8月最大の国内ニュースは、木原官房副長官の政治権力による刑事捜査妨害疑惑である。木原氏の妻の元夫が20064月に変死した事件の再捜査が2018年に始まったのだが、三重県まで出かけて犯人と疑われるZ氏(週刊文春の標記)の家の捜索までやりながら、同年10月に早々に捜査陣が大幅に縮小されその後実質的に中止された。この捜査中止の背後に木原官房副長官の政治権力が働いたのではないかという疑惑である。

 

『木原官房副長官配偶者元夫の変死事件(5):公安警察官Zは“活躍”したのだろうか?』

 

この件を、今年20237月~8月に週刊文春が記事に、8月に当時捜査にあたった警視庁警部補が実名で記者会見したことから、国民の関心を引き話題になった。その際、露木警察庁長官が「この件は正しく処理されており、事件性はなかった」と態々火消しの発表をしたことが、2018年の再捜査中止の背後には大きな存在があることを暗示したことになった。

 

 

この事件を追いかけているのは週刊文春だけではない。Webマガジンのアクセスジャーナルもその一つである。そのアクセスジャーナルが重要な情報源から今後情報提供出来ないとの通知を最近受けたと言うのである。以下がその通知に書かれていた理由である。

 

「私は『週刊文春』報道を契機に、再捜査されれば、遺族の無念が少しでも晴れるのではとの思いで情報提供して来た。だが、もはや再捜査はないことがハッキリしたからです。警察庁長官や警視庁捜査一課長の『事件性なし』の見解あったこともだが、何より決定的と思ったのは、2006年の事件発生時の捜査が、上の判断で潰されていたことがハッキリしたからだ。公安絡みでもあり、それで突いたら本当に消されかねない。実は同じことに気づいた大手紙も、警察の報復を恐れて報道しないことを決めている」https://access-journal.jp/73343 

 

その後、この露木長官を訴える勇気ある人物が現れたとの報道が同じアクセスジャーナルに現れた。先日、月刊紙を出している「日本タイムズ社」(東京都千代田区、川上道大社長)が、露木長官を刑法103条(犯人隠避罪 )と国家公務員法第100条違反(秘密漏洩)で告発したというのだ。https://access-journal.jp/73364

 

筆者がこの”勇気ある告発”を知ったのは、以前引用したyoutubeの巫女ねこチャンネルの動画からであるので、一応下に引用しておく。

https://www.youtube.com/watch?v=T8jaSgALnPo

 

ただし筆者は、この告発状には不可解な点がいくつかあり、一般人が期待したような働きをしないのではと思っている。尚、告発状は、日本タイムズ社のページに提示されている。https://nippon-times.net/news/#t14-1

 

因みに、この事件の最新情報は、佐藤章氏(元朝日新聞記者)も取り上げて説明している。以下の動画、特に50分あたりから聞いてもらいたい。

 



2)日本タイムズによる露木警察庁長官の告発状について

この告発状の宛先は、「東京地方検察庁検事正 山元裕史殿」となっている。そして、告発の趣旨として:被告発人の所為は、1.国家公務員法第100条違反、2.刑法103条に夫々違反すると記している。

そして、告発事実として以下のように記している。

被告発人の警察庁長官・露木康浩(以下「露木」という)は安田種雄さん不審死事件について令和5年7月13日、当時現場捜査官は立件を視野に事件に関して捜査を継続して実施している真っ最中であった。

にも拘わらず、「露木」は業務上知り得た秘密である事件性有無について、大胆にも令和5年7月13日、「法と証拠に基づき、適正に捜査、調査が行われた結果、証拠上、事件性が認められないと警視庁が明らかにしている」と記者会見の場で発言した。

この告発状に対する本ブログ筆者の考え:


この告発状は、どのように処理されるかわからないが、恐らく東京地方検察庁は却下するだろう。その後、告発者により検察審査会に再審査申請がなされるだろうが、そこでも却下されると思う。何故なら、この告発状には不思議な稚拙さがある。却下を想定して提出されたのではないのか?

