1)参議院選挙が終わり、その結果が明らかになりつつある。その中で新鮮なのは、「NHKをぶっこわせ」の動画配信で有名な立花孝志氏や、小池東京都知事との関係で注目された元若手都議の音喜多駿氏などの当選確実の報道である。日本の歩みは遅いが、しかし、確実に動いているようだ。

 

そんな中、注目されたのが「国会による憲法改正の発議に必要な2/3の議席を与党プラス維新が獲得するかどうか」である。これは、無理な様だとヤフーニュースは報じている。今朝の中日新聞も、「改憲勢力3分の2割れ」という大きなヘッドラインと、空疎な中身の対比が非常に印象的である。

 

しかし、国会での憲法改正発議に本当に必要なのは、与党である自民党と公明党、それに憲法改正に賛成の日本維新の会の議席数を加算して3分の2を超えることではない。それには、国民がその必要性を自覚し、その賛成数が多数になることが必要なのである。各国会議員は、国民の代表として改憲の必要性を議論しなくてはならない。

 

国会議員の方々にお願いしたい。ホームページかブログで、現行憲法で十分なのか不十分なのかについて、各人の意見を4000字程度で述べてもらいたい。出来れば、youtubeでその意見を直接国民に訴えてもらいたい。 

 

どれ一つもできない人たちは、国会議員を辞職してもらいたい。原稿があれば誰でもアップロードできるので、パソコン使ったことがないなんて言い訳は通らない。その主張を、原稿を読む形でなく、自分の言葉で国会や各種メディアで議論してもらいたい。それ位できなくて、“家業の国会議員を継ぐ”なんて有権者は許すべきではない。(補足1)

 

2)「国会による憲法改正の発議に必要な2/3の議席を与党プラス維新が獲得するかどうか」がニュースのヘッドラインとなり、その結果で全てが決まると考える国は日本だけだろう。改憲が必要だと考える議員も、不要だと考える議員も、何故国会でホットな議論をして、各人の考えを国民の前に提供し、理解を得ることことに期待しないのか。

 

まともに意見を述べないないままで、改憲派あるいは護憲派として数えられることに、何の抵抗も感じないのか? それでも“国会議員”なのか?

 

何故、改憲案を発議しないのか? 国会で投票する前から、その改憲の発議が国会で否定されると決められるのか? 各種マスコミは、何故自民党、公明、維新が改憲派であると、決めつけるのか? 全てに議員に、現行憲法に関する「国会議員としての意見」を聞いたのか? なお、憲法改正のような重要案件で、否一般に国会決議で党議拘束など許されるべきではない。

 

こんな馬鹿げた選挙報道&国会報道が垂れ流される国が、我が日本である。

 

そんな中で、国会でまともな議論がなされる可能性がないわけではない。それが冒頭に述べた方々の当選である。

 

立花孝志氏は、NHKの視聴料徴収のあり方が、契約の自由を基本理念にもつ国家にふさわしくないという自説をyoutue上で訴えて今回の選挙で当選確実になった。立花氏は、今後NHKの問題を国会で議論するだろう。それに期待したい。(補足2)また、国政に関するその他の問題点についても、動画配信してもらいたい。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190722-00000016-jij-pol

 

東京都議として活躍された音喜多駿氏にも期待したい。国会が議論の場であることを、国民に示してもらいたい。

 

補足:

1)五輪及びサイバーセキュリティー担当の大臣が、私はPCを使ったことがないと言って話題になった。PC使えなくても、サイバーセキュリティーの重要性が理解できていれば良いでなないかという意見はあるが、PC使えなくてどうしてその理解ができるのだろうか? https://togetter.com/li/1288544

 

2)数回、立花孝志氏の動画を見た。そのときの印象を書いただけである。間違っていれば、指摘してほしい。NHKを受信できる設備をもっただけで、NHKに対して視聴料支払い義務が生じるとする放送法第64条は、私は憲法や民法のどこかに違反していると思う。どう考えても、「契約の自由」が保障されている筈の近代国家の規定ではない。(国営放送なら国家予算の一部として予算を計上すべきである。)

「人命最重視の理想主義、戦争絶対反対の平和主義、「日本の本来の姿」という復古主義などの宗教に埋没する国には、崩壊しか無いだろう」と題したブログ記事にコメントをもらった。その中の一文が非常に気になった。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/07/blog-post_13.html

 

戦争は如何なるものも悪である、という信念の人々に囲まれて暮らしています。
 

これに対して、私は取り敢えず以下のような返答を書いた。

「この「信念」ですが、それは念仏の間違いです。信念は事実の集積とそれを基礎にした深い考察が無ければ持てません。日本人大衆は、敵の原爆も天災と捉えてしまうほど、思考能力を喪失しているのです。(以下略)
 
その後、表題の命題を設定し、それを数日考えた。その結果、 日本人一般の戦争絶対悪という信仰の背景に、”日本人は外敵をシリアスに意識すること、及び、その必要性を現在でも認知できなくなっている”という事実があると思うに至った。
 
