1)今日、北野幸伯さんの無料メルマガが届いたので、その中で紹介されている“アメリカ政界の怪物・キッシンジャーが語った「日本観」と「中国観」”を読んだ。ここで書かれているキッシンジャーの日本観は米中国交回復の時の話でよく知られている。つまり、キッシンジャーは日本を非常に低く評価し、米国の対アジア外交の中心として中国を置くだろうと言っているのだ。
 
そこに再録されたキッシンジャーの日本観と対日外交の考えの概略を記す。(情報公開され、産経新聞(2002/8/6)に紹介された)
 
日本は自国の社会があまりに異質なので、社会を適合させ国の本質を守ろうとする。日本は突然の大変化も可能で、三ヶ月で天皇崇拝から民主政へと移行した。日本人は自己中心的で他国に対する感受性に欠ける。日本が独自に国防を行えば、軍事拡張で周辺諸国の脅威となるだろう。現在の日米安保体制は日本を束縛する為にある。米国は日本に最低限の武装しかさせないし、核武装させない。(補足1)もし、日本が強力に再軍備拡張計画を開始すれば、米国は中国との嘗ての同盟関係でそれを阻止するだろう。
 
嘗ての同盟関係とは対中戦争での蒋介石支援だとメルマガに書かれている。しかし、大戦後中国共産党政権を誕生させたのはマーシャルとアチソンだという説が有力(補足2)なので、キッシンジャーが言及したのはこちらの可能性の方が強い。
 
この米中で世界を支配することを考えているキッシンジャーを顧問としてトランプ政権は抱えている。北野氏は続ける。
 
日本には「核武装すれば全て解決する」と安易に考える人がいます。しかし、日本が米国の許可なく核武装すれば、日米同盟は解消され、米中同盟が出来上がり、米中が協力して原油等の搬入ができない様にすることで叩き潰されるでしょう。
 
2)日本はどうすべきなのか。北野幸伯さんは、「日本は日米関係をますます強固にしていくことを最優先課題にすべきである」と提言する。北野さんの考えに一理はあるが、本当に更なる対米従属しか処方箋はないのか?素人の私がこのような意見を言うのは気がひけるのだが、北野さんの分析は浅すぎるように思う。
 
先ず考えるべきは、「キッシンジャーは何故トランプ大統領の顧問になったのか」ということである。トランプ大統領は選挙前には、「日本も韓国も核武装すれば良い」と言っていた。また、「アメリカが世界一の覇権国として、世界中を相手に警察官をすることなどない」という趣旨の発言をしていた。これらがトランプ大統領の本心だろう。従って、大統領になってからキッシンジャーを顧問にしたのは、恐らくトランプ大統領の意志ではないだろう。
 
キッシンジャーは民主党政権の顧問だった人である。米国には他にも有能な人はたくさんいるだろう。今更、93歳のボケが始まっている筈の男を顧問に迎える必要があるだろうか?私は、キッシンジャーは同じ考えを持つ影の支配者の補佐役ではないのかと思う。つまり、民主党とか共和党とか言うのは、米国政治の表の薄皮であり、中は影の支配者の指令によって大統領も国務長官も操縦されているのではないのか。
 
その支配者の意思がどこにあるか分からなければ、対米従属を続ける路線は破滅への道かもしれないのだ。米国は、過保護により子供をダメにする母親を手本にして、片務的軍事同盟を結んで日本を骨抜きにする戦略をとってきた。その路線を疑うことなく走る日本の自民党傀儡政権が日本国民から批判されないように、米国は経済的には寛容な政策を取ってきた。
 
日本の骨抜きのために寛容な政策をとってきたのなら、米国に一層献身的に協力する日本の新しい姿は、米国の目には急に距離を縮めてバカ(ブス)に見えるだけである。腹黒ボスの心に強力な反発力を誘起して、蹴飛ばされるのがオチだろう。
 
3)ひょっとして、影の支配者の中心にいた人は、この3月に亡くなった人ではないのか。何れにしても、時代は動いている。キッシンジャーが1971年頃に周恩来に対して発した言葉を、そのまま受け取るのが妥当かどうかを考えるべきである。また、キッシンジャーのトランプ政権の位置がどのようなものかそれも掴むべきである。キッシンジャーの発言とトランプ政権の動きとの相関を慎重に分析すべきである。
 
