1)表題の理由として、愛ということばは書き言葉であり話し言葉でないと言う人もいるだろう。しかし、書き言葉と話し言葉の違いは、通常語尾などの文章の違いである。話しことばで用いられない単語もあるが、それは難解な漢語などに限られる。(補足1)
 
ここで用意した答えは、“日本人独特の言語文化による”というものである。日本語文化の理解の為の私の教科書は、山本七平の「日本教について」である。この本を批判的に読めば、日本語の質の低さ、それと関連して日本人の言葉の使い方、日本人の行動パターンなどがよく分かると思う。
 
表題の理由であるが、私の答えは“「愛している」「愛」ということばは、山本氏のいうところの「空体語」として主に用いられることばであるため、事実や現実と向き合う場面ではなかなか使いにくい”である。
 
空体語は実体語と対をなす山本七平の発明によることばである。私は以下のように理解している:
ある言葉が、例えばある現実問題を議論する際に発せられたとき(実体語)、現実との差を感じる場合が多い。その差を考える際に日本人が行うのは、論理を駆使してその差を究明し埋める努力をするのではなく、その差の延長上にあることば、空体語、を感覚的に探し出し、その中間に自分をおいてバランスをとることである。
 
空体語は直感的に現実離れしていることが分かるので、それをそのまま自分の立場にする人はほとんどいない。この実体語と空体語の間の立ち位置を支点と呼ぶ。また、空体語に近いところに支点を持つ人を”純度の高い人(あるいは純粋な人)”と呼ぶ。そして、日本では純度の高い人を行政から裁判所までが擁護する。山本七平はこの様な日本のあり方を、人間の純度によるアパルトヘイトとしている。

自国のエネルギー確保や安全保障を抜きにして“原発反対”“非武装中立”を叫ぶ人がかなりいるが、これらは共に現実離れしているが故に空体語と言える。そのアパルトヘイトの所為で、このようにバカバカしいことを叫ぶ人たちもこの国ではかなり高い位置を確保できるのである。(補足2)
 
元に戻って、上記の「私はあなたを愛しています」がなかなか日本人の夫に言えないのは、「私にとってあなたは必要です」という現実を表現した実体語とバランスをとるべく存在する、空体語表現であるからだと私は思うのである。つまり、女房に対しては必要なだけでなく確かに愛情を持っている。しかし、「愛しています」という“純度の高い”表現はなかなかできないのである。
 
この純度の高い言葉を用いることが普通に出来る場合がある。それは幼児を愛しているという場合である。母親の愛情ということばは、普通になんの衒いもなく使うことができる。それは、自分の幼児を愛するということは、実態をそのまま表しているからである。つまり、空体語の現れる余地がないのである。
 
2)言葉と実態とのズレは、特にこの言葉については全世界共通ではないのか?という意見があり得る。その反論は正しいのだが、実は日本人の言語文化のもう一つの特徴がその理由に加わる。
 
日本では言葉の地位は非常に高い。言語がコミュニケーションの道具だけではなく、独自に存在価値を主張する能力を持つのである。それは上記空体語が実体語と同等の地位を持つ原因でもある。また、日本は言霊の国であるというのも同じことの別表現である(補足3)。それが、言葉の意味を理解した上では、空体語表現を口にすることが出来ない理由であると思う。外国ではことばが良くできていて、それだけに軽く人々の間を飛び交うことができる。日本刀とフェンシングの剣の違いのようにも思える。
 
日本の村共同体では、念仏講というのがあった。今でも残っている地方が多いだろう。そこでは御詠歌を、法事などの際に仏様に奉納するのである。その奉納の様子は、歌を味わって歌うというよりも、歌(詩)は神輿の上にあって、声と鐘の音がその神輿を運ぶような光景であった。
 
つまり、日本人は、重たい切れ味の悪い牛刀のような言葉を使う運命にある。したがって、重要な言葉ほど重く、聞く人は其れにひれ伏す場合が多い。戦争集結時の昭和天皇の玉音放送https://ja.wikipedia.org/wiki/玉音放送 と戦争前の米国大統領による炉辺談話http://homepage2.nifty.com/daimyoshibo/ppri/fireside.html との違いがそこにあるように思う。 
 
その言葉の重みに耐えるのが辛く、また、振り下ろせば切られた物は無残な姿を晒すだけであるため、賢い人間は重要な場面では沈黙を選ぶ。また、“切れ味の良い”言葉を巧みに(論理的に)使って、現象の解析や説明を行うことが出来ず、感覚的に空体語を虚空において、自分を言葉の空間の中間に置くことでバランスをとるのである。
 
 
補足:
1)言葉の違いは、書き言葉と話し言葉だけでなく、同じ話し言葉でも、演説、日常、公式などの場面により、さらに、話し相手が目上か目下かどうかなどでも違う。表題は、日本人は「愛しています」と書くときにも抵抗を感じるかどうかを問題にしている。
 
2)太平洋戦争と米国による日本への石油禁輸の関係を知れば、エネルギー確保の重要性は理解できる筈である。非武装中立が”空体語”であることについては、例をあげて説明する気力もわかない。人間純度によるアパルトヘイトは、空体語を擁護するために存在するのかもしれない。

3)日本語でも論理を駆使することは可能であるが、その能力に関する敷居値はたかい。そして、そのようなことが面倒な人は、その言葉を鵜呑みにして祭り上げてしまうのが楽である。それが”言葉の地位”が上昇し、言霊を生んだ理由の一つだろう。
言霊について:四という数字は死と同音であり、忌み嫌われる。日本人野球選手でこの番号や42番を背番号に持つ人はいない。日本では、数字自体に正負の価値があり、単にものを数える道具としての数字ではない。(これも世界に例はあるが、日本では特に強いという意味である。)
野々村被告の裁判のニュースが国民の娯楽として“特ダネ”などで朝から報道されている。司会者は野々村議員をバカにしたような発言をしているが、バカはどちらか私にはわからない。そのような娯楽を与えたことは、まあ、野々村氏の貢献と言えなくもないが、それは国家と地方の行政システムの欠陥による大きな国民の損失の上に乗った小さな虚しい貢献である。
 
