昨夜、池上彰氏が戦後の世界を変えた言葉について、その背景やその後の歴史の変化について紹介していた。面白く、且つ、為になる番組だったが、同時に強い不満も感じた。

番組では素晴らしい演説が紹介されていた。例えば、人種差別に反対するキング牧師の演説では、 “I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.”(私には夢がある。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢である。)を筆頭にして、多くの形での人種差別をあげ、”I have a dream that "という同じ形の文章で繰り返し、その撤廃を聴衆に強く訴えている。そして、それらが心に刻み込まれるように工夫された名演説である。http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-king.html
(注釈1)

ケネディー大統領の演説も非常に有名である。その中の「そして、同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。また同胞である世界市民の皆さん、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、人類の自由のために共に何ができるかを考えようではありませんか。」が特に有名であるが、それだけでなく世界のリーダーとしてなされた演説全体を味わうべきだと思う。http://www.jfklibrary.org/JFK/Historic-Speeches/Multilingual-Inaugural-Address/Multilingual-Inaugural-Address-in-Japanese.aspx

しかし、このような名演説を味わうときに、同様に重要なことは、キング牧師やケネディー大統領が凶弾に倒れたことである。その事実を深刻にそして同時に考えるべきだと思うのは、世界を動かしているのは、このような名演説を携えて登場する知性と勇気に満ちたリーダーなのだろうかという疑問が残るからである。(注2)

例えばケネディー大統領の暗殺の場合、明らかに綿密に計画されたものであると考えられる。そして、それを裏付ける様に、その弟のロバートケネディーもその後暗殺された。上記疑問は、ケネディー大統領が暗殺されたことだけでなく、それ以上に、その暗殺とその謎に対して米国が十分な調査とその報告を行なっていないことから生じるのである。

冒頭に書いた強い不満感とは、昨夜の番組は片方の視点でしかこれらの名演説にふれていないからである。つまり、「世界を変えた名言から知る戦後70年」というサブタイトルをつけながら、「本当に名言は世界を変えたのか?」という疑問について何の答えも用意していなかったからである。

大衆が仮に、知性と勇気をもったリーダーを選ぶことが出来れば、世界が平和と繁栄に向かうという前提が成立するかどうか?それがイエスでなければ、大統領の名演説も現実の政治の中ではなく、人文科学(文学など)のなかでのみ意味を持ち、且つ、民主主義は実際に政治を動かす勢力の隠れ蓑の意味しか無いことになる。少なくとも、その疑問に答える努力が番組内でなされなければ、視聴者である選挙権者に誤解を与えることになる。

注釈:
1)この同型文を繰り返して演説する方法は、20年程前にフランクリン・ルーズベルト大統領が日本の真珠湾攻撃を非難する演説をラジオで行なった時にも用いられている。http://ameblo.jp/shinjiuchino/entry-10933130759.html 既に大統領は、無線傍受により攻撃を知っていたが、日本の不意打ちを強調して反日感情を全米に醸成する目的で、“Last night, Japanese forces attacked Hong Kong. Last night, Japanese forces attacked Guam.” と“昨晩、日本軍はXXを攻撃しました”を繰り返す方法を用いている。真珠湾攻撃の経緯を知っている日本人にとっては、これを聴いた時に米国民が抱いた反日感情の強さと同じ程度に、ルーズベルトの狡猾さに腹立たしく思うだろう。
 この演説は、キング牧師のものとは全く歴史的な役割が異なるが、聴衆に訴える手法は同じだろう。また、米国の政治的な強さは、裏舞台での緻密な戦略立案の後に、このような演説で国民の力を結集出来るルーズベルトのような政治家が存在することだろう(又は、だったのだろう)。
 因に、日本の民主党があれほど無様な姿を晒したのは、舞台裏(裏舞台ではなく)の協力が得られなかったからだろう。別の言葉で言えば、自分達が人形でありながら、自分の意志で動こうとして舞台裏に嫌われたのだろう。