それに第一、1)に書いたような考えを主に周恩来などに披露したとしても、それがキッシンジャーの真意なのかどうかさえわからない。トランプ大統領もキッシンジャー氏も、それに裏にいるかもしれない黒幕も、巨大化した現在の中国を決して味方だなどと考えてはいないだろう。それに、アメリカンファーストという人が率いる国家が、世界中の国家を早々に敵と味方に分類するのは不自然である。
 
もちろん、中国の首脳の方は優秀なので、当時でもキッシンジャーの考えをそのまま受けていなかっただろう。どうせ、自分以外を分断して小粒化し互いに反目させ、自分の立場の強化を狙っているのだろうと思った筈である。
 
北野さんと違って、日本は中国ともっと対話すべきであると考える。また、米国の逆鱗に触れるのは賢明ではないので、米国にも従来通りの「ご指導とご支援賜ります様、お願い申し上げます」を続けるべきである。それが米国にとって、鬱陶しくならないように、米国と相談の上で自衛力の強化を図るべきだと思う。その路線を現在の安倍政権は歩んでいると思う。ただ、それを支援する取り巻きに優れた人材がいないのが残念である。
 
とにかく、時代は動いている。今や、共産中国を育てたりする考え方は米国にはないだろう。共産主義はすでに破綻しているのだから。
 
補足:
1)オバマ政権のバイデン副大統領がクリントン氏の応援演説(大統領選)の際、「日米安保は日本の軍国化を阻止するためにある」と発言した。
2)Joseph R. MacCarthy,“America’s Retreat from Victory”, The Devine-Adair Company, New York, 1952.

茨城県の日本原子力研究開発機構の大洗研究開発センターでプルトニウムが入った容器の検査の際に、プルトニウムが入ったプラスチック容器が破裂して、プルトニウムを含む細粒が飛び散ったと思われる。それを吸い込んだ作業員の肺から22000ベクレルのプルトニウムが検出されたという。
 
飛散したのは、金属製の容器に保存されていた高速実験炉での実験用燃料作製の際に出たクズの粉末(約300g)であった。試料クズは、先ずポリエチレン製容器に入れられ、二重のビニール袋で覆い、金属製容器にいれて26年間保管していたという。なぜビニール袋が破裂したのか。出光一哉・九州大教授(核燃料工学)は「ウランやプルトニウムなどは時間がたつと原子核が崩壊し、ヘリウムの原子核(アルファ線)が飛び出す。長期間保管してヘリウムガスがたまり、容器の内圧が高まって破裂した可能性はある」と指摘する。
 
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使用済核燃料中に含まれるプルトニウムなら、その中に11%程度含まれるPu(241)の半減期が14.4年と非常に短く、保存期間の26年間には約70%崩壊しており、場合によっては最大2L程度(65mL/g; Pu(241))のヘリウムガスを発生していたかもしれない。
 
それにプラスチック容器は、おそらく放射線によりボロボロになっていたのではないだろうか。
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上記は原子力資料情報室が公開している原発で2年間ウラン核燃料を燃やしたあとの核廃棄物に含まれるプルトニウムの組成を示す。容器には300gの核物質が入っていたというから、全部の放射能は兆ベクレルである。従って20万ベクレルなら、恐らく合計が1mg程度の細かい埃を吸い込んだと思われる。
 
缶を開けたのは、内側に空気を吸い込むタイプの所謂ドラフトチャンバー内であり、大部分の埃は排気口のフィルターに補足されているだろう。何れにしても、その地域に健康被害を起こすようなレベルではないと思う。
 
被曝した人も、埃が何らかの生理作用(たんなど)で排出されれば、被曝量は減少する。気管支肺洗浄などの処置を行い、下剤を用いて消化管を綺麗にすれば、相当被曝量を減少させることができるのではないだろうか。経過観測が大事であると思う。http://www2.huhp.hokudai.ac.jp/~med-1w/hospital/sickness/kikanshihaihou.html

