8月6日は広島原爆の日。記念式典では、松井市長の平和宣言で「核抑止論からの脱却を」という核兵器廃絶の訴えがあったと、中国新聞他多数のマスコミが報じている。(補足1)

https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/343165

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230806/k10014154771000.html

 

 

この平和宣言文の中心は、「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取組を早急に始める必要があるのではないでしょうか」という主張である。(以下赤字は平和宣言中の言葉)

 

この文章中の「核の威嚇の存在は核抑止論の破綻を意味する」という部分は、理想論展開のためのごまかしであり、その論理こそが破綻している。それは、歴史と現実に学び、論理的に自国に平和を実現する方法を考えるというタイプの宣言ではなく、所謂空理空論の類である。

 

「核兵器を持てば、他国から核爆弾を落とされる可能性は低くなると同時に、核兵器で脅されることも防止できるだろう」という核抑止論は、核兵器の廃止が出来ないということを踏まえての現実論である。

 

核兵器廃絶がほとんどあり得ないのは、デジタル機器の廃絶やAIの廃絶があり得ないことと同じで、時間を過去に向かって進めることが出来ないということである。

 

 

2)広島に核廃絶は無理である:

 

ビーカーに一滴のインクを撤下した時の光景を思い出して貰いたい。インクは徐々にビーカーの隅々まで拡散し、一日も経てば全体を薄く色づけるだろう。世界に核兵器が広がるのは、インクの拡散と同じ自然な現象である。

 

インクを水から分離するには、吸着剤を投げ入れる必要がある。強力に吸着する化学的力を利用することで、インクの着色分子を取り除くことは可能である。単に平和文化や非核三原則をお経の様に唱えるだけで出来る訳が無い。強力な力が必要である。

 

広島が核廃絶の中心的力となると言うのなら、その巨大な力をどのようにして獲得するかを考えるべきである。もっと厳密な論理を用いて広く深く思考しなければ、仮に神が核廃絶のプロセスを用意してくれても、見つけることは不可能だろう。

 

一歩下がって頭を冷やし、貴方は何のために核廃絶を望むのですか?と自問自答すべきである。(補足2)それは、①「私と家族が平和に豊かに暮らすため」なのか、②「我が民族が平和に豊かに暮らすため」なのか、それとも③「全人類が平和に豊かに暮らすため」なのか?

 

それぞれの目標設定に対して、核兵器に関する別々の答を思いつくだろう。核抑止論は、②の目標設定での一つの答であるが、③の目標設定ではない。③の目標設定に対する答えは核廃絶である。つまり一つの敗戦国の地方都市の市長が、出来もしない③の目標設定を宣言しているのである。それは、広島と救世主イエスとを同一視するナルシシズムの所為なのか?

 

人間の歴史は、先史時代から部族と部族の殺し合いで始まり、主権国家間の戦争という形に変化している。歴史とは、それら多くの殺し合いが、章や節で区切られた文書である。どのように目標設定するにしても、先ずは、その歴史を冷静に復習することから始めるべきである。

 

 

3)平和への道

 

近代は、人種差別を乗り越えて世界中の多くの民族を主権国家として独立させ、民族自決の原則を各国が確認することで終わった。その中で、多くの戦争と犠牲者を出した。その後の世界の歴史としてグローバルな社会を考えるのは自然である。しかし、それは個人ではなく主権国家を構成員とすべきである。

 

つまり、全世界を単一の政治権力で束ねることは、〇〇〇の恐怖政治を想定しない限り無理である。その理由は、地球は均一ではなく、その表面で生きる人間の生活と歴史も広く分布しているからである。

 

政治制度で考えても、社会主義をとる国、“皇帝”による独裁国、民主主義を標榜する国々などが存在する。その地球世界を、例えば50年位の短期間の内に単一の政治権力で統合するには、恐らく、核戦争で人口の50%程度が死滅する位の恐ろしい歴史の一章が必要だろう。

 

