1)7月23日早朝、中国のH6爆撃機2機とロシアのTU95爆撃機2機が、日本海の竹島(韓国名独島)上空の韓国防空識別圏(KADIZ)内に入った。また、それとは別にロシアのA-50空中早期警戒管制機が独島上空を侵犯し、スクランブル発進をした韓国機が威嚇射撃をした。詳細は、以下の中央日報日本語版に詳細に記載されている。
https://japanese.joins.com/article/851/255851.html?servcode=200&sectcode=200&cloc=jp|main|inside_left
 
この件に対して河野太郎外相は23日午後の記者会見で、「竹島はわが国の領土だ。領空侵犯をしたロシアに対しては日本が対応するものであって、韓国が何か措置を行うのは日本政府の立場と相いれない」と主張した。 菅義偉官房長官もこの日午後記者会見で「韓国軍用機が警告射撃を実施したことは、竹島の領有権に関するわが国の立場に照らして到底受け入れられず、極めて遺憾だ」とし「韓国に強く抗議して再発防止を求めた」と話した。同時に「ロシア軍用機が二度にわたり、島根県竹島周辺を領空侵犯した」として「(ロシア側にも)厳重な抗議を行ったところ」と明らかにした。
https://japanese.joins.com/article/840/255840.html?servcode=A00&sectcode=A10&cloc=jp|article|related
 
韓国の記事を引用したのは、日本の新聞では真相も事実も分かりにくいからである。例えば中日新聞の24日の朝刊の記事では、韓国を抗議先の先頭においた領空侵犯事件でしかない。二面記事の解説でも、日韓の対立を探るというトンチンカンな内容である。まともな記事は、国際問題の専門家のブログに頼らざるを得ない。田中宇氏は、ブログ記事(及びメルマガ)で、「中露戦闘機の竹島周辺での領空侵犯は意図的になされた。韓国は威嚇射撃をしたが、日本は何もしなかった。そして、米国も何の動きも見せなかった。竹島や対馬海峡などで日韓の領空や防空識別圏にわざと入ることで、米国や日韓の政府や軍がどのように反応するかを見る作戦が含まれていたのでないか」と書いている。(田中宇の国際ニュース解説 無料版 2019年7月24日 http://tanakanews.com/ )


特に、トランプ政権のボルトン補佐官が来ている時だったが、この件には何も言わず、米軍に何の動きもなかったことに田中氏は注目している。ボルトンは、日韓の対立を仲裁するためという触れ込みで日韓を訪問したが、対立の仲裁を全くやらず、イランの件のみ喋って帰ったようだ。韓国の政府や軍は、威嚇射撃や、大使を呼び出して叱責するといった、「きちんとした対応」をしたが、日本は口先だけの形式的抗議をするのみだった。
 
非常に参考になるyoutube動画があるので紹介したい。ある人が、外務省と防衛省に問い合わせたのである。両方の広報部門が対応したのだろうが、しどろもどろであった。https://www.youtube.com/watch?v=L5SUjSqNynE


2)この領空侵犯事件で、日本の新聞や日本政府の視野の中に存在するのは、「韓国がどう反応したか、どのような姿勢をとるか?」ということであり、日韓の領土問題という視野からほとんど出ていない。読売新聞の25日の社説でも、主たる視野は日韓領土問題であった。https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190724-OYT1T50340/
 
その視野を超えた内容としては、米韓両国は大規模な合同軍事演習を中止したこと、日韓の防衛当局の関係も冷え込んでいることに言及し、そして、「この間隙を突いて中露両国が日米韓の対処を見極めようとしたのではないか」と最後の方に書いているのみである。そこに独自な分析は全くない。 
 
そして、「ともに米国の同盟国である日韓両国は、アジア地域の安定を担う立場である。韓国はその責任を自覚し、日本を敵視するかのような行動を改めるべきだ」と結んでいる。なんという貧弱な内容か。 
 
日本を代表する新聞でも、この程度である。考えるべきは、江戸時代に竹島で日本人が漁をしたこと(読売社説)ではなく、今後この領域が米国の覇権から中露の覇権に入った時、どのようにして日本が独立国としての立場を守るかということの筈。そんな視点は日本の新聞にはないし、日本政府にもない。(順序が逆?)
 
