つい先日、池袋サンシャインビル隣の東池袋中央公園に「永久平和を願って」と書かれた「平和の碑」があることを知った。この公園は、東条英機以下の極東軍事裁判で戦犯とされた人たちが処刑された巣鴨プリズン跡に作られ、石碑はそのことを記念して建てられた。

 

この記念碑のことを知ったのは、あるブロガーのパンデミック条約・国際保健規則IHR改悪に反対する集会と池袋でのデモ行進を報じた記事に紹介されていたからである。https://ameblo.jp/docomo1923/entry-12848248070.html

国家主権を脅かす事態に抗議する集会が、国家主権を失った苦い経験を記念する公園で開かれたことになる。

 

「永久の平和を願って」という曖昧でお粗末な碑文と公園の片隅に追いやられた様な置き方から、日本国がこの瀕死の経験から”生還”したものの、何も学んでいないことを示している様に感じた。そして、その評価にピッタリの岸田首相と上川外相の日本国では、デモの効果は疑問であり参加者の心配事が現実になるだろうと思った。

 

この碑文について、ブログ投稿者に以下のようなコメントを書いた:

 

東京裁判のA級戦犯とされた人たちもここ(この石碑周辺)で処刑されたのでしょうか? そのような処刑場跡のモニュメントにしては非常に小さく控え目です。そのように作らなければならなかったのだろうか? また、「永久平和を願って」という文は、第三者的で、日本民族の誰かが建立したにしては不思議です。

 

これに対して、以下のような返答(主旨を変えず短縮)をもらった:

 

巣鴨プリズンを公園にする際に、管理する豊島区が碑を建てたとネットにあった。公園の隅の目立たないところに作られ、特別な案内板もないので、公園に来るほとんどの人はその碑の存在自体知らないようだ。特別な団体が建てたのではなく、豊島区として設置したので「第三者的」な文言になったのかもしれない。

 

つまり、国家はこの記念碑には関与しなかったということである。国はこの大切な経験から何かを学ぶことを拒否した、或いはその現場を国民からなるべく隠したかったとも考えられる。何方にしても日本の政府は愚かである。そしてその愚かさは、日本国民全ての責任である。

 

近代日本の建国は、日本国内部の歴史的経緯からではない(補足1)ので、国家としての纏まりもなく、国家主権なる言葉も単にお経の様に暗記されているだけでだろう。日本国には主権を国民の為に行使するという本来の国家の能力など無く、それがパンデミック条約とIHR改悪に無警戒な外相を生んだのだろう。(補足2,国家主権について)

 

2)巣鴨プリズン跡に作られた公園

 

元首相以下戦時の閣僚が当時の敵国に惨殺された現場に、同じ日本人がそれを記念し建立した碑であるにも拘わらず、その表の文章は第三者的且つ抑制的である。それが最初に感じた違和感であった。(補足3)

 

「永久平和を願って」と書かれているが、誰の為の平和で、どのような方法で誰が獲得するのかなど、何も書かれていない。その碑文には日本人の意思が表現されていない。

 

ネット検索すれば、この公園及び石碑についてのかなりの数の解説が見つかる。その一つの記事に、石碑裏に書かれた建立の趣旨が紹介されていた。https://tokyo-indepth.com/2022/04/05/ikebukuro-1/

 

第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。昭和五十五年六月

 

そしてそのブログ記事には、この石碑について「見せたくない碑」との言及がある。日本国が自国の失敗をこの公園の訪問者になるべく見せたくないという解釈である。恐らくその通りだろう。見せたくないが建立しない訳にはいかないという中途半端な姿勢には、国家としての結束や統一性が感じられない。

 

3)巣鴨プリズン跡石碑が目立たなくした理由の推測

 