告発事実に、「令和5年7月13日まで現場捜査官は立件を視野に事件に関して捜査の真っ最中であった」とあるが、それは事実だとは思えない。2018年10月の国会が始まった時に捜査陣の縮小が発表され、翌年の春には殆ど中止されていたという話がネットで報道されていた筈である。その中止の決定に木原氏の圧力が働いたのではと疑われているのである。

 

「露木」は業務上知り得た秘密である事件性有無を、警視庁の報告(秘密情報)を引用する形で事件性なしと発言したという部分は、言い換えれば、「事件性は無かったという秘密」を喋ったということになる。そうなら、捜査の真っ最中である筈がない。(追補1)

また、露木長官の発言が秘密漏洩に当たると仮定しても、事件性無しとの情報漏洩が犯人隠避にあたることは論理的にあり得ない。事件性がない、つまり殺人事件が無かったという情報を漏洩しても、殺人事件の犯人を隠避したことになり得ない。

兎に角、謎の告発状に見える。失礼だが、この事件の幕引きのために仕組んだ芝居ではないのか。つまり、被害者家族は、何らかの告発がなされた場合、新たに告発する勇気を削がれる可能性が高い。

 

つまり、被害者が容疑者不詳のまま殺人罪で告発したり、木原氏夫人を要保護者遺棄致死罪で告発した場合、検察審査会では確実に被害者側の希望にそった判断がなされるだろう。それを防ぐために、検察を含む政府側の要請で、日本タイムズが一芝居したと考えられる。


終わりに:

木原官房副長官は、岸田首相について米国での日韓米の参加国首脳会議に随行した。この件はもみ消し成功と岸田氏とともにたかをくくっているのだろう。因みに、今年春の叙勲で、桑名市在住の義理の父に当たる船本賢二氏は瑞宝単光章を授賞している。https://www.city.kuwana.lg.jp/hisyokoho/shiseijouhou/kouchoukouhou/jyokun.html

この国は、支配層と被支配層一般国民とに明確に分かれている。それを守るのが選挙においては、一票の格差と、一般人が選挙に出ないように設定した高い供託金である。日常では、情報の隠蔽とマスメディアのプロパガンダ放送で、正しい情報が国民に流れないようにしている。

 

そしてイザとなれば戦前のように警察やヤクザも動員してもみ消すのだ。

 

尚、手前みそになるが、この事件の真相は本ブログでの最初の記事が正しくその大筋を指摘していると思う。コメントとそれに対する返答(その日時も)なども読んでいただければ、この記事がその後の編集されたものでないことが分かっていただけると思う。

官房副長官の奥さんの元配偶者の死の不思議:2006年の捜査時に最初のもみ消しがあったのでは? | Social Chemistry (ameblo.jp)

 

 

追補:

 

1)露木長官の発言が秘密漏洩に当たるとして、その秘密は捜査陣と共有する秘密だとすると、上記議論のように辻褄が合わない。秘密漏洩の秘密(内容とどの範囲の公務員で共有する秘密なのかなど)を明確にしてもらわないと、意味不明の告発状となる。

 

2)以前記載したように、木原氏の義理の父(桑名在住のZ氏)は警視庁の公安部門に所属していた。恐らく、その部署は戦後でも米国CIAのような工作に従事してきた可能性が高い。その活動の陰で、命を落とし不審死として片づけられた政治関係者もかなりいた可能性がある。Zがそのような公安警察の秘密を握る人物だったら、あの事件ももみ消さざるを得なかった可能性がある。国民の警察に対する信頼感を守るというような、漠とした目的ではなかったかもしれない。

 

(午前8時50分追補1の追加;11時0分、編集あり; 8/23/早朝、「終わりに」に残存した消し忘れを消し一文を追加;更に追補2を追加)

 

 

民主主義の成立条件には個人の自立などいろいろあるが、中でも大事なのは、客観的で真実に基づいた報道である。ところが、民主主義国を自認する欧米日のマスコミは全く信用できない。

 

例えば、欧米日のマスコミは、ウクライナ戦争に関してその原因から現状まで全く真実とは反対の報道をしている。本ブログでもそれらの報道に惑わされ、トルコがウクライナのNATO加盟に賛成するような動きをした時、一日弱だが、戦況を見誤まったこともある。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12811198754.html

 

岸田政権下の日本では、戦況はウクライナ有利との報道が殆どである。しかし、山中泉さんの今日の動画によると、米国大手マスコミでも、ウクライナの敗北の可能性が大きいという論調に変わりつつあるという話である。明確に出た結果に対する辻褄合わせが始まったのである。https://www.youtube.com/watch?v=uM3zXPtdxHs

 

 