2)キング牧師の演説の最初の方にこの様な文章が出てくる。
文章、しかも、憲法という形で書かれた”ことば”でも、100年間実現しない現実について、不渡手形という強い表現で非難している。
”100年前、ある偉大な米国民が、奴隷解放宣言に署名した。今われわれは、その人を象徴する坐像の前に立っている。この極めて重大な布告は、容赦のない不正義の炎に焼かれていた何百万もの黒人奴隷たちに、大きな希望の光明として訪れた。それは、捕らわれの身にあった彼らの長い夜に終止符を打つ、喜びに満ちた夜明けとして訪れたのだった。
しかし100年を経た今日、黒人は依然として自由ではない。100年を経た今日、黒人の生活は、悲しいことに依然として人種隔離の手かせと人種差別の鎖によって縛られている。”
”われわれの共和国の建築家たちが合衆国憲法と独立宣言に崇高な言葉を書き記した時、彼らは、あらゆる米国民が継承することになる約束手形に署名したのである。この手形は、すべての人々は、白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福の追求という不可侵の権利を保証される、という約束だった。
今日米国が、黒人の市民に関する限り、この約束手形を不渡りにしていることは明らかである。”




天城越えは、歌手石川さゆりのヒット曲である。「隠しきれない移り香が いつしかあなたに浸みついた 誰かに盗られるくらいなら あなたを殺していいですか」で始まる歌詞で知られる。この歌を初めてテレビで聴いたとき、演歌としての出来が素晴らしいことと同時に、このように禁句的な歌詞にビックリした(注1)。

 

多くの人に歌われることは、 “天城越え”で表現される感情が多くの人が普通に持っていることを意味していると思う。そして、人と人の間に存在する感情とそれが作る社会を考えるヒントになるだろう。(注2)

 

つまり、男女関係においても恐らく親子関係においても、人にとって他の人との関係が命と同じレベルの重みを持つ場合があるということである。その理解を延長すると、“愛情とは、人にとって等しくかけがえの無いもの、つまり命を交換することにより成立する”という考えに到達する。ここで交換の意味は、相手の命を自分の命と等価と考える瞬間があり得るという意味である(注3)。 判り易い例を挙げれば、子供の命が危険な状態にあれば、親は自分の命の危険を冒して、救出を考えるのが自然だろう(注4)。

 

何かを交換することで成立する繋がり、或いは結合、は自然界にかなりある。例えば、原子と原子は、電子を交換することで結合して分子を作る。結合を作る前には、原子Aの電子aと原子Bの電子bの区別は明確であるが、結合を作った後は、どちらの電子か区別出来ず、両方の原子にとってそれら二つの電子が等価になるのである。

 

その様な関係、つまり命の交換としての愛情を感じること無く、大人になった人は不幸である。また、その様に感じていた愛情が、実は本物ではなかったと知ったときのショックも大変大きい。

 

最近の大きなニュースで、19歳の女子学生が宗教活動で知り合った70代の女性を自宅で殺害した事件が報道された。動機は「人を殺してみたかった」という驚くべきものであった。あるテレビ番組で素人コメンテーターが、サイコパス的性質だと言ったのを聞いたが、それとは全く違うと思う。サイコパスの人は、人を殺しても何とも思わないが、通常積極的に人を殺したいと思わない。その証拠に、ニューヨーク市内でもサイコパスの人は10万人いるという統計が発表されているが、無意味な殺人はそんなに多くない。(注5)

 

つまり、“人を殺してみたい”という欲望の高まりは、その人が“人を愛したい、そして、人から愛されたい”という感情の行きどころがない状態になっていることだと思う。そして、あの19歳の女学生の犯した殺人は、それを強引に被害者に押し付ける行為だったのだと思う。愛情が、命を交換する関係であるなら、本物の愛を受けた経験の無い人が、愛情を欲する感情が高まった極限で、人を強引に支配してしまうのだろう。(注6)

 