以上、事件に関する感想を記した。

追加:
その後、肺からプルトニウムが検出されないことがわかったということです。http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170612/k10011015221000.html
おそまつな話です。放射線管理の専門家が上層部になっていなかった可能性がある。だいたい、Pu239が検出されたというが、上の表ではプルトニウムならPu241の方が壊変数としては大きい筈。わけわからん。
人間、社会で生きるには職を得なければならない。選ばれて専門的な職を得るには、先ずその分野で力をつけなければならない。専門で一定の基準の知識や技術を達成した場合、その資格を表すのに「士」という接尾語が用いられる。武士、棋士、弁護士、代議士、学士、修士、博士などである。その専門で一定の水準に達すれば、後輩に教える事もできるだろう。そして、人の上に立つことができると「先生」と呼ばれる。先生は中国語で「老師」であるので、「師」はそのためにとっておくべきである。(補足1)「先生」は人の上に立つので、全人格的に優れた天性の素質をもたなければならない。(補足2)
 
ある専門分野を資格という視点ではなく、“それを職業としている人”或いは“その分野に強い人”という意味を表す接尾語として「家」や「者」が用いられる。画家、音楽家、政治家、敎育家、科学者、指揮者、医者などである。「家」の方が「者」よりも社会における地位が高く、天性の素質を要する場合が多い。従って「家」と呼ばれる仕事の人は「先生」と呼ばれることが多い。これらをまとめて「専門家」という言葉で言及したり、医者を医師と言ったりするので、両者の峻別はされない。

これらに比べて、比較的単純な作業を仕事とする人の呼称に、「手」が接尾語として用いられる。運転手、選手、騎手などである。「手」と呼ばれる人は、専門家とは呼ばれない。以上は、言葉は違っても多分世界に共通する職業の社会における位置付けだろう。
 
別の表現を用いれば、多方面の能力を総合的に用いるのが「家」、限られた専門分野で生きるのが「者」で、単純作業をするのが「手」である。「家」は人間として幅広い常識を有し、且つ、上述のように生まれつきの才能を持たないとなれない場合が多い(補足3)。一方、勉強をすれば普通の人でも専門的で高度な技や知識を獲得でき、「者」になれる。専門的知識を勉強している間に、常識や情が通じなくなる場合もある。その場合でも「家」は通常非難されないが、「者」はしばしば非難の対象になる。「手」には常識や情がそれほど期待されていないので、淡々と仕事をこなせば良い。
 
専門家の中で社会において最も重要なのは政治家である。政治家は社会の中心にあって、人を知り、歴史を知り、経済を知り、法を知り、技術を知らなければならない。一人の人間が全能であるはずはない為、それぞれの専門家を使って政策を組み上げなければならない、一段上の総合的且つ高度な専門家である。
 
その一段上の総合的且つ高度に専門的な政治家を、民主主義社会では凡庸なる大衆が選挙で選ぶ。それは民主政治の本質的欠陥である。民主政治を広めたのはキリスト教の罪であると、ニーチェは著書「アンチクリスト」で攻撃する。
 
補足:
1)「士」という接頭語を用いるべきところに「師」を用いている例が昨今多い。しかし、それは日本語の乱れであり、弱きものや劣ったものに対する倒錯した道徳の結果である。看護師、介護師、薬剤師などに、「師」を用いる理由はない。代議士の治療を医師と看護師が行うのでは、接尾語を区別して用いる意味がない。
2)学校の先生は対象が子供であるので、ここで言う全人格的に優れた天性までは要求されないが、「師」をつけて教師と呼ばれる。「医師」の「師」は「士」が相応しいのだが、患者の弱い立場を考えれば、教師の場合と同様に「師」が用いられるのも理解できる。
3)「家」には、これらの職業人として用いる場合の他に、私的な会話などに限って単に性格を表すために用いられる場合がある。例えば、「恐妻家」や「人情家」と言う類の「家」である。これは、十分常識を持たない人たちにより持ち込まれた日本語の乱れと考えられる。言語が現在まで一定の質を確保できたのは、言語を支配する権利が上層部に限定されていたからではないだろうか。今後、言語は崩壊の一途をたどるだろう。