上に引用のtokyo-indepth.comのコラム記事に、この石碑を「見せたくない碑」と言及する部分があったと書いた。見せたくないのは、建立者が連合国に対して恐らく遠慮があったからだろう。その遠慮の根拠の一つに、日本国は東京裁判を受け入れることを条件に連合国と講和が出来たことがある。

 

このサンフランシスコ講和条約の第11条は以下のようになっている。

 

日本は、極東国際軍事裁判および国内外の連合国戦争犯罪裁判所の判決を受け入れ、それによって日本に投獄されている邦人に課せられた刑を執行する。 かかる受刑者に対する恩赦、減刑及び仮釈放の権限は、それぞれの場合に刑を課した政府の決定及び日本の勧告に基づく場合を除き、行使することができない。。。

https://treaties.un.org/doc/publication/unts/volume%20136/volume-136-i-1832-english.pdf

 

この巣鴨プリズンで絞首刑になった東条英機以下の当時の日本の指導者に対する裁判を、日本国は受け入れる約束をしているのである。現在、日本国がサンフランシスコ講和条約後の国際体制の下にある限り、その解釈を受け入れる義務がある。(補足3)

 

しかし、この戦争の経緯や意味を深く学ぶことは日本の国家主権の範囲内にある。日本が本当に講和条約のこの条文を受け入れているのなら、そして日本が主権を回復したのなら、あの戦争までの歴史を詳細に健闘し、そこから多くを学んで新しい日本の体制に活かすべきである。

 

仮にその戦争の経緯が連合国の悪だくみであっても、それを知ること及びしっかりと国民に知らせることは、国家主権の範囲内であり、サンフランシスコ講和条約11条は、それを禁止しているわけではない。

 

巣鴨プリズン跡をそのような場として国民に提供したくないのは、単に現在の日本国があの戦争をレビューしたくないからである。つまり、日本の政治勢力の中心は、第二次世界大戦で敗戦を経験しても明治維新の時に作られた大日本帝国のままだからだと考えられる。自分たちの失敗を国民に周知すれば、その地位が危うくなるのである。

 

そして、現在政府を牛耳る既得権益層の人たちが、二度目の敗戦プロセスに入る端緒として、パンデミック条約・国際保健規則IHR改悪があると思う。

 

終わりに:

 

パンデミック条約・国際保健規則IHR改悪は、グローバリストたちの世界帝国建設の一環で、保健行政に関する各国の主権を取り上げる企みである。それに反対する集会とデモ行進の趣旨を考えると、この公園で最近にない大規模な集会が行われた意味は、大きい。今後反芻され、大きな力を生む端緒となってほしい。

 

(19:00及び翌日早朝編集)

 

補足:

 

1)明治の日本帝国は、外圧の中で外国(英国)の影響下にあって、俄普請的につくられた国家であった。それまでの1000年間の歴史を無視して、英国の支援の下に天皇を国家の統治者とすることで短時間に創り上げた。そしてその実質的権力者として長州と薩摩の下級武士たちが座ることになった。現在も日本国の行政はその末裔が中心になって動いている。

 

2)国家主権とは、国家の構成要素のうち、近代的な領域国家における意思決定と秩序維持における最高で最終的な政治的権利をいう。具体的には、統治権( 国民および領土を統治する)、対外独立権(他国の支配に服さない)、政治的自己決定権(国家の政治的形態を決定する)三つからなる。

つまり、国家が国内最高の権力であり、外部の力にも従属しないことを意味する。西欧史的には、近代国家の成立に当たって、封建諸侯に分割されていた権力の国王への集中と、ローマ教会などの外部権力による干渉を排除するための理論として登場した。

 

3)「碑文なんて、そんなもんです」と言う人も多いだろう。感じ方は、あの戦争と東京裁判の異常性に対する感じ方によると思う。確かに「見ざる言わざる聞かざる」の日本なら、特別に不思議という程ではないだろう。その日本のままでは“日本民族”に未来はないと思うのが、”過剰”に反応する理由である。

 