そのような大変革を目指しているのが、〇〇〇の一派でありグローバリストと呼ばれている人たちだろう。それと対立している勢力が、民族主義者と呼ばれる人たちである。米国ではトランプ、ロシアではプーチン、中東サウジのムハンマドなどである。

 

インドのモディやトルコのエルドアン、そして 日本の安倍元総理なども、思想的には民族主義者だ。現在、多くの民族主義者は、暗殺の対象となっているだろう。実際、安倍元総理はグローバリストが牛耳るある国のCIAにより殺されたと国際政治評論家の田中宇氏は言う。

 

 

 

現在、グローバリスト勢力は、これまでにため込んだ金融資産を使って、民族主義者を疑似民主的インチキ選挙などで落選させ、戦前の大日本帝国や米国FBICIAを用いる米国現政権のように、司法を武器化してグローバル単一政権樹立を目指している。

 

このような巨大政変では、気が付いた時には殺される時か籠の中の鳥状態にされているかのどちらかだろう。今世紀の戦争から平和への道は、次期権力者が不要な人と国を破壊しつくして、更地にすることである。

 

中国の少将であった朱成虎は、世界の人口削減のために、人口密集地であるインドや日本を先制核攻撃するべきだと言った。それが朱成虎が考えた中国の為の平和への道である。

(ウィキペディアの朱成虎の項目参照)

米国民主党政権にとっての平和への道は、広島を原爆で破壊することだったことを知るべきだ。(補足3)

 

 

4)インド独立の父、チャンドラボース

 

平和宣言の中で松井市長は、かつて祖国インドの独立を達成するための活動において非暴力を貫いたガンジーは、「非暴力は人間に与えられた最大の武器であり、人間が発明した最強の武器よりも強い力を持つ」との言葉を残していますと言った。

 

その紹介の前に、松井市長は次のような歴史を勉強すべきだ。ガンジーは、イギリスが掲げていた植民地支配の正当性を砕くため武力によらない抵抗運動を行ったが、結果的にはイギリス軍によるインド人の無差別虐殺が発生した。(ウィキペディア参照)

 

一方、チャンドラボースは、「真に自由を欲するものは、自らの血をもって戦い取らねばならぬ」と言って、武装により独立を勝ち取るべく旧日本軍とも協力して英国と戦った。インドが伝統的に親日

的なのは、インパールなどで共に戦った歴史があるからだろう。

 

因みに、チャンドラボースは1945年に日本の敗戦直後に飛行機事故で死亡し、台湾で荼毘に付された。インドでは、"いまだボースは生きている"と信じている人が多く、その所為か彼の遺骨は 東京都杉並区の蓮光寺に眠っているという。

 

 

ガンジーの理想論を母とし、チャンドラボースの現実論を父として、インドは、独立を成功させたといえる。両者とも、血を流す覚悟の上での独立運動だっただろう。そのインドの政治段階を日本は未だに回復していない。

 

平和宣言では、「平和文化」を世界中に広め、為政者の心に届かせることで、武力によらず平和を維持する国際環境の醸成を目指していると言う。それは、米国によって日本を無力化する戦略の一環として強要された“平和憲法”の思想そのものである。

 

 

終わりに:

 

日本民族が50年後に平和裏に存続するためには、上記のような幼稚な“平和思想”を乗り越えなければならない。しかし、それはなかなか困難なように思う。何故なら、松井市長の平和宣言を批判する記事、この国のマスコミには皆無であり、彼らは全て山本七平が言う”日本教”の信者だからである。

 

日本人の殆どは、式典の中でも日常の中でも、空虚な言葉のなかで生きている。山本七平は実体語と空体語ということばでこの日本の言語文化を表した。実体語は現実的な言葉で空体語は理想論である。日本人がその二つに頼るのは、理想と現実の橋渡しを論理的に行えないからだろう。

 

山本七平によると、全ての人間はこれら実体語と空体語の支点に位置し、その支点が空体語に近い程価値の高い人間だと見られるという。その結果、日本人の殆ど全ては、葬式や法事での坊主のお経(音読み漢文)をありがたく聞いているのである。私はこの習慣が嫌いである。