最初に引用した中央日報の記事は、韓国の元空軍関係者の言葉を紹介している。日本政府の責任者には、この言葉を真剣に反芻してほしい。キム・ヒョンチョル元空軍参謀次長: 

「中露両国の戦略爆撃機があらかじめ設定した韓国や日本の目標物を共に核攻撃する手続きを演習したとみられる」。  
この記事では更に以下のように書いている。
中露編隊が東海上空を飛行する際、中国の戦闘艦2隻は離於島南側と浦項(ポハン)東側で航海中だった。訓練状況をモニタリングしたと推定される。  
 
最後に、田中宇さんの記事の中の一節を紹介して、今回は記事を終わる。
 
極東や日本海は、中露の覇権下に入る。対米従属しか頭にない日本の影響力は低下する。今回の中露軍の飛行演習は、中露の日本海支配の強まりを見越したものだ。中露軍機は今後ますます日本海を飛び回り、独島周辺も通るだろうが、韓国軍から警告射撃を受けない範囲での接近を心がけるだろう。韓国軍は今回、体を張って独島を防衛した。中露は、それに敬意を表しそうだ。対照的に、竹島に対する日本の政府と国民の主張が口だけ(外交重視)であることが露呈した。日本が「素晴らしい平和主義」の国であることが示された。

以下は、古い記事から比較的閲覧があったものの再録です。グーグルの検索機能が及ばないので、自分で読み返すためにここに再録します。(2013年9月1日投稿;2020年1月26日表題を改める)

 

1)“建前”という言葉の元々の意味は、“家屋の建築で、主要な柱や梁,棟木などを組み上げること”、また、その時に行う上棟式である。しかし、スペースアルク(http://www.alc.co.jp/)という何時も利用させてもらっているサイトで英訳すると、上棟式は出てこないで、注釈(注1)に書いた様に比喩的な用法が全てである。それを参考にすると、建前は殆どの場合、要するに、“公の立場”と“言葉上の理由付け”の二つの意味で用いられている。

 

日常の会話では、“建前”は幾分軽蔑的に用いられて、“真理である本音”が大事であると考えられる場合多い。しかし、我々がかなり楽観的に人間関係を築いて、社会の中で一応安心して生活できるのは、人々が“建前”つまり“公の立場”を社会において堅持するからである。つまり、“建前”は元々の意味の通り、社会の骨組みをつくるものであり、人類が混沌の中から作り上げた文化そのものである。そして、この”公の立場”があってこそ、人は平等に生きる権利を得、社会にその存在(生存)を主張できるのである。個人としては、公に預けた“建前”と対を為すように、本音をしっかり心の中に保持して良いのである。

 

インターネットやそれに手軽にアクセスできる携帯電話(スマートフォン)が問題視されるのは、その本音と建前の混在した世界をサイバースペース (ネット空間、電脳空間)として人々に提供するからである。つまり、本音と建前は二重らせんのように、同一の個人に存在するが、決して融合してはいけないのだ。この“二重らせん”の融合は、公の文化の下で享受出来ることになった近代文明の崩壊を意味する。<br> 追加(12/8):(本題で言いたい事はこれで終わりだが、何故この文章を書く気になったかというと、DNAの二重らせん構造の発見でノーベル賞を貰ったワトソン博士が、そのメダルを競売に出したというニュースを見たからである。以下にその話を追加する。)

 

2) 因に、DNAの二重らせん構造を提案したワトソン博士のノーベル賞メダルが競売にかけられ、五億円の値段がついたと言う事である。http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20141129-00041084/

 