つまり、欧米日の大手マスコミの放送はプロパガンダであり、情報源としては役立たないということになる。プロパガンダに対してお金を支払っている一般市民は、愚かとしか言いようがない。毎朝朝刊を待つ日本人は、本当に愚かだ。

 

そしてそのプロパガンダは、全ての分野に亘る。私も、毎朝のネットで情報収集をやっているが、今朝印象的だったのは、上記山中泉さんの動画と、以下の原貫太さんの動画である。後者では、中国のアフリカ進出に現地のアフリカ人たちがどう思っているかを報告している。https://www.youtube.com/watch?v=FDS5YQ9GTIQ

 

 

日本人の我々は、中国はアフリカに進出して新しい植民地支配を展開しているという話や、中国の仕掛ける債務の罠の話などで、アフリカ人の間で中国が嫌われているという印象を持っている。これらは欧米日の大手マスコミの報道で作り上げられた我々の共通した認識である。

 

時たま参考になるのがBBCの報道だが、そこが定期的に実施しているworld service pollという世界の主要国の人気調査がある。その結果(2014)では、調査対象となった最近経済発展が著しいアフリカのナイジェリア、ケニア、ガーナでは、中国がプラスの影響を与えているという評価が6585%だったというのである。

 

日本人のほとんどは、「そんな話は聞いていないぞ」と思うだろう。欧米の大手メディアやそれらのカーボンコピー的な日本の大手メディアでは、世界の動向を殆ど知ることは不可能であることを知るべきである。

 

動きに決着がついた時或いは真実が明らかになった時に、辻褄合わせの報道があるだろうが、それでは民主的な政治参加など不可能である。

 

21世紀は情報革命の時代であり、皆がパソコンやスマホを持てる時代になってきた。それらで複数の視点を代表するメディアを探し出して世界の情報を集め、それらを総合して自分の考えを作り上げることが可能である。

 

有権者の例えば半数以上が、自分の意見をそのような手段で構築出来た時、欧米日のようなどこかのだれかというごく少数の金儲けに強い人たちの軛から逃れることが可能となるだろう。

 

最後に、ウクライナ戦争に対する最も大きな影響力を行使している人間二人についてのマクレガー大佐の記述(山中泉氏のブログ:https://ameblo.jp/sen-0077/entry-12804683414.html)を引用して、本記事を終わる。

 

マクレガー大佐:

欧州と米国をベースにして巨額の資金を動かしている二人の人間がいる。

それはジョージ・ソロスとブラックロック社のフィンクなどだ。

彼らはウクライナの人々のことなど何の興味もない人間たちだ。

彼らの興味は唯一つ。

ウクライナの東からカムチャッカまでの全ロシア領土にあるゴールドなど希少金属からほぼ無限ともいえる”水資源”だ。

それをプーチン打倒後の混乱に乗じて、それらの膨大な天然資源の奪取が目的だ。

戦争を始めたこれらグローバリスト勢力が、既に莫大な復興の金儲けもすでに狙っている。

ーーーーー

 

追補 マクレガー大佐によれば、ジョージソロスなど米国ネオコンが広大なロシア資源を狙っているとのことだが、実は彼らはその事に一度成功しかけた。伊藤貫氏によると、ソ連が崩壊したエリツィン政権の時、IMF(国際金融基金)の指導でロシアの国営企業を民営化する時、イスラエルとロシアの二重国籍のユダヤ人がほぼ独占的にそれらの支配権を得たという。

プーチンが政権を担った時それらの支配権をロシアのものに取り戻したため、それ以来彼らはプーチンを不倶戴天の敵と考えるようになった。ウクライナ戦争の目的はロシア潰しの中のプーチン排除である。ウクライナ侵攻の11日前にこのあたりのことについて書いた以下の記事をお読みいただきたい。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12726626308.html 

(追補は13時0分に追加)

 

 

 

 

終戦の日にNHKのゴールデンタイムに、所謂Z世代の若者とゲストを交えて戦争について議論するテレビ番組:NHKスペシャル(815日放映)が放映された。何時もの様に、現政権に忖度する内容であった。(補足1)なお、この番組についての素朴な感想が下の動画で語られている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=etxUXUpAi9M

 

今回は、その放送内容を簡単にレビューし、それを引用する形で戦争について思うところを書く。結論を一言で書く:過去150年余の日本の近代史を細部にまで徹底的に明らかにし反芻することで、戦争の本質が分かる。また、それによってのみ日本という国が21世紀中存在可能となるだろう。


 