外敵をまともに意識したのなら、そして、日本国という国家とその恩恵を意識しているのなら、戦争絶対反対は有りえない。日本の庶民にとっての国家は、国内の威圧的な勢力であり、恩恵を実感する対象ではない。それらに片棒を担がされて外国へ命をかけて侵略することには絶対反対ということになる。

 つまり、日本庶民の心中に、国内の敵(戦前に負ける戦争に大勢の国民を駆り出した連中)があっても、海外の敵は身近に存在する敵の敵であっても、自分達の敵として実感できないのである。

それは米国の占領政策として進められたWGIPよりも根が深いと思う。それを裏付ける現象が既に歴史に刻まれている。
 
74年前、マッカーサーは非常に警戒して、それをわざとらしく隠して日本の土を踏んだ。しかし、その警戒は思い過ごしだった。何故なら、日本人一般は原爆も戦争も何もかも、愚かな国内勢力の所為で招き込んだ天災のように感じていたからである。(補足1)恐ろしいのは(国内の)特高などであり、敵国の将マッカーサーではなかった。マッカーサーが帰国するとき、20万人以上の日本人が沿道で見送った。マッカーサーは日本復興の英雄だった。こんなことがWGIPで起こり得るだろうか?私は、絶対にNOだと思う。

今回の記事の結論を先に書く。

日本は硬直したピラミッド構造の身分制度を持ち、そのピラミッドは堅牢な層状をなしている。各層に所属する人間は、上の層を考えても超えられない壁に跳ね返されるだけであるので、一切考えない。下の層があれば、それを考えて鬱憤を晴らすだけである。明治以来の富国強兵策は、半ば奴隷的な一般国民により支えられた。庶民の青年は、一銭五厘(補足2)の命であった。マッカーサーと比較すれば、どちらが好意的だったかは明らかである。
 
この歴史を一顧もせず、憲法改正を主張する人たちは無知の極みである。もちろん、憲法改正は必要である。しかし、それ以前にすることがある。それは、未だ残存する層状構造の身分制度の破壊である。それには、先ず、一票の格差全廃と、選挙区制度の改革により、長州とその人脈で占められた政界の改革が必要である。
 
更に、厄介なのは、国民の意識改革である。その自ら超えられない壁を設定する文化を如何に克服するかは、強烈な怒りか何かがないと短時間には無理かもしれない。次に、その層状ピラミッド構造の歴史の概略を書いて、今日は終わりにする。

 

2)日本は島国である。白村江の戦いを最後に、大陸とはほぼ切れた。その後、外敵との戦いはなくなり、存在したのは内戦のみになった。ギリシャの昔から島国は敵を意識することが不得意であった。(補足3)


 全軍を率いる総大将或いは軍神という天皇のイメージが失われ、御簾の奥で十分権威を保てるようになった。そして、民族全体を「戦う生命体」として機能化するメカニズムが消失した。(補足4)支配層はその地位を守るため身分制度を持ち込み、社会を層状ピラミッド構造にした。

 層状の身分制度は、団結を防止する為である。これも古代からの支配層の知恵である。更に、儒教などの御用学問が層状構造の安定化に寄与した。貴族階級の権威を、武士階級の力から守るために、武士にも貴族としての位、官位の授与を行なった。その官位の権威の根拠が、官位の頂上の天皇である。

 更に、その天皇の権威を特別なものにするのが、伊勢神道である。伊勢神道は天皇を神とする根拠であり、その正統性を示したのが日本書紀である。日本書紀には、ユダヤの聖書のような民族の教訓などはない。17条憲法は統治者に対する教訓であり、民族の知恵ではない。権力安定のために宗教を用いるのも古来常道であった。<br><br>

 外敵の脅威を日常的に感じない島国の支配層は、内部に分裂を持ち込むことと、その天皇や宗教を用いた安定化で、彼らの安全を確保してきたのである。

 幕末から明治の日本において、武士階級と庶民階層の間には、外国人との間以上の不信感が存在する。その証拠の一つに、武士階級と貴族階級以外で明治の革命に指導者として参加した人間はほとんどいない。(補足5)昭和の軍隊でも、一銭五厘の葉書で集められた一般兵は消耗品であった。
 
この事実を抜きにして、現在の政治の改革は不可能である。日本人の平和主義を、文化の面では徹底的に二度と戦えない国に改造した米国の責任にする人がほとんどである。それは愚かな評論家連中の常であるが、米国の知恵や力だけでは、このような改造は不可能だろう。上記の簡単なレビューだけでも、日本の文化にそれを積極的に受け入れる素地があったことがわかるだろう。

 

追補(7/22/9:00) この記事、相当考えて書いたつもりだったが、5年前に同じ様な内容の記事を書いていた。(老化⁉️)5年前の記事、カレル・ウォルフレン氏著「なぜ日本人は日本を愛せないか」(和訳)の感想と反論=>https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/12/blog-post_19.html

補足:

1)広島の原爆死没者慰霊碑に書かれた言葉「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」は、原爆を投下した米国を避難していない。完全に国内の問題として捉えている。

