「無念だったと思う」なんて言葉は、身近にいる人にしか言えないのだろう。
その人がどんな想いで今日まで走ってきたのか、その本当のところは、誰にでも汲み取れるものではないように思う。
ただただ、外から見て知っていたぐらいの自分は、「残念」という言葉を使うより表現のしようがない。
中村勘三郎さんの生涯。
生きていくとはどういうことかを、その軌跡を追ったニュースを見て考えさせられた。
挑戦を続け、それでもまだまだやりたいことが沢山あると語る生前の姿に、残してきたその足跡に、気持ちをほんの少し重ねさせてもらう。
想像もつかない距離を感じながら、己の小ささを感じながら、それでも…
「何でもやってみろ」
と、
言われたような気がした。
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