ワトソン(以下敬称略)は、ロザリンド・フランクリンが撮影した、DNAのX線回折像を見てその二重らせん構造のモデルを思いつき、論文を書いてNature誌に発表した(1953年)。その後、ワトソンはクリックやウイルキンソンとともにノーベル賞に輝く(1962年)。その受賞後しばらくして発表した、ワトソンの著書“二重らせん”(1968年)で、DNAのX線回折写真を撮影したロザリンド・フランクリンを暗愚な研究者として描いているという。ノーベル賞を得るまでには、醜悪な人間ドラマというべき経緯が存在していたのだ(上記サイト参照)。

 

ワトソンが、何故ロザリンド・フランクリンというユダヤ人女性を暗愚な研究者として描いたか? それは、恐らくワトソンがNature誌にその論文を出さなければ、ロザリンド・フランクリンが同じ事を論文にしてどこかに発表していた可能性があるからだと思う(注2)。この場合は、ノーベル賞が彼女にもたらされ、ワトソンのノーベル賞も学会での名誉ある地位も無かった筈である。つまり、その可能性が無い事を強調しなければ、ワトソンが本来の筆頭著者かもしれない彼女を外して論文を書いたことになり、その悪意ある行動の評価が社会に定着してしまうからである。

 

 現在の日本では、ある研究の為にX線回折像を撮影してもらった場合、その研究成果を論文にする際にはX線写真を撮った人も共著者になるのが当たり前になっている。しかし、本来の科学文化の中では、その論文の全てについて寄与がなければ(内容の主張=presentation=が出来なければ)共著者になってはならない(注3)。つまり、ロザリンド・フランクリンがX線像から二重らせんという長周期構造を思い付かない程に暗愚であったことにすれば、彼女を共著者にする必然性はないのである。私は、ワトソンが“本音”を隠して、その創造した“建前”を自著“二重らせん”に強調した可能性を感じる。

 

 更に言及したいのは、ワトソンが「アフリカの黒人は、遺伝子の段階から知能が劣るだろう」と発言したことで、学会等から忌避されてしまったことである。ワトソンは「あの発言で社会的に抹殺されてしまった」と英紙フィナンシャル・タイムズに嘆いているとのことである(上記サイト)。つまり、建前として大切にしなければならない事をわきまえず、思わず本音を公の空間で吐いてしまった為に、社会から抹殺されたのである。(追加補足1)

 

 本音は、人権<strike>や報道の自由</strike>として局限された個人的空間に封じ込め、建前を公としての社会の骨組みとして採用したのが、人間の智慧であり文明の基礎である。ワトソンはこの建前と本音の二重らせん構造を十分わきまえていなかったようだ。 

 

追加:DNA構造発見の経緯について書かれたものがありましたので、以下に参考文献として追加します。http://thomas.s301.xrea.com/thinking/20seikisaidainohakken.pdf 

 

注釈:

 

1)辞書によると:polite face (礼儀的な顔); public position (公の立場); one’s public stance (人の公としての立場); one’s stated reason (人の言葉の上での理由)などが書かれている。 これらから本文章内では、“公の立場”と“言葉の上での理由付け”を建前の二つの側面からみた意味として用いる。関西地方では上棟式の意味ではフラットに発音し、本音と対する言葉で用いる場合と区別している。

 

2)同じ年に化学者として有名なライナス・ポーリンング博士も独自の3本鎖のDNA構造モデルをNature誌に発表している。その事から、競争の激しいテーマだったことが判る。

 

3)X線回折のデータをワトソン氏にフランクリンに相談無く見せたのが、ノーベル賞の共同受賞者のウィルキンソン氏ということである。それにも拘らず、ウィルキンソン氏が1953年のNature論文の共著者になっていないのは、この科学文化ではあり得ないことではない。従って、ウィルキンソン氏はロザリンド・フランクリン女史が撮ったX線回折データの意味が十分判らなかったのだろう。(12/7朝追加しましたが、ここで最終稿とし、追加は別途”二重らせん”を読んだあと書きます。)