 

(8:00 編集;12:15 編集、補足3に数行追加)

 

 

補足:

 

1)以前にも平和宣言について書いたことがある。少し異なった議論が出来たと思う。

 

 

2)平和の実現などの方法ではなく、「核兵器が憎いのだ。従って、核廃絶が最終目標なのだ」とは言わないだろう。しかし、今回のような平和宣言や核廃絶を訴える人たちの話を聞くとき、そのような心理で発言されているのではないかと疑ってしまう。

 

3)米国の圧力団体として有名な米国サイモン・ヴィーゼンタール・センターのアブラハム・クーパー副館長が、新潮社編集部の取材で広島と長崎への原爆投下について語った以下の言葉が「その冷酷な現実」を示している。「率直にお話ししますが、個人的に言うと、私は原爆投下は戦争犯罪だと思っていません」(「新潮45」2000年12月号)

米国のユダヤの人たちが日本を嫌う原因は、原爆投下の罪悪感の所為なのか、満州でのユダヤ人に対する対応;シモン・カスペの誘拐殺人事件が原因なのかはわからない。

もう一つの例を追加する。8月6日の日曜日のザ・プライムで、被爆者の小倉桂子さんの言葉が紹介されていた。米国を訪問した際、ある方から「原爆を落とされてよかったね。一億の人が自決しないで済んだもんね」と言われたと話していた。(15:30、編集)

 

 

 

 

田中龍作というフリージャーナリストの方が居る。彼が、安田種雄氏家族の記者会見で、Zが当時警察官だったが、そのことについて知っているかと安田氏の父に質問した。答えは「詳しくは知らない」だった。https://www.youtube.com/watch?v=9quuq5qyIhw (最後の質問)

 

このことが、Xと安田氏との結婚に関する基礎的情報として大事である。もし、双方の父親同志がよく知る中なら、このような事件は起こらなかった可能性が高い。その理由はどうも、Zの所属部署にも関係があるようだ。田中龍作氏は記事の中で、次のように書いている。

 

Zは警視庁公安部の警察官で階級は警部補(退職前に警部)だ。現場付近をトボトボと歩いているのを大塚署の防犯カメラに記録されている。本庁の警部補(退職前に警部)に対して所轄の大塚署が忖度したのか、しなかったのか。定かではないが、自殺扱いとなった。」と。

https://tanakaryusaku.jp/2023/08/00029296

 

週刊文春の8月3日号と8月10日号に記されたこの事件関連の記事では、安田種雄氏死亡直後の情況からも自殺とするのは不自然であると書いている。例えば、刃物の柄の部分の血液が拭き取られていることの他、遺体の位置が移動されていること、廊下にまで刃物からと思われる血液の滴った後が残されていること等が新たに書かれている。

 

そこでは更に、現場に居たZ氏についても重要な点に少し触れている。つまり、事件当日Z氏は大塚署に出かけて、①安田種雄氏の妻X子に対する家庭内暴力について相談している。そして、②安田種雄氏の家を訪れ、「仲良くしなければ駄目だぞ。しっかりやれよ」と言ったというのである。

 

この言葉(直ぐ上の赤字)は、再捜査の時に、佐藤誠氏に対するX子の証言だろう。この辺りの分析は、元朝日新聞記者の佐藤章さんのyoutube 動画が詳しい。

https://www.youtube.com/watch?v=dTRNV5tZkcw&t=1760s

 

 

佐藤章氏によると、家庭内暴力の原因は恐らくX子の愛人であったY氏の存在だろう。何故なら、家庭内暴力で家を出る場合、普通は実家に行く。勿論、一人暮らしをする経済力があれば、それもあるだろう。しかし、愛人を作ってY氏の下に行くということは、あり得ないからである。(補足1)


また、家庭内暴力に何とか対策を立てようと考えている数時間後に、安田種雄氏の殺害は普通考えられない。従って、それはこれから実行することの論理的アリバイ工作ではないかと佐藤氏は疑う。公安警察だった人が、そのような工作を思い当たるのは容易な筈である。

