1)防衛大学校では授業料、生活費はただで、月額10.8万円ほどの給与にボーナス31.9万円ほどが出るという(補足1)。そこを卒業しても自衛官にならないで民間に就職することを任官拒否というが、無料で授業を受け、食と住を提供され、しかも給与は貰いっ放しである。これをそのまま放置するのは如何なものかと思う。もちろん、任官拒否を許してはならないと言っている訳では無い。授業料相当分か給与分を返納する制度を導入すべきであると言っているのである。
 
しかし、軍事アナリストになった小川和久氏(補足2)は、「任官拒否者を対象に、教育費等の返還を制度化する必要性はない」と、全面的に現行制度を擁護している。https://www.youtube.com/watch?v=Uh5xzvBvjQoこの動画を先ず見てもらいたい。
 
小川氏の現行制度擁護の理由は、全く非論理的である。東大などの学生経費を700万円以上と割りまし計算をし(補足3)、防衛大学校の教育経費約400万円と比較して、防衛大学校の教育費が割安だという、全く訳のわからない理由を披露している。教育にかかる金額の問題ではない上に、防衛大学校と東大を比較して任官拒否を問題視しないというのは、二重に誤魔化しがあり全く説得力がない。
 
東大と防衛大を比較する理由であるが、小川氏は東大を国家公務員及び裁判官養成のための大学校と決めつけている(誤魔化している)様だ。つまり、小川氏は東大卒業生の内、公務員試験を受けて公務員になる数と司法試験を受けて裁判官などの司法公務員になる人の合計数が、全卒業生の5パーセントに過ぎないが、防衛大では任官率が90%を超えていると主張している。つまり、防衛大は任官率が高いのだから、任官拒否を問題視してはならないというのである。
 
要するに、防衛大学校卒業しても無料教育と給与をもらいっぱなしで、任官拒否する制度で良い。日本国はケチなことを言わない方が良いと、これもその辺の魚屋のおじさんの安売りの理屈のようなものを持ち出して、現行制度を弁護しているのだ。この小川氏は、日本で唯一自衛官の任官拒否に関する本を出版された方であると仰っている。それだからこそ、動画を引用し個人名をあげて反論しているのである。
 
2)もちろん、私は任官拒否をしても良いと思っている。ただし、その場合は教育経費の一部を返還すべきであると考えている。任官拒否を当然だと思う理由は、小川氏のおっしゃる通りである。つまり、18歳のときに決意して任官しても、途中で迷いが出る可能性は当然あり得る。その場合は、その時点で自衛官になるのを止めて、別の道を歩めば良い。それは職業選択の自由の観点から当然である。しかし、防衛大学校の教育は、任官を前提として行なっているのだから、授業料相当分か給与相当分を返納する様に制度化するのは当然だろうと思う。
 
一度返納させる法案が出されたが、廃案になったという。したがって現行制度の下では、任官拒否してもこれまでの給与や教育費用を返納する必要は無い。合法的食い逃げであるが、制度がそうなっている以上、任官拒否者は大手を振って他の企業に就職するなりすれば良い。後ろめたい感情を持つ必要など全く無いし、それは動画の中で紹介されている小泉進次郎氏の挨拶にある通りだ。
 
ここで議論しているのは、返納すべく法の整備をすべきかどうかということである。制度の問題と、任官拒否する個人の問題を混同しているから、話が分かりにくくなっているのである。しかし、それを分かりながら、小川氏はこのような誤魔化しの論理を展開しているのではないだろうか。
 
3)「返納を制度化すると、どうせ、返せばよいのだろうと開き直って途中でやめる人が増える。これはおかしい」と小川氏はおっしゃる。その小川氏の言葉も理解に苦しむ。任官しないと決めた時点で、堂々とやめれば良いのである。そして、それで自衛官の数が確保できないのなら、一定の任官数を確保すべく入学定員を増やすしかない。その場合、只で教育と食と住を供給され、更に給与ももらえ、自衛官という危険な現場に出なくて良いし、更に、卒業しても任官拒否できるという、世界一恵まれた待遇を求めて、多くの高校卒業生が入学を目指すだろう。
 