2)新兵としての召集令状には一銭五厘の切手が貼ってあったことから、自虐的にそのように言うことが庶民の中で広がった。

3)クレタ文明はミケーネ文明に敗れた。クレタの宮殿には城壁がなかった。

4)外敵を意識しなくなったということである。韓国の反日姿勢を思い出せば良い。韓国民の愛国心は日本が支えているのだ。

5)明治の革命をフランス革命とは、全く異質の革命であるが、それでもその類似性を云々する人も多い。この問題を深く考察することも、さしあたりまともな日本を作る出発点として大事だろう。 

1)歩行は、エネルギー消費をできるだけ避けて、長距離を効率的に移動する方法として人に備わっている。その重要なポイントは歩行の主な要素は重力に支配された振り子運動だということである。従って、歩行で意識の支配下にあるのは:①前方にあった足が踵で着地したのち、体全体の重心を上方に移動する;②後方の足が蹴り上げで地面を離れたあと、振り子運動を開始する;この二つを少しの遅延時間(重心移動の時間)を置いて行うことである。

 

これを表現したのが次図である。

 

図の右で、体が真ん中にあるときが重心が一番高い状態であり、それは左の振り子運動をしている足が一番屈曲している真ん中の状況である。

 

ここで、重力に支配されるのは、蹴り上げの力と、振り子運動の周期である。蹴り上げに必要な力は重力に比例する。一方、振り子運動の周期(一歩分の時間)は重力の平方根に反比例する。

 

数式を用いれば、図の右の重心(円で表記)がΔhだけ高くなるとするには、足の蹴りで、MgΔh だけのエネルギーを供給することになる。一方、この図で表す半歩分の時間は、T=2π・SQRT(L/g)の半分であり、SQRTは平方根であり、通常√で表現する。

 

右の振り子運動のモデル図で、太腿に関する振り子の重心は、ほぼ太ももだけの重心に等しいだろう。それは、蹴り上げから始まる全体の重心移動と膝関節の回転により、膝下部分が太腿部分をほとんど下方に引っ張らないからである。また、太もも部分の振り子運動の周期も、膝関節以下の振り子運動も位相差があるものの、周期そのものはほぼ等しいだろう。

 

以上から、前回記事では太もも部分の長さの半分を、これらモデルにおける振り子の竿の長さと考えた。もし、背の高い人でこの長さが30cm(太ももの長さの半分位)なら、一歩が約0.55秒、背の低い人で振り子の竿が20cmと短い人では約0.45秒となる。この数値が実際の周期に近いこと(補足1)が、この二重振り子モデルが支持される。

 

2)ここで、月面歩行を考えてみる。(アポロ11号の月面着陸は捏造だろう:https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2016/12/11.html )

 

月面歩行では、重力が6分の1になるので、地表と同じ距離の一歩とするには、蹴りの力を1/6にする必要がある。一歩の時間も蹴りの時間も長くなり、√6倍(2.45倍)になるので、つま先を着地のために出す時間をそれだけ遅くする必要がある。

 

従って、地表でゆっくり歩くのと違い、慣れるのには長時間を要する筈である。特に自由な振り子運動は、地表での歩行では意識にほとんどないので、時間を頭で数えながら、あるいは目で太ももの移動を一々確認しながら、着地のために足を出す必要があるだろう。

 

蹴りの力は、体重と同じ荷物を背負う形でも、尚三分の一である。一方、関節での回転の摩擦は、地表と変わらない。歩行には、これら地表と変わらない部分、重力に比例する部分、重力の0.5乗に比例する部分など諸要素があるため、脳は簡単にはそれらパラメータの書き換えができないだろう。

 

それは月面にある人に、大きな違和感を与えることになる。それは、青い地球の美しい姿とともに強烈な印象を与える筈である。アームストロング船長の言葉にその実感が欠けている。

 

前回の歩行モデルの記事をわかりやすく書き直しました。文献等は、前回記事をご覧ください。

 

補足:
1)不動産屋の広告で、駅から歩いて10分というような場合、通常1分で80m歩くことを想定している。つまり、歩幅70cmなら、歩数114歩であり、歩く周期(2歩)は1.05秒となる。これらの数値は、実際とかなり近い。

 

追補:(7月25日早朝)

1)走るときには、太ももの前後運動は、振り子運動ではなく意識的に筋肉を前後させて行う。この前後運動の周期と、宙に浮いた体の落下が、同期しないといけないので、月面で走ることも非常に慣れるのに時間を要する。蹴る方向と蹴る力で、落下時間が変化するので、タイミングが合わないのは歩行の場合と同様だろう。

2)ロシアで宇宙飛行士になった秋山豊寛さんに、佐々木敏という方がインタビューして、アポロの着陸捏造説を聞いたという。その記事のサイトを引用します。http://naotatsu-muramoto.info/utyuu/utyuu4.html

3)この4月に書いた記事で、米国の宇宙飛行士が米国は現在月に無事人を送る方法を持たないと、言っている動画を紹介しました。(discover TV) そこで、NASAに気を使っていか、嘗てはその技術があったといっているが、それはそのまま受け取る人は皆無だろう。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516831.html(7月29日追加)