1)朝鮮中央通信によると、北朝鮮の国防科学院報道官は14日、北西部・東倉里の「西海衛星発射場」で13日に「重大な実験」を再び実施したと発表した。北朝鮮は7日にも同発射場で「非常に重大な実験」を行っており、大陸間弾道ミサイル(ICBM)に使われるエンジン燃焼実験の可能性が指摘されている。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2019121400356&g=int

 

また、共同通信によると、北朝鮮軍の総合参謀長は14日、金正恩朝鮮労働党委員長の決心次第でどんな行動も取る準備ができていると強調、「われわれを刺激する言動を慎んでこそ年末を安心して過ごせるだろう」とけん制した。

 

本来、国連決議に反するようなミサイル実験などは、大々的に発表しないのだが、最近の北朝鮮は、米国を意図的に刺激しているように見える。つまり、12月8日の重大実験の発表などを含め、これら一連の実験や声明は、米国を刺激することが目的の一つであることが明白である。

 

米国を刺激する理由だが、米中協議に際してトランプ大統領に圧力を掛けることが目的だろう。その期限である15日を意識して、計画されたとすると、わかりやすい。つまり、北朝鮮は中国の手下として働いていると思う。

 

その米中協議だが、CNNによると、 トランプ米大統領は13日、中国との通商協議で「第1段階」の合意に達したと発表した。中国が「多くの構造改革と、農産品やエネルギー、工業製品の大量購入など」に合意したとしている。北京でも中国当局者が記者団に合意を発表した。

 

米国のダウ平均株価は、12日の始め少し(100ドル程)上昇し、その後通常の上下があったのみである。日経は金曜に大幅に上昇しているので、日本では多少意外に思った人も多かっただろうが、米国ではこの合意は既に計算済だったのだろう。

 

2)米国トランプは、強硬派を近くにおいて脅し役とし、自分は取引のポイントと時期を考えて、最終的に側近の言動を裏切る形で外交して来た。マッドマンの理論(Mad man theory)のメッキは剥がれ、中身が露呈したようである。

 

それは、ボルトン補佐官の件を考えれば分かる。今後もそのトランプ流外交を続けるだろうが、中身が単なる利己主義では、安物のまんじゅうみたいだ。

 

上記北朝鮮の米国に向かって吠える姿勢は、そのポルトンの姿勢と相似である。表題は、そのような意味を込めて付けた。トランプは決して北朝鮮を爆撃したりはしない。北朝鮮の中距離核は、黙認する筈である。

 

つまり、日米安保は非常に軽くなりつつあり、米軍駐留費としてトランプの米国に80億ドルを支払うことを日本の政権は拒否するだろう。韓国の文在寅政権が50億ドルの要求を退けるだろうが、その後追いを日本はすることになる可能性が高くなってきた。

 

問題は、2018年と2019年の10月に行われたペンス演説、2019年ペンスに引き続いて行われたポンペオの演説における対中国姿勢は、最終的に米国の対中姿勢となるのかどうかである。まだまだ先は長いと考えて、両演説の意味を強調する人は、特に日本に多いだろうが、結局ボルトンと大して変わらない役割を果たすだけだろう。

 

勿論、両者の考えが米国全体の考えを代表しているのは事実だろう。しかし、もはや米国に出来ることには限界があると思う。それが、伊藤貫氏の一貫した考えである。中国は既に大きくなり過ぎており、米国も本格的に対立出来る時期は過ぎているのである。

 

そのことを安倍総理は知っているか知らされているのだろう。10月29日の記事「安倍総理は、米国の敵に廻ることを選択したのか?」で、私は、以下のように書いている。

https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/10/blog-post_29.html

 

最近の安倍総理の発言、「日中関係は完全に正常化した」は、米国に突きつけられた2択問題において、安倍総理は自分の意思で、中国独裁政権を選択するという決断を行った事を示している。その理由には深いものがあるかもしれないが、その間違いは、確実に日本を破壊するだろう。

 

その深い意味とは、上記のように米国は適当な所で中国と折り合いを付けること、そして、最終的に米中は太平洋を二分し、東アジアは中国の覇権域となるということである。それは、伊藤貫氏の考えの通りであり、安倍氏もそのように米中関係の将来を把握しているのだろう。

 