 

ただ、週刊文春の記事では、当日Z氏が大塚署を訪問してX子が家庭内暴力を受けていることの相談を行った時刻が「夜」とだけ書かれ、詳細は書かれていない。窓口が開いている時間である午後4時ごろまでには行く必要があると佐藤氏は推測する。

 

従って、上記①、②、③はこの順番(時系列)で起こったことだろう。(補足2)このように考えると、これが殺人なら、相当計画的だということになる。多くの矛盾点が存在するが、偽造や捏造の類にはそのような矛盾点が存在するのが普通である。

 

家庭内暴力対策を警察に相談するなら、X子本人がもっと早い段階で警察署に行っている筈である。それに、200649日、安田種雄氏がX子さんをYのもとから取り戻した情況を考えても、そのような相談の時期ではない。あの時点で相談するとした場合、離婚と子どもの引き取りの話だろう。

 

事件直前であり、既に緊急事態である。仮に家庭内暴力がトラブルの源だったとしても、その解決の時期ではない。従って、「仲良くしなければ駄目だぞ。しっかりやれよ」と言って、二人を励ます時期からは、程遠い筈である。

 

佐藤誠氏は自分の想像でZ氏犯行説を匂わしたが、佐藤章氏の得た情報では、その考えは捜査陣の殆ど全員が持っていたという。そして、上記Zの発言が、X子の佐藤誠氏への証言なら、X子は嘘をついており共同正犯であった可能性が高い。

 

 

2)事件後の関係者の昇進は?(このセクションは想像による部分が更に多いので、十分注意してお読みください)

 

夫婦のそれまでの諸事情、上記現場の情況、傷の位置と大きさなどからも、自殺だとして隠し通すことは不可能である。

 

また、安田種雄氏の死亡後にYを呼び出して、自殺と見せる工作をやった可能性が高い。また、それが見破られた時にYが実行犯となるように現場のあちこちにYの指紋をつけるのが目的と思われる両面テープを用いたナイフへの工作など、公安警察のアイデアだと思うのは自然である。

 

従って、この事件の真実が上記推測通りだという筋書きで明らかになれば、警察官の犯行というだけでなく、戦後60年を経過しているにも拘わらず、あの忌まわしい特高警察の記憶を再度国民の脳裏に呼び覚ますことになる可能性が高い。

 

権力側としてはこの事件の犯人とその詳細が明らかになることは、非常に拙いことになると考えるだろう。そして、その隠蔽の決断は、警察庁長官のレベルの高位の判断だろう。

 

確かに、明治以降の日本史を、そして昭和の戦争までの歴史を詳細に研究し国民の前に出せば、日本は大混乱となり自民党政権も吹っ飛ぶだろう。その一つが、国民の人権を無視した特高警察(戦後の公安警察に相当)の行った暗黒の歴史である。(補足3)

 

その功績だけかどうかは勿論わからないが、当時の警察庁長官の漆間巌氏は、後に官房副長官となり、その後旭日大綬章に輝いている。警察庁長官から内閣官房副長官になり旭日大綬章に輝くケースは非常に少ない。あの後藤田正晴氏以来である。(補足4)

 

そして、2018年の捜査を強引と思える手段で中止に追い込んだ警察庁長官が栗生俊一氏であり、この方も官房副長官となっている。官房副長官の定員は3名であり、その内の一人は事務方から選ばれるのが慣例のようだ。その候補者としては上がっていたが、順位が3番目位であり、その人事は驚きの対象だったと誰かがyoutube動画で言っている。

 

また、気になるのは、Z氏の警察官としての階級である。確か、百田尚樹氏の動画で紹介された時には、当時巡査部長だったと思う。もし、その後田中龍作の記事にあるように、警部補になり退職直前に警部になったとした場合、捜査一課のレジェンド(元警部補)よりも高い地位になって退職したことになる。その昇進に理由は何なのか?

