1)1月30日のNHK教育テレビで五木寛之さんの対談番組があった。そこで、戦争直後平壌から引き上げるときの一家の様子を話しておられた。それはご本人の口から話すことができるまでに、長い期間を要すると思われる残酷な光景だった。その後間も無く亡くなられたお母さんを除いて、一家は日本に引き上げて来た。
 
「悪人ほど、日本にたどり着き生き残ることが出来たのだ」という五木さんの言葉は知っていた。しかしその詳細は知らなかった。ソ連兵が家に踏み込んできたときのことを、その番組で初めて聞いた。彼らの姿は、ほとんど野獣のそれであり人間のものではない。
 
韓国側の米軍難民キャンプにたどり着くまでの詳細は、読売新聞のサイトに五木さんからの聞き取りを纏めた形で掲載されている。http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150804-OYT8T50215.html
しかし、そこには病床の母親がソ連兵に踏みつけられた時に血を吐き、気味悪く思ったソ連兵が布団ごと外に投げつけたことは、書かれていない。(追補1)
 
収容所に入れられ悲惨な生活を送る中、長男の五木さんはソ連軍の宿舎で仕事をもらい、食料を少しもらうことで生き延びた。ソ連兵との共存という悲惨な環境は、収容所に入れられた日本人も非情な姿に変えた(補足1)。
 
一家(父親、長男である五木さん、を含め4人)は、一年ほどして38度線を越えることが出来、米軍の難民キャンプにたどり着いたのは1946年の秋である。その間の出来事を一言で集約すれば、まさに「悪人ほど生き残る」であった。
 
2)今回の主題は、「人はどこまで残酷になり得るか」である。「悪人ほど生き残る」という五木さんの言葉を突き詰めると、私は、「人間は全て野獣と同じ状態になり得る」と思う。一定の豊かさごとに、善という衣を“野性の心”に着けていくが、その生命を保障する豊かさがなくなると、元の野性に戻るのだと思う。ただ、不器用な人や決断力の鈍い人は、その生命の保障が無くなったことに気付くのが遅れ、その衣を脱ぎ捨てる前に、一歩先んじた人間に滅ぼされるのだと思う。
 
豊かになり生命の危険がなくなると、一枚一枚その善の衣を着る。しかし、その衣の中には依然として野獣としてのヒトが存在するのである。ヒトが人間と呼ばれ、人と人の間に共有する温かい空間を作るのは、野獣とは異なる人の(本質ではなく)習性に過ぎない。

 

その善の衣を着た姿を見て、自分の姿だと信じるのは、善と悪を知る為にそう信じたいからだろう。アダムが”善悪を知る木の実”(普通、知恵の木の実というが、それは正しくない)を食べて、自分の裸の姿を恥じたのは、まさにこのことを言っているのだと思う。
 
歴史上にはいくらでも野獣と化した人の姿がある。過去の戦争の際、阿鼻叫喚の地獄と化したところは、数え切れないだろう。人はそれから目を逸らすのは、自分の裸の姿から目を逸らすことである。つまり、アダムの子孫だということである。自分はそのような悪人ではないし、悪はなさないと主張する人は、単に無知か厚顔なだけである。
 
 
補足:
1)その光景は、最近読んだ「大地の子」の中のある光景と全く同じであった。「大地の子」の主人公の在留日本孤児と養父母とが、国民党支配の長春が包囲された際、解放軍支配のチャーツ(関門)が開くのを待つまでの光景である。共産党軍はチャーツをなかなか開こうとせず、中立地帯は地獄の様相を示す。長春では結局15万人が餓死するのである。
追補:
1)この時のことは、今日買った本「運命の足跡」(幻冬社、2003;15-24頁)に書かれていました。
2)補足への追補:チャーツでの悲惨な出来事を引用する場合、遠藤誉さんの著書「チャーズ」に言及すべきだと思います。いつか読みたいと思っています。
そこまで言って委員会で今表題の件について放送しているが、拉致問題の解決には、北朝鮮、米国、中国、そして韓国による朝鮮戦争の終結しかない。そして、日韓との関係修復と同じプロセス:日朝の基本条約の締結、戦後賠償の意味の経済協力金の支払い、を経て関係改善をすることである。現在の両国間の関係は戦争状態(補足1)であり、拉致は長谷川さんのいう犯罪ではなく、戦争の一環とでも言える。(補足2)
 