つまり、政務調査費などの部分を全て給与とすれば、この種の犯罪は無くなるのである。わざわざ調査しなくてもパソコン一つで見識を広めることができるかもしれない。能率的に情報を集めることのできる有能な人は、政務調査費を余らせるだろう。無駄に使い切る隣をみれば、カラ出張などもしたくなるだろう。そのような罠をしかけるような法律は悪法だと思う。
 
これまでの報道を聞いた限りでは、ほとんど全ての県議などがこの種の犯罪行為を行っている(補足1)だろうから、地方政治の舞台に悪賢い政治屋的人物が君臨しておれば、正論を吐くうっとしい議員は全て犯罪人に仕立て上げることが可能となる。ただし、野々村氏が正論を吐いていたかどうかは知らない。
 
全く同じ類の問題が現在進行形で存在している(補足2)。甘利氏のあっせん利得疑惑もその一つである。これも昨日書いた様に、法律自体が受け取る側のみが罪になるという悪法であることも原因の一つだが、政治資金として十分な額が中心的な政治家に与えられていれば、防止できた可能性が高いと思う。更に、実際に行政での業績に関するレビューがネットなどでなされることが、働く議員とサボる議員の評価分けには大事だろう。
 
この件、政治問題より簡単でしかも「負け」がない恰好の攻撃材料として、野党に利用されている。そのようなくだらないことで点を稼ぐ野党議員の無能さに国民は気がつかないと政治の質は上がらない。小さい金額の問題で、国会が大揺れに揺れているこの国の情けない姿は、蚤一匹の出現で布団をめくって着るものも脱いで騒いだ貧しい時代の光景を思い出させる。蚤や蚊の問題は、豊かな時代に相応しく清潔な家に立て替え、衛生状態を良くすれば解決するのだから、国政もそのように法改正などすべきであると思う。
 
例えば、議員定数を半数くらいにして支給額を3倍増くらいにすれば、より優秀な人材が政治の世界に集まると思う。そして、政治資金に関する法律も、違反を誘うような悪法は排除して全体的に簡素な法体系にすれば良いと思う。 その結果、この種の事件は減少して国会も空転しなくなり、且つ、裁判費用や捜査費用などの節約もでき、全体としてみれば得になるだろう。
 
補足:
1)新幹線の自由席特急券などがカラ出張に使われるだろう。大都市に住んでいるものなら、大都市間の自由席特急券はチケット屋でかなり安く買うことができる。ある店で買った際、どういう経路でこのようなものが何時でも手に入るのかなあ?と店員さんに聞いてみたことがある。そんなことは聞くもんじゃない!と一喝されて終わりであった。
2)科学研究費の使い方についても同様の問題がある。翌年に持ち越せないので、融通の効く業者に日常的に使う品物で、領収書を書いてもらうのである。その額の金額相当の品物は次年度に購入するのである。これも違法であり、日本全国の大学を含む公的研究機関の研究員や教官たちのほとんどは、この種の犯罪行為をしていただろう。(現在の事情はしらない。)
ハニートラップは、例えば中国等外国の然るべき機関が、例えば日本の官僚や政治家を中国の手先に使うために、異性を使って仕掛ける罠である。過去、橋本龍太郎総理が疑われたことが有名である。当時の秘書官であった江田憲司氏はテレビ番組で明確に否定していたが、真偽のほどは明らかではない(引用の動画で判断してください)。
 韓国のハニートラップをキーセントラップといって面白がる人もいる。

ここ数日にわかに話題になっているのが、マネートラップである。昨日の「そこまで言って委員会(関西圏のTV番組)」で、ある出演者が言っていたが、甘利経済産業大臣が引っかかったのはマネートラップなのだろう。音声テープなど証拠が揃えてあるので、あっせんのお礼に金銭を渡したというだけでなく、政治的利用の意図が最初からあったと思う。
 
過去の例であるが、田中角栄元総理を首にしたロッキード事件も、マネートラップとして機能したと思う。つまり、米国にとって邪魔な総理大臣の排除という政治的役割を結果として果たしている。(孫崎享著、アメリカに潰された政治家たち)
そう考えると、そんなに新しいものではなく、どちらも古くからあったものだろう。
 
二つのトラップの中でマネートラップは、二度働くので非常に効率的である。つまり、一度目は賄賂などの経済犯罪として、送った側に巨大な利益をもたらす。二度目にはそれを暴露することで、ある国やある政敵を操縦することができるのである。つまり、一度目は経済的役割を、二度目は政治的役割を果たすのである。
 
日本には外国のために働く大勢の日本人や在日外国人がいるだろう。平和ボケで他人に道徳的行動を過度に期待(つまり他人を根拠なく信用)する人が多いので、政官界の人は特にこれらトラップに引っかからないように注意してほしい。

追加:ダボス会議において、甘利氏は会議中司会者から今回の疑惑が安倍経済政策へ影響しないかどうかを聞かれたと報道されている。http://www.asahi.com/articles/ASJ1R74N4J1RULFA007.html 
この会議中の質問として、この疑惑が出るというのは極めて異例だろう。世界中に報道されるのだろうか?議事録にどのように掲載されるのだろうか?それも作戦の一環かと考えたくなるほど、今回の疑惑暴露は計算し尽くされた何者かの作戦のように思われる。考えすぎなのだろうか?(1/25 17:40)