小川氏は、今年任官拒否が前年比で倍増したのは、集団的自衛権を明記した安保法制が施行され、防衛大生の母親方が危機感をもったのも原因だろうと話しておられる。それは、自衛官は警察官より安全な職業だと思って応募している学生がかなりいることを意味しており、大きな問題である。つまり、この問題は日本の安全保障のあり方と直結しているのであり、根が深いのだ。
 
小川氏の現行制度の弁護は、自衛隊や防衛省の本音から出ているのだろう。つまり、できるだけ入口を大きく広げ、曖昧な覚悟で入ってきた人たちも、調教すれば自衛官幹部として任官させることが可能だろうという考えである。「任官拒否の場合には授業料相当額か給与相当額の返納を要する」と明記すれば、そこで希望者が激減すると予想し、それを危惧されているのだろう。
 
制度を曖昧にしておき、入り口を広げ、「任官拒否は卑怯ではないのか?」という素朴な世論の圧力と日本人特有の卒業生の心に生じる良心の呵責に期待して、一般社会への出口を締めるという方法を考えておられるのだろう。それは、本当の国家防衛を考える端緒を自分で捨て、本来の国家のあり方に日本国が戻ることを遅らせるとになると思う。これは、それを心配して投稿する文章である。
 
補足:
1)防衛大学校に入る時の試験は入学試験ではなく、通常の会社と同じ採用試験である。そこでの勉学は、教育というより任官した後の自衛官としての仕事のための訓練である。支払われる月額10.8万円とボーナス31.9万はその仕事に支払われる給与である。したがって、防衛大学校卒業後に任官しないと決断した時点で、退学すべきである。
2)小川氏は15歳で自衛隊に入隊後、陸上自衛隊生徒教育隊や航空学校を修了している。その後、同志社大学神学部へ進学するも除籍になり、新聞記者や週刊誌記者を経て、軍事アナリストになっている。https://ja.wikipedia.org/wiki/小川和久 
3)東大での学生一人当たりの教育費は、運営交付金(840億円)/(大学生数14000+大学院学生数13300)で、約308万円である。(2013年)
1)昨日テレビ愛知(テレビ東京、テレビ大阪)の放送”ありえへんー世界スペシャル”で、韓国での”整形モンスター”なるテレビ番組を紹介していた。応募した整形希望の醜い女の子が、美女に変わる一部始終をテレビで放送する番組である。
 
整形前の容姿と家族の様子、整形手術、そして、その後の容姿と家族の様子をテレビで映し出すのである。日本では企画できない凄い番組であった。その中で印象にのこったのは、美女に変わるということが本当だった(だろう)こともあるが、醜い容姿を憎む女の子が、①父親など家族からも恥だといわれていたこと(補足1)、そして、②当人が「この顔が他人の顔であれば良いのに」という趣旨の発言(補足2)をした場面であった。
 
これら二つの反応は同根であると思う。それはこの国の人たちは嫌なことを共有できないで、他に押し付けようとすることである。上記①は嫌なことの共有の拒否であり、②は嫌なことの他人への転嫁である。日本では、良いことも悪いことも共有するのが、人として持つべき徳であると考えられ、それは国民性となって根付いている。それが当たり前であると思いがちだが、国境を跨げばそうでないようである。
 
それは中国人にも共通している性質かもしれない。何故なら、中国人たちは列に並ぶことを知らないからである。列に並ぶのは、”順番を待つという嫌なこと”を共有するという姿勢である。もちろん、韓国の方々は列に並ぶかもしれない。それは韓国がその西の国よりも先進国だからである。しかし、心の内部は両国とも同じだろうと推測する。 
 
上記考察は、サンプル数が少なすぎるという反論は当然である。個人差が大きいのは日本でも大陸でも同じである。当然、大陸にも他人の嫌なことや苦痛を進んで共有する人格者も大勢いるだろう(補足3)。日本の嫌なことの共有の精神は、中国の「己の欲せざる事を人に施すこと勿れ」から学んだのだから。ここで話題にしているのはそれぞれの国に根付いている”文化の違い”である。 
 