1)8月15日のNHKスペシャルの内容について
 

ゲストとして参加していたパトリック・ハーラン氏(芸名パックン)が、番組の最初の方で、「アメリカでは、“オイルの為の戦争に反対”とか、“お金の為の戦争に反対”とか言うのが普通で、日本のように単に“戦争反対”ということはない。戦争に対する考えに日米で大きな差があるようだ」と言った。

 

また、元自衛隊員の若者が、戦争で敵兵士に向かって銃を発射できるかと考えた時、自分にはできそうにないので自衛隊をやめたと発言し、更に取材映像の中で戦争経験者の90代の老人の言葉「戦争してはいけない。戦争は人殺しだから」が紹介された。

 

上記二人の言葉が日本人の典型的な考え方だろう。日本では外交的困難などの有無と無関係に、“人殺し”と直結させる形で「戦争」という抽象的概念を作り、平和との間の2者択一問題を設定した上で、戦争反対を叫ぶ人が多い。それは、先進国では日本にしか見られない特異な光景である。(補足2

 

パックンは日本の若者の戦争に関するこの考えを、「新しい戦争の視点」と表現し、幼稚或いは明らかに異常と言わなかったのは、単に日本に対する儀礼的配慮なのだろう。

 

この「戦争」に対する風変りな理解の根底には、この国では国民と国家の関係が一般には十分理解されていないことがあると思う。他のゲストから、国際関係は野生の関係に近いという指摘はあったものの、そこから国家の役割や防衛に対する議論はなかった。

 

国連に関する話も、未完の世界政府のような存在との言及があったものの、ほとんど議論の対象にはならなかった。唯一重みのあったのは、実体験から来る上記の言葉であった。ここでは、何故このような発言が現れるのか?について考えてみた。

 

尚、放送ではウクライナ人の方と現在進行中のウクライナ戦争に関する話もあったが、それはこの戦争に関するNHK(つまり日本政府)の理解を前提に置いているようであり、完全に間違っているので省く。これについては第3節の後半に少し記述している。

 

ウクライナ戦争の理解には、ソ連崩壊からの東欧とロシアの歴史を学ぶ必要がある。先ず本コラムの2022/2/13 (ロシアのウクライナ侵攻の11日前)の記事をお読みいただきたい。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12726626308.html (補足3

 

 

.戦争の本質と日本の戦争

 

太古の昔、人類は族長が大家族を率いる部族集団を作って生きた。他集団との争いや戦いの時に、大きな集団ほど有利だからである。部族間の争いは、有限の土地と資源のなかで生きる生物全てに見られる生存競争の一つである。この部族間の殺し合いを善悪判断の対象にするのは愚かである。

 

時代が下り、人はもっと大きな国家と呼ばれる集団を作るようになる。それと並行して、経済や文化も発展する。武器の開発や軍団の組織化、国家間の付き合い方(外交)の発展などもあり、西欧では17世紀に“主権国家”が定義され、19世紀の終わりに主権国家間の戦争ルールまで整えられた。

 

西欧では、「戦争」は外交の最終手段として新しく概念化されるようになった。それでも、戦争は有限の資源と土地をめぐって、国家(民族)間で争う「生存競争」であるという本質に変わりはなかった。

 

つまり地球上の土地と資源が有限で、技術の発展も有限がある以上、そして人口が世界的に減少傾向にならない以上、これからも生存競争は無くならない。従って、「戦争は人殺しだから、やってはいけない」を金科玉条にしていては、自分たちが死に絶えることになる。

 

まとめると、戦争は生存競争の延長上にある以上、生き残るのなら、人殺しであってでも戦争しなくてはならない場合もあるということになる。これを短く表現したのが、「国際社会は野生の世界である」という言葉である。

 

明治天皇が日露戦争に入る前に詠まれた「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」には、島国の日本に住む人が持つ世界中が一つのコミュニティであるべきだという夢が表現されている。それは又、天皇は政治的力を持たないということを国民に告白する意図もあっただろう。

 

昭和天皇も太平洋戦争開戦前に、多分同じ思いでその歌を引用された。その戦争の結果は、民族の消滅直前の悲劇となった。グローバル化の今、その幻想に過度にこだわることは、生きる自然の権利を半ば放棄するに等しい。これが昭和の敗戦から学ぶべき重要なことの一つだろう。

 