従って、子供が親により愛情をもって育てられることは、社会で生きる人間になる上で、本質的に重要だろう。昨年のことだが、米国で養子として育てられ成人した子供が、成人するまで養子であることを知らされなかったことを恨んで、育ての親を殺す事件があった。信じていた愛情が嘘であると思い込み、ぽっかり明いた空虚な心の空間を埋めることが出来ず、育ての親の殺人に至ったのだろう。

 

人間が、成人後も愛情を欲する状態で存在することは、動物としては特異である。それは、成長しても人間が動物としては幼児状態で留まっていることを意味している。この人間の特徴が、高度に構造化された社会をつくる上に必須であるとすれば、それは人間が社会の家畜として進化した結果であるとも言える。 http://rcbyspinmanipulation.blogspot.jp/2013/09/blog-post_2.html

 
 

注釈: 

1)禁句は真実を含むだろうが、“縁起”が悪いので言ってはいけないことばである(日本では)。この歌では下品に落ちる境界を跨いでいない点で、巧みであると思う。 

2)つまり、普通の対人感情が異常に高まった状態で、そのような凶悪犯罪が発生すると思う。そして犯罪は、その動機である感情の存在を証明する明確な証拠である。

3)自分のものと他人のものを、同様に感じる感覚は、社会をつくる能力として大切である。

4)逆のケースもある。河野太郎氏は親である河野洋平氏に移植する為に肝臓の一部を提供した。

5)http://ja.wikipedia.org/wiki/精神病質

殺人願望があれば、毎日ニューヨークで数百人位は殺されるだろう。また、専門家はフロイトのサディズムなどの言葉を用いる人もいるだろう。 

6)安易な比喩で申し訳ないが、交換しない電子(専門的には不対電子という)を持つ分子をフリーラジカルという。フリーラジカルは普通の分子と容易に反応し、それを破壊する。今回の19歳の女学生は、愛情についてフリーラジカル的だったと表現できるのだろう。病的ではあるが、病気は正常な機能のバランスが欠けた状態である。

 
 
 激論でイスラム国について議論している。イスラム国は、エジプト出身の女性が言っている様に、ジハードや十字軍などの言葉を用いてイスラム教のネガティブキャンペーンをしている。それは何故か?

ひょっとして、イスラム国は過激にイスラム教の国の建設を目指しているのではないのでは。むしろ、イスラム教圏を世界の敵にするためにキャンペーンを行なっているのではないだろうか。

日本人二人が捉えられていることを知りながら、イスラム国を刺激するような発言をわざわざ中東まで出掛けていって安倍総理が行なったのは何故か?

そして、オバマ大統領や西欧がパレスチナ爆撃を強行するイスラエルに対して距離をおきつつある現在、イスラム圏に踏み込み、ユダヤの旗を背景にしてイスラエルと密接な関係を築こうと安倍総理が発言したのは何故か?

それらに全く異なる視点から答えている、馬淵睦夫氏に出演を依頼し、意見を報道すべきである。

新聞やテレビでは何もわからない。

揺れ動く筆者からの補足(2/22): “激論”でビデオ出演していた田原総一郎氏は、「憲法9条改正なんてとんでもない。日本の特徴は平和国家であり、それを堅持すべきだ」と言っていた。田原さんの頭の中では、米国の様な産軍共同体が政治を動かしている国家と比較して、日本の政体を考えているのかもしれない。しかし、その米国に依存する形で日本は国境を守って来た事や、軍事が外交の場での最重要事項であることを知らないのだろうか。セオドアルーズベルトのBig Stick Policyもクラウゼビッツの戦争論も彼の頭の中にないのだろうか?

日本国民が完全に戦略論の分野でロボトニーされているのなら、安倍総理のインチキ的憲法改正論議や自衛隊法の改正も仕方ないのかもしれない。
米国というチューブで必須の栄養(安全保障)を受けることで辛うじて生命を保っている日本という患者には、国民を騙して必須栄養グランド(gland)を移植するという最後の手段が必要なのかもしれない。馬淵氏が言っている様に、ある一部の秘密裏にことを企む組織が、英米を足場に世界から国境を無くす(グローバル化)様に働いているとしても、そのような分析は日本の病状回復には役立たないかもしれない。