 

今回の露木警察庁長官も、退職後に内閣官房副長官のポストがチラチラと頭によぎっているのではないかと想像してしまう。このような事件後の人事や、関係者を対象にしたお金の出入りなどは、事件を解くカギになる可能性がある。特に、仮説を立てる段階では有用だろう。

 

 

終わりに:

 

この事件は単なる不審死事件ではない。昭和の闇から現代にまで至る日本の歴史を背景にして考察する必要がありそうである。歴史の中で、深層にあって重要なのが公安警察である。公安警察の闇が国民の前に明らかになることを支配階級と政治家上層部は殊の外恐れるのではないだろうか?

 

X子の父Zが警視庁公安部元警部であるという話が加わると、事件の考察が一変する可能性がある。佐藤章氏が、私の想像だがと記者会見でZの名を挙げたが、その裏にはこの父親が公安警察であったことと、数少ないX子の証言や現場に残された工作の形跡があったことを知るべきである。

 

犯罪捜査を担当する警察諸部門とは、仲が悪いという。そのようなことも、再捜査がかなり進んだ背景にあるかもしれない。

 

 

補足:

 

1) 安田種雄氏、X子、Y氏は、前より知り合いだったようだ。覚せい剤を通しての知り合いなのだろう。ただ、X子が覚せい剤に手を染めていたとする話はこれまで発表されていない。Y氏が刑務所に収監された動機は、覚せい剤不法所持だけなのだろうか? 今回の不審死事件の完全解明には、Y氏の逮捕などについてもしっかりレビューする必要があるだろう。

 

2) 家庭内暴力の相談窓口は午後4時くらいまでしか開いていない。週刊文春の記事には、4月9日の夜と書かれているが、本当は夕刻でなくてはならない。これは週刊文春のミスなのか、何なのか?

 

3) 警察の公安畑がやってきたこととしては、幸徳秋水を明治天皇暗殺の嫌疑を懸けて暗殺した大逆事件、小説「蟹工船」の小林多喜二の拷問死の事件などが代表的。戦前の公安警察は特高警察となり、治安維持法とともに国民を敵に廻したことは周知のとおりである。

 

4)警察庁長官から官房副長官、国家公安委員長、自治大臣、官房長官、副総理などの出世から、カミソリ後藤田と言われた。そのカミソリの中身・材質は、何なのだろうか。

(8/4/16:45&8/5/5:20; 編集後最終稿とする)

この事件の真相に関する非常に有力なモデルが、武田邦彦さんにより分りやすく2日前の動画で提供されていた。推理自体は、間接的表現で紹介された週刊文春の推理と同じである。

3日前に拙記事:https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12813785233.html

 

 

今回の武田邦彦氏の動画では、表記殺人事件が自殺としてもみ消されたとする疑惑の解釈が、直接的表現で示されている。これが新たな犯罪として、権力者によって事件化されないか心配であるが、武田先生の覚悟を知った上で、ここに引用させてもらう。https://www.youtube.com/watch?v=qAuMzvBDiq4

 

 

この動画の中の推理によれば、この事件を自殺で処理したい権力の中心が、2018年の再捜査開始後にもう一つ:現在の官房副長官の木原誠二氏周辺、が加わったことになる。勿論、2006年当時にこの事件を自殺として処理したのは警視庁や警察庁である。

 

2018年の再捜査を中止させた権力は、どちらなのかは今の所分からない。

 

ただ、再捜査を開始し、30人以上のチームを組み家宅捜索を実行する段階まで、2006年当時の関係者の耳に入らない筈はない。ひょっとして、彼らが2006年にはやりすぎたことを悔い改め、2018年の再捜査開始直後には黙認を決めたのかもしれない。

 

話が大きくなった今でも、大手メディアは全くと言っていい程報道しない。全体主義に落ち着くことになると予想される段階以降では、メディアが一般市民側から離れて完全に権力側の意向で動くことになる。そのように考えると、今後の日本は非常に恐ろしい情況になりそうである。

 

以上、短いですが、今回の記事とします。ここまで明確に話された武田先生に敬意を表します。

 

*a 第三報目は、前報。 (脚注追加、二つの語句修正、7/31/am6:00 )