ここで、何百万人という死亡者を出したあの戦争は、日本民族にとってやむを得ない選択だったと結論するのは間違いであり、日本政府のごまかしであることを指摘したい。このごまかしは、戦争の中で命を失った将兵たち、空襲で殺された一般市民等に対して失礼になる。

 

過去の戦争の歴史をまともに再評価することが、その犠牲者に報いる唯一の方法である。その再評価つまりレヴューに当たっては、具体的に全ての出来事に細部に至るまで拘り、それを踏まえて全体を総括すべきである。

 

「真実は常に細部に宿る」というのは以下のような意味がある。当事者の説明(ここでは日本政府の作った官製の歴史解釈)は多くの場合自分に都合よく纏められている。細部にこだわることでのみ、そのヴェールを剥がすことが出来るのである。

 

300万人余の犠牲者の魂は、「戦争=人殺し」(つまり、戦争=無駄死に)として戦争に反対することを、疲れ切った人には兎も角、若者には許容しない筈である。

 

日本政府の国民に対する無責任は、太平洋戦争での民間犠牲者に対し補償を一切しなかったことにも現れている。例えば、広島と長崎の原爆投下などの都市空襲による一般市民の被災者には、日本政府が大日本帝国の連続線上にある以上、しっかり補償すべきである。

 

それを要求する市民に対して、都市空襲は戦争犯罪であるから米国に補償要求すればよい。講和条約で政府が交渉する権利を放棄しているので、独自に米国相手に訴訟してもらいたいと日本政府は宣言した。補足4)(追補あり;16:00)

 

このような日本政府の過去の戦争に対する姿勢を考えれば、そして広島と長崎、そしてシベリア抑留などの不条理な虐待や虐殺を考えれば、国民一般にとって戦争は自然災害と同じように考えるしかない。

 

90歳を越えた老人の「戦争は止めるべきだ。人殺しだから」は、本来の議論では完全に間違っている。しかし、妙に重く感じる背景には、以上の様な理由があったことを知るべきである。それは深く心に刻まれた実際の体験から漏れ出た言葉である。国民に愛国心を期待するには、日本政府はあまりにも杜撰である

 

 

3)過去の戦争が、日本国民生存の為の戦争であったのか?

 

この問題を考えるには、過去200年ほどの歴史を考える必要がある。西鋭夫(スタンフォード大フーバー研究所フェロー)氏は、「白村江の戦いから1200年間、徳川時代だけでも250年間、日本は外国と戦争していない。 何故、明治から昭和の75年という短い間に3回も4回も外国と戦争したのか?」(筆者の再構成)と大日本帝国政府の好戦性を指摘している。

 

大日本帝国は、日清と日露の戦争を戦った。これらの戦争は、シベリアから南下するロシアから日本を防衛するためであったというのが正統派の歴史解釈だが、本当にそうだろうか? 

 

これらは、態々大陸まで出向いての戦争であり、その延長上に満州事変、シナ事変、そして太平洋戦争があった。大陸進出は、①名誉白人(Honorary whites ;ウィキペディア名誉人種参照)を自認する日本帝国による、西欧の植民地支配を見習った侵略と考える方が自然だろう。

 

 

日本は国家予算の7年分を使って、日露戦争を戦ったのだが、そんな博打のような政策が日本国民の生存権の確保と言える筈はない。また、米国のシフによる公債買い上げや、Sルーズベルトによる講和条約に向けての支援などから、上の①のような独自の判断ではなく、米国ユダヤ財閥の長期戦略に協力させられたと考える方が自然である。

 

その長期戦略にずっと乗るのも或いは一つの戦略だったかもしれないが、日比谷焼き討ち事件などで日露戦争の決着に不満を持つ日本の民意がそれを許さなかった。それが恐らく桂ハリマン協定無視となり、日本が米国により敵国としてロックオンされることになったのだろう。その結果が、太平洋戦争への誘い込みである。

 

日露戦争は現在のウクライナ戦争とよく似ている。日露戦争とは日本が米国の代理でロシアと戦った戦争なのか?:日本に真実を見る文化が欠けている | Social Chemistry (ameblo.jp)

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12795459148.html

 

週末思想が世界に充満する現在、日本は東海の藻屑と消え去ると考える人も多い。つまり、台湾有事の際には、米国とその敵との代理戦争をウクライナのように戦う可能性がある。その際、中国は西欧文明の一角に位置するロシアと違って、核兵器の使用に躊躇などしない可能性が高い。