4)サンフランシスコ講和条約第11条については、野田佳彦元首相による国会質問がある。https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164308.htm

この質問は、この条文と日本との関連を考える上で参考になると思う。

 

共同通信によると、バイデン米大統領は12日、イランによるイスラエル攻撃が「すぐにでもあり得る」と述べた。「やめろ」とイランに警告し「米国はイスラエルの防衛を支援する」と強調した。https://nordot.app/1151607117246021857

 

2年前の2月のこれと似た情況を記憶している人が多いだろう。その時のロシアとウクライナが、今回はイランとイスラエルに替ったのである。米国のネオコン民主党政権とその手先は、相手方を追い詰め、この延長上には戦争しかないと思いこませた段階で、口先だけは「戦争は止めた方が良い」というのである。そのやり方は、真珠湾攻撃の時から同じである。

 

米国バイデン政権を牛耳るのは、ユダヤ系金融資本家を中心としたグローバリストたちであり、彼らは第三次世界大戦を世界帝国の建設の始まりとして期待している。ウクライナ戦争で始まった戦争を、中東に拡大させ、第三次世界大戦に格上げする心算なのだろう。

 

また彼らは、グローバル帝国の完成のための中心地である米国を、トランプなどの一派に渡さず今後も彼らの支配下に置くためには、第三次世界大戦が今や必須であると考えているのだろう。もし何も起こらなかったなら、次期米国大統領にはトランプがなり、彼らの長年の計画は幻となって消える可能性が大きいからである。

 

彼らの世界大戦の中東における基地がイスラエルだろう。イスラエルの人たちも利用されて居ると考え、ネタニヤフ政権に反対運動をするべきだと思う。世界大戦が起こり、東アジアにも広がった時、日本と韓国が米国の基地国或いは戦争代理国にならないか心配している。

 

 

2)イスラエルは米国ネオコンに牛耳られている:

 

ヨルダン川西岸の地を、イスラエルとパレスチナとの二つの国として安定させるというのが、1947年の国連の調停案だった。中東戦争が何度も起こったが、イスラエルの最大の支援国であり20世紀後半から世界覇権を握っていた米国なら、二つの国の共存を安定化出来た可能性がある。

 

しかし、米国はそうはしなかった。そして事態は逆の方向に進んだ。米国のネオコン政権は、所謂two-state solution が不可能なようにこの地域を不安定化させたのではないだろうか? 伊藤貫氏はこの50年間で、イスラエルは右派が大勢を占めるように変貌し、今やイスラエル人1人が犠牲になれば、パレスチナ人100を殺しても良いという右派が大きくなっているという。https://www.youtube.com/watch?v=Ms_RV2IK-40

 

 

一年ちょっと前、中国の仲介でイランとサウジアラビアが国交を樹立した。その結果スン二派とシーア派の間の対立は消え、イエメン内戦もなくなり、中東の紛争はイスラエル近辺のみとなった。あとはユダヤ人とアラブ人が19世紀までのように平和に共存するようになれば、平和が戻る。

 

勿論、アラブにはこれまでの経緯を考えれば不満が大きいだろうが、米国の力をもってすれば押させられる可能性があった筈。岸田首相が米国議会で演説したように、米国が世界の平和を守るリーダーなら、そのように努力しただろう。

 

米国バイデン政権は、逆に紛争状態を取り戻す作戦に出た。サウジアラビアとイランとの間に楔を打ち込むために、サウジアラビアには核開発に協力するという餌をぶら下げ、イスラエルとの国交樹立を画策したのである。(補足1)

 

この餌ならムハンマド皇太子は乗るかもしれないと不安を感じたのが、もしそうなれば完全に孤立するパレスチナの人たちであり、ガザ地区のハマスだろう。その米国の画策がハマスのテロの一つの要因と考えられている。攻撃を許すかのようなネタニヤフ政権の緩い警戒網を超えて、ハマスはテロ攻撃を仕掛けることが出来た。