つまり、拉致問題の解決には、米国の朝鮮戦争にケリをつける決断が必要である。その本質にアプローチしないで、拉致問題の解決が最優先課題だというのは安倍政権の無責任だと思う。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42622974.html
上に引用した1月24日の記事を読んでほしい。


宮家さんは中国が鍵だと言っているが、彼は米国の意思を代弁している。鍵は米国である。米国の北朝鮮承認である。

補足:(追加)
1)戦線布告なき戦争状態。つまり、戦前のノモンハン事件などと同様である。日本は北朝鮮を承認していないので、北朝鮮による拉致などの事件は、国交があり犯罪人引き渡し条約がある外国人による犯罪とは異なる。

2)戦争中には多数の民間人が被害にあった。例えば、満州や千島でのソ連兵による民間人の襲撃は悲惨であった。現在、その加害者を通常の犯罪として裁くことはできない。もちろん、講和条約の際に問題として提起できるが。
日本の弱点
 
半藤一利著の昭和史(2009,平凡社)を読んだ。昭和元年から昭和20年までの歴史であり、当然のことであるが太平洋戦争が主題である。歴史の流れの道筋が大変わかりやすく書かれている。歴史的事実については低空飛行で全域を見るような感じで勉強させてもらった。ここでは、最後の章「310万の死者が語りかけてくれるものは?」について、感想を書こうと思う。
 
半藤さんは5つの教訓を書き出している。それらは簡単に言うと:
1)国民的熱狂をつくってはいけない。
2)日本人は危機において、抽象的観念的議論に走り、理性的具体的議論ができない。
3)日本社会は蛸壺的小集団をなす傾向が強いが、参謀本部と軍令部という権力機構も小さいエリート集団が占めた。
4)国際的常識に欠ける。ボツダム宣言受諾の意思表明で戦争が終わったとおもっていた。
5)何か事が起こった時、対応はその場主義的であり大局観や複眼的思考がない。
 
これらはどういうことだろうか、そしてその原因はなにだろうか?以下に私の考えと感想を書く。
 
1)の国民的熱狂であるが、国民はマスコミに煽られれば熱狂するだろう。これは、洋の東西を問わないと思う。真珠湾攻撃の翌日のF. ルーズベルト大統領の米国民向け演説は、まさに“卑怯者日本を叩け”の国民的熱狂を作るためのものであったと思う。国民の熱狂を、正しい方向に導くのが指導者の能力というものだろう。(追補a)
 
2)これは日本文化とその中で個人の持つ言語能力の低さと関連していると思う。何か事が起こったとき、言語を使った事実分析やその対策、その効果の予測などを、チームを組んで論理的に行う文化がないからである。その結果、精神一到何事か成らざらん”というような精神論に逃げたり、“挙国一致、尽忠報国、堅忍持久”などの標語を作って、5)のその場しのぎ的対応しかできないのだと思う。
 
その原因の底には、儒教的倫理に縛られた日本社会の特徴があると思う。チームを仮に組んだとしても、そのメンバー個人の属する階層や年齢などで、用いる言葉や文章を含め互いの関係が予め定まっており、言語による思考と議論の余地が少ないのである。最終的には、チームの結論はトップの結論に等しくなってしまう。そして、出来の悪い政策や戦略を、幼い頃から暗唱した論語などの教科書からとった標語で飾ることになる。
 