 

ウクライナ戦争も台湾有事もともに米国ネオコン、ユダヤ系グローバリストの企みであることは、既によく知られている。これも日本政府は隠し通している。このままでは、ウクライナのゼレンスキーと同じ間違いを岸田首相はする可能性が高い。

 

ウクライナ人の青年の殆どが戦死するような戦いは、決してウクライナの国家防衛の為とは言えない。ウクライナ戦争の実態は、腐敗したウクライナのユダヤ系オリガルヒの支援で大統領になったゼレンスキーが、米国グローバリストの代理でウクライナ人の青年の命を使ってウクライナ市民の犠牲のもとに、ロシアと米国の代理として戦っているのである。

 

 

終わりに

 

皇紀2600年の日本とか言って自慢している右翼の人が多いが、それは日本国が無くなる可能性など想像の世界にもないという日本民族の致命的ともいえる弱点の別の側面である。それを意識しない人ほど、熱狂的右翼となるので、彼らは日本国存続の道を国民が探す上で邪魔ですらある。

 

外国の民、例えばユダヤ人は、国家が滅びることが何を意味するかを太古の昔から民族として記憶している。異民族と戦って多くの戦士が殺されたり、異民族の国に奴隷として連れ去られたりした。その中で生き残った歴史を、聖書(旧約)と言う形にして纏めて何千年と読み続けている。

 

彼らのかなりの部分は、元々の土地から逃亡して世界中を渡り歩き、差別と偏見と戦いながら今日まで人的ネットワークとお金を頼りとして生き続けてきた。彼らディアスポラのユダヤ人は、国家を維持した経験に乏しいのでグローバリスト勢力となって、主権国家体制を現状で保とうとする民族主義的勢力の敵となっている。その点でイスラエルに残ったユダヤ人とは考え方も大きく異なるだろう。

 

日本にはそのような聖なる書物も伝統もない。おまけに義務教育で日本史と世界史を分離して、歴史を単なる暗記物としてしまった。その結果が、最初に紹介したNHKでの若者(Z世代)の浅い議論である。彼らを教育するという視点も全くなく、不真面目なNHKのためだけの番組だった。

 

 

補足:

 

1)NHKは歴史や政治に関する放送をする時、NHKの生命線である放送法とそれを変更することが出来る政権与党を常に意識しているので、まともな内容は期待できない。NHKは純粋な国営放送とするか、民営化すべきである。

 

2)ここで元自衛官の若者が「銃で人が打って殺すこと」が出来ないことを自衛官退職の理由としたが、その「」内の言葉に「銃で撃たれて殺されること」も含めている筈である。同様に、老人の戦争は「人殺しだから」、戦争をしてはいけないという言葉の「」内の語句には、「人に殺されるから」も含めている筈である。それら表現における狡さは、誰でも持つものだろう。

 

3)ウクライナ戦争に関する説明を聞くとき、2014年のマイダン革命と称される米国が深く関与したクーデターと、東部地区の自治に関するフランスとドイツの仲介によるウクライナとロシアの合意(ミンスクII)に言及がなければ、それらは殆どインチキである。詳しくは、本文に引用した2022213日の記事をご覧いただきたい。ウクライナ侵攻の当日にも小文を投稿している。ウクライナの件:ウクライナは武装中立の立場をとるべきだった | Social Chemistry (ameblo.jp)

 

4)サンフランシスコ講和条約でも日韓基本条約でも、国家及び民間の財産・権利等における請求権を互いに放棄するという記述がある。日本の個人(法人を含む)が相手国に国際法上の請求権がある場合には、講和条約の交渉にその個人が参加する訳ではないので(日本政府が請求権放棄をした以上)、相手国に代わって日本政府がその請求権に対処しなければならない。

この論理で、原爆による被災者が米国の国際法違反によって受けた被害の補償要求を日本政府に対して行ったのだが、日本国は補償を拒否した。日本政府の回答を要約すると:原爆被災者の米国への請求権を日本国が代わって放棄した訳ではない、放棄したのは日本国が被災者に代わって米国に請求する権利(外交保護権)である。従って、被災者は直接米国に要求すれば良い。

http://justice.skr.jp/seikyuuken-top.html

 

追補: 原爆被災者には平成6年に原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律ができ、部分的には救援と言う形で償いがなされているようです。(16:00追加)

語句の編集あり(18:00)(数カ所の微修正あり、翌日早朝)