある)

 

天文二年 八月

 

十八日、

戊子、天晴、

平手中務丞来、

此間種々馳走之間、息助次郎に葛袴被遣了、則御禮に二百疋進上候了、

織田右近尉飛へ花むけとて三百疋進候、同息興三郎百疋進、

同丹波守子息七歳、竹滿丸に、八境圖、鴨沓之免状被遣候、圖者未遣也、

蔵人、毛利十郎両人に鞠扇被遣了、

武衛息治部大輔義統、方へ、鴨沓、葛袴、八境圖、同免状等、

以速水兵部丞被送遣了、

毛利十郎大江敦元予に毛抜数六、送候、祝着々々、

勘解小路治部大輔被来候、鞠道之門弟に被成候、太刀糸、

千疋持来候了、予、蔵人両人見參禮申候了、速水兵部に百疋、

織田丹波守子竹滿丸禮に来、飛鳥、予両人に太刀糸、

にて禮候、蔵人には太刀代三十疋也、

赤林、坂井、矢野善十郎等来、

織田監物鞠通之門弟に成候、明日可申聞、云々、今日禮に来、太刀糸、

馬代三百疋、沓、葛袴に五百疋也、速水兵部に百疋等也、

 

帰京が近付くからって、今から鞠門弟って、飛鳥井さんだいじょうぶかな…

鞠道之門弟だから、文献とかと合わせて口頭講義みたいな感じなんかなあ。

 

公家たちはほんとにこのまろまゆだったんかなあ。

天道の頃の山科さんはも少しイケメンタイプだったのになあ。