2)自分の顔を美容整形して全く別人の顔に変わることの決断に驚いた。更に、全く別人になった双子の娘の顔を、家族は手放しで歓迎している様子にも驚いた。自分の顔を全く別人のものにすることは、自分のアイデンティティーつまり原点を失う或いは放棄することになると思う。
 
それに対する抵抗はないのだろうか?と最初は思った。しかし、抵抗はあった筈である。彼女たちは、自分たちのアイデンティティーを捨てて、つまり、一度自殺して生まれ変わる道を選んだのだと思う。自分の醜い姿で生きることに、それほどの苦痛を味わったのだろう。韓国の美容整形の背景がわかったようにおもった。
 
そこで思い出すのは、東アジアで特に顕著な歴史の改竄である(突然の発想飛躍が、このブログの特徴である)。歴史は民族のアイデンティティーである。
 
史記は、漢の武帝が司馬遷に書かせた、前漢の帝国としての正当性を示す歴史書である。それは、ヘロドトスのヒストリアイと対比される(補足4)。両方とも出来事をつなぎ合わせて物語にしたものであるが、前者には出来事のでっちあげが多く含まれる。
 
その史記の伝統の上に、日本の歴史書である日本書紀もある。西暦2016年は日本国建国から2656年目に当たる。つまり、2656年前の天孫降臨という大嘘(つまり神話)から日本の歴史物語(日本書紀)が始まるのである。実際の建国は、倭国が白村江の戦いに百済と戦ったものの破れ、完全に韓半島から追い出された後、唐の脅威から日本列島を護る為に他の幾つかの国を束ねたのが、大和朝廷(つまり日本国)の最初だろう。(補足5)
 
このように民族のアイデンティティーの出発点に歴史書があり、それは民族の顔と言えるだろう。出発点には神話という形で多くの捏造が含まれるが、途中で全く別のものに換えることはできない。それは民族のアイデンティティーの喪失となるからである。
 
ただし、国が滅んでしまった場合は別である。その時には別の国が改めて建国の神話を書くだろう。それが、ひょっとして、韓国の反日の歴史ではないだろうか。つまり、朝鮮王朝が滅んだ後、韓半島は日本に併合された。その断絶は整形で修正できる範囲を超えている。そこで最初から、慰安婦や安重根を用いて新しい建国の歴史を作っているのではないだろうか。日本が事実関係を照らし合わせて抗議するという形では、およそ解決する問題ではないのである。(補足6)
(編集14:00)
 
補足: 
1)テレビに出たら、「お前が俺の子であることが世間に出て、恥になる」と父親に言われ、弟には「友達が遊びに来るから、隠れていてくれ」と言われる。同年輩からはアンコー顏といわれて苛められる上に、家族からもこのように言われては、あの国で整形が流行るのはあたりまえだろう。 
2)より正確には、アンコー女と言われイジメられている場面で、「なんで私がいじめられるの。他の人だったらよかったのに」と言っている場面が再現されていたと記憶する。
3)大地の子の主人公の育ての父親、陸徳志を思い出す。
4)岡田英弘「歴史とはなにか」文藝春秋社2001(文春新書)p55 ヒストリアイは、善と悪が戦って最後は善が勝つというスタイルで書かれており、史書は最初から一つの正統なる帝国という形で書かれている。
5)我々が小中学生の時には、任那日本府が地図とともに歴史の本に掲載されていた。倭人は韓半島に広く住んでいたことを示している。同様に、中国語を話す民族も日本に住んでいたという記述が歴史書にあった。(魏書の解説だったと思う)
6)池上彰氏がテレビ番組で同じ趣旨の発言をして、ネットで韓国民から攻撃されていたと記憶する。
1) 現在、少子高齢化問題、子育て支援の問題、男女雇用均等の問題など、日本国政府は多くの課題を抱えて考え込んでいるように思う。また、戦後70年間大きな戦略変更なしに連続線上での政策を積み重ねた結果1000兆円を超える国債を抱えることになった。これ以上の国債は財政破綻の危険があると考えるのが普通である。今まさに原点から考える時期ではないかと思う。場当たり的に具体的問題を解決するのでは、国家は財政破綻の危機に陥り、同時に個人は“倫理破綻”を引き起こしてしまう。
 