 

強力なイスラエル軍による反撃は、完全に報復の意味を超えている。現在では、パレスチナ人をガザから完全に追い出すことの他に、イランをイスラエルとの戦争に誘い込むことも目的としているように見える。4月11日の記事に書いたように、この姿勢からネタニヤフ政権は、西欧諸国や日本と同様に米国ネオコン政権に操縦されていると見てもよいのではないだろうか。

 

イスラエルのユダヤ人たちも戦争を欲してはいないだろう。それに超正統派のユダヤ教徒たちは、元々人為的にイスラエル国を建設するシオニズム運動は間違いだと考えている位である。(補足2)

 

イスラエルとイランの間で戦争が勃発した場合、戦争は長引くだろう。米国が本腰を入れてイスラエル支援を開始すると、大統領選挙が実施できなくなり、米国は一層混乱するだろう。それがバイデン政権の一つの狙いだという分析は今や常識的である。

 

イスラエルの後ろには米国があり、対イラン戦争になった時の支援は、ウクライナへの支援とは比較にはならないだろう。しかし、イランにもロシアが付いている。イランはロシアと包括的同盟関係樹立の直前にあるからである。https://www.youtube.com/watch?v=eITn3fkuVGU

 

 

 

3)岸田政権の米国に対する約束は日本人にとって悲劇の始まりである

 

イランとイスラエルが戦争になれば、ロシアはイランに味方するだろう。そうなれば、バイデン政権はロシアの力を分散させることを考えるだろう。つまり、極東での紛争にロシアを巻き込むことをバイデンは考えるだろう。朝鮮半島がきな臭くなるかもしれない。その時には、日本も巻き込まれる可能性がある。勿論、台湾有事の可能性もある。

 

その時に備えて、バイデン政権は日本の岸田首相を国賓待遇で米国によび、米国国会で演説させたのだろう。その期待に副う様に、岸田首相は精一杯の表現で第二次大戦後の米国を「自由と民主主義の旗手」と言う風に持ち上げた。そんな古い表現が未だに使えるのかという疑問が湧かないのが、岸田首相の凄いところである。


岸田首相の米国議会での演説の中に、以下の文章がある。

 

「世界は米国のリーダーシップを当てにしていますが、米国は、助けもなく、たった一人で、国際秩序を守ることを強いられる理由はありません。」

 

「日本国民は、自由の存続を確かなものにするために米国と共にあります。それは、日米両国の国民にとどまらず、全ての人々のためにであります。」

 

これらは、日本もバイデン政権の戦略に100%賛成し、その下で働きますという宣言である。自由と民主主義を守る世界のリーダー米国という今や完全に崩壊したモデルで米国を表現しているので、下院議長(共和党)は呆れて拍手もしなかったようだ。 日経新聞が報じた岸田首相の演説全文

 

岸田政権がこれ以上続くのなら、日本は21世紀も悲劇の主人公になるだろう。

 

以上は一素人の考察ですので、解釈とそれによる行動は自己責任でお願いします。

 

補足:

 

1)中国の仲介でイランとサウジアラビアは国交樹立したが、サウジアラビアにはイランの核兵器は依然脅威である。それを熟知する米国は、サウジアラビアに核武装させると見せかけて、イランとサウジの間に楔を打ち込みたいのである。

 

2)シオニズムは世俗化したユダヤ人の金融資本家たちの考えだろう。ただ、ユダヤ教徒達が自分たちの国が出来たのならそこに住みたいと思うのは当然だろう。このある種矛盾した気持ちを持ちながら、多くのユダヤ人たちはイスラエルに住んでいるのではないだろうか。

(翌日早朝本文最後の一文を追加;加えて編集あり)

 

 