また、頂点である天皇とその周辺は、国民からは遥かに遠くというより異次元の存在であったと思う。8月15日の玉音放送(これも変な言葉だ)は国民へのメッセージであった筈である。それがなぜ、あのような分かりにくい言葉であったのか? つまり、天皇は天皇の言葉しか持たない(補足1)。臣民は臣民の言葉しかもたない。大臣は大臣の言葉しかもたないのである。


天皇は英米との戦争に入る事、三国同盟を結ぶ事の危険性を十分ご存知であった。しかし、それぞれが別の言葉を話す会議では、そして、天皇が軍務を含めて行政のトップであるのかないのか分からないような政治体制の下(補足2)では、国家の暴走は最近のバス事故のように起こったのだろう。
 
終戦の詔勅は、天皇の言葉であり国民は翻訳して真意をくみ取る必要がある。従って、”米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス”が直ちに頭の中に入る人はむしろ稀であっただろう。    
 
それが日本の言語環境だったし、今でもその本質はかわっていない。ルーズベルト大統領の炉辺談話とどうしても比較してしまう。


国の行政や軍のトップが、東亜新秩序や八紘一宇を叫ぶのに対して、臣下にどのように具体的且つ論理的な反論があるのか。このような標語は、臣下からは何も受け付けないと言っているのと同じなのだ。
 
3)蛸壺的小集団をなすのは、今でも同じである。戦前にはいうまでもなく、現在でも国家のトップ周辺を未だに明治維新に功労のあった長州族が抑えているのは何故か? それは組織が、能力や成果でその構成員を評価しないからである。それらの評価には、言語を用いた構成員の成果や能力についての定量的および定性的分析と、論理的な議論とを要するが、2)で述べた言語環境では無理である。そして今も昔も、出身地、姻戚関係、出身大学などでつくられる人間の繋がりと年功序列が、国家の指導層においても全ての人事を決めるのである。
 
その結果、例えばノモンハンの件で暴走した関東軍の指導者が、対英米戦争に繋がる南進論の中で指導的立場に戻るのである。(文庫版「昭和史」の、「ノモンハン事件から学ぶもの」の章pp510-536参照)
暴走の原因は、現場と企画部門の相互不信が原因である。その相互不信は、現場が本来命令する側である企画部門(参謀本部)の考えと能力(現場周辺の認識、解析、方針)に疑問をもっているからであり、その疑問は議論のない社会では決して伝わらないし、互いに解消しないのである。
 
4)5)は全て2)3)で述べたことによる。
 
半藤さんはこれらを総合し、一言で言えばと前置きをして「政治的指導者も軍事的指導者も、日本をリードしてきた人々は、なんと根拠なき自己過信に陥っていたことか」(p507)と述べている。私は、自己過信というより自信を装った無責任であると思う。
 
補足:
1)“奏上されたものを裁可するとか”、“国務大臣は天皇を輔弼する”とか言う、天皇専用の言葉が用いられた。
2)天皇は御前会議では発言しないし、奏上されたものを裁可するだけであった。また、憲法第11条には「天皇は陸海軍を統帥する」とあるが、55条には「国務各大臣は天皇を輔弼し、その責に任ず」とある。従って、例えば陸軍の指揮は、天皇を輔弼する陸軍大臣が執るのか、それとも天皇の下に作られた参謀本部がとるのかわかりにくい。あのような悲惨な戦争に突き進んだ原因は、“統帥権干犯を叫んで参謀本部と軍が暴走した”ことにあるとよく言われる。元々の原因は、憲法の文章が非常にわかりにくいことではないだろうか。この国では言葉はコミュニケーションの道具ではなく、人を押さえつける猿轡のように働く。そして、人は言葉に過敏に反応するのである。

追補:
a)新聞などの報道機関は、日本の場合特に低劣であった。その大本営発表の垂れ流しだけでなく、拡声器として働いた。報道機関というプライドなど求むべくも無い。その点は、今も同じだろう。