更に、11月12日の記事「安倍総理は何故親中策に舵を切ったのか」において、以下のように書いている。

 

ただ、副大統領や国務長官が中国非難をしても、肝心のトランプ大統領はこれまでの習近平とは信頼関係が出来ているという態度に、変更を加える発言をしない。トランプのこれまでの外交は、米国の利己主義を100%他国に押し付ける極めて身勝手な姿勢を、見せたり隠したりしてきた。つまり、トランプにとっては、日本などどうなっても構わないかの様である。

 

ヨーロッパ諸国は、中国は第二ではあっても第一の仮想敵国ではないので、そして、米国とのNATOも(フランス大統領は批判したが)、トランプ退任後はまともになるだろうから気楽である。しかし、非武装中立の日本は、米中対立の中でどちらにも付かないで独自路線を取るのは、両側に絶壁を持つ稜線渡りと同様に困難である。そこで、トランプを信じられない安倍政権は、中国との関係を改善する方向に少し向かったのだろう。

 

トランプという人は、完全な利己主義者であり、彼が米国大統領になったことは、日本に現実の厳しさを教えることになった。しかし、その教えに多少学んだのは2-3人の保守系議員だけだろう。

 

3)伊藤貫氏は、日本は核武装して独立国としての体裁を保つべきだと主張するが、それは容易なことではない。北朝鮮から核兵器の一発が日本に落とされる位でないと、諸外国は承知しないだろう。平和教に毒された日本の大衆は、それでもただ涙を流してオロオロするだけで、核武装など考えもしないだろう。

 

それよりも、中華圏の末席を確保することを考える方が、大衆の考えに沿うだろうし、その選択は政治屋として賢明かもしれない。その結果、天皇家が潰されるとしても、それにはあまり関心はないだろう。大衆は、もう一度涙を流し、次の日には何もなかったかのような表情になるだろう。マッカーサーが日本に来たときのように。

 

どうせなら、あの時、マッカーサーがもう少し日本のために、米国国務省の考えの通りに日本を料理してくれていれば、このような日本にはならなかっただろう。「どういうことだ?」という人がほとんどだろう。それも分からない人に、説明しても仕方がない。日本のことを心から心配してくれている伊藤貫先生に聞けば何か教えてくれるだろう。

 

このブログを本格的に書き始めて6年ほどになるが、それまではもう少しマシな連中が日本の政治を担当し、評論家ももっとまともかと思っていた。しかし、今となって思うのは、日本在住の評論家たちや政治学者たちは、本当に愚かな連中だったということだ。おそらく、日本に本格的なシンクタンクが無いことが致命的なのだろう。

 

2年ほど前まで時事放談をやっていた東大政治学の元教授など、日本の政治学の権威だった筈だが、小沢一郎の「日本改造計画」のゴーストライターが精一杯だった。ホストを務めていた「時事放談」では、元北朝鮮のスパイの武村正義元官房長官(米国からの指摘)を屡々ゲストにしていたのだから。

 

兎に角、ぐちゃぐちゃの日本である。先が長い人は日本脱出を考えるべきだが、そのような実力のある人が大勢いるのなら、このような日本にはなっていなかっただろう。この先はわからない。第二のウイグルになるのか、それとももう少しましな境遇を得るのか、さっぱりわからない。まあ、私が死んでからのことだろう。XXにつける薬はない。(9時10分&9時30分編集)

1)景気低迷と金融緩和の効果:

 

日本のGDPはこの30年間殆ど増加していない。数の緑色の線を見てもらえばわかるように、1995年あたりでピークになり、それ以降25年間全く大きくなっていない。

対策として良く取り上げられるのが、政府のマクロ経済政策である。それを果敢に実行したのが、安倍政権下で行われた黒田日銀総裁の“異次元の金融緩和”である。しかし、市中銀行に渡ったお金は、日銀当座預金に積み上がるだけだった。

 

副作用的に生じた円安効果は日本に幸いだったが、それ以外には、国内での本質的な景気刺激にはならなかった。日銀がお金を出せば本格的な経済成長が可能だという考えは、正しくなかった。(補足1)

 

経済成長には、市中銀行から民間企業などに金が回り、それが新規産業創業や労働生産性向上のための投資に向かうことが大事であるが、そうは成らなかった。民間企業に金がなかったのではなく、個人同様に日本の将来に不安を感じて、新規投資には慎重だったようだ。

 

以上から、経済低迷の原因はマクロ政策にあるのではなく、経済主体である会社など法人に、全体としての能力がなかったという見方の方が正しいだろう。(補足2)実際、上図をよく見ると、日本がゼロ成長の25年の間、その他の先進国は一定の成長を続けている。

 

2)企業の能力:

 

1960年代からの高度成長が可能だったことなどを考えると、人々は概ね技能にも優れ、真面目に働く優秀な労働者である。しかし何故、優秀な労働者から優秀な会社が出来ないのか?

