1)文在寅氏が韓国大統領になり、一部の政治評論家は南北朝鮮の統一を予想している。大統領に当選直後の文在寅には、日米との関係を正常に保つような姿勢があったが、徐々に本来の方向に進みつつある。統一の具体的な動きがあったとしても、そのプロセスについては、予想困難である。
 
そのような中で、先月末に米軍によるTHAADミサイルの追加搬入が行われたが、それが国防省から大統領府に報告がなかったとして、文在寅大統領は調査を指示した。http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM30H6Z_Q7A530C1FF1000/

また、昨日(6/24)ソウル都心において、THAAD反対集会が開かれた。全国から3000人があつまり、米国大使館前をデモ行進した。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170625-00027732-hankyoreh-kr これらの動きは、文在寅大統領の思惑通りである。

同じく昨日のニュースだが、テコンドーの世界選手権の開幕式に出席した文在寅大統領が、来年2月に開催される平昌五輪で南北統一チームをいくつかの種目で結成することを呼びかけた。
 
また、国際オリンピック委員会(IOC)の北朝鮮代表委員を務める張雄氏が23日、2018年平昌冬季五輪の南北共同開催案について、IOC会長と話し合うと明かした。この点については、韓国側はその動きを否定している。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170624-00000015-jij_afp-spo
 
このオリンピックを巡る動きは、韓国と北朝鮮との接近をどのように世界が捉えるかについての観測気球的なものだろう。
 
2)先月末のチャネル桜で、朝鮮半島情勢と日本を考える討論が放映された。その席で西岡力氏が、南北朝鮮の両方でレジームチェンジが起こりつつあると言う話をした。以下にその話を取り入れて、私の考えを紹介する。https://www.youtube.com/watch?v=i2HCA2ay4mE
 
北朝鮮の金日成はチリのアジェンデ政権(1970)の成立を見て、選挙でも革命が可能だと考えて韓国で工作を開始した。朴槿恵政権は、それらの勢力が浸透した韓国の中で孤島の様に浮いた存在であった。朴槿恵は、いくつかの具体的対応を行なったが、最終的に破れた。これが、朴槿恵大統領弾劾の真相だという。(補足1)
 
つまり、朴槿恵元大統領が一民間人である崔順実氏に国家機密を漏洩したと言う疑惑で逮捕収監された事件は、実は北朝鮮の勢力が浸透した韓国で、革命が始まろうとする(深層での大きなうねり)際の序曲的な現象だというのである。つまり、文在寅政権誕生はその大きなうねりの第一波ということになる。
 
また西岡氏は、脱北者で現在韓国情報関係の幹部職員をしている人の話として、現在の北朝鮮一般民における金正恩の支持率は30%程度であるという推測を紹介した。因みに、金日成時代は100%であり、次の 金正日時代は70%位の支持率だったという。https://www.youtube.com/watch?v=i2HCA2ay4mE

金正恩はトップではあるが、若くて専門的知識にも欠けることという劣等感を持っているという。幹部たちもそれを知っていて、専門的知識を披露して金正恩に何か進言することが、命の危険に繋がると考えているという。金正恩は未だに国家のトップの席に余裕をもって座っている状態ではないのである。
 
つまり、金日成の計画がまさに成就すると言う段階になったにも拘らず、金正恩は北朝鮮を崩壊の危機に落としいれようとしているというのである。現在、北朝鮮の幹部たちは、やがて改革開放の時代がくるので、それに備えて外貨を持っておこうと考えているという。従って、金正恩が文在寅の信号を上手く利用して、韓国を飲み込む形での統一達成は困難だろう。
 
一方、文在寅が目指すのは、韓国を米国の軛から解放すると同時に半島統一を韓国主導で行うことだろう。しかし、全ての準備を米国にも漏れないように行い、半島統一のシンボル的現象:ベルリンの壁崩壊のような象徴的な出来事を一晩でやり遂げる位のスピードがなければ、米国の干渉で実現しないだろう。ただ、大国の干渉を除けば、統一の壁は両方の歩み寄りが起こるレベルまで下がっていると思う。それを暗示しているのが、オリンピックを巡って揃ってきた両国の歩調だろう。
 
通常の遅いプロセスでことが進むのなら、朝鮮半島のことでありながら、実質的に決定権をもっているのは米国と中国だと思う。トランプは一定期間のモラトリアムを習近平に与えたが、一向に半島情勢に改善(米国の視点からの)がないので、再度米中の首脳会談が行われると思う。
 
川添恵子氏が言っているように、中国では未だに(水面下での)習近平と江沢民派の抗争があるとすれば、この秋のチャイナセブンの入れ替えなどで今後どの様に習近平の勢力基盤が変化するかが、朝鮮半島情勢を考える上で非常に重要だと思う。もし、北朝鮮と接する北部戦区も完全に習近平の支配下になれば、文在寅の思惑と違って北朝鮮がしっかりとした反韓国の国家として再出発することになると考えられる。(補足2)その場合、文在寅政権は短命に終わるのではないだろうか。
 