 

上記3)について追加(12/8):二重らせんを60%位読んだが、興味が続かずギブアップする。その時点は、ワトソンらはポーリングが蛋白のαーヘリックス構造を見つけたのと同じ、分子モデルを用いる方法でDNAの構造を模索している段階である。ロンドンのロザリンド・フランクリンとモーリス・ウィルキンソンとの間の関係が極めて悪いというが、その根拠が明確ではないのが印象的である。しかし、それも答えを知っての事かもしれない。ウィルキンソン自身が第三の男とか何とか言う題で本を書いており、そこでのフランクリンとの関係は大分違うようだ。

 

追加補足:<br><br>

1)この発言にも、裏があるかもしれない。もし、ワトソンが本音を簡単に吐く人間だったことになれば、フランクリン女史を愚鈍だったと書いたことも、本音をそのまま書いたのだろうということになる。従って、「アフリカの黒人は、遺伝子の段階から知能が劣るだろう」との非科学的発言は、社会から干されることを覚悟の上でなされたもの、つまり、思わず本音を吐いてしまったということでなかった可能性もある。

1)京都アニメ放火事件ほど残忍な事件はない。個人的犯罪としては、過去最悪なケースだろう。我々日本人の中に、このようなことが出来る人が居るとは信じられないほどの事件である。

 

動機については、自分の書いた小説、或いは、自分の考案した言葉を、アニメに無断利用されたことに対する恨みだとかいう説が多い。しかし、単なる経済的不利益に関する恨みなら、このような大犯罪にはならないだろう。ただ、犯人がもし意識を回復して警察に動機を語る場面があったのなら、そのような話をして誤魔化す可能性もある。

 

そこで直ぐに浮かぶ動機がテロである。実際にそのような主張がネットにある。

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12496761121.html

 

しかし、私はテロではないと思う。テロならもう少し周到に準備されていた筈だと思う。ガソリン40リットルを撒いて火をつけるという泥臭い手法は、テロの手口ではないと思う。テロなら、強力な爆薬や毒ガスを使う可能性がたかい。

 

テレビでは、ルサンチマンという言葉で、この事件を語る人も居る。ルサンチマンとは社会の上層部などに対する恨みという意味だろうが、集合すれば大きな社会的事件或いは政治テロなどに繋がるだろうが、個人では、上層社会などへの恨みと訳されている以上のものではないだろう。

 

片田珠美という精神科医が、ネットニュース(Business Journal)の記事で「この放火事件は無差別殺人と考えられる」(記事5行目)としている。その記事のなかで片田氏は以下のように書いて居る。https://bizjournal.jp/2019/07/post_110279.html

 

無差別殺人犯は、長年の欲求不満を他人や社会のせいと思い込んで怒りと恨みを募らせ、復讐願望を抱く他責的傾向も強い。何らかの精神疾患によって被害妄想の可能性もある。しかし、犯行は引き金がなければ起こらず、それは本人が「破滅的な喪失」と受け止めるような喪失体験であることが多い。犯行後に「パクリやがって」と声を荒らげたというので、かつてアニメに何らかの形で関わっていたのかもしれない。あるいは、アニメに強い思い入れや執着があるのかもしれない。

 

私は、無差別殺人でなないと思う。従って、引き金としての「破滅的な喪失」など、他人の目に見える体験など無かった可能性が高いと思う。ただ、この最後の「アニメに強い思い入れや執着がある」という言葉に注目した。

 

2)私がこの事件を考えていて思いついたのは、三島由紀夫の小説「金閣寺」の放火との類似である。その考えが正しければ、この事件は無差別殺人事件ではなく、京都アニメ破壊事件である。犯人には、働く人たちを数人殺害するだけでは物足らず、京都アニメそのものを消し去ってしまおうと考えたと思う。それが40Lという大量のガソリンを撒いて放火した理由だろう。