例えば先日、保育所の抽選に外れたからという理由で「日本死ね」などと戯けたことを書いたブログが、国会で真面目な議論の主題としてとりあげられたことがある(補足1)。安倍総理は、匿名の発言を取り上げて議論するのはおかしいと言ったものの、現状を示唆しているので取り上げて議論することになった。しかし、それはフェアなことではない。これからは、何か自分たちに有利になるように企む場合、ネットで「日本死ね」といえば効果抜群ということになる。「日本死ね」の発言とそれを取り上げた議員は、まさに国民(日本国民であれば)の倫理破綻の例であるように思う。
この話題については既に引用のブログで議論した。http://blogs.yahoo.co.jp/mopyesr/42701099.html
 
物事を考えるときに、現状から出発する方法と原点に戻って考える方法がある。現状から出発する方法は、多くの要素について思考を要しないため、頻繁に進むべき方向や取るべき手段などを考えることができる。しかし、時には原点からの道筋を考え直すことは、遠い目標設定のときには大事である。また、行き止まりに近い情況になった場合は、原点に戻るしかない。
 
今回のテーマにおいての原点からの思考とは、「そもそも、政府の役割とは何なのか?」、「国家と政府と個人(国民)の関係をどう考えるべきなのか?」という前提をしっかり国民全てが共有し、その前提の上に議論を積み上げることである。どうもその前提が把握されていない様に思う。
 
2)その原点に位置する問題として、ここで考えたいのは、「日本死ね」という言葉を聞いて、国民は自分の国家を侮辱されたことに不愉快にならないのかということである。また、発言者が日本人なら、日本国が滅亡すれば、自分は死ぬかトルコ経由でギリシャに小さいボートで命を賭けて逃れるシリア難民と同じ身分になることがわかっているのだろうか? 政府は先ず、「国家とは何か」について国民に明示すべきであると思う。
 
更に、日本国民は「日本死ね」と言われて怒りを感じないのか? 怒りを多少とも感じるのであれば、それをそのまま国会で取り上げる様なことはしないだろう。「日本死ね」に怒りを感じないとしたら、民主党の山尾志桜里は国会議員に選ばれる資格があったのか?
 
国民をその下に匿い養う構造として、国民が自分たちと子孫のために命をかけて支えるのが、近代国家であると思う。そのためには、国家の骨組みというべき憲法に、国民を束ねる柱がなければならない。そして、そのような国家に対する理解と国民を束ねる柱を明確に示し、それを国民に教育するのが重要だと思う。
 
現行憲法の特徴は、国家(日本政府)と国民を分裂させ、国家は悪者として書かれている。つまり、前文には日本政府が再び戦争を起こさない様にと書かれているが、他国政府に関しては「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼する」のみである。そして、悪者になりかねないので、「戦力は一切保持せず、国の交戦権は認めない」のである。このマッカーサー憲法は、日本人から日本国の誇りを奪い取るものである。(憲法については:http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html


つまり、先ず憲法の改正と核兵器を備えた自国軍の保持が重要な原点であると思う。(補足2)(片山鉄哉、「核武装なき憲法改正は国を滅ぼす」ビジネス社、2006の受け売りかもしれません。)それに加えて、日本の文化と天皇については、別に考えを書く予定です。
 
 
補足:
1) ネットで検索して探したところ、以下のような記述があった。
 

衆院予算委員会で29日(2016/2/29)、子供を保育園に入れられなかった母親によるものとしてインターネット上で話題になっている保育園落ちた日本死ね!!!とする匿名ブログをめぐり、激論が交わされた。 

民主党の山尾志里氏は、何なんだよ日本。1億総活躍じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出ねーじゃねーか。 子供をんで子育てして社会に出て働いて金納めてやるって言ってるのに日本は何が不なんだ。 子供んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからって言ってて子供むやつなんかいねーよなどとする、15日の匿名ブログへの書き込みを紹介。 

言葉は荒っぽいが、本音、本質だと安倍晋三首相に迫った。 


2)2050年の予測として、米国経済戦略研究所長のクライド・プレストウィッツ氏により日本の核兵器保持がサジェストされている。(BSフジ、4/5/20:00-)