 

その答えの一つは、日本文化の下では「組織の階層構造の中に個人(の適性)を置くことが上手く出来ない」のだと思う。共同体において平等に存在する成員を、組織の上下構造の中に配置することは困難だからである。また、出来上がった本来機能体組織であるべき会社が、結果的に共同体的組織の性格を帯びてしまうことになる。

 

更に、日本人は「自分の適性を限られた時間だけ提供し、会社はそれに対して給与を支払う」という考え方が、今でも出来ないことにある。日本での会社と労働者個人(正規雇用)の伝統的関係は、全てを会社に捧げるという江戸時代の殿様と家来の関係である。(補足3)

 

嘗て、「仕事は人生の全て」という人が多い事を、エコノミックアニマルという言葉で形容し流行ったこともあった。実際にそのような人が多い事実は、「仕事は人生の全てではない」という議論が、ネット上に山ほどあることから判る。

 

上記日本の組織の欠陥による症状を、至るところに見ることが出来る。例えば、日本の多くの生え抜き社長は、共同体的組織の一部を切り取って、解雇することなど簡単には出来ない。また、何か問題が発覚したとき、それが一人の従業員個人の犯罪によるとしても、共同体の長として役員の中央で揃って頭を下げる。

 

 

以上の日本診断が正しいことは、日産の低迷とカルロス・ゴーン氏を迎えてからの復活、そして、それに対する日本の反応を見れば明らかである。ゴーン氏が日産の社長になって行った最も大きな対策は、不採算部門の閉鎖と人員整理だったという。大前研一氏は以下のように書いている。

 

1990年代に経営破綻の危機に直面した日産が今日のように復活したのは、たしかに“奇跡”である。しかし、ゴーン氏は大規模リストラによるコストカットで日産の“負の遺産”を清算しただけであり、「GT-R」や5代目「フェアレディZ」などの人気車種を生み出して奇跡をもたらしたのは、もともと日産が持っていた技術力である。

https://www.news-postseven.com/archives/20181210_820786.html/2

 

「負の遺産を清算しただけ」と語るが、その「だけ」が出来ないのが、当時の経営トップを含めて日産という会社だった。つまり、不採算部門の閉鎖と人員整理は、上に記したように共同体的組織として出来上がった会社内では円滑には進まないのである。

 

しかし、異なる企業文化の中で育った優秀なゴーン氏には、それが当たり前のこととして出来たのだろう。そのゴーン氏のやり方は、日本文化の中では血も涙もなき“覇道の猛牙”の仕業となる。首を切られた労働者は、それは約束が違うと、悔しい思いをしたことだろう。https://www.asahi.com/special/carlosghosn/

 

会社を組み上げる際から、日本企業と西欧企業とでは、人事様式はことなる。非効率な組織から脱却するために、会社組織は西欧的に機能体組織として組み上げるべきでは無いだろうか。そのようにすれば、労働の流動性は格段によくなるだろう。そして、多様な人生も、そして、そこからの多様な発想も生まれると思う。

 

そのようなことは直ぐには出来なくても、少なくともその考え方の違いは、把握すべきである。

 

3)その他雑感:

 

大学の劣化について:

日本の人的関係に依存した人事は、教育界にも見られる。日本の大学の低迷の大きな原因は、教員人事にあるだろう。以下は、私の知るある有名大学の或る学科の話である。設立された時の教授(第一世代)は、東京帝国大学から溢れ出た若い学者で構成された。彼らは、その後各分野で出身大学の教授を超える程の学者となった。

 

しかし、第二世代から第三世代になるに従って、教授選考は、同じ講座の助教授の昇任人事が多くなり、教授の質は劣化していった。この情実人事は、日本の至るところの大学で行われ、日本の大学全体の質の低下の原因となった。大学という学問の世界でも、この“ていたらく”である。