 

先ず、小説「金閣寺」放火の解析を振り返る。勿論、小説上の話であり、実際の放火事件には必ずしも当てはまらないかもしれない。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2014/07/blog-post.html

 

小説では、主人公の柏木は、生まれながらの吃音のハンディを、凝り固まった劣等感として持ってしまう。その所為で、消化し切れない欲求不満を溜め込むが、その心理を自分が僧侶として弟子入りをしている金閣寺の美への憧れで心理的バランスをとる(誤魔化す)。そして、徐々に募る募る不満とバランスをとるように、金閣寺の美が心の中で拡大する。(補足1)

 

そのうち何度か訪れた、人生好転の機会と思われた時に、決まって心に金閣寺の幻影が浮かぶようになり、そのチャンスを逃すことになる。そして、何時の間にか心の中で金閣寺の空襲による焼失を願うようになる。しかし、空襲は結局無かった。(補足2)

 

そこで、逆に邪魔で憎しみの対象となった金閣寺に放火し、悩みふかい自分の青春時代と一緒に消滅させようとした。その時、自分の人生が終わっても仕方がないという覚悟があっただろう。(実際、現実の金閣寺放火犯はその後自殺を試るが、未遂に終わる。)

 

今回の京都アニメの事件でも、犯人は京都アニメの作品に強い執着をもっていたのだろう。それは、本来の自分の趣味の対象としての執着から、自分のままならない人生で蓄積された欲求不満と心理的バランスを取るための存在としての意味を持つようになったのだろう。しかしその愛着は、際限なく大きくなることなどはあり得ない。

 

もはや京都アニメへの憧れなどでは抑えきれなくなったとしても、京都アニメはそのまま存在し多くの人に愛し続けられている。そして、徐々に強い憎しみに転換されたのだと思う。心理学でいう“同一化”(補足3)が不可能になったのだろう。

 

実際の引き金はいろいろ考えられる。その中には社会的なものもあるかもしれないし、アイデアを盗まれたと思い込むこともあったかもしれない。しかし、それらは単に引き金であり、爆薬ではない。つまり、動機をいくら探しても、その犯行の本質的動機を探し当てることは、警察本来の発想では無理だろう。

 

大量無差別殺人などの事件では、全て直接的動機は引き金でしかない。被害の大きさは、爆薬の大きさで測られるべきである。引き金をいくら眺めても、その大きな被害の原因としては不釣り合いだろう。

 

 

補足:

 

1)この蓄積する不満と何かに対する憧れをバランスさせるのは、心理的な代償行為だと思う。全く異なる様に見えて同類の代償行為に、何かへの恨み、抵抗、憎しみなど負の価値で、バランスを取る場合もある。この負の感情を、心の中の異なった場所(天秤の反対側の様な場所)に置く事で、バランスが取れる。不満が大きくなった場合、前者の代償行為から後者へのタイプの転換が起こる場合が多いと思う。つまり、可愛さ余って憎さ百倍のケースの一つである。

小説「金閣寺」の中では、「金閣寺の美」への憧れが、空襲による焼失を願う気持ちに変わったのも、心理的代償の変換だろう。 

 

2)それまで憧れの対象として心の中心に置いてきたのだから、その最高のものに入れ替わる何かが視野に入った時、幻影として現れるのは、特別なことではないだろう。ただ、小説「金閣寺」に書かれたような場面で、幻影が現れたとしたなら、その憧れも相当レベルの低いものだったのだろう。実際、小説の最初の方に、元々、金閣寺をそれほど美しく思った訳ではなかったと書かれている。

 

3)同一化とは:「自分が尊敬する人物などに対して自分自身の存在を重ね合わせていき、相手に対して強く感情移入していくことによって、その人物が経験するすべてのことを我がことのように感じて一喜一憂すること」https://information-station.xyz/10576.html