この遅いプロセスで事が運べば、日本もそれほど大きな被害はない。しかし、上で述べた電光石火の三十八度線消滅が起これば、核保持国としての統一朝鮮ができる。これは日本にとって悪夢の始まりだろう。

(以上は素人のメモです。)
 
補足:
1)統合進歩党を解散させたり、全教組の非合法化、国定教科書を再開したりしたということが、その戦いの具体例として紹介された。全教祖については以下の記事を参照:http://japanese.donga.com/List/3/all/27/294395/1
2)川添恵子氏によれば、北部戦区は江沢民派の牙城だということである。
安倍政権の政策のなかで、比較的まともに見えるのが安保法制や憲法改正論議である。しかし、それらも独自政策ではなく米国の要求が動機らしい。何故なら、最近の憲法論議は極めて怪しい方向に進んでいるからだ。つまり、憲法91-2項をそのままにして第3項を加えるという訳のわからない議論をしている。すでに書いたが、憲法9条の1-2項を残したまで、自衛隊(自衛軍、self-defense force)を憲法に書き込むことは論理的には不可能である。それを無理やりやれば、日本人は言葉を理解しないイエローモンキーだという証明を自分からやるようなものだ。
 
高等教育の無償化も、もってのほかである。高等教育については先ず、教育の質の向上を考えるべき。今のままでの大学教育無償化は、単に大多数の若者に対して、就職までにモラトリアム期間を4年あたえるだけの政策だ。それよりも、一所懸命に勉強する優秀な学生にたいして、生活費を含めた奨学金の支給制度を大規模に作るべきである。
 
技能職に適正のある者には、早い時期から技能を習得する教育を開始すべきである。もし、高等教育に馴染まないと自分で思うのなら、早くから社会に出て、働く期間を長くとって経済力を蓄積すべきである。高等教育を受ける前の段階で、自分の適正を考えて選択の機会を与えるべきだと思う。そのため初中等教育では、自分の人生は自分で設計するのだという自立の精神を教え込むべきである。
 
研究開発職の場合、現在のほとんどの大学での教育は不十分であり、おそらく卒業後の現場教育に頼っているのだろう。大学教育で現在考えなくてはならないのは、授業料無料化よりも教育の質の向上である。大学の質の向上は、大学を淘汰することで可能となる。大学ランキングなどバカげているとは思うが、それでも一定の目安を与える。世界の大学ランキングにも入らない様な大学の授業料を無償化することは、金の無駄遣いでしかない。
 
安倍政権の大学等を含む高等教育無償化は、教育への不適切な介入になる。人づくりではなく人材破壊行為である。
 
加計学園問題を考えれば、安倍総理が高等教育無償化を考えた理由がわかる。獣医学科や医学科は、授業料が高くついて学生が集まりにくい。高等教育無償化は、安倍総理がお友達の身勝手な理屈に説得された結果なのだろう。岡山理科大は4流大学ではないのか?更に4流の獣医大を作ることに国家として協力し、金儲けさせるのは全く愚かだ。獣医学部新設の申請は、加計学園トップが、岡山理大を一流大学にする腕を見せてからにすべきだ。
 
経済政策も、消費増税と法人減税では何をやっているのか訳がわからない。内需を冷やして、法人に現金保有を増やす政策に未来はない。日本経済の内需依存性は非常に高い。デフレが始まった時期と消費税の導入から5%へ増税した時期とが一致しているというのが、経済評論家の一致した考えである。8%への増税は、民主党が決めたことだからという言い訳は成立しない。政権交代があったことを、それに自分たちが民主党でないことを、その時だけごまかしている。
 
日銀が保有する国債残高は現在379兆円である。もうすぐ400兆円を超えるレベルに達している。もしインフレが2%以上に突然なれば、金利の上昇と長期国債の値下がりなどが起こる。日銀が破産しそうになった時の対策などの法整備が全くなされていないそうだ。それを考えた方が良いのではないか。
日本民族と日本国民、そして憲法の中の天皇
 
1)先日、勝谷誠彦著「ディアスポラ」を読み、民族とは何かについて考えた。上記小説の中で、ある組織の研究員の言葉として、次のような内容のセリフが書かれている。
“海にかこまれているという地理的理由から、「日本人」という考え方は自然に成立していた。しかし「民族」という概念は19世紀になって初めて出来たのである。近代になって、国家として島から外に押し出していくにあたり、まとまりを作ろうと慌てて作ったのが「民族」なる言葉なのだ。
 
ここで、「日本人」と「日本民族」との違いは何なのだろうか。「日本人」と言う言葉は、言語学的には日本列島に住む人たちの意味で理解されているだろう。近代になって、「国家」「国民」という概念が出来、日本国籍を持つ者の意味が加わった。一方、「日本民族」という言葉は明確ではなく、それを言い出した人には単一民族であるという確認をその構成員に要求し、そこに意識を向けさせるという政治的意図があったと思う。
 