 

また、大学の独立行政法人化は文科省の天下り先を増やすことを目的に行っただけであり、小泉内閣の大失敗というか悪事である。大学や研究機関を独法化しても、霞が関の安物官僚の下に置くのは、百害あって一利なしである。

 

政治の劣化:

政治屋の人事も、特に安倍内閣の場合、自分の勢力拡大のための手段に過ぎない。パソコンもろくに使えない者や歯舞や色丹という漢字も読めない者も、待てば大臣に成れるというひどい情況である。それでも国民は怒らない。日本は本質的に怒りを忘れた、性善説の国なのだ。

 

因みに、外務官僚のスクール制も、鈴木宗男議員が質問したように、大問題である。外務省に入省後1-2年で中国などに将来の幹部候補生として留学した場合、殆どが中国贔屓になるのは、その弊害のひとつだが、その裏にXXXトラップが無かったと誰が断言できるだろうか?(補足4)このトラップは最強のコネ形成法である。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166193.htm

 

(これは専門家の記事ではありませんので、コメント、悪口、何度も遠慮なく書き込んで下さい)

 

補足:

 

1)第二次安倍内閣の経済財政諮問会議での意見を取り上げて、日銀の黒田総裁が物価目標2%を掲げ、マネタリーベースの拡大に努めた結果、円安になり貿易収支が改善した。景気拡大は、民間預金などのマネーストックの拡大と、その潤沢化した資金を新規事業や設備投資などに使い、事業の拡大や改廃、生産性向上などを実現することで可能となる。そのために市中銀行等が、企業の健全性や将来性を見抜き、そこに積極的に融資することが、景気浮揚には大切な要素である。そのような経営コンサルティングを含めて、融資を引き込む営業活動において銀行の実力が無かったのだろう。証券販売や国債金利に頼る経営は、無能と言わざるを得ない。

 

2)1995年までの成長は、日本にあった基礎的能力と外的要因、つまりグローバル化経済、がうまく噛み合った結果だと思う。

 

3)日本と西欧の人間関係の違いは、個の独立の程度と関係がある。西欧では、唯一神の存在下、人々は独立している。従って、自由主義の下では、人間の協力関係の範囲は、契約として明示される場合が多いと思う。しかし、日本の宗教は神道であり、全ての個は自然の中に溶け込んで一体として存在する。従って、人の間の協力関係は、西欧的な「一定時間この技術に関する部分だけ」という類のは無理であり、全面的に成らざるを得ない。

 

4)元経済産業省の官僚だった岸博幸氏が、中国を訪問した際にXXXトラップを中国側が用意していたという話を、岸氏自身がテレビで語っていた。=>「中国にピンク&マネートラップされた多くの米国政治家たちと中国の長期戦略」:

https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466515026.html

1)「なんじ自身を知れ」は古代ギリシャの格言である。「彼を知り己を知れば百戦殆からず、(以下略)」は、中国の孫子の兵法にある言葉である。しかし、己を知ることは、難しい。猫は鏡に写った自分の像を、自分の姿だとは認識出来ずに、攻撃する。人間も似たようなところがある。他人に対して怒っているようで、よくよく分析すれば、自分の不満を他人に押し付けている場合が多い。

 

人も自身を知るには、普通”鏡”が必要だ。自分の姿なら一枚の鏡で十分だろうが、後ろ姿を見るには二枚必要だ。自分の行動や性格となると、鏡の役割をするのは何だろうか?それは周囲を注意深く観測し分析する知性である。しかし、周囲に誰も居なければ、自分の知性も役立たないだろう。また、周囲が反応しないと約束していれば、自分を知る手立てがなくなる。

 

周囲が反応をしないように約束している様な社会、それが表題の”悪口を言えない文化”の日本社会である。悪口を控える「思いやり」、我慢をしての「お・も・て・な・し」は、社会における潤滑油としての役割があるのは確か。しかし、表面だけ潤滑油で覆っていても、社会が円滑に動くためには、多くの機械がそうであるように、歯車としての個人の役割がしっかりと噛み合っていなければならない。

 

ある個人と社会の関係が十分ではない場合、明確なメッセージが、その社会において近くに居る他の人達からその人に発せられるべきである。そのようなメッセージは、一般には批判というが、“ざっくり”言って悪口とも言える。その個人の社会における正常な役割と、現実との間の乖離が度を過ぎれば、悪口になっても良いと思う。