今日朝、テレビ朝日の羽島慎一モーニングショーにおいて、大谷翔平選手の通訳を務めていた水原一平氏の銀行詐欺罪についての米国連邦検事による記者会見の様子とその解説が放送された。同じニュースの概略がANNnewsチャンネルでも速報としてyoutubeにアップされている。https://www.youtube.com/watch?v=Q4SAnfHf31E

 

 

米国連邦検察所・カリフォルニア州中部事務所検事のマーチン・エストラーダ連邦検察官の捜査結果に関する詳細説明によると、水原一平氏が大谷選手の銀行口座開設を手伝い、その後自らが直接アクセス出来るように大谷選手に成り済ましたという。

 

連邦検察は、その水原氏と銀行との間の電話記録と、水原氏が銀行側に大谷氏本人であると思わせるように大谷氏の個人情報も送っていた事実等についての証拠も入手したようだ。そして、このスポーツ賭博で勝った掛け金が大谷選手の口座には振り込まれたことはなく、水原氏の個人口座へ振り込まれたという。これらが、大谷氏がこの賭博には関わっていないことの証拠でもある。更に、水原氏は野球とばくには一切関わっていなかったと言う。

 

以上の事実から、大谷選手は完全無実であり被害者であると、連邦検察官は明確に話していた。これは我々日本人のファンとしては大変喜ばしいニュースであり、今後、大谷選手の応援を心置きなく出来ることになる。

 

因みに、掛け金の総額は、水原氏が勝った分として220億円、負けた分として280億円に上った様だ。その負けた金の穴埋めに大谷選手の口座から振り込まれたお金は24.5憶円(1600万ドル)以上に上るという。

 

また連邦捜査官は、大谷選手は連邦検察にたいして一貫して協力的であり、デジタル装置や彼の個人情報へのアクセスに協力したと述べている。

 

尚、本件は立件の途中であり、数日中に水原氏は連邦裁判所に自ら出頭する可能性が高いという。裁判所が立件を認めれば、連邦検察所は起訴状を作成し起訴する様だ。このあたりの手続きは若干日本と異なるかもしれないが、日本でも逮捕状は裁判所が作成するので、考え方としては同じだろう。

 

また、窃盗罪ではなく銀行詐欺罪での立件を目指すことになったのは、米国は連邦制であり窃盗罪の起訴はカリフォルニア州の検察の仕事だからである。窃盗や詐欺罪に関する裁判は、連邦の仕事では無いとテレビでは話していた。

 

銀行詐欺罪の連邦検察による捜査は、日本では馴染みの無い罪状だが、金融システムの健全性維持は連邦の仕事であるということと関係しているからだろう。特定の銀行が被害者ではないので、関係した銀行が損害賠償を訴える権利が発生してないかもしれない。

 

テレビに出演の米国の司法に詳しい弁護士によると、この犯罪は重罪であり、最高で禁固30年という刑が課される。また、水原氏の場合、その金額が例外的に大きいので、禁固10年程度の実刑の可能性があるとが言っていた。

 

終わりに:

 

以前の記事で、大谷氏が水原氏の損害を補填するという形で、賭博幇助罪が問われる可能性が高いという風に書いた。これは完全に間違っていたことをここに報告させていただく。このことは、以前のブログにも外れれば嬉しいと書いた様に、大変良かったと思っている。また、このようなケースで最悪の場合まで裾野を広げて考察することは、悪くはないことだ今も思っている。

 

ネットでは、同じように悪い方向で予想したヒロユキが批判されているとの呟きが出ている。当時の感想としては、決めつけてはいけないが、博之氏がそのように言う気持ちはわかる。もし、以下のyoutuberの方が、当時の感想としてヒロユキしを批判するのなら兎も角、答えが出てから批判するのは間違っている。

 

 

将来の正解しか予想したことばを発してはならないというのは、言論封殺であり、そのような風潮が社会を支配するとしたら、それは一般市民にとって危険な社会である。

 

(終わり)(翌朝、話の流れを重視して編集)