明治以前には、倭人とかアイヌ人という言葉はあったが、日本民族という言葉は無かった。「民族」という言葉自体、英語nationの翻訳語として1880年代に作られた言葉である。(補足1)学者が作った日本民族の構成図は以下のような6つの人種からなるものである。
イメージ 1
 
つまり、日本民族は創造されたのである。「民族」を同一の文化習俗を有する集団として認識されるethnic group(民族を定義する用語)と理解する場合、民族の区切りは上図であるように一通りではないだろう。6つの民族からなるという考えも学問的に正当性を持つ。
 
しかし、「日本民族」という言葉が作られた時には、“日本人は単一民族である”という刷り込み(教育)が政治的になされ、補足1の文献にあるように日本の政治家は今でもそのような発言をしている。その発言を裏付ける為に利用されるのが天皇であるが、天皇は上図の倭人のトップから日本の主要部分を統一した(その軍事的トップが征夷大将軍である)存在である。
 
つまり、天皇を頂点とする日本民族という思想は、明らかに明治維新以降の日本の国家としての統一(及び海外進出)のためと考えられる。これが、我々が天皇を考える時に最も重要なポイントである。江戸時代までは天皇はまさに天上の存在であった。しかし、明治以降は日本民族の頂点という人間の世界の存在となったと言える。つまり、新政府は天皇と一般国民とを接触可能な同じ空間に置き、しかも強固な上下の関係にあるとすることで、一般国民を天皇の為に働く存在にしたと思う。そのための具体的な装置が靖国神社である。
 
2)日本国が独立国としての軍隊をもち得るように憲法を改訂するには、日本国民に国家の意思決定の権利と責任が無ければならない。国家の意思がどこにあるのか、誰が日本軍の軍事行動の責任を取るのかが明確でないような国のまま軍隊を持てば、周辺諸国に迷惑な存在であると言わしめる根拠を与えてしまうことになる。
 
日本国の意思は日本国民の意思であるべきであり、それは上図の曖昧な定義しかない日本民族の意思で有ってはならないと思う。何故なら、外国から日本に帰化した人や自分がマイノリティーだと意識する人は、日本民族とは言えない可能性が高いからである。一方、過去の歴史において天皇に取り入った一部の人たちが、天皇の意思が日本民族(=日本国民)の意思だとして国家を動かしたことに十分注意すべきである。(補足2)
 
自民党の憲法草案の第一条に「日本国の元首は天皇である」と明確に書かれている。(補足3)国家の意思は元首の意思であるので、日本国民が選挙で選ぶことの出来ない天皇の意思が、国家の意思となる。内閣は天皇の権威の下で政治を行うことになり、内閣総理大臣が一旦政権をとると天皇の権威を着て国民の前に現れることになる。それは戦前と同様の無責任体制を生む可能性が高い。そのような企みが成立する以上、自民党草案の第一条は危険である。憲法改正にはその点を慎重に議論してもらいたい。
 
つまり、国民の意思で選ばれた、国会議員が総理大臣を選ぶ段階では、総理大臣は国民の意思を代表すると考えられなくもない。しかし、その後天皇の認証を経てその権威を着ることになれば、それは天皇の意思のincarnationである。この「日本民族」と「日本国民」の違いと、天皇の存在との関係を議論し明確にしていないところが、国論のねじれの原因になっているのではないだろうか。
 
我々日本人は独自軍を持ち、出来れば諸外国から一定の承認を得て核武装すべきである。そのためには、この国家の権力と責任の在り処を明確に国民におく憲法の制定が必要である。そして、その必要性を明確に意識するためには、明治維新以降の近代史の総括がなければならないと思う。
 
補足:
1)日本人内部の民族意識と概念の混乱、岡本雅亨、福岡県立大学人間社会学部紀要2011, vol19, 77-98.   http://www.fukuoka-pu.ac.jp/kiyou/kiyo19_2/1902_okamoto.pdf
尚、ウイキペディアの民族の項目に以下の注意が書かれている。
日本語の民族の語には、近代国民国家の成立と密接な関係を有する政治的共同体の色の濃いnation の概念と、政治的共同体の形成や、集合的な主体をなしているという意識の有無とはかかわりなく、同一の文化習俗を有する集団として認識されるethnic groupジュリアン・ハクスリーが考案)の概念の双方が十分区別されずに共存しているため、その使用においては一定の注意を要する。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E6%97%8F
 
2)明治維新は中央集権的な日本国家の創造であった。外様の薩長がその中心に位置するには、天皇の錦の御旗が必要だった。そして日本国での求心力を天皇に頼ったのである。中央集権国家の内閣や議会の権威が高まったところで、陸海軍の統帥権を内閣に戻さなかったことがその後の大きな困難の原因となった。一定の時期が経過すれば、薩長が天皇の権威の遥か下になってしまうことは判っていた筈である。時期を逸すれば、何もできなくなるのである。
3)第一条 天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。因みに、今上天皇が昨年のテレビ放送で「象徴としての天皇のあり方」という言葉を何度も使われたのは、この自民党草案では駄目であると意識された結果だと想像する。