 

その批判或いは悪口は、その対象に自分を知る機会を与え、逆に、その対象からの反論とそれらの往復(つまり議論や口論)により、その社会全体におけるその個人の役割の確認や調整と、メンバーの入れ替えなどを含めた、その社会の改善の機会となるだろう。全体主義や独裁の社会では、その様な現場での構成員間の相互作用がないために、社会全体が非効率化して、崩壊する可能性が高い。

悪口(評価)を抑制する日本社会でも、悪口が全く無いわけではない。裏に潜って陰口として悪質化するのである。その結果、社会のその部分が硬化する。これが全体主義社会生成の硬化メカニズムである。そして、社会に地雷が埋め込まれたような情況になる。この全体主義の最大化したものが、戦前から戦中の日本であり、毛沢東の中国(大躍進運動や文化大革命)。


日本では、公的には近代史の評価を全くしていない。存在するのは裏に潜った左派の陰口と、やはり裏での右派の「日本は自衛のために戦った」論である。その理由は、既に指摘したように、その近代史を一貫して、一部の人たち(薩長と彼らと結託した下級貴族)が、支配階級として現在も存在するからである。https://rcbyspinmanipulation.blogspot.com/2019/01/blog-post_14.html

地域社会で上記“地雷”が爆発した例として、6年前の山口県の山村で5人が殺された事件がある。都会から限界集落に戻った男を、長年の影口で、集落全体で異質な存在として阻害し、地雷化したのである。小さな硬化した全体主義集団の誕生である。結局、地雷は爆発し、その男の大量殺人となったのである。(補足1)https://www.sankeibiz.jp/econome/news/130804/ecc1308041438005-n1.htm

 

2)悪口、或いは批判を避ける文化の国は、入口社会の国である。例えば、一緒に働く前に”ふさわしい人材”を選べば、その後批判や悪口を言わなくて済む。その結果、会社の業績を下げなくて済む。大学の場合も、入試で”正確に選考”すれば、落ちこぼれを最小限にできる。そして、落ちこぼれに卒業証書を渡すという、嫌なことを最小限に出来る。

 

それは、出口までの場面で、なるべく客観的評価をしたくないことが原因である。別の表現では、全ての評価をプラスにして、「和を以って尊となす」の原則を守りたいことが動機である。

 

しかし、人を事前の試験や面接で評価できると考えることは愚かである。大学入試に業者テストを入れるとか入れないとかの国会での議論は、その類の愚かな議論である。

 

そんな愚かな議論が国会で長々と為されたのは、政治家の家系に生まれただけの愚かな議員(政治貴族、前に触れた支配階級)が議会を占めるからである。何故、その日本文化の異常性に気が付かないのか? それは、国全体が「見ざる言わざる聞かざる」の文化にどっぷり浸かっているからである。

 

そのような社会からの脱却というか、社会の変革は、明治の始めとか、敗戦後などの時に可能だった筈である。それが出来なかったのは、おそらく、全て英米のシナリオで国家が設計されたからだろう。つまり、日本は社会や国家ということを深く考えた上で設計され建設された国ではないのだ。マスコミまで別の勢力に抑えられてしまえば、鏡を奪われた女性のように、滑稽な化粧をするだけになってしまうだろう。

 

以下に、米国在住のチュウカさんの記事に引用された、バイデンと元農夫の口論の動画を見てほしい。元農夫の臆面もなく元副大統領を攻撃する姿、そして痛いところを突かれて、逆上するバイデンなど、それらを清々しく思うのは私だけだろうか。

https://ameblo.jp/chuka123/entry-12554184107.html

私は、このような米国の姿が好きである。そして、そのような性格が日本全体に(そして自分にも)欠けているのは残念である。(補足2)

(12・11早朝編集)

 

補足:

 

1)この事件は、その後本にまとめられたようである。その紹介が、以下の記事でなされている。高橋ユキが山口県『つけびの村』殺人事件取材で見た限界集落の闇:https://friday.kodansha.co.jp/article/67625

 

2)類似の視点の過去の記事:「和を貴ぶ心」は、実は日本文化の病的側面である。https://ameblo.jp/polymorph86/entry-12466516408.html